あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

麻溝公園のあじさい順路2019.6.4午前

2019年06月07日 17時29分56秒 | 相模原公園と麻溝公園
2019.6.4、朝一に接骨院へ。その足で、麻溝公園のフィールドアスレチック場のあじさい順路→相模原公園の花しょうぶ→ぎおんスタジアムでウォーキング&あじさい→麻溝公園の山あじさいを計2時間見物しました。先日この時の記事を3本あげましたが、今日の記事は麻溝公園のフィールドアスレチック場のあじさい順路とその外周のクレマチス(公園を外から)です。
一気に記事投稿したかったのですが、間が空いてしまった。ごめんなさい。
ちなみに、画像を見ればわかりますが、あじさいはすでに見頃に入りつつあります。
画像増量で。
七段花(シチダンカ):装飾花は八重で先が細く星型をしている。江戸時代から知られていたが昭和34年六甲山で発見されるまで幻のあじさいと言われていた。
グリーンタワーからアスレチックし場外周のあじさい順路に入ると、最初にあるのがこの七段花の群落。山あじさい系で見頃の最盛期です。

何か、今年は色づきがいいなあ?
もしかして、肥料の加減が良かったのか?見物するものとしては嬉しいかぎり。
そして、葉っぱも虫食いされてない〜。嬉しい〜。

フィールドアスレチック場のあじさい順路の山あじさいは、既に見頃です。
ここは木が多いから、木陰も多い。山あじさいにはいい環境で、毎年いい画像をゲットできてます。
柏葉あじさい系が数種類まとまって見頃です。これはスノーフレークかな?フォトジェニックな種類だわ。
大きさがわかるかな?トップ画像もここで撮影しました。
この日は6月4日(ムシの日)なので、見かけた昆虫も意識してあれこれ撮影しましたが、撮影はガラパゴス携帯を使用してたので、ピンボケ画像を増産してしまいました。ほら、昆虫って動くからさ〜。木漏れ日の光量ではちと難しかったよ。
はい。ここでフィールドアスレチック場のあじさい順路の終点で、一旦駐車場入り口のあじさい越しでグリーンタワーを撮影。この後、公園の外周のフェンス越しのあじさい見物をしようとしたのですが、今年はフェンスに絡まってるクレマチスがまだまだ元気。クレマチスの撮影を楽しみました。


外のフェンス越しに撮影した柏葉あじさい。



葉っぱに特徴が。

フィールドアスレチック場のあじさい順路を楽しんだ後は、水道みちを抜けて相模原公園の花菖蒲田の見物へ。
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観音寺のクスノキ

2019年06月07日 05時25分25秒 | 香川の巨木と神社仏閣

2019.5.5本山寺と琴弾周辺の巨木さんぽその7

琴弾公園にある根上がり松のすぐ近くに四国八十八ケ所霊場の68番神恵院と69番観音寺札所が並んでます。なぜに2つの札所がぶっちゃけ同じ境内にあるのか?といえば、明治の神仏分離令で、観音寺に神恵院を移動してきたから。よってお寺の歴史もぶっちゃけ琴弾八幡宮と同じです。歴史を見ると流れがわかります。
琴弾八幡宮は、日証上人が海の彼方から漂着した船から琴の音が聞こえ、八幡大菩薩が降臨。船と琴を山頂に引き上げ琴弾八幡宮を祀り、神宮寺を建立して、神仏習合の霊地となった。
時は流れ平安時代、唐より帰朝した弘法大師が大同2年(807)に来て第7代住職となる。薬師如来・十二神将・聖観世音菩薩・四天王などを刻み、七堂伽藍を建立。真言密教の道場となる。山号を七宝山、寺号を観音寺と改め、琴弾八幡宮の別当として神恵院をあてられた。
やがて四国八十八ケ所の霊場が形成。琴弾き八幡宮が第68番札所。観音寺が第69番札所として参詣され、一山に二霊場の形態となる。
その後、明治維新となり神仏分離令が布告され、琴弾八幡宮は四国霊場から切り離されることになった。八幡大菩薩の本地仏である阿弥陀如来は国の重要文化財観音寺金堂に移り、別当であった神恵院が第68番札所となった。
地元に住みながら詳しいことは知らなかったよ。
 


