あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

巨木探訪・東大の大イチョウ

2019年03月22日 05時39分29秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.3.9東京メトロ1日券で行く巨木探訪。6箇所7本目は南北線東大前駅が最寄りです。本郷キャンパス内の巨木見物1本目は工学部1号館前の大イチョウです。先達の巨木サイトで知りました。実はハチ公と上野先生の像より先にこっちを知ったのだ。東大で探す巨木は全部で4つ。これも同じサイトに載ってたの。まずは所在地だ!と東大の見取り図を探してて、ハチ公像を見つけたの。
ってな事で、ハチ公像から一番近い木は、工学部1号館前にあると出てたので行ってみた!あった!でも目的の大イチョウよりまず目に入るのは盛りの桜です!
ええ〜〜??驚いたのは私だけでなく、散策者は吸い寄せられるように桜に近づくと、桜のネームプレートに「オオカンザクラ」の名前を見つける。
タイミングよくベンチが空いたので、桜を眺めつつお昼ご飯にする。

のんびりランチパックにぱくついてると、鳥の群れが空を舞う。

私が俳人ならば、ここで一句詠むところ。でも何も浮かばない!ああ、私は詩人も無理だね。
手早くパンを食べおわると、早速巨木観察です。

先述の巨木のサイトの資料をお借りしますと東大工学部の大イチョウ
幹周囲:4、7メートル 推定樹齢:300年以上
(環境庁編『日本の巨樹・巨木関東版(2)1991』とありました。
既に20年近く前の資料ですね。いつものハイライトになるダンナ。

迫力ある堂々とした木です。今日はここで6箇所目ですが、目黒の2本のイチョウはミイラ巻きだったし。麻生の750年超のイチョウは半分焼けてたし。さっき見た本駒込の栄松院のシイはどうも最近損壊したようで、哀れな姿になってたので、健康な巨木が観れてとっても嬉しい。そういえば、東京の紅葉情報には、東大のイチョウの黄葉情報が載りますね。本郷キャンパスには290本前後あるそうです。レトロ建物とイチョウのコラボも楽しめるし、毎年黄葉するのを楽しみにしてる人が多いというのも納得だなあ。
ちなみに、工学部前の広場でこんな銅像を見つけました。
 
ジョサイア・コンドルさんの像です。WIKIによりますと「コンドルさんはイギリスの建築家。お雇い外国人として来日し、工部大学校(現東大工学部)の教授として辰野金吾らを育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた」とありました。WIKIの記事に載ってる建物のうち私が見物したコンドル設計の建物は、ニコライ堂・三菱一号館・旧岩崎邸庭園・島津家袖が崎邸(現清泉女子大学本館)・旧古河庭園ですね。あ。後杉並の妙法寺さんの鉄門と世田谷区の岩崎家廟もでした。

さて、工学部を後に。訪問は3月9日なので完全落葉状態の銀杏並木を抜けて次の巨木へ向かいます。

見えてきたのは安田講堂。建物の前庭の左右に建っている2本の楠が次の目的の木です。
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ハチ公の内臓は東大で展示中

2019年03月21日 05時22分50秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019.3.9訪問。昨日の記事でハチ公とご主人の上野博士の再会の銅像を紹介しましたが、実はハチ公の内臓は保存展示されてます。銅像からほんの数十メートル離れた農学資料館にて常設展示中。
説明文発見:忠犬ハチ王の臓器(獣医病理学研究室所蔵)
忠犬ハチ公の死因はフィラリア症だった!
忠犬ハチ公は本学部の上野英三郎教授の飼い犬で、昭和10年(1935)3月8日に亡くなりました。
死体解剖の結果。心臓に沢山のフィラリアが寄生していました。このほか、腹水の貯留、肝線維症、肺水腫などが観察されました。典型的なフィラリア症の所見でした。展示標本から、心臓内のフィラリア寄生と肝線維症が見て取れます。」
心臓展示されてます。

肝臓も展示されてます。

こちらは脾臓。

展示されてる内臓の下に説明文が出てるのですが、1935年(昭和10)3月8日午前2時死亡・同日午後3時解剖と書かれてます。素早いっ!何つーの?今で言う病理解剖みたいなものか?
資料館には上野博士の胸像も展示されてます。

説明文発見:上野英三郎先生の像
上野英三郎先生は、東京大学において1900年(明治33)に農学第2講座分担を開始され、1911年(明治44)に農業工学講座の担任教授に就任、1925年(大正14)まで教鞭をとられた。上野英三郎先生の御功績は、整然とした耕地の区画整理の考え方と技術を教育・指導されたことにあり、その結果は日本の原風景とも呼ぶべき美しい水田風景となって、現代人の目に映っている。なお、上野英三郎先生は、有名な渋谷の忠犬ハチ公の飼い主である。1987年、新藤兼人原作・脚本の映画「ハチ公物語」で仲代達也が演じた東大教授が上野教授であったことを付記する。」
ハチ公を知らない日本人はいないと思う。ハチ公物語を読んだり見たりして、涙したワンコスキーも多いと思う。そんな方々が募金を募り製作したのが資料館の近くに展示されてる像。

銅像を見てこんなに嬉しかったのは記憶にないなあ〜。
ついでに資料館にはこんな情報もありました。

日本ハチ公めぐり 1)秋田県大館市 2)山形県鶴岡市 3)東京都渋谷区 4)三重県津市 5)東京大学農学部 6)福島県飯館村
あちこちにハチ公像の展示があるのだね。

さて、時刻は早くも12時38分。工学部1号館を探さねばっ。そこの近くに次の目的の木があるハズなんだ〜。
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ハチ公が幸せだった頃

2019年03月20日 05時49分31秒 | 犬&狛犬シリーズ
2019.3.9東京メトロ1日券で行く巨木探訪。東大前駅1番出口の直近は農学部になります。正門から入ると左手を見ればハチ公と上野栄三郎博士の像があります。モデルはハチ公はもちろん渋谷駅でご主人を10年待ったハチで、上野栄三郎博士はハチのご主人です。日本人なら大概知ってるワンコの大スターですが、ワンコ好きにはハチの人生が幸せだったとはとても思えず。必ず一度は涙してるハズ。もうね、フランダースの犬と双璧を張れる位悲しいワンコのお話ですよね。
でもハチにも幸せな時代があったんですよ。ご主人とハチが出会ったのは、1924年(大正13年)の1月、ハチの生後50日目。ご主人の上野博士とハチは、1925年(大正14年)5月21日に博士が大学で急死するまでは幸せだったハズ。ならば見てみたい!と思った東大の誰かが発起人だったのかな?募金を集めて2015年3月8日、上野博士の仕事場だったキャンパス内に像が設置されました。

ハチ公物語で悲しい思いをしたワンコ好きの皆さんはぜひとも幸せな二人の姿を見るべきだ。





ハチが笑ってる〜。ホンワカ出来た!
実はこの像を知ったのは東大内に巨木があるらしいと先達の巨樹のwebで知りました。しかも目指す巨木は4本。それってどこにあるんだろうか?と探し始めてハチ公の像を見つけたのです。寄る!もう即決!!
実はハチ公は剥製になって上野の科学博物館に展示されてます。
ハチ公は上野の科学博物館にいる(2013年1月31日)の記事 こちらの記事に剥製になったハチの画像があります。
ついでに上野博士のお墓は青山霊園にありまして、記念碑扱いで、博士のそばに「ハチ公の碑」が設置されてます。
ぶらり青山霊園(2011年4月3日)の記事 こちらの記事にハチ公の碑の画像があります。
さてと、ついでに資料館もみていこう。
実はですね。資料館にはハチの内臓が展示されてます。やはり学徒としては〜ということらしい。ハチが死亡したのは3月8日の午前2時。その日のうちに解剖が行われ、内臓は保存された模様。一応私は見てきましたが、ワンコ好きならここはパスしていいと思います。ちなみに、明日はその資料館で展示されてたハチ公の画像などの記事になりますので、みたくない!方は明日の記事を読まないでね〜。そういう方の為に記事を分けたんだ〜。
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巨木探訪・栄松院のシイが〜

2019年03月19日 05時58分47秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.3.9東京メトロ1日券でいく巨木探訪。5箇所&6本目は南北線駒込駅が最寄りです。徒歩しばらく、栄松院さんに到着。時刻は早くも12時!!予定外の麻布の善福寺さんに寄ったのがきいてるな。予定時刻を越してます。さて、実は栄松院は前回の2月24日の東京メトロでいく巨木探訪の最終目的地でした。でもあの日は天皇陛下在位30年記念で、都内30箇所の入園料無料イベントがあったので、今回のように予定外に3箇所の寄り道をしたら、日没前にここへたどり着けなかったのだ!ま。な。目的地がお寺だからさ。光源が太陽なんだよね。日暮れにはギブアップするわ。ってなことでしきり直しでやって来たのです。
まずは目的の木を探さねば。参考にした巨木の本によりますと「本堂裏手の墓地の片隅にある」だそうで、本堂左手を進む。

あるにはあった!でもこれ、巨木の本に載ってる画像と全然違うんですけど〜〜????
あ〜れ〜?

