04/03 中央区立阪本小学校
04/06 日本水難救済会/芙蓉海洋開発
04/09 巴歯科
04/12 日進畜産本店
日進畜産本店
所在地:港区 東麻布2-34
構造・階数:木・2
解体年:1995〜97(平成7〜9)
Photo 1995.2.5
日進ハムで知られる日進畜産工業株式会社は、1916(大正5)年創業の老舗。
ハーフティンバー風の大型洋風2階建てのこの建物は、同社の本店だったもの。写真の1、2年後に解体され、跡地には日進ワールドデリカテッセンが1998(平成10)年にオープンした。
写真後方の高架は首都高速都心環状線で、店舗は環状三号線の南側、古川と首都高速の間の敷地に建っていた。なお、日進ワールドデリカテッセンも現在は環状三号線の北側(東麻布2-32)に移転している。
2階庇の上には「日進 Nissin 畜産 Meat Shop」の文字が壁面に張り付けられており、また2階庇には白字で「MEAT RUSH AZABU GARDEN」と書かれている。一方、1階庇の上には「本場 出世牛 特選肉 純欧風 高級趣味のハム」の文字が壁面に付けられ、また1階庇にも白字で「MEAT RUSH OUTLET STRIKE GOLD ! WHOLESALE PRICES」と書かれている。「出世牛」というのは聞いたことがない言い方でちょっとおもしろい(現在はこの言い方は用いていないようだ。)。
日進畜産工業株式会社<日進ハム>
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巴歯科+T邸
所在地:港区 虎ノ門3-16-5
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 2008.5.21
左右対称で出窓がある洋風2階建て。中央に2ヶ所玄関扉があるのでメゾネット形式だったのかもしれない。かつては歯科と住宅だったそうだが、私が撮った頃には既に廃業していてどちらが歯科だったのかは分からず。昔の住宅地図等によれば、歯科があったのは1960年頃から2004年頃までだったようだ。
少し前までは高齢の女性が玄関先の植木の手入れをしたりしていたが、昨年取り壊されたという(SNS情報による。現地は未確認)。
虎ノ門の古いメゾネット 港区虎ノ門 - 東京ノスタルジア
虎ノ門のモダンアパート
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芙蓉海洋開発
所在地:港区 海岸3-33-17
構造・階数:RC・3+R2
建設年:1937〜44(昭和12〜19)頃
解体年:2013(平成25)頃
Photo 2011.4.11
レインボーブリッジそばの海沿いにあった古そうな建物。撮影時は芙蓉海洋開発という会社が使用していた。ドラマのロケ地にもなったりしていたようだが、日本近代建築総覧にも載っておらず、やや謎めいた建物だった。
いつ頃建てられたものか、また当初の用途もよく分からない。以下は古い住宅地図や航空写真などで調べた範囲で判明した事柄。
1936(昭和11)年9月12日撮影の陸軍航空写真には写っていない。
1944(昭和19)年10月16日撮影の陸軍航空写真にはこの建物らしきものが写っている。
1946(昭和21)年4月9日撮影の米軍航空写真にも写っている。
上記のことから、この建物は1937〜44年頃に建てられたものらしい。塔屋最上部の壁には「東京救□所」(4文字目は判別できず)の文字が右から左に書かれている。
一方、建物の用途については、当初や戦後しばらくの用途を記した詳細な地図資料が見当たらなかった。このエリアは戦前・戦後の火災保険特殊地図も残っていない。
ただ、この少し北側エリアの火災保険特殊地図(1954(昭和29)年3月作成)があり、この周辺の港湾エリア(芝浦埠頭周辺)は「駐留軍用地」と記されている。この建物も向こう側が海なので、戦後は恐らく駐留軍(GHQ)が使用していたのではないかと思われる。同地図では駐留軍用地がフェンスで囲まれ、ところどころにゲートがあったらしいこともわかる。
建物の東側壁面(2枚目写真)の2階と3階の間には「PORT DIRECTOR TOKYO」の文字がうっすら残っていた。港湾局(もしくは港湾局長)を意味するようで、駐留軍利用時の状況を示す痕跡だったのかもしれない。
GHQは1952(昭和27)年に廃止されたので、この地域もその後返還されたのではないかと思うが、1960年代頃の用途は把握できず。
都立中央図書館でゼンリンの住宅地図をおよそ10年おきに確認してみたところ、1973年と1981年には、「日本水難救済会」と記されている。公益社団法人日本水難救済会は「海や海浜での遭難者や船舶などを救助するボランティアの団体の全国法人」だそうで、現在は千代田区麴町に所在している。1889(明治22)年に大日本帝国水難救済会として設立された歴史のある組織なので、この建物がその本部だとはちょっと考えにくく、なんらかの出先だったのではないだろうか。
また、1992年の住宅地図には、東京情報安全管理室芝浦分室、首都高速道路技術センターと記されている。
東京情報安全管理室は、現在は東京湾海難防止協会になっている組織。上記の日本水難救済会とは異なるが、共に海の安全に関わるもののようで、なんらかの関連はあるのかもしれない。
首都高速関連のオフィスについては、この時期、南側の海上でレインボーブリッジが建設中(1987年着工、1993年完成)だったので、それと関連があるのかもしれない。
2001年の住宅地図では芙蓉海洋開発(株)。Google ストリートビューで確認したところ、この建物は2013年頃に解体されたようなので、同社は解体前までここを利用していたようだ。
なお、跡地には東京ベイサイドビル(RC造・6F)が、2015年5月に竣工している。
日本水難救済会 - Wikipedia
海洋エンジニアリング(旧 芙蓉海洋開発株式会社) - Wikipedia
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中央区立阪本小学校
所在地:中央区 日本橋兜町 15-18
構造・階数:RC・3
建設年:1928(昭和3)
解体年:2017(平成29)
Photo 2016.10.18
関東大震災後に復興小学校として建てられた小学校のひとつ。かつては中央区内の多くの小学校が震災復興小学校建築だったが、統合や老朽化などを理由とした建て替えで次第に減ってしまい、今では数ヶ所のみになっている。
界隈はかつては坂本町だったそうで、震災後の1933年に兜町になった。隣接の公園は坂本町公園で、旧町名を残している。一方、明治初期に開校した阪本小学校はなぜかこざと偏の「阪本」を用いている。町名と漢字を違えた理由は分からないそうで、現在に至るまで公園と学校では文字が異なる状態が続いている。
復興小学校の多くはモダニズムか表現派あたりのデザインを用いている。阪本小学校は基本的にモダニズムだったようで、窓が大きく明るい印象だ。アーチやオーダー柱などの装飾はほぼない。外壁面の柱と窓まわりの壁との間に段が付けられているのが目立つ程度だ。ちょっとだけアールデコ、なんだろうか。
後の時代になって電気系の配線・配管、エアコンの室外機やダクトが取り付けられたりしたため、全体的に雑然とした感じになってしまっていたのは残念。
震災の経験を踏まえ、復興小学校は災害時に一体的に利用することを想定して、小公園に隣接して建てられている。阪本小も上述の坂本町公園に隣接している。
阪本小学校は、2017(平成29)年9月に校舎建て替えのため、坂本町公園に建てられた仮設校舎に移転。
新校舎は2020(令和2)年に竣工した。6階建て(一部7階)地下1階で、小学校の教室、職員室などと体育館、屋上校庭、認定こども園が入る複合建物だそうだ。体育館と一体化していて屋上に校庭があるところなどはいかにも都心の小学校らしいが、個人的にはどうも馴染めない・・。
東京都中央区立阪本小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
中央区立阪本小学校/日本橋兜町 - ぼくの近代建築コレクション
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