社紋かな?あんまり見たことないけど面白い。石段を上がる。母にも「お出でよ」と声をかけた。なぜならここに中学の時母に連れてきてもらった思い出があったから。
それがたまたま目的の巨木に重なるのは面白い。
あれ?何か、記憶の中の木と違うんですけど〜??
観察して気づく。大枝が折れていた。
うわ〜、マジかぁ〜。
実はね、中学生だったある日のこと、美術の先生に何人かの生徒と共にここに連れてこられたのだ。何かしら?と思えば、「境内でスケッチしなさい」と。今ならあちこちからツッコミが入りそうな怠惰な先生だったなあ。しかもこのスケッチ大会は先生の思いつきでなく、どうも一円の学校対抗写生大会で、後々発表せねばならんかったのです。そんなこととはつゆ知らず、スケッチという名のお絵描きは大好きだった私は、巨木のクスノキを手前に、奥に重要文化財の観音寺の金堂を据えてお絵描きしました。時間内に完成しませんでした。自分は描けて満足してたのに、数日後に怠惰な美術の先生に呼び出され「仕上げて提出しろ」と指令があったんです。ンなこと言われても、もう覚えてない。素直な私は困ってしまい、母に頼んで車でもう一度見に来たんですよ。
で、無事に絵を仕上げて提出したのですが、無理を言うだけ言って私の絵をなんかの大会に出しやがったのに、それを見に行った母いわく「あんな、あんたの名前違とったわ」と。
そう美術教師に「怠惰な」とつけてるのは、無茶ぶりしやがった上、私の名前すら覚えてなく、しかも名前を覚えてないから絵を返却しなかったんだ!と知ったのは卒業後です。ガッテムでしょう?ちなみに無茶振りして描仕上げさせられた私の絵は高評価でした。ちゃんと金賞だったからね。てっきり金賞とったから返却してくれないんだと、当時の清らかな心を持ってた中学生時代ですね。
で、2度目は短時間で一気に記憶して帰宅して一気に仕上げたので、巨木のクスノキの枝ぶりもバッチリ記憶に残ってました。
全然違う〜。悲しい〜。まあもう数十年前のことになるので、巨木といえども樹形がかわっちゃったんだろうねえ。
巨木サイトによりますと、観音寺のクスノキ:樹高:15メートル、目通り幹囲:6、6メートル 推定樹齢:伝承1000年とあります。目通り幹囲というのは、地面から1、2メートルで幹の周りを計測した数値のこと。けどもこのクスノキは根元が異様に膨らんでます。
すごいでしょ?
別角度から。
もう1枚角度を変えて。
巨木サイトによりますと、「目通りは6メートル台でも、地表あたりではゆうに10メートルのクスノキを思わせる」と書かれてました。いや〜、折れた大枝の形は覚えてたけど、膨らんだ根元は全く覚えてなかったよ。あれね。構図に入れてなかった模様です。
ベンチで母とあの時の話をして大満足で観音寺さんを後に。
帰り道は行きと違う道で〜と母が三架橋を通ってくれた。これもアニメ『結城友奈は勇者である』に繰り返し登場していたなあ。
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讃州中学校のモデルと根上がり松

2019年06月06日 06時11分35秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾周辺の巨木さんぽその6。
琴弾公園の松の巨木は、観音寺松原の総数50000本の松。銭形砂絵周辺に限っても2000本の松という数の暴力の前に特定できず。凹んだまま車窓を眺めてたら、中学校が見えた!もしかせんでもここはっ!!急いで撮影したのがトップ画像です。ここはアニメ『結城友奈は勇者である』で、主人公と友人達勇者部面々が通う讃州中学校のモデルの学校です。私が中学生だった頃は、古い校舎と校庭の土俵があるまあ普通の学校でしたが、面影は全くない広いグラウンドが眩しいねっ。
あ。琴弾山ドライブウエイの出口だ。となると、地図ではこの先のT字路を右折したらすぐ根上がり松があるハズなんだけど?どこだ〜??
あった!看板が!けど、そばに急なコンクリートの石段がある。ということはまさかこの上にあるのか?となると、お母さんはまた見れん!ということに。ど、どうすっかな〜??迷ってると察した母が「待ってるから行っておいで〜」と。う!バレたか〜。ここは感謝して「急いで見てくるから〜」と石段を〜〜登れない。上からおじさんが降りてきた。そしておじさんはそのままUターンしてまた石段を登っていった。な、何がしたかったんだろか?いや、それより、謎のおじさんは急な石段の上り下りを鼻歌まじりにやってたのだ。しかもおじさんの鼻歌を私は知っていた。いや、観音寺市民なら誰でも知ってる「銭形おどり」!なんでここ〜??ああっ!私の記憶を刺激するのは何だ?「ちょうさ〜じゃどんどこどんでんどん!讃岐名物銭形おどり〜(中略)情け松原根上がり松は〜、どの娘みたくて背伸びする〜」
ふああああっ!!銭形おどりに根上がり松が出てくんじゃん!謎のおじさんナイスアシストぉ〜〜!!上る足も軽やかに、頭の中に銭形おどりがぐるぐるしつつ進みますと!

