あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

鎌倉のハイキングコース

2009年10月17日 04時59分56秒 | 鎌倉
この日の鎌倉散歩の目的は鶴岡八幡宮の流鏑馬とお寺のハギ観賞だったのですが、鶴岡八幡宮の観覧席の混雑ぶりにすごすごと退散。なので、予定が狂って時間がたっぷり余ってしまいました。
海蔵寺の道々、とっても心引かれる標識がありました。
「化粧坂切通しはこっち」
化粧坂…。これ、「けわいざか」と読みます。
色っぽい名前の由来は諸々説があるようですが、『切通し』という名前に歴史ロマンを感じる。
よ~し、ここは一つ前々から気になっていた「葛原ケ岡・大仏ハイキングコース」へ行こうじゃないか!
と、わくわく気分で左折したのですが…。なぜか、海蔵寺にいた大量の参拝客のうち、化粧坂へ向うのは私とカップル1組だけ…。
おかしい~~。
なんだかおかしいぞ??
不安は的中し、アスファルトの上り坂は早々に終点となり、代わりに現れたのはなんと!!
トップの画像でございました。
分かりにくいと思いますが、これが化粧坂の一部です。この後、どんどん坂は急で足場は不確かとなり、写真なんか撮ってる状況じゃなくなりました。
つーか分かりにくいと思いますが、この化粧坂って足下は『岩!』なんですよ。しかも、当日は快晴だったのですが、前日まで連日の雨模様でして、足場は濡れてるのです。
後悔してももう遅い。濡れた石の坂を戻る方が危険じゃ!私ってば、医者に処方されて日々飲んでる薬の中に『血をサラサラにする』薬があってね。これ、聞こえはいいけど、ちょっとした怪我でも血がなかなか止まらないし、軽くぶつけたハズなのに、すんごい打ち身が出来ててお風呂で発見してビビったこともあるの。
つまり、怪我はマズい。転ぶのもマズい。骨折なんてもっての外じゃ~~~~~!!
カメラをバックにしまい。両手も使用して化粧坂を登りました。
おおげさ?
でも私にはとっても大変だったんですよ。
もうゼイゼイぎりぎり。
息を整えないとヤバイ。どんだけ血圧上がってんだろう?や、脈拍は既に限界じゃろこれ…。
ちなみに化粧坂は鎌倉幕府にとって戦略上の拠点です。重要な防御拠点で、新田義貞の鎌倉攻めの際には新田軍の主力が投入され、激戦地にあった場所だそうです。
う~む。鎌倉武士はこんなに足場の悪い場所で戦ったのか…。感慨深い。

そのまま化粧坂を登った所から左へ向かい『源氏山公園』へ。

画像は源頼朝の像です。
公園の名前の由来は『源頼家が奥州征伐の際、山に白旗を立てて勝利を祈願したことからその名がついたと言われる山』
頼朝の像の由来は『源頼朝の鎌倉入り800年を記念して建てられた』そうです。
結局呼吸が整うまで頼朝像を見ながら休憩し「一人でハイキングしてはいかん!」と教訓を得たのです。
なぜなら、どんなに低い山でも倒れたらすぐに発見してもらえないから
倒れるのはせめて人がいる所で。例えどんなに世知辛い世の中でも救急車くらい呼んでもらえる状況じゃないと!
一つ賢くなったわ・た・し
バカやってないで、次言ってみよう~。
や、その前にパンでゴハン。

源氏山公園を出て北へ。
到着したのは葛原岡神社。

私が鎌倉観光に行く時利用する『鎌倉★ブログ』があるのです。そこに鎌倉から見える富士山のビューポイントがこの葛原岡神社のすぐ近くでした。この日はあまりにすっきり晴れ、遠くまで視界もクリアなので、見えるかも~と期待して訪れたのですが…。
まず、どの方角に富士山があるのかわからない。
季節がまだ夏なので、雑木林は葉が生い茂り視界を遮っている。
そもそも富士山ビューポイントを確定出来ない。
管理人さんに直接聞いた上で葛原岡神社へ来ないと、現場で場所を特定するのは無理じゃ。
とっても後悔
次、行ってみよう~。

また…お墓?
ブログをご覧になっている方のボヤきが聞こえて来そうですが、このお墓も歴史の登場人物のものなのです。
墓の主人の名前は日野俊基。
なぜか、彼の名前を見るとパッと頭に浮かぶのが榎木孝明さんなのは何故なのだろう?
多分榎木さんが日野俊基をかつて演じたことがあって、そのドラマを見たことがあるんだと思うんだけど…。すんごくよく似合っていたんだよなあ。それがどのドラマだったのか…。
あ、日野俊基が誰なんじゃというと、元弘元年(1331)に北条氏打倒派として捕えられ、この場所で処刑された人。彼の辞世の句は「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」という…。
前出の葛原岡神社は彼を祀っています。ちなみに、世の中が天皇が地位回復した明治維新後、倒幕の功労者として評価され、地位も回復しています。え~と、それって死後どんだけ経過してるのかんな~?500年位?

