横浜シネマリン
「ニッポン国vs泉南石綿村」を見終わって殆ど直ぐに
「全身小説家」。
原一男監督特集であるから、とうぜん疾走プロ。
平成4年5月にガンで亡くなった小説家・井上光晴の晩年
5年間を追ったドキュメンタリー。
映画では、彼が文学を教える生徒や、埴谷雄高、瀬戸内
寂聴らの証言を通して、井上光晴の文学活動と撮影開始
直後に発覚したガンと闘う姿を生々しく撮られている。
故郷でのリサーチなどから明らかになる井上光晴氏の
虚構も再現映像を駆使して表現。
※100%ドキュメント映像じゃなかったんだな。
映画の開始直後、白髪混じりにかかわらず青年のような
語り口で仲間と文学を語る主人公。
彼に心酔するファンや生徒の姿も、今から見ると幾分時代
掛かっている。
共産主義や学生運動の残り香も匂ってくる。
しかし、
井上光晴氏の底なしのサービス精神が明らかになるにつれ、
「虚飾は悪いことなのか?嘘は本当に悪なのか?」そんな
疑問さえ湧いてくる。
虚飾もサービス。
原一男監督も暴くのでは無く、淡々と虚と実を並べていく。
圧巻は肝臓の部分摘出手術だ。
かっ捌いているトコロをモロに延々と撮影している!
血に弱くてヘタレな私は少し手足が冷たくなりましたよ。
ここまで撮るのも凄いし、撮らせる方も凄い。
「あの奥崎謙三を撮った男がオレを選んだのか」という
高揚もあったのかも知れない。
まさに出血大サービスだ。手術まで見せるサービスだ。
虚飾にも一分の理。いや、もっと分がある理を感じた。
「死」までもがおもてなし。
対象を否定しない原一男監督は一貫している。
やはり凄い。
映画はこちらの思い込みをはぐらかすように終焉へ。
ポスターからのイメージは、虚飾を暴かれ、突きつけら
れた老小説家が負けを認め
「もうイイでしょう、充分でしょう。それじゃあね」…と
寂しく去って行くというものだった。
作家と取り巻きの安い関係? 面倒臭い文学談義?
しかし覆されたのは私のチープな固定概念だった。
病に冒されなければ堂々と継続したであろう日常。
それは最後まで営まれた。
原一男監督も井上氏へ虚飾の過去を直接突きつける事は
しなかった。
「全身小説家」
末期の癌さえも奇跡的に持ち直すと虚を張り、そう思い
込もうとしたのかも知れない。
身体の中の病理まで曝け出し、さらに創作物にしようと
する性分。習性。
それが敗北する訳などないのだ。
作品の面白さは言うに及ばず、原一男監督の映画タイトル
センスも当時を席巻した。
「ゆきゆきて、〇〇」に続き「全身〇〇」という言葉が
サブカル界隈で使われまくった。
脱帽で御座います。スクリーンで見れてよかったです。
原一男監督と、横浜シネマリンさんに感謝です。
「ニッポン国vs泉南石綿村」を見終わって殆ど直ぐに
「全身小説家」。
原一男監督特集であるから、とうぜん疾走プロ。
平成4年5月にガンで亡くなった小説家・井上光晴の晩年
5年間を追ったドキュメンタリー。
映画では、彼が文学を教える生徒や、埴谷雄高、瀬戸内
寂聴らの証言を通して、井上光晴の文学活動と撮影開始
直後に発覚したガンと闘う姿を生々しく撮られている。
故郷でのリサーチなどから明らかになる井上光晴氏の
虚構も再現映像を駆使して表現。
※100%ドキュメント映像じゃなかったんだな。
映画の開始直後、白髪混じりにかかわらず青年のような
語り口で仲間と文学を語る主人公。
彼に心酔するファンや生徒の姿も、今から見ると幾分時代
掛かっている。
共産主義や学生運動の残り香も匂ってくる。
しかし、
井上光晴氏の底なしのサービス精神が明らかになるにつれ、
「虚飾は悪いことなのか?嘘は本当に悪なのか?」そんな
疑問さえ湧いてくる。
虚飾もサービス。
原一男監督も暴くのでは無く、淡々と虚と実を並べていく。
圧巻は肝臓の部分摘出手術だ。
かっ捌いているトコロをモロに延々と撮影している!
血に弱くてヘタレな私は少し手足が冷たくなりましたよ。
ここまで撮るのも凄いし、撮らせる方も凄い。
「あの奥崎謙三を撮った男がオレを選んだのか」という
高揚もあったのかも知れない。
まさに出血大サービスだ。手術まで見せるサービスだ。
虚飾にも一分の理。いや、もっと分がある理を感じた。
「死」までもがおもてなし。
対象を否定しない原一男監督は一貫している。
やはり凄い。
映画はこちらの思い込みをはぐらかすように終焉へ。
ポスターからのイメージは、虚飾を暴かれ、突きつけら
れた老小説家が負けを認め
「もうイイでしょう、充分でしょう。それじゃあね」…と
寂しく去って行くというものだった。
作家と取り巻きの安い関係? 面倒臭い文学談義?
しかし覆されたのは私のチープな固定概念だった。
病に冒されなければ堂々と継続したであろう日常。
それは最後まで営まれた。
原一男監督も井上氏へ虚飾の過去を直接突きつける事は
しなかった。
「全身小説家」
末期の癌さえも奇跡的に持ち直すと虚を張り、そう思い
込もうとしたのかも知れない。
身体の中の病理まで曝け出し、さらに創作物にしようと
する性分。習性。
それが敗北する訳などないのだ。
作品の面白さは言うに及ばず、原一男監督の映画タイトル
センスも当時を席巻した。
「ゆきゆきて、〇〇」に続き「全身〇〇」という言葉が
サブカル界隈で使われまくった。
脱帽で御座います。スクリーンで見れてよかったです。
原一男監督と、横浜シネマリンさんに感謝です。