ありました〜!!根上がり松がぁ〜!こ、こんなに大きかったのね。
根上がり部分をアップで撮影。
観音寺市の観光webによりますと、「文字通り老松の根の部分が地上に露出した珍しいクロマツです。太さ約1メートルの根が四方八方に広がり、まさに自然が生んだ芸術です」とある。うん、この写し方では大きさが分からんな〜。もうちょっと近寄りたい。あ。あそこに隙間から入れるじゃん!
今回ハイライトになってるのは私。根っこの高さを堪能下さい。
ちなみに、松の上部は普通です。もしかせんでも根っこのある地面が硬いんだろうなあ。でも松が頑張った結果が根上がり松。日本全国「根上がり松」と命名された木は多いのだろうけど、ここの根上がり松も素敵でしょ?
さて急がねば。「お母さんお待たせ。次は四国八十八ケ所札所の観音寺さんの境内のクスノキだよ」
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相模原公園の花しょうぶ2019.6.4午前

2019年06月05日 20時58分29秒 | 相模原公園と麻溝公園
2019.6.4の相模原公園の花しょうぶの開花状況です。
今年は相模原公園の花しょうぶは開花が遅いです。

江戸系花しょうぶは今年は株が大きくなって綺麗です。
種類によって咲き具合にバラつきあります。
相模原公園の菖蒲田の一番大きいのは、上の画像のように系統別に分かれて植栽。
今年は江戸系がいいかんじ。
こちらが伊勢系
こちらも伊勢系。職員さんがお手入れ中。
一番のボリュームゾーンの肥後系は、今年株を新しくしたばかりで弱々しい。花もあんまり咲きそうにない。残念ですが、来年以降を楽しみに。
2つめの菖蒲田は、系統ごっちゃに植栽されてて、色とりどりです。
ただこちらも今年は少し咲くのが遅れ気味。いっぱい蕾が見えてるから、今週末あたりが見頃かな?
ここは花しょうぶのすぐ近くまで近寄れるのがいいね。花にハナムグリがしがみついてるのを見つけ撮影。ガラパゴス携帯でもこれくらいアップで撮影できました。

ちなみに、去年の一番大きな菖蒲田で咲きそろう肥後系はこんな感じでした。
2018.6.5撮影
2018.6.7撮影。またこんなに素敵に咲きそろう日が楽しみですっ!(今年はすっかり諦め〜)

ブログ記事を投稿しようとして、今日は私がブログ投稿を始めてちょうど5000日目だと知りました。驚きです。我ながらよく続いてるなあ〜。
あ!そうだ。忘れずにお礼を言わねばならん。
ボヤッキーな私のブログを、呆れず日々閲覧してくださってる皆様、ありがとうございます。これからもマイペースで無理せず続けていきますので、よろしくお願いします。
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相模原ギオンスタジアムのあじさい2019.6.4午前

2019年06月05日 18時07分21秒 | アジサイ散歩
2019.6.4の散策は、麻溝公園の山あじさいとクレマチス→相模原公園の花しょうぶ→相模原ぎおんスタジアムのウォーキングコース→麻溝公園のあじさいで計2時間。
先日ここのスタジアムで関東学生陸上競技対校選手権大会を観戦。その時にそう言えば、スタジアムの外周にあじさいが植栽されてたハズだと思い出した。花しょうぶを楽しんだ後、すぐ側の第2競技場そばから、スタジアムに設置してあるウォーキングコースで、ウォーキングフォームのチェックを兼ねて歩いてみた。最近ちょっと私の歩き方が崩れて左足の小指辺りに痛みが出てるので注意深く歩く。
あ!あじさいフェンス!

南サイドスタンド外側にある。







心持ち色づきが足りてないけど綺麗です。昨日はウォーキングを楽しんでる人がチラホラホラ。この後メインエントランスを抜け、女子美術大学の生垣に沿って麻溝公園のあじさい見物へ。
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麻溝公園で山あじさいが限定公開中

2019年06月05日 14時19分14秒 | 相模原公園と麻溝公園
2019.6.4午前に見物してきました。
相模原市は市の花があじさいで、麻溝公園には170種6000株のあじさいが植栽されています。昨日は接骨院で施術を受けたあと、ぎおんスタジアムでウォーキングした帰り麻溝公園のあじさいと相模原公園の花しょうぶを見物。さあ帰ろう!と麻溝公園の管理事務所そばを通ったら、アジザイ圃場開放6月3日(月)〜6月9日(日曜)午前9時半から11時半の間という立て看板(トップ画像)を見つけた。
あれ??そんなイベントやってるの?と。いそいそ見物してきました。素敵だったので、ぜひとも紹介したいと画像増量でお届けします。
あじさい圃場は、木漏れ日で太陽の日差しが遮られていて、花色がとても綺麗です。
最初のうちは綺麗〜と浮かれて撮影してたのですが、途中から花の名前もメモらないと!と気づき、わかる範囲で書きます。
土佐のまほろば