引き返し、源氏山公園から西へ向うハイキングコースへ。
あれ?
トロトロ歩いてると、外人さんカップルに追い抜かれた。実はここ、鎌倉の小学生なら絶対何度も行ってるお手頃遠足コースなのですよ。
わ、わたしだって、ハイキングコースの最初に入ったのが濡れた化粧坂からじゃなきゃこんなに苦戦はしなかったんだいっ!
と、負け犬の証明の遠吠えをしてみた…。
ぐっすん
鎌倉にはお手軽はハイキングコースがいくつかあって、それぞれ、出入り口が何カ所があるのだ。
葛原ケ岡・大仏ハイキングコースももっと楽に登れる場所もあり、また全行程通して歩かなくとも途中で降りる場所もいくつかあるの。



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ハギの花と鎌倉の寺はよく合う

2009年10月16日 06時52分16秒 | 鎌倉
鶴岡八幡宮から向ったのは海蔵寺です。
以前紹介した北条政子(2月7日の記事)&源実朝のお墓があった寿福寺(2月6日の記事)。水仙と白梅が綺麗だった英勝寺。これらのお寺を今回はスルーして道の奥へ。
やがて道幅は狭くなり、本当に寺があるのか?と疑いたくなる。が、細い川沿いにモミジの緑が綺麗です。
紅葉するころまた来たいなあと思いつつやがて見えて来たのが目的地。
トップの画像がお寺の入口です。
昭和記念公園の所でボヤいていたの覚えてますか?
快晴だと太陽の光が強過ぎて、花の色が飛んでしまう~~
人間の目には綺麗なハギの花が見えてるんですけど~。
つーことで海蔵寺の萩の画像をもう一枚。失敗作ですが…。

順光で写しても色が飛ぶ~。ぐっすん。
背景に写っている茅葺きの家はお寺の庫裏です。

本堂は上の画像の奥の建物です。
ここには有名な井戸もある。なぜか井戸の観賞は有料です。
しか~し、本堂の左脇から裏へ回ると、

裏にはいい感じのお庭が有りました。
でもハギの花の最盛期ちと手前のシーズンに出かけたので来客が多い多い…。
待っても無人なチャンスはなくて…。せっかくなので、やぐらから外の庭という構図で撮ってみた。
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流鏑馬…

2009年10月15日 05時50分02秒 | 鎌倉
宝戒寺を出て鶴岡八幡宮に向う。
でも鎌倉の道は狭いのに車の量が多くて危険なので、八幡脇の裏道から境内を目指す。
彼岸花やコムラサキが一杯で歩いて嬉しい場所でした。
んで、いつもの…。
ん?ナニコレ…。

いつもは鳥居をくぐって境内に入る仕組みなのですが、今日は白と黒の幕が張られています。
なんでお祭りに白と黒なんだろう?
普通赤と白のような…??
まっ、いいか。
幕をくぐって境内へ。

オオッ!
馬場が出来てる~~
まだ人が集まってない。画像の右下の時刻を確認すると、この時11時38分でした。流鏑馬開始は13時から。まだ1時間半もあってちょっと早く着き過ぎちゃったかな~?と思ったのですが…。
道を進むと様子は一変。
画像の右側の観覧席は実は指定席だったのです。座っていいのは招待客と小笠原流の客のみ。
一般席は本当に狭くて、ええ~こんだけ~??って感じ。そこは既に大混雑。
最前列は既に満席でみんな敷物持参でまったりしています。彼等は常連客ですね。
それに混じって外国人がちらほら。まあ。武士は日本以外でも人気だろう…。流鏑馬は映画かドラマかアニメの世界でしか見た事のない武士が演技をするんだから、見て見たいよな。
一般席の2列目3列目ともなると、八幡様の木の下となるんですよ。んでもって時は9月16日。まだまだヤブ蚊の多い時期。
こりゃだめだ…。
私は早々に諦めました。
そのままいつもの舞台へ。

舞台上には画像のような設えが。
建物の外の廊下部分に丸い座布団が3つ見えます。おそらくここは雅楽を奏でる人用の場所じゃないかな~?
んで、中は神楽を舞う人の場所。
んでもね。
それ以外にお祭り用の装飾は一切なし。
出店もいつもの場所にいつもの店が少し出てるだけでなし。
庶民の神社のお祭りとは趣きが異なっています。
これが武士のお祭りというものなのでしょうか?
もういいや。戻ろう。

お祭りらしいものが鶴岡八幡宮の入口にありました。
お祭りの時はお囃子が似合う。
ぴーひゃら、ドンドンという調子の良い音を聞きつつ気になっていた源氏池の白い蓮を確認へ。
う~む。
さすがに9月じゃもう花が残っていないのか…。
この源氏池の蓮の花はよくあるピンクのじゃなくて白いので一辺見たかったのですが…。
やっぱ夏の暑さに負けて7月8月に鎌倉行きを断念したのが悔やまれるなあ。
つーことで、この日の目的は流鏑馬とハギの花の2つからハギの花のみに変更となりました。
明日はハギで有名な別のお寺を紹介。