近づけば、表札みたいに立て札があったので、目的の木で間違いなさそう。
とりあえず観察する。

本によりますと「終戦直前の1945年(昭和20)5月25日の空襲の焼夷弾によって内部が焼けて黒くなっている」と書かれています。上の画像にも木が焼けた様子が見えます。けども。

本には「主幹は樹皮のみを残して朽ち果て、隙間だらけの大きな空洞になっており、内部が焼けて黒くなっている」と書かれてるのですが、空洞がない!そもそも主幹もない!根元のすぐ上でバッサリいってますね。いや〜〜、参考にした本には風格ある大きな古木が載ってるんだけども。あれだ。数百年を生きる巨樹といえども、いつかは倒れる時が来る。その時がこの木にも訪れてしまった!ということなのでしょう。あ〜、もうちょっと早く巨木探訪にハマってれば、在りし日の姿が見えたのに。残念です。でも、巨木はまだ枯死してない!若い幹には葉っぱが今も青々としてます。何年、何十年経てばまた昔のように茂るやもしれん。頑張れ〜!!とエールを送り次へと向かう。時刻は12時10分。予定では次の次の訪問地でお昼ご飯をとるつもりだったけども、変更して東大で食べよう。そうなの。次の目的地は、南北線で一駅。東大前で降りて、東大で巨木巡りです。

本駒込駅へ戻るべく栄松院さんを出発すると、隣の瑞泰寺さんの狛犬は一対の象だった!結構バリエーションあるなあ。今までに狛犬代わりを勤めてた動物を思い起こす。え〜と、メジャーなのは狐だな。で、神楽坂は虎。京都のどこかには兎の狛兎もいるとか?そういや、青梅の御嶽神社の狛犬は狼だったような?

追記:ブログを書くにあたり、ど〜見ても巨木の本に掲載の樹形と現在がかけ離れてるので、「文京区 栄松院 シイの木 折れた」で検索をかけました。記事はいくつもヒットするのですが、いつ折れたか?損壊したか?が出てこない。先達のWEB記事の訪問年月日を頼りに探してみました。少なくとも2年前までは巨木の本に掲載されてるのと変わらず。本当に最近このような哀れな姿になったっぽい。ちなみに、あえて樹齢とか書きませんでしたが、こうなる前の木は推定樹齢800年、幹回り9、15メートルの都内一の巨木だった模様。最早、根元の残骸から推測するばかりですが。
ちなみに、門の左手前にこのお寺で眠る有名人の紹介板が立ててありまして、「初代松本幸四郎のお墓」があるとありました。
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麻布・善福寺の大イチョウ

2019年03月18日 05時14分35秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.3.9東京メトロ1日券で行く巨木探訪4箇所・5本目。南北線麻布十番駅に10時40分到着。前回善福寺さんを訪れたのは2017年11月26日でした。その時の記憶を頼りに善福寺さんを探す。今回は突然思いついたので、手元に資料がない!でも大丈夫。善福寺さんには目印が2つもあるんだから。
10時49分、無事に善福寺さんを発見。目印はトップ画像の一番奥に写ってる変わったビル。これが元麻布ヒルズです。で、もう一つの目印こそ目的の樹齢750年超の善福寺さんのイチョウです。
昨日の記事でつぶやいたように、朝アクセスのある記事をチェックしなければ、今日ここを訪問するつもりはなかったんです。昨日の記事を読んでない方にもう一度書きますと、前夜NHKプレミアムで放映された美の壺・巨樹で麻布の善福寺さんの大イチョウが紹介され、ありがたいことに私の記事にもアクセス数が増えました。
麻布の樹齢750年超の善福寺(2017年12月16日)の記事 こちらの記事は2017年11月26日に大イチョウの黄葉した画像があります。
ところがですね。2017年11月26日に訪問した時は天候が悪く、今にも雨が降り出しそうでした。先を急いでおり、うっかり大イチョウの裏側の鑑賞を忘れてしまいました。で、番組を見た方はこの大イチョウが第二次世界大戦の時の空襲により被災。焼け焦げてしまったのです。そこを生き延びてこの地に立っている。そこが見どころだったのです。しかし私の記事に焼け焦げた画像はない!こりゃいかん!と予定にないけと寄ることにした!

参道入り口にこんな石碑を発見。右から開山弘法大師創立・親鸞上人御旧跡地・初代アメリカ公使館趾とあり、一つだけでも見物目的になるところ、3つも!すごいよね。

10時52分到着。完全逆光になっちゃった!でも大イチョウの雄姿はわかるからOK?
念のため、近寄ってみた。

画像加工して木肌が分かるように明るくしました。(でないと、シルエットになる)この姿をよく覚えていてほしい。
では、前回見そびった背後を確認しよう!

西側90度から撮影。正面から見たイチョウとは大分趣が変わりました。

南側から撮影。皮はどこへ行った〜〜??正面から見たのと同じ木に思えないっ。何つーの?正面から撮影した画像には皮膚がある。裏から撮影した画像は血管や神経だけのよう。

見上げると、隙間がある。例えるなら神経や血管は形残ったが、骨を失ってる状態?所々黒く見えるのは、空襲の時の火傷痕のようなもの。75年経ってもまだ生々しい。

しかし、移動して見上げたらイチョウの巨樹に付き物の大きな垂乳根があります。

いつものようにハイライトになるダンナを撮影したいところですが、大イチョウの周囲には柵があり、これ以上近づけません。普通サイズ比較の人物と、巨木まで距離があると大きさが分かりづらいのですが、それでも木の巨大さが分かるかな〜?

見物に行かれる方は、木は墓域の端にありますので、十分に配慮して下さい。もうすぐお彼岸なので、今は特に墓参客が多いのでお気をつけ下さい。
善福寺のイチョウ
樹高20メートル・幹回り10、4メートル東京最大・推定樹齢750年
国指定天然記念物。 1945年(昭和20)5月の空襲で、枯死したように見えたが、焼け残った幹から蘇った。親鸞上人が刺した杖が根付いたものと伝えられている。よって「御杖イチョウ」とか「逆さイチョウ」とも呼ばれている。
前回見逃したダンナに、福沢諭吉先生のお墓へ案内。時刻は11時6分。たい焼き屋さんを目指す。

11時21分、しばらく迷ったので時間がかかってしまった!ようやくアンコ〜と浮かれてたらまさか!の事態!!なんと、たい焼きの有名店の浪花屋さんはたい焼きが予約販売のみでした。つまりだね。電話予約を先にしないと食べられません。もちろん来店し直接予約してもいいんだけども、私が訪問した11時21分で、食べれるのは12時半!の1時間後でした〜。そうなるともう諦めるしかないんだ。「き、キャンセルで〜〜」泣く泣く諦めた!あ〜、無駄な時間を消費したっ!巨木探訪の予定がびっしりなのに。
南北線麻布十番駅から本駒込駅へ移動。実は次の栄松院さんは、前回2月24日の巨木探訪の最終目的地でした。時間切れで諦めたのがここです。た〜の〜し〜み〜〜!!
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旧細川邸のシイで国分太一くんと会う