土佐の暁

伊予の十字星

ジャパーニュ ミカコ


未来

ほろ酔い

佳澄

ロンド

ギャラクシー

手前が蝶のたわむれ 奥が雨に唄えば

歌合せ

富士の滝

青海
美方八重
以下の3枚は、画像撮影時に花の名前をメモってなくわかりません。とはいえ綺麗だったので掲載します。


公開は6月9日の午前11時半まで。昨日は育ててる職員さんが解説や育て方も教えてくれました。みたい方はお急ぎください。
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銭形砂絵と琴弾公園の巨木

2019年06月05日 05時57分27秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾周辺の巨木さんぽその5。
琴弾八幡宮を後に。次の目的地は琴弾公園の松なのですが、これまた所在がわからん!いや、松林がどこにあるかは分かってるんだ。けども松林が広すぎて目的の木がどこにあるかわからない。手がかりは巨木サイトの「琴弾山西麓の道路と銭形の間に立つ。道路脇の駐車場のそば」。ならば、駐車場を探せばなんとかなるかも?
途中で琴弾山のドライブウェイがあった。ここを上がれば、有名な寛永通宝の砂絵を見下ろせるのだけど、アニメ『結城友奈は勇者である』で、勇者部の面々が集ってた場所が、砂絵を見下ろす岩場で、弟いわく「去年は登るのに渋滞が起きて30分待ちだった」という情報を入手。この日もドライブウエイの入り口まで渋滞の最後尾が続いていた。これはパスや!
あ。駐車場発見。「お母さん、そこ止めて〜」
実は地図によりますと、駐車場は砂絵へ続く近道の散策路の側だった。これ、行けるんじゃね?「今12時半で、15分で戻るから、砂絵見てきていい?」と。OKが出たので散策路を可能な限り急いで登る。ちなみに、遊歩道の所用時間は、片道15分。い、急がねばなるまい〜。

画像は遊歩道を登りきったところ。ここで麓からのドライブウエイと合流する。
で、12時40分、無事に銭形砂絵のビューポイントに到着した。けども、アニメの影響か岩の周辺は観光客が行列してる。イカン!私には時間がないのだ。ビューポイントでの撮影を見送り、先にある展望台へ向かいます。
な、なんじゃこりゃああ〜〜!!
小銭を貼り付けてありますね。実は銭形砂絵を見ると、一生お金に不自由しないといわれていてこの有様ですよ。まったくもう!マナーはどこへ行ったぁ〜!
あ。これは説明板でした。
銭形のいわれ:寛永10年(1633)時の将軍家光公から讃岐巡遣使を派遣するとの知らせを受けて丸亀藩主生駒高俊公が寮内巡視の際、このことを聞いた地元の古老たちがなにか領主歓迎のためにと有明浜に銭形の砂絵を一夜のうちに作りあげたと伝えられています。
この山頂から眺めると丸く見えますが、実際には東西122メートル南北90メートルの楕円形となっています。以来砂上の一大芸術として長く保存されています。
この銭形を見た人は健康で長生きできて金に不自由しなくなるといわれています。 観音寺市」
急がねばっ。母が待ってるんだ。
展望台から、ビューポイントの岩と行列を横目に散策路へ一直線。うわっ!ちょうどお昼過ぎということは、影が一番短くなる時間でもありまして、散策路の階段の切れ目がまあ見えない!い、急ぐのにぃ〜。
散策路を降りると、母は山口の井戸の東屋で待っていた。またまた私が知らなかった歴史的遺構です。
説明板発見:山口の井戸
この井戸は、大同年間(806-810)弘法大師が「観音寺」の住職をしておられたころひでりが続いて住民は飲み水にも難儀していたためこれを哀れんで、井戸を掘り住民を救ったと伝えられています。海岸に近いところですが、真水がこんこんと湧き涸れることのない清水ともいわれ、昭和の初めまで多くの茶人や住民が飲料水としていました」
そうだったのかぁ〜!!空海さんは土建屋か!?と昔思ったことあるんだよね。讃岐の子は小学校の道徳で空海が杖をついたら水が出たという逸話を何話も読んでます。今更驚かないけどそれが近所にもあったのはびっくりだね。
さて、巨木だ!探すぞ〜〜!!
アカ〜ン!!でっかい松があっちにもこっちにもあるわ〜。

