05/02 西松建設 旧本社ビル
05/06 もちだ酒店・ワセダ菜館
05/10 リード
05/14 旧陶山医院(陶山眼科)
05/18 かどやの槍かけだんご
05/22 穂積神社の大鳥居
05/26 東京會舘
05/30 東京商工会議所ビル
東京商工会議所ビル
所在地:千代田区丸の内3−2
建設年:1960(昭和35)
構造 :SRC造
階数 :8F+R3F+B3F
備考 :2015(平成27)に解体。建て替え
Photo 2011.12.26 馬場先門交差点から
右端は東京會舘ビル。東京商工会議所ビルの奥は富士ビル。この3棟がほぼ同時期に解体され、「(仮称)丸の内3-2計画」として、一つの大きな超高層ビルの建設が行われている。
旧建物は、容積率制への移行より前に建てられたオフィスビルなので、軒高は恐らく31m以下でその近辺。大正・昭和初期から戦後期に掛けての丸の内の街並みの一部を成すビルだった。
Photo 2014.4.6 日比谷通り・国際ビル付近から
50m×40m程度の平面を持つそこそこ大きなビルだったが、2018年10月に竣工する予定の新しいビルは、他の2棟のビルの敷地も使って100m四方程度の平面にされている。階数も30階で高さは約150mになるそうだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #オフィス #モダニズム
東京會舘(2代目本館)
所在地:千代田区 丸の内3-2
建設年:1971(昭和46)
設計 :谷口吉郎
構造 :S+SRC造
階数 :12F+R1F+B4F
備考 :2015(平成27)に解体。建て替え
Photo 2014.4.6
初代の本館は1922(大正11)に竣工し、約半世紀使われ続けたという。その後、2代目が1971年に竣工、こちらは40年あまり利用された。容積率制に移行してからできた建物だが、お濠端などの軒高は31m(百尺)規制の頃の考え方を残していたようだった。
初代の建物は、大正時代のものなので様式建築だったようだが、二代目はモダニズム建築。中層階は縦長の窓が均一にずらっと並び、合理的・機能的なオフィスビルといった様子だった。
一方、内部はモダンだが優雅な空間だった記憶がある。
Photo 2015.3.11
建て替えられるという話を聞いて訪れてみたら、既に解体が始まっていた。
Photo 2015.3.11
現在、同じブロックの隣接街区にあった東京商工会議所ビル、富士ビルと合わせて一体的に建て替えが進められている。30階建て、高さ140m(最高高さ150m)の超高層ビル(丸の内二重橋ビルディング)になる予定で、既に外観はほぼできているようだ。内装の建設を進めて、新しい東京會舘は2019年1月にオープンする予定とのこと。
東京會舘について
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #オフィス #モダニズム #谷口吉郎
穂積神社の大鳥居
所在地:静岡市葵区平山
構造 :木造
備考 :石造鳥居に建て替え
Photo 1994.5.22
静岡市街から見ると、竜爪山(りゅうそうざん)という二つの頂きを持つ山が北に聳えている。静岡市民にはなじみ深い山で、市民なら遠足やハイキングなどでいちどは訪れたことがある人が多い山だ。
二つの頂きは薬師岳(1,051m)と文珠岳(1,040.8m)で、その北東側の峠状の場所、葵区平山と清水区西里の境界にあるのが、穂積神社(ほづみ神社)だ。
平山からこの峠と神社へは舗装された林道のような細道で上ってくることができる。そして、標高745mにあるこの神社からなら、頂上へも徒歩1時間ほどで登れたような記憶がある。
竜爪山は古くから山岳信仰の場で、江戸時代までは神仏習合の龍爪権現として信仰されており、明治維新後、神仏分離令により穂積神社となったという。
穂積神社はその山中にある小さな神社で、樹齢数百年の大木が立ち並ぶ境内にはRC造の社殿と木造の社務所、鳥居があり、そのほかには東屋があるだけ。
ただ、この木造鳥居がかなり大きなものだったのは印象的だった。測ったわけではないので写真からの想像だが、高さは7mほどあったのではないだろうか。
老朽化して倒壊の危険性があるなどしたのだろう。ネット上の写真を見ると、現在、鳥居は3〜4mほど石造のものに替えられている。
ただ、往時のこの写真を見るたび、本当に神が宿っていそうな山中の神社だった頃が思い起こされる。
竜爪山 静岡穂積神社
穂積神社
静岡の街並み
#失われた建物 静岡県 #神社
かどやの槍かけだんご
所在地:足立区 千住5-5
建設年:1907(明治40)
構造・階数:木造・平屋
備考 :2012(平成24)解体
Photo 2008.11.23
千住の名物でもある「かどやの槍かけだんご」。以前の建物は木造平屋で、店名がトタンの看板に大書されているのも昔ながらの味わいだったが、建て替えられて現在は鉄骨造3階建てのきれいなお店になっている。
1907(明治40)に足袋屋として開店した店舗を、1948(昭和23)からだんご屋として使っていたそうだ。従って、築100年以上の建物だったことになる。まただんご屋としては今年で創業70年で、こちらもそれなりに歴史のあるお店だ。
「槍かけだんご」は、近くにある清亮寺の「槍掛けの松」に因むという。かどやは日光街道・奥州道に面しているが、この少し先、北の交差点から東へ入るのが昔の水戸街道で、曲がって200mほどのところに清亮寺はある。
なんでも、水戸藩主水戸光圀公の参勤交代の折、街道に張り出した清亮寺の松の木に、槍を立て掛けて休息を取ったという話(詳細は省略・・)から、この松の木が「槍掛けの松」と呼ばれるようになったという。松の木は昭和20年頃に枯れてしまったそうだが、だんごはその昔話にヒントを得たものだそうだ。
Photo 2006.9.30
夕方などに通り掛かると、蛍光灯に照らされた店内の様子が垣間見え、懐かしい雰囲気のある店だった。
この店は2012年3月25日で一時休業して建て替えに入り、新しい店舗は2012年10月に竣工したという。
かどや/千住5丁目 - ぼくの近代建築コレクション
かどや槍かけだんご | V建築設計室
かどやの槍かけだんご 一時休業(足立区千住) - 足立区発!