2019年03月17日 05時17分04秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.3.9東京メトロ1日券で行く巨木探訪。3カ所目&4本目は南北線白金高輪駅が最寄りです。
現地で巨木探訪をスムーズに行うには事前調べが大切。しかしこの木はいくら調べても所在がよくわからんのだ!もう〜〜!!仕方ないので、現地で探すつもりで気合を入れる。ただ手がかりがないこともない。ある先達の巨木探訪のWEBに、「区民センターの横の坂道を上がれば見つかる」とあったのだ!
1番出口から地上に出ると、区民センターと何かの建物の中で両入口が目の前だった。
どこに坂道があるのだ?見回してると、左手の何かの建物から警備員らしきおじさんが出てきた。ラッキー!!早速「旧細川家のシイを探してるのですが、どう行けばいいでしょう?」と尋ねる。もう絶対この人は知ってるハズだ!と思って尋ねる。この人に教えてもらわないと、探すのがハードモードに移行する。
私の意気込みをおじさんはするりと躱し、「そこのエレベーターで5階に上がり、出口を右へ行けばあります」との即答を得た。
ハアッ??
坂道はどうした?階段でもない??まさかのエレベーターなの??とは思ったものの、おじさんに熱くお礼を述べ信じてエレベーターin。と?5階に上がると目の前に地上があった!
何を言ってるのかわからないだろう。私もわからない。察するに、白金高輪駅の1番出口が地上ならば、5階に上がると台地か丘の上に出たのではなかろうか?だから地図を眺めても順路がよくわからんかったのか〜。すっきり。
時刻は10時23分。気持ちも新たに細川家のシイを探す。
ん!?
なぜか、視線の先に10人くらい人が集まってる。もしかして、歴史探訪サークルの街歩きか?あれ??でも若い人ばっかりだな〜?ま。いいや!目的の木を見つけたし〜〜。浮かれて巨木に突進する。あ。
説明板発見:旧細川邸のシイ 東京都指定天然記念物 指定:昭和36年1月30日
高輪支所の丘陵上に独立する単木で、樹高10、8メートル。幹回り8、13メートル。枝張りは東に6、7メートル・西に2、7メートル。南に5、6メートル。北に5、8メートルを測る巨樹である。幹の株に大きな空洞があったため、昭和56年には大規模な外科手術を実施した。
スダジイは、別名イタジイともナガジイとも呼ばれ、本州の福島県・新潟県以南、四国、九州、沖縄に分泌雨するブナ科の常緑高木である。葉は長楕円形で先はとがり大きな鋸歯がある。果実は先の尖った卵円形で2年目に熟し食用になる。古くは材は建築や家具用に使われていた。
旧細川邸とは、肥後熊本藩細川家の下屋敷のことであり、元禄16年(1703)2月4日、赤穂事件の大石内蔵助良雄・吉田忠左衛門兼亮・小野寺十内秀和・原惣右衛門元辰ら17人が切腹を命ぜられたところとして、屋敷跡は東京都指定旧跡に指定されている。 東京都教育委員会」
WEBで探すのが大変だったので、説明板に記されていた所在地を書き出しておきますね。
所在地:港区高輪1丁目16−25高輪支所内
では早速撮影開始。
迫力満点の根元です。トップ画像はこれを採用。
見上げる。
直接目にして納得したのは、シイノキがあるのは公園でも古民家でも歴史公園でもない。ただの細道のそばの緑地にある。画像では分かりにくけども、細道の反対側は崖になっていて、フェンスもある。だから細道の反対側からは近づけない。そんな場所なのに、シイノキの周囲はツツジの垣根に囲われていて、木に直接触れるのを阻んでいる!くう〜〜〜〜!!もしかせんでもこの木に大石内蔵助が触ったり、見上げたりしたかもしれんのに!いやさ、もしかしたら大石内蔵助が切腹した時もここに立っていたかもしれんのに。触れないなんて〜〜。残念無念。
黄昏る。
あれ?さっきのグループが戻ってきた。記念撮影かな?邪魔しちゃいかんな。ちょっと離れよう。
あれ??
カメラがある。
長いマイクもある。
もしかして、何かの撮影だったのか??にしては静か過ぎるよな〜。
うをっ!!木の近くで見てるのは!!
もしかしてTOKIOの太一くん??
じ〜〜〜っと観察してみる。
多分そう。自信はない。何つーの?芸能人って見るからにスターオーラに溢れてると思ってたのに。太一くん、オーラはどこへ行ったの?ってか、芸能人は太一くんだけ。アナウンサーもない。あとは若いスタップだけ。こういうスタイルなんだ〜。何の番組なんだろ?
で?太一くん、巨木に興味あるの〜?聞けないけども。太一くんも巨木好きだといいなあ。
観察してたら移動する模様です。あ!私も観察してる場合じゃかったわ。シイノキの全容を撮影してなかったわ。
移動するグループも入れてみた。この角度でないと、空が青く映らない。シイノキの立ってる敷地が狭すぎる。
ちなみにいつものハイライトになるダンナも撮影してみたけども。シイノキのこれ以上近づけないので、大きさはわからんかも〜?でもよ〜く目を凝らすと、画像の上部に主幹がパッツンと途切れてる様子が見えますね。本来はここに高い幹があったのでしょうが、おそらく昭和56年の大規模外科手術の時に切り詰めたんだろうなあ。
さてと、移動だ。
実はこの近くに東京3大豆大福の松島屋さんがあるんだよな。アンコスキーな私はとっても気になるところ。でもそれ以上に高低差が気になる。
地図を眺めて思案してると、ふと閃いた。「麻布十番に有名なたい焼きあったよな。今日は善福寺さんに寄るつもりはなかったけど」
実はですね。巨木探訪をした3月9日(土曜日)前日にNHKプレミアムの「美の壺」という番組が巨樹の回でした。お正月に放映された神様の木に会う〜にっぽん巨樹の旅〜の映像の使い回しの回だったのですが、その中に麻布の善福寺さんの750年の大イチョウも紹介されてました。その関係か私が以前投稿した善福寺さんの大イチョウの記事のアクセスがとても増えてまして。
麻布の樹齢750年超の善福寺(2017.12.16)の記事 2017年11月26日に訪問しました。黄葉の大イチョウの画像を載せてます。
嬉しいけども、訪問当日は今にも雨が落ちてきそうな天候で、うっかり巨木の裏側を見そびったんですよ。だから巨木の裏側の画像を掲載してない片手落ちの記事になってます。そんな記事をわざわざアクセスしてくださる方に見せるのは嫌だっ!せめて裏側の画像を追加掲載したい!とこの日の朝に思いまして。最寄駅は麻布十番。白金高輪からだと南北線で一駅なんだよね。よし!行こう!!
時刻は10時26分。予め組んでる巨木探訪のコースに挟むんだから急がねばっ。前回の二の舞は嫌〜〜!!
あ。たい焼きも食べたい。アンコのやつ。

2019年4月23日文章追加:4月24日にフジテレビ11時25分〜30分『国分太一のおさんぽジャパン』で放送される模様です。
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3度の移植を経たド根性の2本のイチョウ

2019年03月16日 05時25分28秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月9日、東京メトロパスで行く巨木探訪、2本目は南北線目黒駅から徒歩数分の誕生八幡神社のイチョウです。ここは東京都品川区上大崎2−13−36です。だから最寄駅が目黒とは気づかす、東急ワンデーオープンチケットを使って巨木探訪した時に気づけませんでした。だってさ、品川区だったんだもの。で、地図で所在地を入力してびっくり!そこは目黒駅の側だったのです!ってな事で、目黒駅の正面口から東へ約200メートル。目黒通りの向こうに目的の木が見えた。本当にあったよ〜。だってさ、周りはビルばかりなんだ。巨木があると知って探さないと気づかない!