トップ画像の銭形砂絵の画像をもう一度見て欲しい。銭形の周りはすべて松で囲まれてるんですよ。
挫折は早かった!年を取り、長く歩けなくなってきた母を砂地で巨木を探し歩かせるわけにいかん!仕方ないんで、周辺を見回し、一番幹周りの太そうな1本を選び撮影する。
引き返そうとしてたら、瀬戸内海国立公園観音寺松原という立て看板を見つけた。
べっくら!ブログ記事を書くにあたりwebの海で調べたところ、観音寺松原はその数50000本といわれ、変化に富んだ松の景観が楽しめる。特に銭形砂絵周辺の老松2200本は見事な姿を見せ、瀬戸内海国立公園や、白砂青松百選に選定されている。
巨木サイトによりますと、琴弾公園の松:樹種:クロマツ 樹高:13メートル 目通幹囲:4、6メートル 推定樹齢:不明とありました。けど、載ってる画像が私が撮影した松と全く違うんだよね〜。本気で探したいなら特定できる人と一緒でなければ、たっぷり時間をかけて探すほかありません。
13時、駐車場を出発。あれ?少し走ったところにも駐車場を見つけた。もしかせんでも、私たちが止めてた駐車場はそもそも間違いだった模様です。そりゃあ、幹周り4、6メートルの巨木の松が見当たらなかった訳です。
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琴弾八幡宮の2本の巨木

2019年06月04日 05時53分48秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾公園周辺の巨木さんぽその4
本山寺で五重塔を堪能。隣接の高良神社さんのクスノキの巨木も楽しんだら讃岐うどんでお昼ごはん。お腹が膨れたところで、次の巨木を目指し出発。道中はかつて高校に通った通学路。あのころの記憶が次々浮かんでくる。けども、肝心の高校はあのころの面影は全くなく、新築校舎になっていた。母が「見物してく?」と声をかけてくれたけど、「ぱ、ぱすで〜」と力なく。車はそのまま進み、財田川へ。あ〜ここ!毎年冬になると、橋と橋の間を走るのが恒例の体育授業でした。
あ。琴弾八幡宮が見えてきた。ここも思い出がたくさんあるなあ。大学の夏休みに自動車運転免許を取ったものの、京都の大学で車に乗らなかったからすっかりペーパードライバーになってしまった私を、父がある日連れてきたのが今日のトップ画像の八幡宮の広い境内です。で、ここで運転の練習をしたのですよ。まさか巨木探訪で戻ってくるとは〜×本日3度目です。故郷にいた頃、どんだけ巨木に興味なかったのか?と呆れますね。まあ、今日の巨木巡りをピックアップポイントは、そんな場所がほとんどなんだけどね。あの頃の記憶がどんどん甦る不思議な感覚です。

そういえば、奥の建物で、おじさんが結婚式を挙げたっけ〜。あ。いかんいかん。故郷というものは、思い出が次々に。
さて、巨木はどこだ?とまあ、実は琴弾八幡宮の巨木は探すまでもない。駐車場にもなってる境内にど〜ん!!
巨木サイトによりますと、琴弾八幡宮のクスノキ:樹高:15メートル 目通り幹囲:6、5メートル。樹齢は不明。
続けて巨木サイトには、「この木はかつてはもっと背が高かったと思われる。その後、何らかの原因により、地上10メートル弱の高さで主幹が折れ、そのあたりから多くの小枝が出たのであろう。若い枝が生長して現在のような丸い樹冠を作ったと想像する。」とありました。
ああ!右奥に見えるのがもひとつの巨木ではなかろうか?

巨大な松!間違いないわ〜。これだわ〜。けど、どうやったらそばに行けるんだろか?

画像構成的には決まってますが、石段は金鎖が張ってあって上がれんから松に近づけそうにないなあ。
形も素晴らしい松ですが、よく見ると真ん中からちょっと上がったところに、大きな枝を切った跡がありますね。
あれ?もしかしてお隣にお社あるんじゃないの?なら反対側からなら近づけるかも?
見えた!笑顔の素敵な狛犬の奥に太い主幹が見えてます。

ふおっ!根元になんかある?
松の巨木が大きすぎて、石像が添え物になってます〜。
見上げる。
老松の堂々たるお姿。幹に植物が着生してますね。ああ、逆光なので、着生してる植物の色がわかるかな?これ?
樹皮もデカイ。うっかり、自分の手を画面に入れ損なってしまったけど、ぼこぼとと表皮に張り付いてるのは手のひらより大きいです。
はい、いつものハイライトになるダンナ。なんとなく表皮の大きさもわかってもらえたかと?
巨木サイトによりますと、琴弾八幡宮のマツ
樹種:クロマツ 樹高:20メートル(現在はもっと高いです) 目通り幹囲:4、5メートル 推定樹齢:不明とあります。関東で何本かクロマツの大木を見ましたが、江戸川区の善養寺の影向の松より樹齢はあるかもしれん。迫力満点な木です。
ただ不安もあった。
松の根元がヤバイ。余裕がない。これさ〜、あまり先を待たず、隣接するお社の基礎を壊す模様です。お社を守るなら、一番簡単なのは松の根を切ることですが、そっちを選択して欲しくないなあ。こんな素晴らしいクロマツは、そうあるものじゃないんだよ。どうなるんだろうなあ。