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鎌倉の秋

2009年10月14日 06時07分42秒 | 鎌倉
時は9月16日、その日あまりにいいお天気だったので、お日様に誘われて鎌倉へ。
目的は2つ。
鶴岡八幡宮で流鏑馬見学&お寺でハギの花観賞。
まずはトップの画像若宮大路の段葛です。
ちょうど彼岸花の季節でした。でも両脇の桜の木、なんか変?
あっれ~??
桜の葉っぱって9月に全部落ちてしまうものなの??
途中で道を逸れ小町大路へ。ここってお寺や歴史の史跡が点在してて歩いてるだけで楽しいのだ。
ん?
「腹切りやぐら」はこっち??
腹切りやぐらってなんだ?やぐらは鎌倉にあるお墓だ。でも腹切りって…?
ここは一つ行ってみよう~~。

え~、この道合ってるんでしょうか?
段々道は細くなっていくし、坂道はきつくなるし…。
あ、あった。
●腹切りやぐら

う~む。この怪しさは何?
ペンペン草が生い茂る一角に「東勝寺跡」って書いてあるし…。
●ハイキング登り口

心引かれる階段…。
でも今日の目的地はこの方角じゃないの…。
小町大路に戻り北上。
目的地の一つめ。
●宝戒寺

前回ここを訪れたのは梅の花の時期でした。
う~む…。
ハギってこんなに房が長くなるんだ…。
参道の萩の房を手で選り分けて進む。
宝戒寺のハギは見慣れた赤じゃなく、白でした。
細い道を回ってるとフヨウの花発見。

あ~~~~っ!!
お日様が頑張り過ぎ。これ絶対真っ黒になっちゃう~~。
懸念は大当たりで、鐘楼は真っ黒。花は色が飛んでしまい残念な写真になっちゃった…。
さて宝戒寺の歴史を紹介しましょう。
「鎌倉時代の執権北条一族の冥福を祈るため、建てられた寺。第一代の時政以来、執権として権勢を極めた北条家も、第14代高時のころになると次第に衰え、内管領の長崎高綱(円喜)に実権を奪われてしまった。高時はこの地にあった屋敷で当時大流行していた猿楽にうつつをぬかし、憂さを晴らしていたが、元弘3年(1333)に新田義貞軍に攻め込まれて敗退、ついに自害してしまう。2年後の建武2年(1335)に、その屋敷跡に後醍醐天皇の命で建てられたのがこの寺で、足利尊氏建立。天台座主五代国師が開山」
あ、高時の腹切りやぐらの意味わかっちゃったぜ。
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昭和記念公園の花

2009年10月13日 06時30分33秒 | 昭和記念公園
昭和記念公園は大きい。形はでっかい「L」の形をしている。
そんでもって今いる日本庭園はLの字の始めの棒の一番上の部分。で、出口はLの字の終りの右下の部分。
なので、早々に戻ることにした。
なんと言っても広いんである。日本庭園から駅までなら3キロは確実にあるんじゃないかな~?
とは言っても、きれいな花はなんでもいいからもっと見たい。
ので、帰り道は花が咲いている場所を経由しつつ目指すことになる。
●シオンの花

10月4日の前日まで、ずっと長雨だったのである。
なので、チョウチョもお腹が減ってるようで、一心不乱に吸蜜中。
撮影する方としてはありがたい。チョウチョはひらひらと飛び回るので、動かず被写体になってくれるのはまれなのです。
●クレオメ

赤・白・ピンク。色とりどりで大人気。
なにしろ、本日は無料開放日&久々の晴れ。なので、人がどんどん押し寄せてくるのです。
●ススキ

ススキの穂がお日様に照らされて銀色に輝くと思いがちですが、出たての穂は金色に輝くのです。
この場所は向こう岸の木が暗くてススキの穂がとても綺麗に見えました。
●ヒマラヤスギの実

橋の上で発見。
なんか、木の上に楕円形の物が乗っかっている。まるで卵そっくり~。
●ギンナンがたわわ

どこからともなく独特の臭いが漂ってきて…。
もしや?
見上げるとそこには黄色い実が連なっています。
近所の人でしょうか?心得ていて、落ちた実の採取に大忙し。
なんか、大学を思い出しました。
大学のイチョウも実をつける雌株だったんですよ。

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ソバの花と樹齢300年の盆栽

2009年10月12日 06時59分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
昭和記念公園のコスモスの丘を降り、向かいのこもれびの里へ。
そちらには日本の田舎の田んぼ風景が広がってました。
トップは今が満開のソバの花。
私は満開のソバの花を始めて見ました。私の田舎はさぬき。つまりうどんの本場でして、美味しいソバを食べた事はない。
ソバって言ったらあっちじゃラーメンだったりする。
私が一人でおでかけする時はパン持参が多いんですが、友人と出かけると、ソバ屋でざるソバを頼むことが多い。
塩分摂取制限あるからね。ソバは計算しやすいんですよ。んで、付け汁には極力つけないで食べる、と、ソバ本来の味の違いがわかるようになりました。
つーことで、最近ソバに関心があるのだ。
さて、こもれびの里は他に落花生とさつまいもが植えられてました。関東の里だなあ…。
●里の入口で咲いていたシュウメイギクです。