説明板発見:誕生八幡神社のイチョウ(1)(2) 昭和53年2月14日指定
本樹は、昭和45年に移転移築された八幡神社の本殿入口に向かって両側に位置している。これまで道路拡張により3度も移植されたが、よく耐えて旺盛な樹勢をみせている。
本社は、文明年間(1469−1487)筑前(福岡県)宇美八幡より勧請された。
1)は本殿に向かって右に位置し、幹周り3、25メートル。樹高14、5メートル。
2)は左側に位置し、幹周り2,71メートル。樹高11、5メートル。
共に推定樹齢250〜300年である。
双樹とも、目黒通りに面し、ビルに囲まれた中で、樹姿・樹勢ともに良く貴重である。 昭和63年3月15日 品川区教育委員会
境内は狭い。階段下に賽銭箱があります。まずは参拝。続いてイチョウの鑑賞。
西側(本殿左)

東側(本殿右)

同じく東(本殿右)のイチョウを目黒通りに面し正面から撮影。
境内は目黒通りに面して所在し、歩道の端まで下がって撮影してますが、イチョウの大きさを感じれるいい感じの距離を確保できません。

なんとか構図を工夫して、2本が並ぶように撮影した。ふと、八幡神社の右側に通路が奥に伸びてるのに気付き見に行く。

レトロ建物のお寺さんでした。説明板発見:高野山真言宗 永峯山瑠璃光寺 高福院
当院は、もと高野山金剛峯寺の塔頭の一院でありました。弘法大師は高野山を開創された鎮守として各処に弁天さまを祀られました。高野山が疲弊して資糧が乏しくなったとき、弁天さまが宝舟を引いてきて山徒を救い給うたことから、その高福にちなんで高福院が建立されました。
現在の品川区上大崎のあたりは江戸時代、永峯六軒茶屋町という町名でした。白金方面からこの地にいたる目黒通りは、馬の背のようにだらだらと長い尾根の道で、それで永峯と言われ、目黒不動尊への参詣道にあたることから茶屋が六軒あったので、そのように呼ばれたと言われています。
寛永(1624−44)のころ、松平讃岐守候は、当地に下屋敷(現在の自然教育園、庭園美術館)を造営されるにあたり讃岐(香川県)が生んだ偉人である弘法大師のお寺を建立しようと高野山に要請しました。そこで高祖院の良尊和尚が、高福院の寺名と舟引の弁天さまをもって東上したのが当院の起源であると伝えられています。やがて大名家の家中の方々が檀家となり、さらには町の人々の墓所となって栄えていたということです。
明和9年(1772)江戸市中を焼き払った大火のために、一切が灰燼に帰してしまった。
現在の本堂は、天保の改革を断行した水野忠邦が千駄ヶ谷の隠田の屋敷内に自ら勤念を凝らしておられた、今に残る棟木によれば天保15年(1844)に移築したお堂です。
明治の廃仏毀釈の時代、当院は疲弊しました。(後略)
去年の12月、目黒の自然教育編の巨木を見物にきました。
目黒・自然教育園は巨木だらけ!(2018年12月19日)の記事 こちらの記事に、松平讃岐守の下屋敷時代の老巨松の画像があります。
自然教育園を訪問した時、すぐそばの誕生八幡神社を知らなかったのです。いや、正確には名前と住所と現在地が私の中で繋がってなかったんですが。
私ら夫婦はどちらも香川県出身なので、今日ここを知り訪れることができて嬉しく思い、高福院さんにも参拝しました。ついでに、あまりに敷地ぎりぎりにイチョウがあって、イチョウの全体図の撮影ができなかったので、目黒通りの反対側へ移動。そして撮影したのがトップ画像です。この時、撮影してる私の背後に、うどん屋があるのにいち早くダンナが気づきました。うどん屋は「こんぴら茶屋」。讃岐うどんのお店です。これも縁だとかけうどんを食べていこうか?とお店の前のメニューを見てびっくり!確かかけうどんが500円超え!!地元ではこの半額かな?やっぱさ〜、白金だからさ、ほとんど所場代だよな〜。とうどんを見送る。ま、時間もまだ早いしな。ってな事で時刻は10時1分。目黒駅に戻ります。次は白金高輪じゃ!でも次の目的の木は所在地の特定ができてないんじゃ!調べても調べてもはっきりしないんじゃ〜〜!!どうなるのか!!
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山王日枝神社さんの大イチョウ!

2019年03月15日 05時21分33秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019年3月9日は再びの東京メトロ1日券で行く巨木探訪です。2019年2月24日の巨木散歩が樹齢600年の谷中の王林寺さんのシイノキを発見出来ず終了したのが悔しくてですね。3月9日もしくは10日は、高尾梅郷の梅まつりと小仏バス停近くの寳珠寺さんの巨樹を見に行こうと計画してたけどパス!小田急東京メトロパスを購入し、溜池山王に9時過ぎに到着です。
実は巨木探訪を始めた最初の方で、都内大イチョウ散歩をやりました。その時、山王日枝神社さんの大イチョウも巡ったのです。
山王日枝神社の大イチョウ??(2017年12月14日)の記事
でもこの時は肝心の大イチョウを見つけきれず。巫女さんに教えていただいたイチョウは大イチョウには思えず、もやもやが残りました。
時は過ぎ、ある時YAHOO!で「山王日枝神社 大イチョウ」を検索ワードで入力したらですね。大イチョウを見つけきれなかったこの時の記事が検索トップになっていたのです!
ああいうの、青天の霹靂っていうのでしょうか?びっくらです。
自分の記事が検索トップになるのは嬉しいっ。だがしかし。目的のイチョウの木を見つけられなかった記事ですよ?それが〜〜。痛恨の極み!知ったからにはそのままにしとけない!と。今回再訪です。
ちなみに肝心の大イチョウの所在地ですが、山王日枝神社さんの境内図には載ってません!WEBの海をさまよいまして、先達の巨木サイトを巡回し、場所を特定しました。発見した所在地は、まさかの参道の男坂!しかも山王鳥居の隣!!という〜〜〜〜〜。とっても分かり易い場所でした。
古来、神社仏閣には仕掛けがある。時の権力者が神社仏閣を作る時には、参拝者に驚きと感動を与えるべく作られています。現在を生きる私達が古来の仕掛けを実感するには、古い参道から神社仏閣にお邪魔するに限ります。山王日枝神社さんが小高い丘の上にあるので、参拝者が楽に参拝できるように用意された赤坂側のエスカレーターで訪れてはイカンのですよ。そんなん当たり前やんか!もう〜〜〜〜〜!!と、過去の私を叱ってみました。
溜池山王駅の5番出口かた地上へ出ると、衆議院議院会館の側だった。あちこちに警官が出てて警備していた。巨木の気配がない!本当にあるのかな?疑いつつ参道へ向かう。
ありました!!トップ画像をご覧ください。道路の極に立ってます。

いつものハイライト代わりのダンナ。十分巨木!ただ、根元ギリギリまでアスファルトに覆われて窮屈そうです。

巨木のためにはもうちょっと余裕が欲しいです。
せっかくなので山王日枝神社さんへ参拝しようと、男坂を登る。

振り向くと、男坂の石段が急なためか、イチョウの大きさが感じられない。
ちなみに、探しましたが大イチョウの近くに説明板がありません。所在を探した時に巨樹巡りの先達のWEBには1991年現在、樹高20メートル、幹周り4、7メートル。推定樹齢200〜299年と掲載されてました。
ちなみに、上の階段から見下ろした画像。奥に建っているのはアパホテルです。画像を見るとわかるのですが、アパホテルは巨樹の東にあります。で、西側が小高い丘になってます。1日のうち、どれだけ日が当たるのだろうか?大イチョウの生育には厳しそうだなあ。

説明板発見:日枝神社 旧官幣大社 通称山王さま
主催神:大山咋神 相殿神:国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
御祭神大山咋神は須佐之男神の御孫神で山末之大主神とも称えられ、山水を司り、万物の生成発展を守護する神である。
日枝神社の歴史は鎌倉初期、秩父重継が江戸神主を名乗り居館に山王社を勧請したことに始まる。
文明年間には太田道灌が江戸築城にあたり川越山王社を再勧請し、更に徳川家康入府以降、城内鎮守の神、将軍家の産土神と崇められ、紅葉山から麹町を経て萬治2年当地に移遷された。
明治維新の東京遷都によって江戸城は皇居となり、日枝神社は皇城鎮護の守りとして皇室の御崇敬珠に篤く、大正天皇御即位当日には官幣大社に封じられた」
参拝し、再び男坂の石段を降りる。
説明柱発見:山王男坂
山王男坂は日枝神社の表参道で、左側のゆるやかな坂”女坂”に対しその名が付けられています。2つの坂を比較して急な坂を男坂、ゆるやかな坂を女坂と呼ぶことは各地にみられます。
石段は53段、山王台地は又の名称を星が岡ともいう景勝の地でした。」
さて、気が済んだので、再び溜池山王駅へ向かう。