さて、巨木の紹介はこれくらいにして、実はここはアニメ『結城友奈は勇者である(勇者の章)』(2017-2018)の登場舞台です。登場人物達が通う讃州中学校のモデルとなった中学校が、そばにありまして、琴弾八幡宮が何度も登場してます。だからいわゆる聖地巡礼の場所です。

ついでに、このブログを書くにあたり、琴弾八幡宮を検索したところ。
琴弾八幡宮:
ご祭神:応神天皇 神功皇后 玉依姫命
創建:大宝3年(703)
本殿の様式:入母屋造
歴史:神仏習合の時代には当社が四国八十八ケ所の第68番札所だった。
現在はさぬき十五社の14番目。
伝承では、大宝3年 (703)3月、琴弾山で日証上人が修行していると彼方の空が鳴動し、琴を弾く翁を乗せた船が漂着。その翁は「宇佐より至る八幡大菩薩なり、この地の風光去りがたし」と告げ消え、上人はこのお告げを感得し、里人とおもにその船を神舟とし、琴とともに山頂に運び祀ったのに始まるとされ、社名の「琴弾」はそれに由来する。
大同2年 (807)四国を行脚中の空海が当社に参拝。琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来を描いて安置し、神仏習合の神社となった。
中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に使いをたて願文を納め、その子義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は一千貫文の土地を寄進した」
ふおおおお〜〜〜!!まさかの義経登場!!
義経は活躍時期が短いので、鎌倉にも所縁のものがない。なのに、まさかの!地元に残ってるなんてぇ〜!!しかも、この時義経が奉納した木の鳥居が現存してるんですよ!琴弾八幡宮の本殿へ上がる石段の途中に残ってるんだとか!し、知らなかったぁ〜〜!!うう。事前に知ってれば、この時本殿に参拝してたのに〜。
自分にがっかりだよ。
ちなみに、お相撲の佐渡ケ嶽部屋の力士の四股名に「琴」の字がついてるのは、「琴」弾八幡宮にちなんでいるんだって。
へえ〜?でもなんで?
調べました。wikiによりますと、佐渡ケ嶽部屋の11代の故郷が琴弾八幡宮がある香川県観音寺市出身なんだって。で「琴」の字は「今に王になるという意味」だと。で、現在も佐渡ケ嶽部屋の力士は四股名の頭に「琴」の字がついてるんだって。

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高良神社のクスノキ

2019年06月03日 05時21分28秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾公園周辺巨木探訪その2です。
高良神社さんは、四国八十八ケ所70番札所本山寺の北側に隣接しています。小さいころは本山寺の近所のパーマ屋さんが母のいきつけだったので、この辺りもよく来てたハズなのに、私の記憶からポッカリ抜け落ちてる神社さんでした。まさか数十年後、ここのクスノキの巨木目当てに来る日が来ようとは!!

巨木サイトによりますと、高良神社のクスノキ
樹高:31メートル、目通り幹囲:8、8メートル、 推定樹齢:伝承800年とあります。
ここも境内に目ぼしい説明板が見当たらず。ちなみに、目通り幹囲というのは、地上から高さ1、2メートル地点のもの。見ればわかるのですが、この木は根元辺りでぐっと広がっている。
こんな感じです。

根元から少し先で長細い隙間が見える。これってさ、1本の木が途中で二股になり、また先で1本になったというよりは、むしろ元は2本並んで芽吹いたものが、生長途中でくっついちゃったんじゃなかろうか?で。大概に押し合い上を目指したものの、必要なパワーが多すぎて、根元に力込めすぎました〜。やっちゃいました〜。とかいう声が聞こえてきそう。まあ見ようによれば、幼馴染が結婚し、喧嘩しつつも元気にやってます〜。という夫婦クスという見方もできるかも?まあ説明板が何もないからの当て推量ですが。
そして木はおろか高良神社さんの説明板もなかったよ。
webによりますと、高良神社のご祭神は玉垂命。
貞観14年(872)、現福岡県久留米市の筑後国一の宮高良大社から分霊を勧請したのが始まり。
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本山寺五重塔保存修理完了

