04/03 相坂りんご倉庫
04/06 バンビ保育園/旧 松田医院
04/09 川口染工場
04/12 天香堂 倉庫
04/24 弘都交通
04/27 旧 福乃湯
04/30 上土手町商店街振興組合事務局 ほか
上土手町商店街振興組合事務局 ほか
所在地:弘前市 土手町151
構造・階数:木・2
解体年:1998〜03
備考 :道路拡幅に伴い解体
Photo 1998.8.25
土手町の通りは訪れた頃に道路拡幅事業が始まっていて、この後、沿道の建物は建て替えられていった。
上写真左側のモルタル看板建築には、撮影当時、上土手町商店街振興組合の事務局が入居していた。建設当初は振興組合の事務局ではなく、なんらかの店舗だったのだろうと思って調べてみたら、1980年代から90年代前半は自民党の弘前支部で、その後、商店街振興組合事務局・町会事務局・まちづくりステーションになっていた。ただそれ以前の使われ方は結局よく分からなかった。
一方、右側の建物には撮影当時2軒ほどの店が入っていたようだ。元の写真を拡大すると、左から「おしゃれの店レディ」「手芸ノ店ネージュ」の文字が見える。いつ頃に建てられたものか分からないが、戦前期からあったのなら伊藤文具店だったのかもしれない(モルタル看板建築の方が伊藤文具店だった可能性もあるけれど・・・)。1980年代の住宅地図では「弘前緑屋信用販売」とあった。写真では小店の庇から赤い暖簾状のものが下がっていて、屋号の後半の「用販売」の文字だけが見えている。
南側から
左端奥に見える高層建物は紀伊國屋書店も入居していたホテル法華クラブの建物。左端の3階建ては「毛糸のマツヤ」。その右側の茶色の2階建ては「鶴屋ボタン店」。電柱の陰が商店街振興組合で、いちばん手前が旧「弘前緑屋信用販売」。マツヤと鶴屋は1980年の住宅地図にも載っているお店だが、昭和初期の地図には見当たらず、いつ頃からの店かは不明。
通り沿いに掲出されていた整備イメージの看板
モルタル看板建築の場所は、現在はPizzaHutの店舗になっている。また商店街振興組合は、右隣の弘前緑屋信用販売があった場所にある。2つの建物は隣りあっていて、かつてのモルタル看板建築のデザインを想起させる装飾を付けたファサードにされている。
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旧 福乃湯
所在地:弘前市 新寺町66
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25
弘前市内には元寺町や新寺町と呼ばれて寺院が建ち並ぶ通りがある。写真は新寺町の通りに面して建っていた銭湯。撮影時は既に廃業しており、建物の大半は花屋(山内花店)として使われていた。
東京でよくある宮造り型ではなく、間口がやや大きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。
通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。
建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。
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弘都交通(株)本社営業所
所在地:弘前市 一番町6
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25
弘前市の繁華街にあったタクシー会社の建物。今、ネットで検索してもほとんど情報がない。ただ、下記サイトによれば、弘都交通のタクシー部門は2001年7月に弘前タクシーに買収されたようだ。その弘前タクシーも2017年に破産している。
間口の大きな木造モルタル看板建築。1Fはタクシーの車庫で、右側奥には2Fの事務所への階段が設けられていたようだ。1F前面には両サイド以外には柱がなく、構造的にはやや不安な感じ。
側面の様子からすると平入りだったようだが、ファサードが山型をしていたので、こちら側にも破風状のものがあったのかもしれない。
弘前タクシーが破産、負債総額15億円 | レスポンス(Response.jp)
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天香堂 倉庫
所在地:弘前市 元寺町5
構造・階数:木・2
解体年:1998〜03(平成10〜15)
Photo 1998.8.25
天香堂は弘前市内に古くからある化粧品店。同社の沿革を見ると、明治30年代に菓子屋として創業し、大正期には洋菓子喫茶「天香堂パーラー」も始めたという。戦後の1946年、化粧品店に転換し元寺町で化粧品店を始めたそうだ。