立ち並ぶビルの中に、ぽかりの日本家屋。ってか、これ、料理屋さん??背後にあるのは衆議院第一議院会館だと思うけども?ミスマッチな?でももしかしたら、議院会館やキャピトルホテルが建つ前からここにあった建物かもしれん。駅に戻り東京メトロ南北線に乗車。次は目黒駅へ向かいます。
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巨木の探し方

2019年03月14日 05時05分09秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
私のブログを日々閲覧してくださってる方、ありがとうございます。最近「巨木」ネタばっかりですみません。今のマイブームなのでもうしばらく「巨木」ネタで散歩の予定です。
さて、弟にも「ぼっち自慢」と言われてる私。当然、巨木の所在をレクチャーしてくれる人は知りません。そんな私がどうやって「巨木」にたどり着いてるか?が今日の記事です。
1)アマゾンで「巨樹」「巨木」と行った単語で検索する。
検索ワードは【パワーツリー】【名木】などバリエーションを変えて探す。
タイトル・著者・出版社・出版年月日を控える。
2)図書館で貸し出し予約する。
相模原市の場合、借りたい本が市内にある図書館に所蔵されていれば、貸し出し予約すれば、希望の図書館に届けてくれます。メール登録すれば、図書館に到着したら連絡が来ます。
ただし、昨今図書館の購入予算が削られていて、アマゾンで5冊調べた本があれば、1冊在庫があるかどうかです。中には借りパクされた本なんかもある。それはもう借りれない。
3)掲載されている巨木の本から行けそうな場所を探す。
私の場合、マイカーがないので、電車かバスで行けるところ。更に腰痛と右足痛で体力的身体的に山登りしないとたどり着けない場所の巨木は無理なのでパスする。
4)巨木の場所を特定する。
巨木の本に巨木のある住所が書いてあり、更に正確な場合はラッキー。
例えば、とても小さな公園や小さなお社や小さなお堂に巨木があった場合、公園や神社仏閣の名前をWEBの地図に検索ワードを打ち込んでもヒットしない。そうなると場所の特定がぐっと難しくなる。
公園やお社の名前でない、詳しい住所が必要です。となると、WEBの海でまず住所を探さねばならん。
逆のパターンもあります。とってもメジャーな公園だけど、その公園が大きい場合、公園のどこに目指す巨木があるのか?事前に調べねばならんのです。目的地の公園や巨大な神社仏閣に高低差があると最悪です。公園全体が里山だったりする。と、巨木の大きさで見つけるのは無理。現場に行ってからショックで崩れ落ちることになる。それでも体力に自信がある人は現場で探せば見つけれる可能性があるけども、腰痛持ち右足痛持ちな私には無理だ。出来たとしてもその後痛みが出てはせっかく治りかけてるのに症状が悪化しては台無しなんだ。
5)巨木探訪は事前の下調べが大切です。
巨木の本の発行日にも注意がいる。本に載ってる巨木が現在もまだ存在してるかどうか?WEBで調べねばなりません。これを怠ると、行ってみたら枯死してた。とか。台風で損壊した。とか。樹木医の手当てを受けて、大枝を伐採し、樹高が半減した。といった事態は避けたいからね。
基本、探すのはwebの海。先達の巨木探訪のwebを探すのです。で、訪問日をチェックするのです。訪問の季節も大切だけど、なん年前の訪問か?も大切です。木のみでなく、最寄駅からの道のりも大切。もうね。調べることがいっぱいです。
6)巨木探訪の費用をできるだけ安くするコースを組む。
さて、見に行くぞ!となった時、主婦がこだわりたいのは交通費です。出来るだけ安く周りたいじゃないですか!となると、巨木の本や調べた資料から路線分けします。つまり巨木の最寄駅が東京メトロ・都営地下鉄・京成電鉄・小田急電鉄・東急電鉄といった具合です。で、その路線に1日乗り降り自由券があるかどうかで更に絞り込み。
ここまでくれば後は順路。所用時間を考えて、移動時間やバスの乗り換え時間と運行時刻表などもチェックする。巨木のある場所は不便なところも多いので、帰りのバスの時刻表は必ずチェックせねばなりません。
といった具合です。
心に余裕があれば、目的の巨木が黄葉する時期、開花する時期、落葉樹か常緑樹かも調べる。ついでに綺麗な花の名所や歴史の現場を絡めて訪問できれば上等!
とまあ、調べることばっかりです。
本当ならば、物知りな巨木マスターに頼りたいところですが、昔、それこそ保育園児の頃から大概ぼっちだった私にはそれは無理なんじゃ!まあ調べるのも楽しめる程度には腰痛も右足痛も回復した現在だから!1ヶ月前、それ以前はもっと、パソコンの前に座るのも難しかったのですが。
これから自分も巨木探訪したい方の参考になりましたら嬉しいです。
尚、私の方法がまどろっこしい!と思う、社交好きな方は、巨木に詳しい先達を見つけるのが近道だと思うよ。

ちなみに、トップ画像に貼り付けた画像は直近で図書館から借りた本です。「東京名木探訪」は2007年発行だったかな?最寄駅も掲載されてて、徒歩なん分まで書かれててとっても参考になりました。
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樹齢600年の椎がない〜

2019年03月13日 05時26分11秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24の東京メトロパスで行く巨木と天皇陛下在位30年記念慶祝事業散歩も最終回になりました。久々に連載してしまった。
さて、最終回は谷中王林寺さんの樹齢600年の椎の木です。
王林寺さんの600年の椎の木は、今回の散策に使ってる根津権現かいわい浪漫ちっくマップや西日暮里公園前に設置してある日暮しの里散歩の地図にも載ってます。書いてるからには見たいと思い訪ねたのですが、ムズいっ!まず見つからない。
トップ画像は境内の様子。奥に本殿。左手前にあるのはヒマラヤ杉。結構大きい。

あと、ひときわ目立っていた千代の富士像。普段ならば鑑賞するけども、時刻は既に16時41分。日没前に目的の椎の木を見つけないと撮影できません。
探す!まずは本殿に向かって左へ。細い道が奥に続いていたので進んでみた。ダメだった。「この先関係者以外立ち入りお断り」
ならば、トップ画像に見えてる大谷石の塀。ここを右へ進む。突き当たりにあったのは民家だった。それしかなかった。あれ〜〜??600年の椎の木だよ?それなりの大きさのハズなんだ〜〜〜???
もうね。疲れてる。そして日没が近くて焦ってる。紹介画像は画像加工しており、明度を上げてます。しかし手ぶれ画像になってるあたりで察してください。
どうしようもなくて立ち尽くす。と?そこへ本殿横手の通路から、おばさんが出てきた。これ幸いと質問する。
「こちらに樹齢600年の椎の木があると思うのですが、どこにありますか?」
ここで答えが返ってくると思うじゃない!ダメでした〜。
「お寺の人じゃないんです。地域猫の世話に来てるの」と。
そ、そうか〜。もう万事休すです。
「椎の木がどこにあるかご存知ありませんか?」と突っ込んで聞けば、「おそらく墓域にあるんじゃないでしょうか?」と。自信なげな答えが返ってきた。
そうだよな〜。木に興味がないと、そこに木があっても目に止まらないものなんだよ。私も去年麻布の善福寺さんの東京で一番の大イチョウを見て以来、巨木探訪を始めたの。それ以前はあんまり興味持ってなかったんだよね〜。
私はこの時、相当がっかりした顔をしていたらしい。猫おばさんは「朝早く来なさい。お寺の方が境内を掃除してますから。その時に聞けばいいと思う」と教えてくれた。その流れでつい話をしてると、猫おばさんは私が持ってた「エキュート日暮里&上野2月22日はネコの日のパンフレットに目を止めた。
「うちの店が載ってるかも〜?」と。猫おばさんは、猫がいる喫茶店のご店主でした。

