銀座、中央通り沿いに建つ越後屋ビルは、とても銀座らしいビルだと改めて思った。
越後屋ビル
所在地:中央区銀座 2-6
建設年:1931(昭和6)
構造・階数:RC・6F(後年7Fを増築)
Photo 2005.6.12
前の記事で、秋葉OLさんもコメントして下さったが、まわりの建物とよく馴染んでおり、ぱっと見では築70年以上の近代建築とは気づかない佇まいをしている。
街の雰囲気が比較的好きなので、銀座をぷらぷら歩くことは多いのだが、私自身は、二、三年前まで、越後屋ビルという近代建築が残っていることは知らなかった。1階部分が改築され新しくなっているので、ぼんやり歩いていると古いことに全く気づかない。注意して上の方を見ない限り、装飾的壁面が目に入らないので、長い間古い建物だと思いもしなかった。両隣の建物に挟まれて、街並みとして馴染んでいて、古い建物の気配が消えていた感じもある。また、銀座の表通りの古い建物なんて、和光と教文館、三越ぐらいしかないだろうという個人的な先入観もあった。ところがリストをもとに探してみたら、意外にも残っていて、初めて気づいた時はかなり驚いたものだ。以後、銀座に行くとなんとなく見に行きたくなる建物であり続けている。
銀座越後屋の歴史は古く、京橋伝馬町に店を構えたのが1755年、その後、現在地へ移って、現当主で8代目なんだそうだ。関東大震災で被災した後、現在の建物が建てられ、戦災にもあったが改装して使い続けているという。老舗がずっとここで営業して、建物にも70年以上の歴史があることに改めて驚かされる。
以前にもリンクを張らせて頂いた「街の風景」というサイト内の「銀座散歩」にも、越後屋ビルディングは載っている。それによると、もともとは正面ファサード全面に細密な装飾が施されていたが、現在は6階に残るのみなのだという。和光のように装飾が全面に残っていたら、一目で近代建築だと分かるのだが、越後屋はそうではなかった。
改めて写真で全体像を見てみると、比較的最近改装されたと思われる1階、建設当初の装飾が残る2・6階と軒先、戦後に改修されたためか、ややあっさりした3~5階、戦後に増築された7階というように、改修しながら使い続けてきたことが外観にも現れている。
6F・軒先の装飾
Photo 2005.6.12
窓まわりには螺旋状の模様が付いた付柱。アーチ下の柱がないのは、窓枠をサッシにした時に取ってしまったからか。手摺があるので、当初は中央部にも窓があったのだろうな。軒先部分はカクカクしたデザインの装飾。幾何学的な装飾からアール・デコとも言われるそうだ。同様に2階の窓上の彫刻も幾何学的な形。
最初にも書いたとおり、越後屋ビルは周囲の建物群と馴染んで調和している。その一方で、近代建築として華やかな装飾がある壁面を持ち、派手ではないが特徴のある個性的な姿を見せている。
銀座の建物は、基本的なヴォリュームなどは似通っていることが結構多く、壁面の位置も揃っている。が、建物壁面のデザイン、表情は実に多様で、古いものから新しいものまで、さまざまな姿を見せている。越後屋ビルのように、周囲の建物と連続性を持ち、調和を保ちながら、多様性や個性を見せるのが銀座らしいビルなのではないかと思う。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス #商業系
某丸の内通の方からの依頼?を受けて、銀座の建物を確認しに行く。
(左)越後屋ビル西側 (右)閉店のお知らせ看板 Click 360*480 Pixel
Photo 2007.1.23
建て替えなのでは?という情報に間違いはなかったようだ。裏通り側のテナントの店先には閉店のご挨拶という立派な立看板があった。しかし閉店通知がこんなにしっかりしているのは珍しい。やはり銀座だからだろうか。閉店理由が建て替えということだと、他のテナントはどうなのか気になる。表の中央通り側に廻ってみる。
越後屋ビル 中央通り側1F
