あるBOX(改)

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橘家円蔵師匠、10/7に亡くなっていた

2015年10月18日 | 芸能
1960年代から月の家円鏡として活躍し、1980年に
橘家円蔵を襲名するまで茶の間の人気者として
知られた師匠でした。

円蔵襲名後は、古典の人情噺も積極的に手掛けて、
高座メインに転換した印象がある。

1965年に真打昇進した頃、当時の落語界は、まさに
隆盛期。
古今亭志ん朝、立川談志、三遊亭円楽とともに、
若手真打ち「四天王」と呼ばれた。

ナンセンスなギャグとトレードマークの黒縁眼鏡で、
他の3名とは異なる才覚を見せた。
よい意味での「軽妙さ」「ヨイショ!」で時代の寵児と
なった。

「お笑い頭の体操」などのテレビ番組で活躍。
奥さんネタの「セツコが・・・」も大当たり。
焼き肉のタレ、眼鏡拭きのCMでも有名になり、
ラジオでも番組を持ち、知名度は全国区となった。

2010年6月に節子夫人を亡くしてからは、体調を崩して
高座から遠退いたそうで
最後の高座は2012年9月浅草演芸ホール下席だったとの事。

享年81歳。亡くなった原因は心室細動。
葬儀は近親者で営まれた。



月並みな言い方だが、先立った奥様や「アニさん」と慕った
談志師匠と再会なさってる事でしょう。

今度は、あの世の皆さんを笑わせて下さいませ。

談志師匠とは「歌謡合戦」を再現して下さいませ。
※談志師匠に「ある意味で最高傑作」と言わしめた、
 ナンセンス掛け合いラジオで御座います。

「四天王」も全員お亡くなりになってしまったなぁ・・・。
勢いと頭の閃き、瞬発力で一世を風靡した円蔵師匠の
「夫人を亡くしてからは体調を崩し、高座から遠退いた」
なんて話は、聞いてて本当に寂しい。

月の家円鏡/橘家円蔵師匠の御冥福を心より御祈り申し上げます。

河野公平が亀田興毅を判定で降し防衛(2)

2015年10月18日 | ボクシング
プロボクシング
【WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ】
米シカゴUICパビリオン 10月16日(日本時間17日)

○河野公平 判定12R 亀田興毅

渡辺会長がこだわったカードとも言えたが実現には困難があった。
 
亀田は、次男・大毅のIBF世界スーパーフライ級戦問題で、
昨年2月にJBCから国内ライセンスを剥奪され、日本での試合が
できなくなっていた。

だが、WBAで上位にランクされていた興毅と、昨年3月に王者と
なった河野との指名試合をWBA本部は指令。

国内ライセンスの再取得へ向けて動いた亀田だったが、困難ゆえに
3兄弟共に米国へ活動拠点を移行。

最終的に両陣営ともに海外での指名試合を行うことで合意。
当初は、7月に行われる予定だったが、河野が肋骨を骨折したために
延期されていた。
その結果、今回の試合は海外で日本人同士が対戦した初の世界戦となった。

河野は、昨年の大晦日以来の2度目の防衛戦だったが、ブランクを
感じさせない試合だった。

中盤以降、「いきなりの右を見せて顔面に左フックを狙う」展開
など見せて欲しかったが、これは相手が左利きだったり距離や
タイミング面での事もあるから、狙ってても出せなかった可能性も
ある。

以前は判定に恵まれなかった選手だが、距離を取ったらしっかり
ジャブを突くなど、ジャッジ受けも考えたボクシングに進化して
いるとも言えるでしょう。

試合後、河野は「この試合にすべてをかけてきた。亀田から
ダウンを奪えて嬉しい」とリング上の勝者インタビューで返答。

試合前「日本人初の4階級制覇を目指す」と言っていた亀田だったが
敗戦後は「前から決めていた。スパッと辞める」と現役引退を表明。

河野の戦績は31勝(13KO)8敗1分け。
亀田は33勝(18KO)2敗。日本人へは初黒星となった。

◆河野公平(34歳)東京都出身
 2000年11月、プロデビュー。
 2012年12月、3度目の世界戦でテーパリット(タイ)にKO勝ち、
 WBAスーパーフライ級王座獲得。
 2013年5月、暫定王者のソリス(ベネズエラ)に敗れ初防衛失敗。
 2014年3月、デンカオセーン(タイ)にKO勝ちし同王座返り咲き。
 同年12月、ヒメネス(ドミニカ共和国)と引分で初防衛。
 今回の亀田戦で2度目の防衛に成功。

◆亀田興毅(28歳)大阪市出身
 2003年12月、プロデビュー。
 2006年8月、WBAライトフライ級王座決定戦でファン・ランダエタ
 (ベネズエラ)に判定勝ちし王座を獲得したが、「疑惑の採点」
 として世間を騒がせた。
 2009年11月、内藤大助に判定勝ちしWBCフライ級王座獲得。
 2010年3月、実力者ポンサクレック(タイ)に敗れプロ初黒星、
 王座を失う。
 同年12月、WBAバンタム級王座決定戦で元Sフライ級王者ムニョス
 (ベネズエラ)に勝ち、同級王座を獲得。防衛の後、王座を返上。
  
・・・そうか、亀田興毅はバンタム級王座を8度も守ってたのか。
印象にないなぁ。

まぁ、今回の試合後に河野を祝福し、河野陣営に歩み寄って健闘を
称えあっていた姿は立派でした。

色んな意味で[足跡]は残した選手だし、
「注目を集める選手を作る」というテストケースにはなったと
思います。

業界の「良識派」は、敢えて逆の育成に走ろうとしますが、
頑なに強敵をブツけて折角の好素材を潰してしまうケースもあり
「巧妙な育成」というテーマを拳闘界に残していった存在とも
言えるでしょう。

渡辺会長は、知名度ある亀田と愛弟子を対戦させ、河野を
ブレイクさせたい・・・という親心だったんでしょうが。

さてさて
その点は、どんなオチになるんでしょうねぇ・・・。