09/01 定点観測ブログ(東京の街並み新旧比較)
09/05 神保町・靴橋(高橋靴店?)(失われた木造家屋)
09/07 文京シビックセンターからの眺望(東京新旧写真比較(1995/2008) No.20)
09/12 新聞輸送株式会社(失われた建物群)
09/19 広尾食品デパート(失われた木造店舗)
09/23 神楽坂・東和ビル(失われた木造店舗)
三軒の極狭店舗
東和ビル
喫茶室シャルル・すなっく里恵加・サンドール
所在地:新宿区神楽坂6-8
構造・階数:木造・2F?
備考 :90年代末に解体・建て替え
Photo 1995.1.27
神楽坂の坂を上って大久保通りを越えた先の右側にあった建物。柱間一間と狭いのだが、そこにスナックなどの入口が3つあったのがとにかくスゴイ。店内に入らずじまいだったので、内部の様子は分からないが、この外観からすると、下手をするとめちゃくちゃ細長い店だったことになる。
おそらく2階建てで、左端の喫茶室シャルルはたぶん階段を上がった先の2階。問題は残りの、すなっく里恵加とサンドール。この幅の狭さでは店として営業不能に近い。カウンターのみなら、もしかするとアリかもしれないが、それでも多分幅1.5m弱の店になってしまう。考えられる方法は、建物の前後に住み分けをすること。どちらかは扉を開けた後、細長い廊下を伝って奥の方に行くと席があったのかもしれない。確かめてみたかったが、入ったら最後、出てこられなくなりそうでちょっと怖かったのだった。
しかしどうしてこういう店が出来てしまったのだろう。最近の東京ではあり得ないものが、昔は平気で存在するのが少々不思議である。
ちなみに、2000年の住宅地図では第三東和ビルと記載されていた。また、両隣の建物は現存している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #飲食店
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広尾食品デパート
所在地:渋谷区広尾5-17
構造・階数:木2
Photo 1995.5.27
広尾の商店街を西へ向かい、突き当たりの一つ手前の道を左折して南下すると、右側にあった食料品店。店内は西側へ通り抜け可能になっていて、八百屋さんや、肉屋さん、魚屋さんが建物内にあった。
1階は間口一杯に開口していて柱だけだが、2階は縦長の窓が開けられ、頂部は三角形で洋風。両側にダクトが煙突状に突き出しているのが面白い。
95年当時は結構賑わっていたのだが、いつのまにかビルに建て替わっていた。周辺住民が減ったり、店主が高齢化したりといった理由なのだろうか。この手の個人経営の店が集合して入居するマーケット型の店舗も都心では急速に減っている。
Photo 1995.5.27
結構間口が広い洋風看板建築といった趣。拙ブログでも、中野区の上高田マーケットや、南長崎の山政マーケットなどを載せたことがあるが、建物として不思議な味わいを持つのが印象的。個人商店とは異なり、それこそ市場的であり、賑わいがあって、ちょっと陽気で楽しげである。間口が広く、内部に自由通路が入り、場合によっては通り抜けさえできたりして、建物の内外の境界が曖昧なのが、よそ者をも大らかに受け容れるような感じで、心地よく興味深い。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 渋谷区 #商業系 #マーケット
有楽町イトシアが昨年オープンした一角は、以前は2~3階建ての店舗や事務所が建ち並ぶ場所だった。
新聞輸送株式会社
所在地:千代田区有楽町2-8-10
構造・階数:RC3?