沿革の記載から考えると、撮影時、倉庫になっていたこの建物で化粧品店を始めたのではないかと思われる。菓子店や洋菓子喫茶をどこで営業していたか、またこの建物の建設年代の記載はない。なので、もしかすると洋菓子喫茶・パーラーもこの建物だったのかもしれない。
建物は木造モルタルの看板建築。1階はシャッターで覆われていてデザインが分からないが、2階には洋風の上げ下げ窓があり、ガラスは嵌っていないがアーチ型部分も造られていて、洋風デザインがかなり意識されている。化粧品店(もしくは洋菓子喫茶)という業態のイメージもあってのことだったのだろう。
沿革には1984年に土手町に天香堂ピアザを開店したという記載もある。従ってその頃以降、ここは倉庫になったのだろう。2003年発行の住宅地図では天香堂月極駐車場となっている。建物はこの写真の後、2003年までに解体されたようだ。
天香堂について
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川口染工場
所在地:弘前市 北川端町14
構造・階数:木・2
建築年:大正期
解体年:2005〜08(平成17〜20)
Photo 1998.8.25
弘前の繁華街(居酒屋やスナックが連なるエリア)と、中心部を流れる土淵川の間のエリアにあった染め物工場。下記サイトの記事によれば、大正時代の創業で建物も大正時代のものだったという。
同サイトには2004(平成16)年撮影の写真が掲載されていて、この頃には道路沿いの板塀が取り去られて駐車スペースになっていたことも分かる。
基本的には和風の建物だが2階の窓が縦長の上げ下げ窓だったりして、少し新しめの雰囲気を漂わせている建物だった。
2008年発行の住宅地図で既に記載がない。またネットで検索してもこの会社は見つからないので、恐らく2005〜2008年頃の間に廃業するなどして建物も取り壊されたものと思われる。
弘前の和風建築・川口染工場
弘前の和風建築・川口染工場 | スチャラカでスーダラな日々
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バンビ保育園/旧 松田医院
所在地:弘前市 鍛治町9
構造・階数:木・2
解体年代:2003〜08(平成15〜20)
Photo 1998.8.25
洋風の木造小規模建物を使った保育園。奥行きがあまりない小さな建物なのに、入口がしっかりしているのがやや奇妙で不思議。1993年の住宅地図では、フロスト英会話センターと記されている。もしかするとキリスト教系の組織とかが、英会話学校や保育園を運営していたのかもしれない。
周辺は居酒屋やバー・スナックなどが多く建ち並ぶ弘前市随一の歓楽街。界隈が賑やかになる前からあった建物なのかもしれないが、夜になると賑やかになる街なかに、洋風建物の保育園がポツンとあるのは唐突な感じで、昼間でも少々違和感があった。
弘前へはこの後訪れていない。この建物を見たのもこれいちどだけ。2003年の住宅地図には掲載されているが、2008年には既に消失している。
2023.4.28 追記
1960(昭和35)発行の「弘前商工名鑑」で松田産婦人科医院が鍛冶町9に所在していると記されている。また、1935(昭和10)発行の「弘前市案内図」でもここが松田医院と記されている。この後方の家も松田邸だったので、この建物はもともと松田医院として建てられたもののようだ。
※『市制施行七十周年記念 弘前商工名鑑』弘前商工会議所 編・発行、1960
『弘前市案内圖』1935、「ひろさき懐かし地図」として復刻
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相坂りんご倉庫
所在地:弘前市 駅前1-3
構造・階数:木・2
解体年:2015〜17(平成27〜29)
Photo 1998.8.25
JR弘前駅のそばにあった大型の木造倉庫。2015年頃までは存在していたようだが、2017年のGoogleストリートビューではなくなっており、一帯は駐車場になっている。
写真右端の鉄塔はJR弘前駅構内の照明塔のようだ。左後方はこの訪問時に宿泊した弘前プリンスホテル。こちらは2022年までは営業していたが、同年中に閉館したという(建物の存続状況は不明)。
駅周辺は土地区画整理もされてかなり様子が変わったようだ。ただその結果が良い方向に向かっているようにはあまり見えない。区画整理後の一帯では駐車場や空地がかなり多く、スカスカな印象になってしまっている。
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