次に向ったのは日本庭園。
昭和記念公園は本当に広くて、テイストの違う公園が中に散在しています。
●樹齢300年のエゾマツの盆栽。

以前、『アド街天国』で昭和記念公園をやっていた時、日本庭園に盆栽園があるのを知りまして、ぜひ行ってみたい場所だったのですよ。
んで、画像のエゾ松はなんと樹齢300年。
え~と300年前と言うと…。今が2009年だから、1709年です。
江戸時代です。
300年ものの松がこのサイズ…。
これ1個で家が何軒立つんだろうねえ…。
ため息しか出てこない。
調べました。
いつものWIKIで。
1709年がどんな年だったのか?
1709年は宝永6年でこの年、間部詮房と新井白石を登用。
ん?地味過ぎる。
近い所で1716年(享保元年)徳川吉宗、征夷大将軍となる。
し~ん。つまり、暴れん坊将軍の時代からあった盆栽なのね。
これ、元々は誰の所有だったんだろう…。

●ブーゲンビリア

完全逆光となってしまい分かりにくいかと思いますが、ブーゲンビリアにショッキングピンクの花が咲いています。
このブーゲンビリアは25年もの。
気づいたんですが、盆栽は木の大きさを植木鉢に納められる小さく仕立てられても、花と実の大きさはもとのままなんですよ。
カリンのでっかい実が返って不思議です。
●ホトトギス

今が満開と咲き誇ってるのに、ホトトギスを見てるの私だけだったりして…。
周囲にとけ込んでしまう迷彩色が敗因かと…。


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コスモス撮影大会~

2009年10月11日 06時51分55秒 | 昭和記念公園
一人コスモス撮影大会開始
ダンナ大迷惑
撮影大会開催中なのは私だけじゃない。
あちらこちらで思い思いに開催しています。
トップの画像は飼主はどこにいるかと言うと、ワンちゃんの足下の白いの。これ、飼主のダンナさんなんですよ。
奥さんはワンちゃんの写真を撮り終えると満足したようで、ダンナさんを写すことなくこの場を立ち去りました。
ええ~~

昭和記念公園コスモスの丘に咲いている400万本はドワーフセンセーションピノキオという種類です。
結構色のバリエーションがあります。
あ!
昨日うっかり書き忘れてしまいましたが、10月下旬に見頃を迎えるコスモスもあります。
原っぱ西花畑に70万本。現在はまだつぼみです。
黄色のコスモスの他クリムゾン、ホワイト、オレンジが咲き競うそうですよ。

う~ん、楽しい。

まだまだ~。

あ、やりすぎた。ボケボケのを狙ってましたが、これはやり過ぎ。
明日はコスモス以外の公園の見頃のものを紹介します。
撮影したのが先週の日曜だったので、今も綺麗だと思うの。


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昭和記念公園コスモスの丘

2009年10月10日 07時11分44秒 | 昭和記念公園
昭和記念公園のコスモスはおおまかに3カ所のコスモスの見所が時期を違えて見頃を迎える。
みんなの原っぱ東花畑のものは既に9月下旬に見頃を終えたしまいました。
こちらは80万本の5.000平方メートル。
そして画像のコスモスの丘。
私はここがメインだと思ってます。
こちらはなんと400万本!も植わってるんですよ。広さにして16.5000平方メートル。
丘なので、丘の上から見下ろしたり(トップの画像)下から見上げたり出来ます。
太陽の位置に左右されず、綺麗な画像を撮り放題なのが嬉しい。
お花って、あまりに光が強過ぎると写真になると色が飛んでしまって悲しい~ってことがあるんですよね。お散歩なら青空と太陽は歓迎する。でもお花を撮影するなら、明るい花曇りの日が一番綺麗に写せるんだよね~。
ええ、色々一杯失敗しましたよ…。
つーことで、年賀状用の写真を撮り終えた後はコスモスの花を堪能~。
うお~~、撮り放題!!