「あそこがそうなの。猫が3匹いてね。運が良ければいるかもね」と。そうだよね。猫のご機嫌次第ですが、猫が接待してくれるかも?その誘惑は素敵だ。でも我が家はここから遠いんだ。既に夕暮れが迫ってるので、残念ながら立ち寄るのを諦め、善光寺坂を降りる。

おや?金栗四三青春の地の旗が連なってます。これさ、今年のNHK大河ドラマの主人公だよな。時刻は16時56分、とうとう夕暮れに追いつかれてしまった。車がヘッドライトを点灯してます。もちろん画像加工済み。東京メトロ千代田線根津駅の入り口が見えた。つ、疲れた〜。最後の最後で巨木に会えなかったよ。時間が許せば当初予定の栄松院さんのスダジイに会いたい。でもそれはまた次回の巨木散歩に回そう。もうね。足も限界じゃ!案の定翌日・翌々日、2日寝込んだ。ヘロヘロで接骨院さんには行ったけど。ほぼ役立たずにへばっちゃったよ〜。無理しちゃいかんな〜。反省!
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巨木探訪・谷中のまたぎクス

2019年03月12日 05時45分29秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24東京メトロパスでいく巨木探訪。谷中の妙雲寺さんに到着。大きなワンコの熱烈歓迎を受ける。
うん!君が私を大歓迎してるのはわかるんだ〜。でも今、君に飛びつかれたら、踏ん張り切る自信がない。私の体力は既にエンプティー。なので、門の向こうで大ジャンプを繰り返してるワンコに背を向けてしまった〜。あ〜〜、ワンコ大好きなのに〜。ヘタレな私でごめんよ〜。
しかしです。目的の木はワンコが守る(いや、どうだろう?歓迎してくれてるのだから、守ってるのではないのか??)相当疲れてるようです。今はワンコの考察じゃないだろう〜。ってなことで、妙雲寺さんを諦めて隣の感応寺さんへ向かう。

山門をくぐると本殿。背後に大きな木が見えた。あれだっ!

疲れからもう難しいことが考えられない。ともかく撮影と記録。

墓地の奥に見えるクスはとても変わってました。だってブロック塀に埋まってるんだもの〜。

いつものハイライトになるダンナです。

反対側からの撮影。この角度からだと、埋まったブロック塀の向こうにも墓地があって、そっちに木が半分はみ出してるのがわかります。反対側は先ほどワンコバリアーに阻まれて訪問を見送った妙雲寺さんの墓地です。
ブロック塀の近くから撮影。あ。閃いた。盾と矛の話ってあるじゃない?目の前に置き換えると、ブロックと木のどちらが強いか?を長い時間かけて闘ってるみたいですね。でもって、もうすぐ決着つきそう〜。根性出せブロック。
実は去年谷中で巨木探訪した時にこの木を道1本挟んで見てました。
巨木探訪・大雄寺のクスと高橋泥舟の墓 2018年4月21日の記事 
たった道一つ違うだけ。しかもその時感応寺さんの前を通っていたという。でもその時は見えてたクスが谷中のまたぎクスと異名を持つ木だとはまだ知らなかったんです。今回もまたぎクスの感応寺さんの前の道をみかどパンのヒマラヤ杉に向かう細道の途中にある金嶺寺さんに樹齢700年のタブノキがあるのを、この記事を書いてる途中に知り凹んでます。すぐそこにあったのに、知らなかった〜。見そびった〜。うををををを〜〜!!また行かなイカン!
え〜、今回私が感応寺さんと妙雲寺さんをまたぐクスがあると知ったのは、図書館で借りてきた巨木の本に載ってたからです。本によりますと谷中のまたぎクス:妙雲寺と感応寺は墓地が背中合わせに並んでいますが、墓地の境のブロック塀をクスノキの巨木の幹がまたいでおり「谷中のまたぎクス」と呼ばれています。
樹冠は円形で樹高は20メートル近く、幹の直径は1、5メートルくらいと思われます。寺の記録に樹齢は400年以上」あります。ついでになぜにクスノキの根元に出来た洞にブロックを詰め込んだのか?その理由も書かれてました。
「戦後間もない頃、空洞に燃えさしの線香を投げ入れたのは、幹の内側が燃えて、幹の上方から炎が出たことがありました。木1本に驚くほどおおくの消防車が駆けつけ、大規模な消化活動になり、消防士が呼吸用酸素ボンベを背負って空洞内の火を消しました。この火事でもクスノキは枯死しなかったそうです。その後、空洞にゴミが捨てられることがあったので、空洞はコンクリートブロックでふさがれました。」
クスノキは燃えやすいのです。線香はあきません!でも燃えるクスノキの火を消しに向かった消防士はヒーローですね。
撮影のお礼の参拝をして感応寺さんを後に。時刻は早くも16時27分になりました。画像ではわかりませんが、空は既に夕暮れが近づいており、クスノキの真下から真上を見上げての撮影はシャッタースピードが落ちたピンボケ画像になってしまいました。
もう無理だ。あと一つ。東京メトロ根津駅に向かう途中にある王林寺さんを最後にしよう。

善光寺坂を降りながら、次々現れるお寺さん。

谷中は本当にお寺ばっかりだなあ。もしかしたらこれらのお寺にもまだ見ぬ巨木があるやもしれんけども。夕暮れが近く立ち寄れません。

ただ、古びた寺社の建物を撮影するだけに留める。

なんか、建物に古い石垣がめり込んでるんですけど〜??何じゃこりゃぁ〜。白い建物はマンションっぽい。石垣は丁寧かつ格式たかい。
いやいやいや。また足止めてるじゃん!急がないと〜。暗くなる前に根津駅に着かないと〜。

ようやく王林寺さんに着いた。でもまさか目的の樹齢600年の椎の木の探索がここまでムズいとは予想もしてなかったんだよ〜。
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赤穂浪士ゆかりの寺の楠

2019年03月11日 05時47分37秒 | 歴史散歩
2019年2月24日の散歩。日暮里の朝倉彫塑館に50分滞在し、16時に出発。再び上野方面へ。この日鑑賞予定の目的の巨木は残り4本。さすがに全部見るのは無理そうだけど、行けるとこまで行くよっ。

いくらも行かないうちに次の目的地に着いた。トップ画像は赤穂浪士ゆかりの寺、観音寺さんです。説明板発見:赤穂浪士の吉良邸討ち入りは「忠臣蔵」の題材として、広く世に知られている。
47士に名をつらねる近松勘六行重と奥田貞右衛門行高は、当寺で修行していた文良の兄と弟であった。文良とは、のちに当寺第6世となった朝山大和尚のことである。
寺伝によれば、文良は浪士らにでき得る限りの便宜をはかり、寺内ではしばしば彼らの会合が開かれたという。
明治末の福本日南の著作「元禄快挙録」には、勘六は死にのぞみ「今日の仕儀勘六喜んで身罷ったと、長福寺の文良へお伝え下されたい」と遺言したというエピソードが記されている。当寺はもと長福寺と称し、享保元年(1716)観音寺と改称した。
本堂に向かって右側にある宝篋印塔は、47士慰霊塔として古くから伝えられ、現在でも霊を弔う人が訪れている。上部に四方仏を表す種子(梵字)、下部に宝筐院陀羅尼教、宝永4年(1707)3月吉日、長福寺6世朝山の名を刻む。 台東区教育委員会」
次いで寄りです。どこかの巨木WEBで見たので寄ってみた。目的の木はこのクスの木。

そこそこの大きさなのに、説明板がない。樹齢・サイズともにわからない。

根元が盛り土の上にあるので、根っこが鑑賞のポイントかも?

