01/13 第二東名の現場(静岡の変わりゆく風景)
01/16 汐留にて(Photolog)
01/18 駿河台・ニコライ堂と日大(東京新旧写真比較 No.37)
01/21 神田淡路町2丁目交差点から(東京新旧写真比較 No.38)
01/24 淡路町交差点(東京新旧写真比較 No.39)
01/27 神田淡路町2丁目(東京新旧写真比較 No.40)
01/30 東京タワーから 1991/2009(東京新旧写真比較)
東京タワー・日本電波塔
所在地:港区芝公園4丁目
建設年:1958(昭和33)
設計 :内藤多仲・日建設計
高さ :333m
Photo 2009.4.12
一年ほど前のことになるが、18年ぶりに東京タワーに上った。しばしば言われるように、東京に住んでいるとついつい東京タワーには行かない。そのうち行けばいいやとか思っている。で、気が付けば20年近く上っていなかった。でも、小さい頃から数えると何度かは上っているわけで、相変わらず典型的なお上りさんなのかも。
大展望台の高さは150m。最近では都内のあちこちのビルより低い。下手するとマンションよりも低いわけで、そんな高さからの景色は、毎日見てますという人もいるかも。それなのに、820円。高いなぁ。都庁なんてタダだぞ。特別展望台(250m)はまた別料金なので行かず。同じ建物が別角度から見えてるだけだと思ってしまう。
お天気の日曜の午後、東京タワーは大混雑。チケット売り場には60~70人が並んでいて、チケット買ってからエレベーターに乗るまで更に10分。満員のエレベーターは家族連れかカップル、そして外国人旅行者がほとんど。はとバスなどの観光バスも何台も来ていた。私のように一人で来てるやつなんて全然いない。観光地ってのはそんなものなんだけど。
なぜわざわざ一人で東京タワーに上ったかといえば、18年前と比較して東京の街並みがどうなったのかが気になったから。手もとに1991年の大展望台からの写真がある。この時も別料金を払いたくなくて大展望台止まりだったが、それはともかく、さて東京タワーからの街並みはどうなったんだろうか。
うわっ!!! 凄すぎ・・・。
手もとの写真をぼんやり見ているときには、あまり気が付いていなかったのだが、都心にはこの20年ほどの間に超高層ビルが100以上増えていたのだった。地上にいると、それらの建物の近くに行かなければ、変化に気づくことがないのだが、高いところに上ると、それらの全てが見えてしまう。また、文京区役所や新宿の東京都庁と違って、東京タワーは港区にあり、都心の開発の現場のすぐ近くにある。猛烈なスピードで超高層ビル開発が行われたことがはっきりと分かり、衝撃を受けてしまった。
大半の観光客は、東京タワーは初めてだろう。二度目、三度目の人も、以前の景色と明瞭に比較する資料を持参していたりはしない。そのような中、私一人は、以前の写真と眼前の現在の景色を交互に見比べて、びっくらこいていた。なんなんだ、これは。
1991年に上る少し前に、三田のNECや、虎の門のJT森ビルなどが建ち、東京タワーの周辺にも超高層ビルが増えてきたなぁとは思ったのだが、この16年間の変化はそんな程度ではないことは、今後の記事を見ていただければ分かると思う。
比較写真を撮るのにも意外に苦労した。タワーから撮っているのだから大して位置どりには苦労するまいと思っていたのだが、対象となる建物がなくなっていたり、見えなくなってしまっているケースが非常に多く、一枚あたり何分もかかってしまった。写真と景色を何度も見比べて「なくなってる・・・。」とか「見えない・・・。」とブツブツ言ってるかなり変な人になってしまった。
この項、つづく。
Cityscape of Tokyo #塔 #東京タワー #内藤多仲
東京新旧写真比較(1981/2008) No.40 千代田区神田淡路町2丁目
Photo 1981
Photo 2008.12.21
比較的大きな通りでの写真が多い1981年の撮影者が、なぜいきなりこの路地を撮ったのかはナゾ。
最初に写真を見た時はこれがどこだかさっぱり分からなかった。画面左側に魚金という魚屋があるが、現在は神田・御茶の水界隈にこのような名の魚屋はない。拡大しても住居表示板が全く写っておらず、ほとんどお手上げ状態だった。だが、一連のスライドのマウントを外して、撮影の順序を調べてみたところ、撮影者がどの順序で街を巡り写真を撮ったのかが分かり、そこからどの道で撮ったのかを明らかにすることができたのだった。