丘を登りつつ撮影~。

こんだけ咲いてると、よい写真をゲットするのは自分の腕次第ということに…。
どう言うんだろうなあ~。
好み出るよね。
でも私のカメラはコンパクトカメラ。あんまり花に近寄れない。なぜってピントがね…。
コンパクトカメラは覗く窓の部分とカメラのレンズの位置が別なので、結構勘でシャッター切ってます。
綺麗な構図で綺麗にピントが合ってるかどうかは出来上がってからのお楽しみ~(ワクワク)
あ、お腹すいた~。
持参したパンと飲み物で丘の上の芝生で少し早めの昼ご飯。

早めに食べておいて良かった~。どんどん人が増えて、芝生はあっという間に大人気の食事スペースに。
昭和記念公園はとにかく広いので、大概みんな食料持参でやってくる。公園内に数カ所レストランや売店や屋台が出てますが、そこへ移動するのも大変。大概お気に入りの場所で食べるのだ。私はここの丘がお気に入り。
公園に隣接する自衛隊の基地から飛び立つヘリコプターが丘の上からよく見えるのですよ~。とってもお気に入り。
でも10月4日は日曜日だったので、ヘリコプターが飛び立つ様子が見えたのは1機だけ。平日の方が一杯飛ぶ。
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昭和記念公園の400万本のコスモス

2009年10月09日 06時01分43秒 | 昭和記念公園
昨日の台風の風は凄かったねえ…。
今見頃の花の咲いてる「くりはま花の国」と「町田ダリア園」と画像の「昭和記念公園」のホームページを見ると、全て影響が大きかったようです。
私も雨は早々に止んだので、強風の向かい風の中、相模原公園にどんくらい花がやられてしまったのか確認して来ました。そっちの画像を載せたい所ですが、私のカメラはフィルム式のコンパクトカメラ。今まだカメラ屋に出してあるのだ。
相模原公園と麻溝公園は明日からオータムフェアなのです。
結論からいくと、麻溝公園のサルビアの花壇は無事。つーか、少々ダメージあってもまだまだ綺麗。
麻溝公園のサンパチェンスは…。結構なダメージあります。これ数千株はあるハズですが、花が風にやられて痛んでる株が多い。また株自体がなぎ倒されてるのもポツポツ。
ダメージが一番酷いのは階段の花壇のダリアです。もう株ごと折れてしまってるのね。ダリアは丁度見頃だったようで、花が咲いて株の頭が重い状態だったから、ダメージは深刻。特に花が大きい株程壊滅的。
紫色のアメリカセージだったか?これも結構な量が芝生公園にあります。この花は風に強いのか?今が見頃です。ダメージはさほど受けてません。オータムフェアではぜひ見て楽しんで下さい。
台風直後の公園、散歩すると植物の香りが充満しててとても気持ちよかったです。特にキンモクセイのいい香りがわくわくさせてくれました。


さて、昭和記念公園は先週の10月4日が無料開放の日でした。
だんなと一緒に行きました。
ここはたっぷり歩く広大な公園ですが、今はコスモスが見頃なのです。
訪問の目的はもちろんコスモスの丘の400万本のコスモスを見ること。
そして来年の年賀状用の写真を撮ること。
横浜の船見学では二人並んでの写真は取れなかったので。
なぜなら、二人で写るにはシャッターを誰かに押してもらはねばならんのだ。
綺麗なお花が一杯だと、気軽に頼めるし気軽にシャッター押すの応じてくれるから頼み易い。
つーことで、明日も昭和記念公園のコスモス畑の紹介です。
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池上本門寺でグルメ

2009年10月08日 05時25分30秒 | おいしい&スイーツ
池上本門寺の境内は広い。
なので散策にはたっぷり時間がかかる。お腹も減る。ならばどうやって腹を満たすかと言うと…。
お寺の中にフレンチや懐石料理の隠れ家的なグルメスポットが充実しているんである。
珍しい。
が!
隠れ家も年に一度の秘密の名園の公開に合わせて人が押し寄せてしまえばもう台無し…。
入店するのには行列。オープンテラスは待ってる人に食事の間中見られてしまって落ち着かない。
そんな場所でごはんが食べられるか~~!!
つーことで、松涛園から離れた場所にある「お休処」というそば屋に向ったのですが、そっちも大変混雑してまして…。
なんと、店に到着してからそばが出てくるまで40分もかかったんですよ。
上の画像の簡単メニューで!!
普段混雑する店じゃないんだろうね。店員の許容を超えてる数の客を捌くからしょうがないねえ…。

池上本門寺のお山を降りて参道へ戻る。
お山の上のお寺の仏閣はあれこれ戦災で焼失してしまったようですが、お山の下にはあれこれ他にもお寺があったのね。

しか~し!
私のお目当てはくずもち!
行きの参道にくずもち屋がいくつかありました!
名付けて「池上御三家」
私が入ったくずもち屋は『相模屋』

おいしゅうございました。
確か400円だったような~。
他に客がいなかったので聞いてみた。(つーか、参拝客は大概お土産で買っていく。その場でいただく方が絶対美味しいと思うんだけど)
私「くずもちってくず粉で作ってるの?」
おばさん「いいえ~」
あれ?
ま、おいしいからいっか~。
さてお土産~。

本門寺の門前にある瓦せんべい屋さんです。
オーソドックスな丸形に本門寺の名所の焼き印(全て別柄)を押してあるのは12枚入り410円。でも私が購入したのは亀の形をしたせんべいです。
東急池上線まで戻る参道は