解体年:2005(平成17)
備考 :跡地には有楽町イトシアがオープン(2007.10)
Photo 2004.11.20
2階の壁面に新聞輸送株式会社とあり、昔の住宅地図にもそう書いてあるのだが、具体的な仕事の詳細は知らない。昔はここから新聞を輸送していたのだろうか。朝日新聞の旧社屋のすぐそばなので、あるいはそれに関連した会社だったのかもしれないが、今となっては不明。写真のように、解体前年には1、2階の壁面が塞がれて、全く人の気配がなかった。
写真後方の高層建物はもちろん有楽町マリオン。右端にわずかに写っているのは レバンテ、 奥の方に見えているのは 可口飯店。 可口飯店の手前に「喫茶室ルーブル」というのがあるが、看板の体裁やら字体が「喫茶室ルノアール」そっくりだったのが妙に記憶に残っている。一部情報によれば、ほとんど同じつくりだったというが、なぜそうだったのか不明。
一体的に再開発されたため、写真内の一連の建物は全てほぼ同時期に解体され、なくなった。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 千代田区 #オフィス
東京新旧写真比較(1995/2008) No.20
文京シビックセンター(文京区役所)ができてからもう10年以上が経つ
Photo 1995.1.18(ノーマル時)、Photo 2008.2.1(マウスオン)
文京シビックセンター展望室から
文京シビックセンター
所在地:文京区春日1-16-21
階数:28F、高さ:145.7m、竣工年:1994年
上写真は竣工翌年に訪れた時のもの、下は13年経過後の今春の様子。丸の内や六本木などに比べれば文京区内の変化は小さいが、それでもいつのまにか展望室からの眺望は変化していた。
手前の方から、まず白山通りと春日通りの交差点付近の変化。中央の都営文京真砂アパートは変化なし。その右側、東京ミュージック&メディアアーツ尚美の校舎が大きな建物に建て替わり、春日通りに大きな壁面を見せるようになった。右下端にも、建て替えられた都営本郷1丁目アパートが見えるようになった。また左側、白山通り沿いにも10F以上の高層マンションが増加している。
画面中央部の、本郷4丁目、5丁目は相変わらず低層の建物が多く、大きな変化はよく分からないが、ところどころで中層のマンションが増えているようではある。95年の画面中央のやや左側には、昭和5年に建った清和寮(RC4階建て)が見えていたが、これは数年前に中層のマンションに建て替えられている。
遠方の本郷通り沿いは、高層のペンシル状のマンションやオフィスが更に増加した。東京大学本郷キャンパスも以前よりは見えなくなってきているが、2008年の右上方で目立つ大きな建物は医学部の研究棟で、一方ではキャンパスの高層化も進んでいる。その上に浅草ビューホテルが、まだ少しだけ見えている。
95年の写真で浅草ビューホテル(右側上方の黒い建物)の左側、白く光って見えるのは、ソフィテル東京(当時は法華クラブ)だが、昨年取り壊されてしまったので2008年の写真には写っていない。その代わり、中央上部にルネッサンスタワー上野池之端(38F、136.5m、2005.3竣工)が聳えている。また、ルネッサンスタワーの後ろに見える緑は、不忍池と上野公園である。
それから、2008年の写真で左端上部に見える超高層ビルは、日暮里駅前のステーションガーデンタワー(40F、153m、2008.2竣工)。
鳥瞰的街並みを、こうして写真で改めて見ると、細かい建物が一面に針のように建ち並んでいて、見ているとなんだかいやーな気分になってくる。それぞれの建物の中で多くの人が寝起きして働いているかと思うと、ちょっとクラクラしてくる。2枚の写真を見比べたりしていると、どうもだんだん気持ち悪くさえなってくる。景色が汚いとかいうのではなくて、あまりに建物が多いので、見ているだけで疲れて来る感じ。
山に登ってあたりを見渡した時の爽快感とは全く異なる、眺望による幻滅感というか、都市の実情を妙に客観的に把握してしまったことによるストレスのようなものでもあるのかもしれない。現場ではあまりそう思わなかったのだが・・・。
2009.4.30
rnak様の指摘に基づき、秋葉原のUDXが写っている、という記述を訂正削除。
大きな建物は東大本郷キャンパス内の医学部研究棟。
#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 文京区
#街並み 文京区 #パノラマ #眺望 #高層ビル
再開発で変わる東京風景開設から既に2年ほど経過しており、私が新旧比較を始めたのよりも前からやっておられたらしい。かなり精密に位置合わせができているあたりには本当に驚かされる。私はここまで一致させられていないので、作業のテクニックを詳細に知りたいところだ。最近の大画面液晶表示付きのコンパクトカメラの方が、もしかするとアングル調整がしやすいのかもしれない。
完全に一致させきれない理由について、一つ言い訳をするなら、私の場合、昔の写真がフィルムカメラだったり、収差の異なるレンズだったりして、機材が全く異なることが多いのが、完全一致を困難にしている。また撮影者が違っている場合もある。身長が違うとカメラを構える高さが異なり、それだけで撮影位置の特定が困難になる。更に、25年以上の時間の経過により、同一ポイントを見出すのさえ大変なこともある。
しかしこのブログを見るにつけ、2、3年の時間の経過でしかないのに、東京の風景が激変してしまうことに非常に驚かされる。しばらく訪れていない湾岸エリアの場所などは、全く知らない風景が展開してしまったりしていて、毎度、なんだこりゃ的な驚きに見舞われてしまう。
竜宮城でそんなに長く遊んでいたはずはないのに、世間の様子はすっかり変わってしまっていた。まさしく浦島太郎状態なのかもしれない。