2019年06月02日 05時40分09秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2019.5.5本山寺と琴弾公園周辺巨木さんぽ。
去年の夏、数十年ぶりに本山寺を訪問したら、五重塔に覆いがかけられ、修理に入っていた。ゴールデンウィークのある日母が「五重塔の保存修理が終わったよ」と教えてくれたので見物に。すると、内部見学ができたんです。
いただいたパンフレットによりますと、本山寺の五重塔は明治43年(1910)に上棟。5年後の大正4年(1915)に入仏供養が行われた。(中略)建立から百年以上経て、目視でもわかるほど塔身が北東側へ傾きはじめていました。平成25年(2013)の調査で、屋根の荷重を恥じらに伝える組み物の損傷や、柱と梁の間の隙間などが確認され、早急に解体修理の必要ありと判断されました。
説明のお坊さんによると、上の画像中央に写る並んだ小石は、経石です。お経から一字を書き、裏に門徒の名前を書いてあるそうです。経石の納められた周辺を巡ってると、紙に描かれた仏像を見つけた。
聞けば、今回の解体修復修理で塔は万全になったけど、本山寺の五重塔は建設年がわずか百年ほどで、三豊市の指定有形文化財ではありますが、県指定も国指定の文化財でもない。なので修理費は1円の援助もなし!本山寺の蓄えを全て放出して直したんんだって。うわ〜〜。いくらかかったんだろうか?よく足りたなあ〜。
え?足りなかったの??
実は五重塔には5体の仏像が納められていたけども、修復するお金が足りなかったとか。説明のお坊さんは「いつか5体の仏像が五重塔に戻ったら、5階まで見学可能にしたい。その際は私がご案内します」と。
そういえば、国宝の本堂横に、五体の仏像の修復費の寄付を募ってましたね。近い未来に修復された仏像に会いたいねえ。

急な階段を上がる。本山寺の五重塔の心柱はコウヤマキです。周りをパイプ鋼管で補強してあります。
「今回の修復工事で50メートルの強風が吹いても倒れないよう10本のワイヤーブレースを施しました」
木造の五重塔に後から鋼鉄を使って補強する意義に関しては専門家が議論をし、未来に残すのを優先して心柱補強策をとったとか。いつの日か、文化財指定されても大丈夫なように、可能な限りかつての瓦を最利用。
本山寺の五重塔は、高さ31、75メートル。(善通寺の約7割) 床面積18㎡(善通寺の約半分) 体積326、4立方メートル(善通寺の約1/3) 重さ約145、57トン(相輪0.67トン、瓦56、87トン、木部86、53トン、重量箱1、5トン)。
これを平成大修理で相輪・心柱(4本継ぎ)・四心柱(20本)は取り替えなしで全て最利用。側柱60本のうち1本取り替え。柱盤40本のうち28本取り替え。瓦23538枚のうち19486枚取り替え。鬼瓦20個のうち3個取り替え。風鐸20個のうち4個取り替え。風鐸舌はすべて新調。
この時のメモから興味深かったお話を抜粋。
「五重塔は地震でも倒れないという説もありますが、そんなことはありません」
「五重塔の解体で、地下1メートルに納められた瓶に米粒ほどの骨が2つ納めてありました」
そもそも五重塔は、お釈迦様の骨を収めるもの。本物のお釈迦様の骨じゃないと思うけど、骨が納めてあったのが証明されたのは発見だよね。
2階で説明を聞き、「ご希望の方はそこから出られます」と。
希望する!勇んで出たのは私だけ。
あれ?
ま。気にしない〜。もう二度とここを歩けると思んので。
素敵でしょ?奥の大きなお堂が国宝の本堂です。この角度で観れる日が来ようとは!
ぐるりと周り奥に見えるのは納経所だっけ?
2階の軒下。梵字が刻んであります。下から見上げても見えなかったよな〜。
4面に梵字が刻まれていて、字は違ってました。
2階軒下の木組み。
本山寺の巨木。この角度で全景が観れるなんて素敵〜。
1周して塔の中に戻ると、すでに母もダンナも階段を降りた後で、説明してくださったおぼうさんだけが待っていた。
こちらは1階の軒下。2階の軒下より派手。ってか数も彫刻も多いね。
ちなみに、母が説明してくださったお坊さんに「サッカーの前園さんがここを見学されてた番組で見かけた気がします」と尋ねれば「私が説明させていただきました」と教えてくれた。ってか、母よ。記憶力すごいね。私、帰りにこちらのお坊さんとすれ違っても、判別できんかもしれん。何しろ説明中はメモ書きと撮影に忙しくてお坊さんの顔観てなかったし。
ちなみに、こちらは前回7月に本山寺を参拝した時に見そびった門。
あと、私が若かった時に除夜の鐘をついた鐘楼。けど、今は除夜の鐘をつくことできないんだって。残念ね〜。
帰りにもう一度本山寺の五重塔を眺める。
あ!お母さん、まだ帰らんから〜。隣の高良神社さんの巨木を観に行くから〜。