楽しいタイルが一杯です。

コメント (3)
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本門寺にある有名人のお墓

2009年10月07日 05時33分40秒 | 墓所巡り
歴史有る池上本門寺には歴史上の有名人が眠るお墓も多々あります。
でも事前に調べていたお墓は一個だけ。
●トップの画像「狩野探幽の墓」
狩野永徳は徳川幕府の御用絵師として活躍した人です。淡麗な画風で狩野派の「中興の祖」と言われる人物。そんな探幽が存命中に建てたといわれる墓は、周囲からひと際目立つひょうたん形。酒とっくりにも見えるが、墨つぼを模して作られたという説が有力です。『大田区ウォーカー』より
隣接して供養碑が建ててあり、探幽の事績が刻まれています。そっちも込みで画像を撮りたかったのですが、なにしろ現役の墓地なので通路が狭くて…。
この池上本門寺は思いっきり歴史があります。でもあなたの近所にあるお寺と同じ墓地もあります。墓地は本門寺がある小山の周囲にぐるりと展開していて、とても広い。その上、お墓を守る人がいなくなると撤去されてしまうのです。そして空いた場所に新しく墓を建てる。つまり、墓地は時代毎に整然と並ぶなんてことはなく、江戸時代に建てられた墓の隣に今年建てたばかりの墓があったりして、探すのはとっても大変。
狩野探幽のお墓は特徴的な形をしていたので、根性さえあれば見つけられます。つーか、もし一般的な形だったら探せなかったと思う。
お参りしときました。ついでに「絵がうまくなりますように」とも。
次行ってみよう。
●加藤清盛一族のお墓

画像の背後に見えるのは本門寺の本堂です。
池上本門寺も関東にある神社仏閣ですから、関東大震災もしくは太平洋戦争で被災しています。
日本の建築物は燃え易い木材や紙を多量に使ってますから、燃えると灰燼に帰す。
昨日紹介した松涛園の歴史的会見の行われた茶室が残ってないのもおそらく…。
池上本門寺は浅草の浅草寺と同じように、神楽坂の毘沙門天と同じように、鉄筋コンクリートで再建されました。
なので、建物の写真は撮らなかったのね。
加藤清盛一族のお墓も石塔が一部壊れてました…。
●紀州徳川家のお墓

いや~、探した探した。探す気になって墓所をくまなく探してもそれっぽいのがあちらこちらにあってね。これがそうっ!てわからない。
どうやって確定したのかと言うと、なんか池上本門寺歴史ツアーをやっているオバサマ達を案内している物知りな年配のおじさんを見つけたんです。
おじさんが言うには「ここ、昔は周りを鉄柵で囲って鍵なんかつけてなかったんだよ。いたづらする不届きものがいてねえ…」どこにでもいるよな。迷惑な人って!
ここに暴れん坊将軍8代徳川吉宗の奥さんのお墓もあります。
●力道山のお墓

実は本門寺で一番参拝者の多いお墓だと思う。
だって、お参りに来た人の為に『力道山のお墓はこっち』の札があちこちにあるんだもん…。
右の胸像はプロレスの団体の制作したもののようです。
制作者が裏にズラズラと書かれてます。プロレスの好きな人なら選手の名前をいくつも見つけられると思います。
●その他のお墓

お墓を探して墓地をうろうろしてる途中に様々な時代のお墓も見たのですが、上の画像のお墓は異彩でした。もしかしたらその道では有名な人かもしれませんが、私は存じ上げない方でした。
ち~な~み~に~…。
紀州徳川家の一族のお墓に隣接してみかけた「チロのお墓」というのもありました。
どうみても、愛犬のお墓だろう…。つーか、一般庶民のお墓より立派な石材の基壇を組んであるぞ?
田舎のお墓に比べるもんじゃないんだろが…。あんまり多種多様なので、ここの墓地は見応えがあります。
お墓マニアという人が世の中にいるならお薦めかもしれん…。
ちなみに池上本門寺は日蓮宗の総本山です。
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秘密の名園で散歩

2009年10月06日 05時17分38秒 | 歴史散歩
池上本門寺には年に一度期間限定で公開される名園がある。
中央に池を配した回遊式庭園で、名園の造園で名高い「小堀遠州」が作った庭だ。
小堀遠州(1579-1647)
うわっ!安土桃山から江戸初期の人やん!なぜか明治から昭和初期の人だとばかり思ってました。
この人はあちこちで今も名園と名前の付く庭を残しています。
京都の桂離宮が有名です。
本門寺にある庭の名前は「松涛園」。4千坪に広がる渓谷に渓流と池を回遊し、元々ある自然の傾斜が山となる。庭に遠州茶道の極意を具現した名園なんですって。

私としては、庭を周回している回遊道を息を切らしつつ登っていると、後ろから聞こえてきた年配の男性の言葉が印象的でした。
「こりゃ~、六義園よりずっとたいへんだ」
同感です。

