01/05 早稲田大学4号館
01/06 早稲田大学演劇博物館
01/07 早稲田大学1号館
01/09 表参道から北側へ上る階段
01/10 ブラームスの小径の階段
01/11 渋谷川遊歩道から表参道に上る階段
01/12 渋谷川遊歩道・キャットストリート近辺
01/13 渋谷川の谷から東へ上るL字型階段
01/14 上って下る階段
01/16 南青山あたり
01/17 元麻布の丸石斜行階段
01/18 中央区立明正小学校
01/19 中央区立明石小学校
01/20 高輪3-7の木造家屋群
01/21 高輪3-21の木造長屋群
01/23 高輪3丁目・桜田通り沿いの木造商店
01/24 穴八幡宮
01/25 志村城址あたり
01/26 早稲田から新宿へ
01/27 志村1丁目の階段と坂
早大オープンカレッジ講座の後、新宿までぶらぶら歩く。
早稲田大学新3号館
所在地:新宿区西早稲田1−6
Photo 2014.1.7
昨年9月に竣工した、早稲田大学新3号館。正門前のロータリー付近から見ると大きくて目立つ。
実は10年ほど前、西早稲田キャンパス整備計画の報告書策定に関わっていたことがある。この時は、正門付近から奥へ進むにつれて大きな建物にしていくという方向で検討をしていて、3号館の場所はあまり大きなボリュームの建物は建てないゾーンにしていたはずなのだが、結局その後の大学の方針変更?で、大きな建物が建つことになった。
一つ奥の7号館はまだ建て替えられていないが、今後、どうなるのだろうか。
古そうな洋館
所在地:新宿区西早稲田2-9
Photo 2014.1.7
早稲田通りから横道に入ったら、古そうな洋館を発見。 木製窓枠だったりもするので、そこそこ古いはずなのだが、いつ頃の建物なのか詳細は知らず。。
早稲田大学各務記念材料技術研究所
所在地:新宿区西早稲田2−8
竣工年:1938年
備考 :旧鋳物研究所、通称・材研
Photo 2014.1.7
材研は早稲田通りと諏訪通りの間、狭い道が入り組んだ住宅街の中に唐突にある。周辺が高密な市街地になる前に土地を取得したのだろうか。やや不思議な場所に立地した施設である。
昭和13年に鋳物研究所として開所されたもので、モダンな建物は今も健在。
所在地:新宿区大久保1−12
Photo 2014.1.7
大久保通りから職安通り方面へ適当に細い道を抜けていく。一時より減ったと言われるがまだ韓流関係のショップやら韓国料理店が横丁にたくさんある。
手前の店舗は、古い木造アパートと道路の間のわずかな場所にテント状のものを張り出して店を作ってしまったもの。
奥の青い庇の方は、木造アパートの1F部分も改造して店にしているが、ちょっとした隙間までお店にしてしまう活力には恐れ入る。
昨年末に閉館したミラノ座
所在地:新宿区歌舞伎町1−29
Photo 2014.1.7
手前の広場部分は、コマ劇場跡に建設中のビル(シネコン+ホテルなど)に地域冷暖房の温水・冷水を送るパイプの敷設のために工事中。冷暖房のプラントは歌舞伎町2丁目のハイジア(大久保病院跡地の施設)にある。
ちなみにこの広場は最近はシネシティ広場と改称されているが、昔は歌舞伎町ヤングスポットというやや時代を感じさせる名だった。広場が囲われてしまっていて、コマ劇場前からだとミラノ座の建物がよく見えないのが残念。
#早稲田大学 #大学 #高層ビル
#失われた建物 新宿区 #古い建物 新宿区 #街並み 新宿区 #研究所
志村城址坂
所在地:板橋区志村2-16と17の間
Photo 2014.10.19
志村城址坂は、志村城があった小高い丘へ、都営三田線志村三丁目駅から南東向きにカーブしながら上るやや急な坂。 木立の間を上って行く感じが気持ちよい。
志村城址北側斜面の階段
所在地:板橋区志村2−17・志村城山公園内
段数 :計68段
Photo 2014.10.19
同じく志村三丁目駅の方から、熊野神社方面へ向かって北側斜面内を屈曲しながら上る階段。 階段を上りきると志村城址坂の坂上。
志村城の空堀跡
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19
熊野神社境内に残る、志村城の空堀跡。
志村城は平安時代末期に志村氏によって築かれたそうで、室町時代の1456年には下総の豪族、千葉氏が入城したという。しかしその後1524年に北条氏に攻められた後は後北条氏配下の城となり、秀吉の小田原攻めのの後に廃城になったといわれる。
中世の山城なので、白亜の天守閣とかはもちろんない。現在はマンションや学校、神社、会社敷地などになっているが、今でも神社境内に空堀の遺構を見ることができる都内では貴重な存在。