さて、参拝して撮影のお礼をする。

実は、観光客にとってのこのお寺の一押しはクスの木でも赤穂浪士の宝篋印塔でもない。山門を出て道路を上の方面へ。お寺の塀に向かう。
観音寺の築地塀として谷中の観光スポットになってます。
時刻はすでに16時6分。もはや予定の木が全部見えるかどうかでなく、日没と散策終了のどっちが早いか?の競争になってきた。

通りで見かけたレトロ建物。なんか文化財指定の緑のプレートがありますね。

こちらは横の壁に神社仏閣の絵馬を飾ってました。何のお店だろう?実はまだ午後4時ではありますが、「閉店しました」の札を出してる店が多いんです。観光客が来すぎたもよう。食べ物の店は「材料がもうありません」だの「コーヒーのみご提供できます」だの。無残です。谷根千といえばぶらぶら散歩で人気の場所ですが、ちょっと休憩出来る公園は極端に少ない。歩き疲れて飲食店へ。というコースを選ぶ人多いんだろうなあ。お寺はあきれる程多いけど、お寺で休憩はできませんものね。普通。

こちらは営業中。お酒も出すお店な模様。
なぜか、ベトナムのプラかごのお店。小さな雑貨屋さんも多い。
こっちは骨董屋さんな気配。変わった柵の間からちらっと窓の奥をみたらそんな感じでした。
さて、細い通りを抜けて火除け地も兼ねてるのかな?車の通る広めの道路に出た。

信号を渡り、小さいけど手入れの行き届いてそうな佇まいの総持院さんを過ぎると、次の目的地妙雲寺さんに到着。しかし!!まさかの事態がっ!!か、歓迎してくれるのは嬉しいんだよ?でもさ、君、その図体でよくそこまでジャンプ出来るよね。
でっかいワンコが柵の向こうで大歓迎ジャンプを続けてる。は、はははは、入れるかぁ〜〜!!

2019年3月9日に東京メトロでいく巨木探訪にまた行きました。
で、気になっていた既出記事に今朝、画像を追加しました。

1本目は麻布の樹齢750年超の善福寺(2017年12月16日)の記事 こちらの記事に紹介の大イチョウは今年のお正月に放送された「神様の木に会う〜にっぽん巨樹の旅〜」と先週3月8日にNHKプレミアムの番組『巨樹」と「美の壺」(巨樹)で紹介された木です。放送後、アクセスが増えました。しかし、訪問時天候が悪く、ポツポツと雨が落ちかかってました。で、うっかり巨樹の裏側の観察をしてなかったんです。この木は750年超の樹齢もすごいけど、第二次大戦時に被災して焼けました。反対側から見れば、焼け具合も確認できたのですが、裏側を見なかったのは大失敗。せっかくアクセスも多いのに、片手落ち記事になってるので気になってたのだ。で、3月9日に確認してきた画像を追加しました。裏側の画像を見たい方はリンクしてますのでどうぞ。
今連載してる2月24日の東京メトロでいく巨木探訪の記事の連載が終わったら、別記事立てします。

2本目は山王日枝神社の大イチョウ??(2017年12月14日)の記事 こちらの記事は赤坂山王日枝神社さんの大イチョウの紹介記事です。
YAHOO!で【赤坂山王日枝神社 大イチョウ】を検索ワードにすると、私のこの記事が1番目にきます。しかし!この記事では山王日枝神社さんの大イチョウにたどり着いてない!知ったからには、そんな記事が検索トップにくるなんて嫌だ〜〜!!
と、2019年3月9日に東京メトロ1日券でいく巨木探訪の最初に立ち寄り、今度こそ山王日枝神社さんの大イチョウを確認してきました。3月11日の朝一で記事に大イチョウの画像を貼り付けました。
ちなみに、探してた大イチョウは所在は山王日枝神社さんの参道の男坂にある山王鳥居のそばにあったんです。前回訪問時(2017.11.24)は楽してエスカレーターで訪問したので、参道下にある大イチョウに気づけなかったんです。樹齢約300年・樹高20メートル、幹周囲4、7メートルの巨樹。そんなん昔ながらの場所にあるのが当たり前!なぜに文明の利器なエスカレーターを使ったんだろうか?自分のアホさに絶望した。しかも、そんな大イチョウに辿りつてない記事が、YHAOO!検索順位1位ですよ?あり得ないっ!こちらも後日3月9日の巨木探訪連載時に新規記事立てします。

もひとつおまけに、ハチ公は上野の科学博物館にいる(2013年1月31日)の記事 こちらの記事もアクセスが多い。実はハチ公の命日って先週の金曜の3月8日だからか?それとも先日、犬&狛犬シリーズのジャンルに新規記事を投稿したからか?理由はわかりませんが、アクセスの多い記事です。
で、3月9日の巨木探訪の途中に、東京メトロ南北線東大前駅で下車、東京農大正門入って左に展示されてるハチ公のご主人とハチ公の像を見学に行きました。ので、これも今日画像追加しました。ワンコ好きなら必見の像だと思う。幸せな気持ちになれるよ。像からわずか50メートルほど離れた資料館には、ハチの内臓が展示されてます。幸せな気持ちのままいたい方はこちらはパスした方がいいかもな。ハチ公も後日、新規記事追加します。

2019.3.20:記事リンクを追加します。
麻布・善福寺の大イチョウ(2019年3月18日)の記事

山王日枝神社さんの大イチョウ!(2019年3月15日)の記事

ハチ公が幸せだった頃(2019年3月20日)の記事
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朝倉彫塑館は展示彫刻だけでなく

2019年03月10日 05時32分48秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019.2.24訪問。朝倉彫塑館に15時9分到着。入館料は通常500円ですが、この日は天皇陛下在位30年記念慶祝事業で、都内30箇所の入園・入場料無料イベントがありまして、朝倉彫塑館も無料で入館出来ました。開館時間は9時半から4時半まで(入館は4時まで)。途中寄り道したのでどうなることか?と思ってましたが、まずは観覧を楽しめそうな時間に着けてよかったです。
たっぷり内部や彫刻作品を紹介したいところですが、撮影禁止です。撮影できるのは入館前に置いてある2作品くらいです。
 いただいたパンフレットによりますと、「朝倉彫塑館は、彫刻家朝倉文夫のアトリエと住居だった建物です。
朝倉は東京美術学校を卒業した1907年(明治40)、24歳の時にこの台東区谷中にアトリエと住居を構えました。当初は小さなものでしたが、その後、増改築や敷地の拡張、建て替えを経て、現在の建物は、1935年(昭和10)に完成しました。
設計は朝倉自ら担当し、細部に至るまで工夫を凝らしており、こだわりを感じさせます。朝倉はここを「朝倉彫塑塾」と命名し、門下生を育成しました。
朝倉は1964年(昭和39)に世を去りますが、1967年にはその意志を受けた遺族により朝倉彫塑館として公開されます。その後、1986年(昭和61)に台東区に移管されました。
2001年(平成13)に建物が国の有形文化財に登録され、2008年(平成13)には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定されました」
館内は下足鑑賞。自分の靴を靴袋に入れての鑑賞になりますので、靴下着用で訪問してください。

住居は3階建て。更に屋上庭園(朝倉文夫生前は、ここを畑にしてたとか)に階段で上ります。蘭の間と名付けられた部屋は、等身大サイズの猫の彫刻が並んでます。谷中に猫を見物に来た人にはオススメの猫ちゃんたち。

こちらは居眠りする猫。本来は1階住居部分の茶室に展示されてるようですが、訪問時には「館内のどこかにいます。探してみて?」とイベントで隠れてました。探しました!3階の朝陽の間外ローカで居眠りしてたよ〜。このポスターの座布団の上で。気持ち良さそうに。
一昨年の秋、朝倉彫塑館では「猫百態」展が開催されてました。その時は訪問出来ず残念に思ってたのだ。朝倉さんは猫がとても好きだったようで、住居内にも猫の写真が何枚か展示してありました。愛らしい様子に「誰が撮影したのか?」と気になった私は、館内の何人がいらっしゃった職員さんに「猫の写真を撮影したのは朝倉文夫さんですか?」と尋ねたところ「それはわかりませんが、ご家族の撮影かもしれませんね」と曖昧なお返事。1階書斎には朝倉文夫氏の長女の絵が展示してありました。彼女は日本画を学んだ方。展示してあったスケッチが、モンペを着用した女達が何枚も。時代柄ですよね。ってか、もんぺと言って今時の若い方はどんな姿か想像できるんだろうか?日本における戦時中の一般的な服装です。
さて、朝倉氏自ら設計の建物は各所に曲線を多用してます。