この庭には茶室が点在してます。
現在あるのは4つ。うち浄庵は平成4年4月に完成した茶室です。ここは国賓などを接遇出来る茶室で、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されたそうです。
ですが、かつては他にも建物があったようです。
この庭には歴史好きなら絶対外せない場所があるのです。

時は風雲急を告げる幕末1868年3月13日(旧暦)。
池上本門寺には東征軍の本陣が置かれていた。つまり新政府軍です。
本門寺にあった茶室の一つで待っていたのは西郷隆盛。
やってきた客人は勝海舟。
ここで歴史的な会見が行われたのです。
議題は「江戸決戦」
そう、徳川幕府とやがて明治政府の中核となっていく官軍との最終決戦について。
ですが、平成の世の私達は知っています。
江戸決戦は行われなかったのです。
徳川幕府のてっぺんに君臨した将軍の家は、そのまま明治政府の御頭だった明治天皇の家となりました。
日本人は徳川幕府400年の象徴であった江戸城を、戦うことなく明け渡したのですよ。
その歴史的会見の第1回目がここで行われたのです。
あれ?
確か…。
会見って高輪の薩摩藩邸じゃなかったっけ??
調べました。
いつものWIKIで。
すると、あの会見は2回行われていたのです。
1回目が13日に池上本門寺で行われ、合意となったのが2回目の14日薩摩藩邸でのこと。

上の画像は歴史的な会見の跡地に立つ石碑です。
石碑に刻まれた字は昭和16年に西郷隆盛の甥西郷従道によるものだとか。
あ~、歴女としてはなかなかの萌えポイントでした。

歴史の現場を見学後、この名園で見つけた私の一押しは上の画像の石のたぬきだったりして。
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池上本門寺訪問

2009年10月05日 07時40分02秒 | 神社・仏閣
東急池上線の池上駅。そこから門前町の商店街を抜けると池上本門寺があります。
ここは日蓮宗の大本山なのです。
日蓮さんに関しては今までにもいくつか紹介済み。
全部鎌倉の所縁の地ですが…。調べました。
2月11日に日蓮辻説法の跡&妙本寺。
2月12日にぼたもち寺&日蓮像。
3月6日に本覚寺。です。全部左のバーの歴史散歩に入ってます。
んで、池上本門寺はどう日蓮さんと関係あるのか?と言うと、池上本門寺の隣の寺で日蓮さんは亡くなってるのです。
そう言えば、江戸時代を扱ったドラマとか小説とかにも登場するよね。
で、何しにここへ来たのかと言うと、ここには『年に1度しか入れない秘密の名園』があるのです。
今年は9月7日から13日まで(10:00~16:00)の公開でした。
え?普段は一般公開してないの?
微妙~。
入るのは境内で配られているトリビア10問全問正解で入れるのです。
なかなか難問。
広い境内を駆け巡ることになる。私は一般公開を狙って出かけましたが、ここのお庭は秋の紅葉シーズンにぜひ入ってみたいなあ。つーことで、お友達を連れ回し、10問トリビアに挑戦してしまいました。
内容はと言うと…。
●問7)総門

元禄年間(1688-1704)に建てられたと伝えられる門で、本門寺と書かれた扁額が掛けられています。
さて、この額を書いた江戸時代始めの文化人は誰でしょう?
正解を知るには画像の奥の階段を一端下まで降りねばなりません…。境内はこの階段を登った先にあるのです。境内トリビアのA3用紙は階段の上にあったんですよ。まあ、この階段は年代を帯びていて、何度も涙ぐましい修理をしてあって、味わい深いものでしたが、出来れば階段を何度も上り下りしたくないよね…。
うきゃ。
●問10)日蓮聖人説法像

鎌倉の街頭に立ち、民衆に力強く法をお説きになる聖人の姿をあらわしています。
さて、この像の作者で長崎の平和祈念像の作者として有名な彫刻家は誰でしょう?
ところで、画像を見て何か違和感はありませんか?
私は違和感がありました。
それはバランス~。
どうも像と台座の大きさが合っていない。
あ~れ~??
石の材質もなんだか違ってるような~。石像から受ける印象がチグハグなのは何故だっ?つーか、作者は気がつくだろうこれ絶対っ!と思ったのです。
説明文を見て納得~。
彫刻家が作ったのは上に乗ってる日蓮像の部分のみ。
台座は実は別の作品に使われていたものを再利用したんだって…。
台無しじゃん!(シャレではない)
と私は思ったのですが、お寺にしたら大事なのは日蓮像の方だけなので、これで満足みたいです。
なんだかな~。
●問5)長栄堂

法華経の行者の守護を誓われた、本門寺の守護神を奉安しています。
さて、この守護神のお名前は何というでしょう?
画像はそんな問題とは露知らず、「変な狛犬~」と浮かれて事前に撮影しちゃってました…。
よく見ると、これ犬じゃないじゃん。キツネじゃん。
●問9)五重塔