Photo 2007.1.23
1FやB1Fの店舗はまだ営業していた。しかしテナントを表示するサインはところどころ隠されている。閉店のお知らせの貼り紙も2,3あった。どうやらこの建物もテナントが退去したら解体され建て替えられるらしい。
越後屋ビル 中央通り側ファサード夜景
所在地:中央区銀座 2-6
建設年:1931(昭和6)
構造・階数:RC・6F(後年7Fを増築)
Photo 2007.1.23
道路の反対側から見ると、やはりいくつかの階は真っ暗だった。しかしテナントの約半数はまだ営業しており、今すぐ解体というわけではなさそう。具体的な工事計画等の掲示もなく、解体時期は不明。建て替えの意向が大家さんから出され、テナントが移転先を探したりしている状態なのしれない。 築75年余り。まだまだ現役で頑張れる気がしていたんだけど。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #近代建築 #街並み 中央区 #夕景・夜景
実は、昨年12月にラジオで階段についてお話をする機会がありました。
昨年9月にY新聞で、階段マニア?として紹介される機会があり、それを御覧になったNHKの方からお声が掛かった次第。
声だけの世界で、現場の風景を巧く伝えるのは難しいなーと思いながら、なんとか録音した次第で、正直言って納得できてないところも多々あり、そんなわけであまり広報活動もせずに放送を迎えたわけなんですが・・・。
で、なぜ今頃になって、後出しでご報告するかと申しますと・・・。
なぜか、この録音が再放送されることになっちまったんです。
おいおい。あれって再放送するに耐えるものなのかな・・・。
まあいいか。お耳汚しですが、Blogの文章だけでなく、声も聞いてみたいという奇特な方はどうぞ。
NHKラジオ第一放送
2月6日(火)午前1時10分頃から(2月5日深夜25時10分頃~とも言えます。)
ナイトエッセイ・再放送
タイトル「昇って下って12年~わが階段人生」
NHKの方から提案されたタイトルなんですが、ちょっと照れくさい響きです。人生山あり谷ありみたいな感じだし。
昨年12月の放送時は、12月4日~7日の4日間で、8~9分ずつ4回に分けての放送でしたが、今回はまとめて4本を一気に再放送するそうです。
最後まであまり自信がなかった放送だったのですが、ともあれ、再放送して頂けるというのは有り難いことです。世の中には階段好きな人もいるんだと改めて広めて頂けるわけですから。
#マスメディア
銀座から有楽町へ。なくなりそうな建物をもういちど見に行く。
三信ビル(左)と、建設中のザ・ペニンシュラ東京(奥)
Photo 2007.1.16
帝国ホテルの方から日比谷シャンテ前の広場に辿り着く。目の前には灯りのない建物が佇んでいた。
御存知の方も多いと思うが、三信ビルは建て替えの意向が示され、ほとんどのテナントは退去した。平日の午後6時頃だったが、2階以上の階には全く灯りが無い。わずかに1階東側の玄関とアーケード部分にのみ灯りが点る。
さて、シャンテの前から見ると、東宝ツインタワービルの広告塔に照らされて、晴海通りの向こう側にもう一つ灯りのない高層建物が。以前、日比谷パークビルだったところに建設中の、ザ・ペニンシュラ東京。24階建ての高級ホテルが今年中に完成するそうだ。
なんとなく撮った一枚の写真に、真っ暗な建物が二つ。でも両者の置かれた立場は全く反対。一つは惜しまれつつ去りゆく建物。もう一つはこれから歓迎され登場する建物。両方の建物に灯りが点った写真は、たぶん撮れない。
三信ビル玄関
Photo 2007.1.16
東側の玄関から中を覗いてみると、営業しているのは、カフェグリル・ニューワールドサービスのみになってしまっている模様。がらんとしたアーケードに、一つだけ置き看板がぽつんと置かれている。