画像をお見せしたいところですが、それは無理なので、みたい方はぜひ訪問してください。
私がこだわりにうなったのは、住居部分、あ!猫が居眠りしてる前出のポスター。猫がいる濡れ縁を目を凝らしてみれば、木材にうっすら線をつけてあるのがわかりますか?わざわざ線をつけずともいいのに。線をつけて曲線を演出してるんですよ。
中庭の敷地はほぼ池。錦鯉が泳いでます。しかしそこは彫刻家が自ら設計した庭。大量の大小の石が設置してある。中でも巨大なころんとした形のこしあんぼたもちのような石の存在感が抜群。どうやって、運び込んだんだろうか?家を建てる前にまず中庭を作らないと大石を運び込むのは無理に見える。
アトリエは天井まで8、5メートルもあるコンクリート造り。黄色いアースカラーの壁も素敵だけども、彫刻家のこだわりは足元にあるので必見です。
彫刻家のアトリエといえば、井の頭自然園の中の北村西望のアトリエを見学したことがあります。
長崎の平和記念像の原型は井の頭自然文化園に(2017.10.20)の記事 こちらの記事に、北村西望のアトリエの画像があります。
ここで長崎の平和祈念像を製作したんだって。WIKIによりますと「平和祈念像の像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ約30トンで、鉄骨を芯にして、青銅のパーツの表面には純白の石膏が直付されている。」とありました。
朝倉文夫がアトリエの改築を終え、現在の形が完成したのは1935年(昭和10)でした。当時既に52歳を迎えていた朝倉さんは、大きな彫刻製作に上り下りを繰り返して作成はいつまでも出来ないと、アトリエの一部に電動昇降台を設置。大きな彫刻を作る際は、床を下げて作りやすいようにしたのです。昭和10年当時に電動昇降台を設置したのですよ。大事なことなので2度言いました!確かその深さも聞いたんだけどな。7メートルだったような?7メートルいくらいくら〜と言ってた気がするんだけども、思い出せない〜。あ〜若い頃の私の記憶力カムバック!にしても、電動昇降台を作ろう!と思った朝倉さん、ナイスアイディアです。地下収納型の電動昇降機の痕跡は、アトリエの床に残ってます。私は昇降機の場所がわからなかったので、職員さんに尋ねました。
見学順路途中1階に、ミュージアムショップの注文表と見本が置いてあった。気になるのは1枚100円のポストカードです。その時は朝倉彫塑館のトレードマークになってる「たま」のポストカードにしようと思ってたんだけどね。出口でオーダーしたのはこちら。
「吊るされた猫」です。1909年(明治42)第3回文展出品作品。猫のせつなそ〜な表情がいいと思うんだよね。どんないたずらをしちゃったんだろうか?とか想像しちゃいました〜。
にしても、芸術家のアトリエってどこもエネルギーを感じれて好き。記憶を遡る。
いつかの岡本太郎美術館(2010年2月7日)の記事 こちらの記事は青山の太郎さんの自宅を美術館として公開してまして、巨匠のアトリエが生前そのままに公開されてました。お庭には彫刻作品が無造作に置いてあって触るのも自由にできました。今もそうかどうかはわかりませんが。岡本太郎のアトリエは必見です。
根津界隈散策(2009年11月15日)の記事 東京メトロ湯島駅から根津駅に向かって歩くと、途中で「横山大観美術館」があります。大観が生前暮らしていた旧居をそのまま美術館として公開。2階は大観が画室に使っていた部屋があります。
ちひろ美術館(2009年1月7日)の記事 こちらの記事は、西武新宿線上井草駅より徒歩数分のところに、童画のさし絵で有名ないわさきちひろさんの美術館の記事です。ぐるっとパスを利用して見学にいきました。いわさきちひろさんの自宅跡に建てられており、アトリエが再現してありました。名前でパッと思い出せずとも、絵を見るとああ!となる。特に昭和の後半に青春時代を送った人ならば、見覚えある絵ばかり。私は叫びたくなったね。

さて、時刻は早くも15時59分になってます。入館が16時までとあり、駆け込んでくる来館者とすれ違いました。先を急がねばなりません。目指す巨木は墓地にあるんだよ〜。日のあるうちに何としても!!黄昏時になる前にどうしてもだっ!!
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巨木探訪・延命院のシイ

2019年03月09日 05時57分09秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2019.2.24東京メトロパスで巨木散歩。西日暮里の延命院さんに15時2分到着。山門を入ってすぐに右手に目的の木が見えた。トップ画像門奥右手に見える木です。

説明文発見:延命院のシイ 東京都指定天然記念物 昭和5年5月指定
延命院は日蓮宗の寺院で宝珠山と号す。開基は4代将軍徳川家綱の乳母三沢の局。家綱出生の際に、安産を祈祷した慧照院日長が、三沢局の信施を受け、甲州(山梨県)身延山の七面大明神を勧請。慶安元年(1648)、別当寺として延命院を開創した。
天保7年(1836)開板の『江戸名所図絵』巻5の「日暮里惣図(ヒグラシのさとそうず)には、現在地と思われる位置にシイの姿が描かれています。境内のシイも当時から地域の人々に親しまれた老樹であることがうかがわれます。安政2年(1855)の江戸の大地震によって『江戸名所図絵』に描かれた堂宇は倒壊してしまいましたが、延命院のシイは生き残り、現在に至るまで都市化の進む日暮里を見つめ続けています。かつては樹高16、2メートル、幹回り5、5メートルの巨樹でしたが、平成14年(2002)5月に幹内部の腐朽が原因で南側の大枝が崩落し、安全のため現在の樹形に保っています」

手厚い手当の様子。この角度ではまだまだ元気そうに見えますが。反対側の根元はこう。

奥の主幹に洞が出来、根元から上部に大きな割れ目が見えます。

手前は平成14年に腐朽が原因で崩落した枝の痕。枝というよりは最早主幹の太さの株跡に見えます。根元から撤去したんですね。

見上げると、主幹の上部にも洞が見える。もしかしたら、根元の洞があそこまで繋がってるのかもしれん。
『江戸名所図絵』は区内を散歩してると、あちこちの説明板に登場する。天保7年(1836)年のものだから、2019年−1836年=183年前!この時既に老木だったシイの木。元気でいてね。
さて、時刻は早くも15時6分。移動しましょう。

上野方面に歩いてると、看板装飾の古い建物があった。何のお店だろう?「金」へんに「武」。そして「力」と書いてブリキと読む。ブリキ屋さんか〜。珍しいね。

15時9分、次の目的地朝倉彫塑館に到着。通常の入場料500円のところ、2019年2月24日は天皇陛下在位30年記念慶祝記念事業で、この日は入場無料です。いや〜、入館は16時までなので、余裕のある時間に着けてよかったよ〜。ってな事で、もともと組んでた巨木探訪の予定に、この日は浜離宮恩賜庭園と朝倉彫塑館を突っ込んだのです。ここさ、一昨年に猫百態展を開催しててすんごく気になったけど、その時は行きそびってしまって残念だったんだよね〜。猫100匹は無理でも何匹かはまだ展示してるだろうか?楽しみ〜。
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相模原公園の早咲桜が見頃2019.3.8

2019年03月08日 13時11分25秒 | 相模原公園と麻溝公園
本日2本目の投稿です。上野谷根千巨木巡りの記事はこの記事の前に投稿済みです。
先ほど相模原公園の桜を見てきました。あと12分後に家を出ねばならないので、画像だけ貼り付けます。今相模原公園にいけばこの桜が見える!
  
玉縄桜は見頃


駐車場のおかめ桜は既に見頃

河津桜はぼちぼち見頃過ぎ

白梅
1本の木に白とピンクの花が咲く梅花。遅咲きの思いのまま
寒桜
黄色は水仙

温室のところのおかめ桜はまだ2〜4割咲。
最後にいつものサカタのタネグリーンハウス2階の展望台から。
グリーンハウスの温室に入るのは100円かかりますが、現在はこんなに素敵な花が開花中な模様。
昨日は記事をアップしてすぐ外出。帰宅後、花粉にやられ目とくしゃみが〜。で、翌朝の3月9日に書きっぱなしになってたこの記事を再読し、貼り忘れたた画像を追加しました。
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