慶長13年(1608)に乳母岡部局の願いにより、二代将軍徳川秀忠が建立した建物です。関東では最古の五重塔で、国の○○○○○に指定されています。
○に当てはまるところをお答え下さい。
すみません。五重塔単独の写真を撮るの忘れました。
な。どれもこれも結構マニアックでしょ?法華経の信者でも全問解答はすぐには出来ないと思います。

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海フェスタでゲット~

2009年10月04日 05時45分48秒 | 記念スタンプ
トップの画像は赤れんが倉庫で開催していた「海の総合展」で配っていたうちわです。
あちこちのブースで色々な船のうちわが配られてました。
私がいただいてきたのは帆船です!
次は~。
南極砕氷船しらせのスタンプは既に紹介済み。
海の総合展の一角に「航海訓練所の練習船」のスタンプコーナーがありました。
私、スタンプ好きなんですよね散歩の途中にスタンプを見つけると必ず押してしまうという…。
でもスタンプ押すのへたなんです。
なので、せっかく1枚で全部揃うペーパーの方があったのに、失敗してしまいました…。

お散歩の時にいつも持ってるノートに押した方は…。

スタンプになっても日本丸も海王丸も美しい~。(うっとり…)
次は~。
手形です。

これは海上保安庁のイベントでゲットしました。
まず手に汗をこすりつける。自前の油をつけてるのね。
それを紙の押し付ける。
白手袋を渡される。
鉄粉を振りかける。
刷毛で鉄をどかして終了~。
これ、犯人とか捕まえる時と同じ手順らしいですよ。
今回は巡視船いず乗船記念でいただいてきました。
でもここで注意。
鉄粉は手に刺さる。
何か痛いな~。と気づいたら、手のひらから血が出てました。
ええ、鉄粉が刺さってしまったのだ!にしても手のひらって…。器用な…。
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練習船「青雲丸」乗船体験後半

2009年10月03日 06時00分06秒 | 
あれこれ船を乗って、その度にチェックしたのがライフボート。つまり救命艇と船の艦橋なのですが、艦橋は公開がなかった船もあったのです。
で、青雲丸のライフボートと言うと、トップの画像。
私はいそいそといつもの質問をしました。
私「このボートに何人くらい乗れるのですか?」
乗組員「定員は25名です」
私「ボートには何日分の食料と飲み物が積まれてるのですか?」
乗組員「3日分です」
乗組員「え!随分少ないですね」
2週間分の食料と水が積み込まれていた南極砕氷船『しらせ』のライフボートに比べると、3日分はあまりに少ないです。
乗組員「漂流した場所によって、自分で工夫します」
私「??どゆこと?」
乗組員「始めに食料などは全員に等分され、あとは自己管理するんですよ」
私「でもここに並んでいるもので25人3日分なんですよね?少ないですよ??」
乗組員「高カロリーなんですよ。1個で1200キロカロリーありますから」(キロカロリー数はうろ覚え…)
カロリーはともかく、それっぽっちではとても腹は膨れない。私は余程へんな顔をしていたようで…。
乗組員「誰にも見つからない場所で漂流することは現代ではあまりないことですから」
あ!そうか~!!GPSがボートについてるんだね。しらせみたいに厳しい南極で漂流するかもしれない船ならともかく、この青雲丸は沿岸近くを進むんだろうから、3日以内に助けられるのが前提な訳だ。
あ…。納得した。でも万一漂流した場所が沖だったり外洋だったりしたら、漂流者は漂流が3日を超えるかもしれん…。と自力で食料を食べる量を調節することになってるってことか。
さて次は…。
●教室兼食堂

画像に写り込んでる時刻は既に15時42分です。
既に夕食の準備に取りかかってるのか、奥に食器があります。壁にかかってる盾などを見て廻り次へ。
●青雲丸

名残は惜しいが、見学終了。練習生のお見送り付き。確か、この日の船舶公開は16時まで。私はなんとかギリギリで6隻全てを見終えたのです。昼食時間以外休憩なしだったのに、ギリギリになったのは、南極砕氷船「しらせ」の行列のせいだ…。あの行列1時間は想定外でしたよ。ええ。

さて、6隻の見学が集中した海フェスタ。
はっきり言って、体力勝負でした。暑さで体力を削られたのは想定外でしたが、船内見学は階段の上り下りが付き物なのです。
1隻当り、4階立てマンション1棟分の上り下りをする感じです。それが6隻。それに海上保安庁内でも階段。
ううっ…。普段室内派のオタクには体力の限界に挑戦してしまいましたよ…。
●Y150横浜開港博のマスコットキャラ『たねまる』と記念撮影。

新港埠頭から汽車道を抜けて桜木町へ。信号待ちの間、うっかり歩数計を確認すると、そこには25000歩を超えた数字が!
いかん、いかん。見てはいけないものを目にしてしまった…。まだ帰宅するまで歩かねばならぬのだ~~。
さて、7月から延々紹介してきた海フェスタですが、明日でラストです。
何が残ってんの~?
戦利品の紹介が残ってます~。何をゲットしてきたかお楽しみに~。
ちなみに、お金は全くかかってないのだっ。
てへ。

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