No.13 No.14 No.15 No.16
というわけで、今回のコマはどうやら淡路町交差点、淡路町2丁目交差点付近の路地で撮られたことが分かった。
写真中央を車が左から横切っている。交通標識からして、交差するこの通りは一方通行。また、奥の方の建物がややそびえ立つ壁のように見えていることから、なんとなく下町側から高台側を見たのではないかと見当を付ける。付近にこれらの条件を満たす道は一つしかなかった。というわけで12月になって現場を訪問。
行ってみると、確かに道の様子は似ていた。この道なのだろうとは思った。しかし建物がほとんど建て替えられてしまっていて、どのあたりから撮ったのかがさっぱり分からない。
しばらく行ったり来たりする内に、左側に昔の看板建築的な建物が残っており、更にその奥に斜線制限で上の方の階が斜めになっているビルがあり、それらが今も見えていることを発見。更に、交差点角の建物も色は塗り替えられているが健在であることも分かった。そこでこれらを手掛かりにして写真を撮る。結果的にL字型側溝の雨水枡の位置がややずれて写っているので、もう少し後方で撮ったのかもしれないがほぼ同じ構図で撮影することができた。
近景があまりに異なるので、俄には全く信じられないが、上の2枚の写真はほぼ同じ場所から撮ったものである。
Cityscape of Tokyo #東京新旧写真比較 千代田区
東京新旧写真比較(1981/2008) No.39 千代田区神田淡路町1丁目
Photo 1981
Photo 2008.12.21
淡路町2丁目交差点の方から、大手町方向(南向き)。
左端は神田志乃多寿司のビルで、袖看板が一部見えている。袖看板は現在は取り払われているが、ビルそのものは現存しており、設置金具が残っている。その右側、街路樹に半分隠れているのはアベアドレス。以前、場所探しに苦労した建物だが、これが判ったおかげで、この場所も判明した。その向こう、桜井商事株式会社は移転などをしたのか、白看板になっていた。
遠方には大手町のKDDIビルのアンテナが霞んで見えている。
一方、通りの右側は、81年当時には空き地があったらしく、建物の北側壁面の様子がよく見えている。現在は道路に面した部分しか見ることができない。
手前で向かってくる車は3代目カローラ。ドアミラーの解禁は1983年からだそうで、この頃の日本車はまだフェンダーミラー(ボンネット前方に付くミラー)であり、ドアミラーは輸入外国車だけだった。
Cityscape of Tokyo #東京新旧写真比較 千代田区
東京新旧写真比較(1981/2008) No.38 千代田区神田淡路町2丁目
Photo 1981
Photo 2008.12.20
1981年の撮影者は、撮影のタイミングにあまり頓着がない。その2
酒屋のトラックが左折しようとしているところでパチリ。画面内にダットサンのピックアップトラックが大きく写されてしまっている。もう少し待ってからシャッターを切れば良かったのにと、私などは思ってしまう。逆にいえば、得難いタイミングをモノにしたと言えるのかもしれないが、やはり街並み資料的にはあまりよろしくない写真だ。
それはさておき、右端のビルと左端の建物は健在。また、雪印の牛乳販売店は文字が無くなっているが建物は残っている。中央線の高架は今でももちろんよく見えている。
1981年の写真をよく見ると、右側の奥に木造3階建て町屋とおぼしき出桁造り屋根が見えている。このような建物は都心にはもうほとんどないが、27年前にはまだわずかに残っていたようだ。
奥の黒っぽい建物は神田郵便局で、これは建て替えられたようだ。また一番奥には秋葉原の高層ビルが見えるようになった。
Cityscape of Tokyo
#東京新旧写真比較 千代田区
東京新旧写真比較(1981/2008) No.37 千代田区神田駿河台
Photo 1981
Photo 2008.12.20
日大理工学部5号館とニコライ堂。本郷通りの風景。
