深川不動尊の並びに富岡八幡宮はあります。
富岡八幡宮のご由緒は…御祭神 応神天皇など8柱(神功皇后・仁徳天皇・天照大神・日本武尊など)
沿革…富岡八幡宮は寛永4年(1627)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建。周囲の砂州を埋め立て、60508坪の社有地を得た。「深川の八幡様」と親しまれ、江戸最大の八幡様です。
江戸自体には、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けました。庶民の信仰も篤かった。
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失。
現在の社殿。
画像左右にある舞台組は、2月3日にある節分祭の準備です。こっから年女・年男達が豆まきをします。中にはプレゼント品もあるとか。一度見てみたいと思って2月3日の節分祭巡りに富岡八幡宮をピックアップしてたんですけどね。
横綱力士碑
富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥の地です。貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。それが富岡八幡宮の境内でした。
以降約100年にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。
その後本場所は、本所回向院に移って行きますが、その基礎はここで築かれ、現在の大相撲へと繋がっていきます。
画像の横綱力士碑は、明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑を建立。初代横綱明石賀之助から白鵬までの四股名が刻まれています。大きさは高さ3、5メートル。幅3メートル。重量20トン。両側に伊藤博文・山縣有朋・大隈重信といった賛同者の名前が刻まれている。
境内には多々興味深いものが散在してます。が。こちらは以前書いた記事にて確認下さい。
大関力士碑
表参道大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された大関力士碑があります。この碑は明治の頃、9代市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されました。初代大関雪見山から霧島関まで104人の歴代大関の四股名が彫られています。
また周辺には、巨人力士碑・巨人力士手形足形碑・強豪関脇碑などが立ち並んでいる。両国の国技館を訪れた際は、門前仲町まで都営地下鉄大江戸線で数駅なので寄り道してみては?
伊能忠敬の像&国内第一号の三等三角点「富岡八幡宮」
伊能忠敬は全国津々浦々まで踏破し、日本全国興与図を完成した人です。この方ってば、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学び旅に出たんですよ。ご存知でした?かつて上野の国立博物館平成館にて彼が作った日本地図を見たことがあります。バカでかかったです。みんな床の地図に乗っかって、自分の住んでる場所を探してたのを思い出しました。
伊能忠敬は富岡八幡宮の近所に住んでました。
寛政12年(1800)測量旅行に出発する時、富岡八幡宮で参拝してから蝦夷へ出かけていったそうです。ちなみに、測量旅行は計10回。像は平成13年10月に建立。
伊能忠敬の生家も現存してたよな~?どこだっけ??千葉県佐原市だっけ?
境内には巨大な御神輿も保管展示されてます。
何々~…。「日本一の大神輿。高さ14尺5寸。重量4、5トン。屋根の大きさ最大幅十尺。担ぎ棒10本。ダイヤモンド:鳳凰の眼4カラット2個。鳳凰の火焔7カラット。狛犬の眼3カラット2個1対・隅木の眼1カラット2個、4体・小鳥の眼1カラット2個、4体
ルビー:鳳凰の鶏冠2010個!
すげ~。本物の宝石かよ~、スワロフスキーじゃないんだぁ~。
先を急いでいたので立ち寄りませんでしたが、大鳥居周辺には江戸情緒あるお店があります。上の画像左に「もんじゃまん」の旗が翻ってました。
上の画像の撮影時刻は14時40分。本格的にマズいです。1月の日没は早いんです。さっさと両国へ行かないと!
門前仲町駅へ戻る。
ん??
なにっ!?
東京メトロの降り口って、都営地下鉄の乗り場に地下で繋がってないの??
東京メトロと都営地下鉄が仲悪いと、利用者は不便だよっ。仕方なく、都営地下鉄の乗り場を探す。え~と?イチョウマークはどこだ??
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富岡八幡宮のご由緒は…御祭神 応神天皇など8柱(神功皇后・仁徳天皇・天照大神・日本武尊など)
沿革…富岡八幡宮は寛永4年(1627)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建。周囲の砂州を埋め立て、60508坪の社有地を得た。「深川の八幡様」と親しまれ、江戸最大の八幡様です。
江戸自体には、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けました。庶民の信仰も篤かった。
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失。
現在の社殿。
画像左右にある舞台組は、2月3日にある節分祭の準備です。こっから年女・年男達が豆まきをします。中にはプレゼント品もあるとか。一度見てみたいと思って2月3日の節分祭巡りに富岡八幡宮をピックアップしてたんですけどね。
横綱力士碑
富岡八幡宮は江戸勧進相撲の発祥の地です。貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。それが富岡八幡宮の境内でした。
以降約100年にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。
その後本場所は、本所回向院に移って行きますが、その基礎はここで築かれ、現在の大相撲へと繋がっていきます。
画像の横綱力士碑は、明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑を建立。初代横綱明石賀之助から白鵬までの四股名が刻まれています。大きさは高さ3、5メートル。幅3メートル。重量20トン。両側に伊藤博文・山縣有朋・大隈重信といった賛同者の名前が刻まれている。
境内には多々興味深いものが散在してます。が。こちらは以前書いた記事にて確認下さい。
大関力士碑
表参道大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された大関力士碑があります。この碑は明治の頃、9代市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されました。初代大関雪見山から霧島関まで104人の歴代大関の四股名が彫られています。
また周辺には、巨人力士碑・巨人力士手形足形碑・強豪関脇碑などが立ち並んでいる。両国の国技館を訪れた際は、門前仲町まで都営地下鉄大江戸線で数駅なので寄り道してみては?
伊能忠敬の像&国内第一号の三等三角点「富岡八幡宮」
伊能忠敬は全国津々浦々まで踏破し、日本全国興与図を完成した人です。この方ってば、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学び旅に出たんですよ。ご存知でした?かつて上野の国立博物館平成館にて彼が作った日本地図を見たことがあります。バカでかかったです。みんな床の地図に乗っかって、自分の住んでる場所を探してたのを思い出しました。
伊能忠敬は富岡八幡宮の近所に住んでました。
寛政12年(1800)測量旅行に出発する時、富岡八幡宮で参拝してから蝦夷へ出かけていったそうです。ちなみに、測量旅行は計10回。像は平成13年10月に建立。
伊能忠敬の生家も現存してたよな~?どこだっけ??千葉県佐原市だっけ?
境内には巨大な御神輿も保管展示されてます。
何々~…。「日本一の大神輿。高さ14尺5寸。重量4、5トン。屋根の大きさ最大幅十尺。担ぎ棒10本。ダイヤモンド:鳳凰の眼4カラット2個。鳳凰の火焔7カラット。狛犬の眼3カラット2個1対・隅木の眼1カラット2個、4体・小鳥の眼1カラット2個、4体
ルビー:鳳凰の鶏冠2010個!
すげ~。本物の宝石かよ~、スワロフスキーじゃないんだぁ~。
先を急いでいたので立ち寄りませんでしたが、大鳥居周辺には江戸情緒あるお店があります。上の画像左に「もんじゃまん」の旗が翻ってました。
上の画像の撮影時刻は14時40分。本格的にマズいです。1月の日没は早いんです。さっさと両国へ行かないと!
門前仲町駅へ戻る。
ん??
なにっ!?
東京メトロの降り口って、都営地下鉄の乗り場に地下で繋がってないの??
東京メトロと都営地下鉄が仲悪いと、利用者は不便だよっ。仕方なく、都営地下鉄の乗り場を探す。え~と?イチョウマークはどこだ??
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