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#失われた建物 足立区 #商業系 #日光街道 #奥州街道
旧陶山医院(陶山眼科)
所在地:台東区 根岸3-12
建設年: ?
構造・階数:木造・2F
備考 :2005〜09に解体
Photo 2004.12.25
下記、「ぼくの近代建築コレクション」内の記事にもあるように、千手院という寺の境内の一部(門前)にあった医院。
お医者さんは洋風家屋であることが多いが、ここの場合は和洋折衷で、しかも一体的な建物の中で和洋が混在しているところがちょっと不思議な感じだった。
正面から見ると、玄関とその右側、2階の北側の角部屋が洋風で、薄緑色のペンキで塗られた下見板張り。一方、玄関上の2階と南側の1・2階は在来型の和風建物になっていて、和洋がL字型に組み合わさっている。
玄関まわりは洋風の下見板張りだが、玄関扉は引き戸。屋根の傾斜も洋風の急傾斜屋根ではない。改装して洋風の部屋を造ったかのような設え。
Photo 1995.6.17
2階の洋風部分は下見板張りで縦長の上げ下げ窓。ただ、屋根は日本瓦。
Google S.V.で確認したところ、2010年1月には既にこの建物は無くなっており、門に相当する場所には観音像かなにかが設置されている。従って、一枚目の写真を撮った2004年末以後の、2005年から2009年頃までの間に、この医院は解体されたのではないかと思う。
陶山眼科/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 台東区 #医院
2022.10.11追記
1952(昭和27)年発行の『火災保険特殊地図』では「太田犬猫病院」と記されている。
リード
所在地:文京区小石川2-17
建設年: ?
構造・階数:木・2F
備考 :1998〜2000に解体
Photo 1998.6.8
看板には「プロセス製版一般 株式会社リード」とあったが、ネットで検索しても現在はそのような会社はないようだ。小石川界隈には印刷製本関連の中小企業が多く集積しているが、この会社もその関連会社だったらしい。
六角坂という坂道に沿った建物で、通り沿いの間口が長い工場だった。一段高い場所に引き戸の扉があるが、これはトラックを横付けして、荷物を載せたり下ろすのに便利なようにしていたのだろう。
この建物はこの後、2000年頃までに解体されたようで、2001年版の住宅地図で既に駐車場になっている。跡地には「ブルーガーデン小石川」というマンションが2003年1月に完成している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #オフィス #工場
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もちだ酒店
所在地:新宿区西早稲田1−4
構造・階数:木造・2F
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2012.12.11
西早稲田バス停前、松の湯という銭湯の東側にあったモルタル看板建築。もちだ酒店は少し西側の西早稲田3丁目に移転したようだ。
都内では次第にこういう街並みが減って、中高層のマンションやオフィスになっていくことが非常に多い。
ワセダ菜館
所在地:新宿区西早稲田1−4
構造・階数:木造・2F
備考 :2015(平成27)解体
Photo 2014.10.04
一枚目の写真で奥にわずかに見えていたワセダ菜館(定食屋)と理容ヒサゴの建物は、アルミサイディング張りの看板建築だったが、これも解体。こちらも建て替え中は一時休業していたが、新しいビル内で、2017年に営業を再開(ワセダ菜館は別の名に改称)している。
近年はこの手のお店が廃業して建て替え、というパターンが多いが、ここの場合は建て替え後も同所もしくは移転先で営業を継続している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #看板建築
西松建設 旧本社ビル
所在地:港区 虎ノ門1-20-10
建設年:1962(昭和37)
構造 :SRC造
階数 :8F+R3F+B2F
備考 :高さ35.8m 2016(平成28)解体
Photo 2009.4.12
各階に庇がまわり、6〜8Fは斜線でセットバックした外観。2〜8Fの窓は足下近くから立ち上がり、開放的でモダンな外観のオフィスビルだった。
Photo 2009.4.12 南側から
離れた位置から見ると、屋上の塔屋がよく見える。西松建設・NISHIMATSU CONST.CO.と書かれた看板が四方に向いて設置されていたのが記憶に残る。
建物が解体されたのは2016年になってからだったが、ビルの南側は虎ノ門ヒルズの建設予定地だったため、写真の2009年時点で既に、柵で囲われた空き地がかなり多くなっていた。
この後、虎ノ門一丁目地区第一種市街地再開発がこの地域一帯で行われることが決まり、2016年に旧本社ビルの建物は解体された。跡地には「虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー」が建設中で、36F・B3F・R3Fの超高層オフィスなどが、2019年末までに完成する予定だという。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #オフィス #モダニズム