ニコライ堂と日大の校舎にはほとんど変化がないことは知っていた。だからこの景色は今もあまり変わっていないだろうと思っていた。ところが訪ねてみたら、日大の校舎とニコライ堂の間にあった2階建て家屋がビルになってしまって、ニコライ堂は全く見えなくなっていた。
街路樹はやはり大きくなり、幹も太くなっている。新旧写真の比較をしだしてから、東京の街路樹は30年弱の間に結構立派になっているんだなと、改めて気がついた。30年近いのだから当然といえばそうなのだが、なかなか厳しい都市環境の中で、着実に根付いて育っていることがちょっと意外で、またそれに今まで全く気がつかなかったのもちょっとした驚きだった。
1981年の写真には道路中央に立って交通整理をしている警官だか警備員が写っている。こういうのを見つけてしまうと、なぜそのようなことをしていたのか気になってくるのだが、今となっては理由を知る術はない。
ぐずぐずしている内に、2008年末の撮影時点から早くも1年が経ってしまった。東京の街並み変化は速いので、また撮り直しなんてことになるかもしれない。
Cityscape of Tokyo
#東京新旧写真比較 千代田区 #古い建物 千代田区
#教会
汐留にて
日本テレビタワーからコンラッド東京
所在地:港区東新橋1-6
Photo 2010.1.16
ふだんはあまり入れない建物からの景色。奥の方は月島。
日本テレビタワーから西新橋・東京タワー方面
Photo 2010.1.16
打ち合わせが終わった頃には既に夕暮れ。東京タワーがきれいに見えるオフィス。
ダブルスキンと呼ばれる二重のガラス外壁になっているので、室内の写り込みをなくすことができなかったのが残念。
丸の内仲通
東京駅までぶらぶら歩いて帰る。
丸の内仲通のイルミネーションがきれいだった。
でも高層ビルの間の道はビル風が吹いて、寒い寒い。
#街並み 千代田区 #街並み 港区 #夕景・夜景 #塔 #高層ビル
大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
お正月は実家でごろごろ。元日の夕方になって外出し、唐突に実家の裏の方の山に登ってみる。
静岡市葵区門屋から建設中の第二東名(新東名高速道路)と鯨ケ池
静岡県内の御殿場JCT~引佐JCTは、平成24年度(2012年度)中に完成予定だそうで、あと3年ぐらいでできることになる。
近所の工事が少しずつ進んでいることは、実家に帰るたびに目にして知っていたが、全体像はあまり知らないままでいた。だが裏山に登って上から俯瞰して見たら、結構出来上がっていたのでちょっとビックリした。
写真は静岡I.C.近くの様子。高架橋は既にほぼ完成。橋の突き当たりの山は切り通しにするのだろうが、その部分はまだ作業中。とはいえ、左側の山は既にかなり削られている。市街地を避けて山中を通るので、谷には橋を架け、丘は削り、山はトンネルで抜けていく。
上写真の高架橋を別角度から。上方は福成神社がある山と賤機山
高台から見ると、さして圧迫感のある高架橋には見えないのだが、直下の鯨ケ池近くの道から見ると、実は巨大で圧倒的な迫力のある高架橋となっている。
下方面。右方は安倍川、建設中の高架道路は山脇大谷線
左方で上下に走る道は、静岡駅前から井川に至る井川湖御幸線。山脇大谷線は新東名の静岡I.C.から賤機山をトンネルで抜けて流通センター通り、長沼大橋に至る道。新東名の取り付け道路のようなものだが、この部分は県道。正面奥は丸子方面と高草山など。
本体工事もかなりの割合で既にできているし、本線以外の部分も着々と工事が進められているわけで、開通後に採算が取れるようになるのかは分からないが、ここまで来ていると、どこかのダムのように建設中止という選択はなさそう。建前上は民間会社になってもいるし、およそ出来上がりつつある(概成)県内部分はとにかく完成させて、なんとか元を取る方向で努力するのだろう。圏央道と接続する海老名南JCTから西側は既に全線事業中で、2020年度中にその部分は全部できるのだそうだ。
ぼんやりしている内に、着々と道路はでき、風景は変わっていく。
徐々に変わりゆく故郷の風景を見ながら、新年早々やや複雑な気持ちになったのでした。
Photo 2010.1.1Wikipedia > 第二東名高速道路
静岡市 > 「新東名高速道路」の紹介