解体を惜しんで内部に勝手に入り込まれたりするのを避けるためだろうか。階段は封鎖され、アーケードも東側部分しか立ち入ることが出来ないようだ。もの悲しい建物になって(されて)しまった。「ハイハイ、お店が出て行ったらすぐに壊しますからねー」という、ビジネスライクな感じ。中に入ってみようかとも思ったが、なんだか急に見たくない気になってそのまま帰ってしまった。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #近代建築 #夕景・夜景 #オフィス
私事で恐縮ですが、現在発売中の「東京人」2007.2月号「たてもの保存再生物語part2」(都市出版)に、拙HPにもある写真が掲載されております。掲載ページは、P.53とP.54。載ってますっと言っても、名刺より小さなサイズなんですが・・・。
建築写真家で有名な増田彰久さんの写真などがたくさんある中で、何故よりによって私の写真なぞも使われたんだろうか・・・恐縮です。
あっ、文章は全く書いておりません。写真だけ、です。
拙HPでは同じ写真が以下にあります。こちらもどうぞ。
JRビル(旧鉄道省、旧国鉄)
竹平寮(旧憲兵隊下士官官舎)
写真の貸与依頼があったのが12月の中頃で、1月最初には書店に並んでしまうのだから、雑誌のスピードは速いなぁ。
また、拙Blogでも以前ご紹介した、喜久屋ビルについてもP.88に記事があります。近代建築の写真や記事が多数あり、最近の保存などの動向も分かり興味深いです。
というわけで、本日は「東京人」勝手にPRでした。
正月早々風邪を引いて不調。なんだかなー。というわけで遅ればせながら今年もよろしく。ってかもう一月後半だし・・・。
さてさて、16日は中央区区民カレッジで講義(一応先生・・・)。熱心な方もいらして、終了後に突っ込んだ質問もありタジタジ。ともあれ、初回は無事終了。ホッとしつつ、帰りがけにぶらぶら歩いていたら、結局、銀座に到着。すると、三愛ドリームセンターの屋上広告塔がリコーになってた!
三愛ドリームセンター・RICOHの広告塔
Photo 2007.1.16
昨夏まではvodafoneで、鮮やかなオレンジのサインだった。秋に工事が始まったので、今度は何の広告になるのかなぁと思っていたら、RICOHでした。いま使っているカメラがRICOHなので、親近感ありありで早速撮影。
リコーのニュースリリースによれば、昨年の12月22日から点灯し始めたんだそうだ。RICOHは昨年、企業ロゴも変更したそうで、シンプルな大文字書体になっている。文字は目立つけれど、背景がちょっと地味かも。時間によって明るく光ったりするのかしら?
San-aiのWeb Site内には、1963年に建設されたこの建物の歴史に関するページがあり、屋上広告の移り変わりも知ることができる。→「三愛ドリームセンターの歴史」
屋上の広告は30年以上に渡って三菱だったが、1990年以降は数年おきに替わっている。
1963.1~ 三菱のスリーダイヤ
1990.5~ San-ai
1994.12~ Coca-Cola
2000.3~ サントリー「響」
2004.3~ vodafone
2006.12~ RICOH
手許の写真を見てみたら、意外にも全種類撮っていた。
日本で最も有名な交差点と言えば、やはり銀座4丁目交差点。この交差点が有名であり続けるのは、銀座という場所性ももちろんあるのだろう。だが、角地建築として非常に印象的な、和光と三愛は、銀座4丁目交差点という「場」を創ることにかなり大きく寄与していると思う。三愛とその広告塔は、銀座の風景の重要な要素になっている。だから屋上広告塔の変化も気になって、何度も写真を撮ってたんだろうな。これからも折に触れて撮っていこう。
三愛ドリームセンター・三菱スリーダイヤだった頃
Photo 1988.2.28
この写真も、もう20年近く前。時間が経つのは早い。
#新しい建物 中央区 #街並み 中央区 #夕景・夜景 #商業系
#林昌二(日建設計)