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本山寺の五重塔リベンジ編

2019年06月01日 05時23分57秒 | 香川の巨木と神社仏閣
今日から2019.5.5に私・ダンナ・母3人で巡った本山寺と琴弾公園周辺を巨木さんぽを紹介します。
本山寺というのは、四国八十八ケ所霊場第70番札所のことで、実家の近くにあるので、若い頃は正月餅を作り終え、紅白歌合戦の勝敗が出る頃に自転車に乗って本山寺に駆けつけると、運が良ければ除夜の鐘をつけたという思い出のお寺さんです。
去年の夏、甥っ子の結婚式出るために帰省しました。その折り、数十年ぶりに母と本山寺に足を運びました。すると、本山寺の五重塔が修復中で覆いがかかってたのですよ。もうガ〜ン!ってなものです。
ゴールデンウィークに帰省したら、母が「本山寺の五重塔の修復が終わったで?」と教えてくれた。
何ですと!!「見たい!行こう!」と脊髄反射で言っちゃいました。幸いゴールデンウィークの切符取りの初動が遅れたので、観音寺発17時10分の特急しおかぜです。見物する時間はたっぷりある!となると、巨木探訪もからめたいんじゃ!では出発じゃ!!
10時42分本山寺到着。
トップ画像は室町時代中期に建立された重要文化財の二王門です。
二王門をくぐると、念願の五重塔が見えましたっ!これが見たかったんや〜!!
何はともあれ参拝です。
正安2年(1300)に京極氏と佐々木氏の寄進によって再建された本堂は国宝に指定されています。
半蔀だったのね。
源氏物語に登場する半蔀が見たいと思っていたのに、まさか近所のお寺さんにあったとは!
ン??
五重塔特別見学会ですと?
春季:5月3日〜6日
秋季:11月2日〜4日 共に午前9時より午後4時半まで
志納料:お一人1000円(五重塔本尊5件修復浄財とします)
受付:五重塔正面にて
*毎時30分間隔にて10名程度づつ2層目まで説明見学します。 長時間お待ちいただく場合もあります。
ふおおおおお〜〜〜!!五重塔に入れる〜??だがしかしお値段がぁ〜〜!!
志納料というのは拝観料として納める金銭のことです。五重塔の2階に上がるだけで1000円は躊躇しちゃうわ〜。どうしよ?
ま、考えるのは後回し。見学は毎時30分間隔なのですよ。
あれ?お母さん何しとん〜?私が悶々と考えてる横で、母が怪しい動きしてた。
見れば、本堂の側で枯れ木地蔵堂の建て替えの寄進を募っていて、瓦代を1枚2000円で募ってました。その箱に母が2000円を投入済み。で「住所と名前を書けるで?」と。
去年の10月、父が急死しまして、本当の急死で前兆も全くなかったので家族親族は仰天しました。なので母は今父のために信心したいブームなのだ。タイムリーな枯れ木地蔵堂の再建。枯れ木地蔵の瓦なら許せる。なので、私と母とダンナの3名の名前を書き込んでおいた。
ちなみに枯れ木地蔵さんを私がお気に入りなのは天狗伝説があるからで、wikiによりますと、「枯れ木地蔵堂とは、空海に頼まれ本山寺建立の用材を運んでいた深山の天狗が1本の木材を落とした。後の世に発見されたその木で地蔵菩薩を刻んで安置したといわれている番外霊場の一つです。」と解説されてました。
先に本山寺の巨木鑑賞へ。
巨木サイトによりますと、
本山寺のクスノキ:樹高19メートル、目通り幹囲5、4メートル、推定樹齢:伝承700年とある。
西門の左右に巨木が2本。痛恨だったのは、ダンナにハイライトで門の前に立ってもらうのを忘れたこと。いや〜〜、抜かったわぁ〜〜。五重塔に浮かれてしまったよ。
あ。五重塔だ。見学どうすっかな〜??
軒下の木組みを見上げて考えてたらば、背後から「見学ですか?」と声を掛けられた。
ハッと振り返ったら、若いお坊さんがいらっしゃった。
そうなのね。そもそもとっても見たいんですよ。本山寺さんは実家の近所にあるのに、一度も五重塔に入ったことはなかった。ましてや登れるとは思ってなかったんです。
「はい!見たいです!!」とまたしても脊髄反射で答えてしまった。
でもここは3000円支払うよ!と財布を取り出したら、さっと母が先に出してくれた。が〜〜ン!う、嬉しいよ。本音はとっても嬉しい。けども、母に出してもらってはイカンのです。けども、今それで揉めてる場合ではない。
頭を切り替え、いざ見学開始。

四国88ヶ寺70番札所本山寺 - あられの日記 こちらの記事は、去年の7月に訪問した時のものです。

本山寺基本情報:四国八十八ケ所第70番札所
山号:七宝山
宗派:高野山真言宗
本尊:馬頭観音
創建:伝大同2年(807)
開基:伝空海(弘法大師)
歴史:寺伝によれば、大同2年、平城天皇の勅願寺として、空海が自ら刻んだ馬頭観世音菩薩像を本尊、阿弥陀如来と薬師如来を脇侍として開創した。
中世には寺領2000石、24坊を持つ大寺となって栄えた。
天正年間(1573−1593)、長宗我部氏の戦により諸堂を焼失したが、本堂と仁王門(重要文化財)は焼かずに撤退した。

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