熊野神社
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19
大木(常緑樹が結構多い)が茂る林の中、城の二の郭に相当する場所に神社は鎮座している。
熊野神社絵馬殿
所在地:板橋区志村2−16
Photo 2014.10.19
江戸時代中期〜後期に建てられた拝殿を曳屋したもので、内部には江戸〜明治期に奉納された多くの絵馬が掲げられている。
#階段・坂 #階段・坂 板橋区 #神社 #城・宮殿
所在地:港区高輪3-1
構造・階数:木2
備考 :2007頃解体、建て替え
Photo 2006.3.5
桜田通り沿い、明治学院前交差点の少し南にあった木造モルタル2階建て商店。手前の3間長屋にはシャツ屋(卸?)、不動産屋、損保代理店が入居していたようだ。その奥は中華料理屋など。
この写真の翌年頃に解体され、現在は11F建てマンションがここには建っている。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #街並み 港区
所在地:港区高輪3-21
構造・階数:木2
備考 :2008解体、建て替え
Photo 2008.4.12 以下同じ
「東京の階段 DB」でも採り上げている「0641 グランドプリンスホテル高輪北側の階段」のわきにあった、3棟の木造2階建て下見板張りの家屋。最近は木造でも全面下見板張りになっている例は少ないが、それが3棟、斜面の木立の下に同じような風合いで並んでいた。
窓枠も一部は木製で、木造の物干し台も付いていたりして、昔ながらの木造家屋の雰囲気をかなり残していた。
家屋の周囲には大きな木が何本かあり、一見すると木立の中に家があるようで、階段上から見てもなかなかの佇まいだった。
北向き斜面の下、小さな谷の底にある家屋群だったので、地形的には良い立地とは言い難かったが、それでもプリンスホテルの目の前の場所で、品川駅からもさほど遠い場所ではなかったので、このような状態で残されていたことがやや意外な感じさえする空間だった。
しかしやはり老朽化や居住者の高齢化などは進んでいたのだろう。2008年に全ての家屋が解体され、跡地には5階建てのマンションが建設された。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #階段・坂 港区 #長屋
高輪3-7の木造家屋群
所在地:港区高輪3-7
構造・階数:木1
備考 :解体
Photo 1996.6.27
二本榎通りから西へ入ったところの道路の南側に建ち並んでいた木造平屋の家屋群。少なくとも2000年頃までは存続していたようだが、2009年には既にコインパーキングになっていた。
通りに面してずらっと、平屋の木造家屋が連続しているのが印象的だった。この頃、一部の家屋は既に無人で、写真手前の家などはガラス戸の内側に蔦などが繁茂していて、家の中まで植物が入り込んでしまっている状況だった。
Photo 1996.6.27
ただ、いくつかの家の前には原付や自転車が駐められており、まだ生活の気配は残っていた。
二本榎通りの東側には味の素の研修施設があり、その少し南側には新高輪プリンスホテルなどもある。そのような尾根筋の二本榎通りからちょっと入ったところに、このような建物群があることがなんとも不思議だった。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #街並み 港区 #長屋
中央区立明石小学校
所在地:中央区明石町1
竣工年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
2010年解体・建て替え
Photo 2006.4.7 以下全て同じ
全体としては南側が開いたコの字型で、玄関左側の階段室より南側は2階建てだった。
北東側から。曲面を画いて張り出す軒先が印象的。
玄関部分はアーチ型。半円形の付け柱の間に長方形の窓が並ぶ。
東側の長いファサードの中で、階段室の塔屋はシンボルになっている。アーチ状になった壁面と窓が柔らかい感じでよい。
曲面を多用したファサード。門柱の上端も丸くなっている。華やかな装飾があるわけではないが、デザイン的にいろいろ工夫されていたことが分かる。
玄関上部のステンドグラスと校章。梁の角も丸く収められて柔らかな感じ。
外周の塀越しにしか見たことがなかったが、敷地南西側にあった講堂も、校舎と同じく軒先や角が丸く収められ、アーチ型の窓だったようだ。
明正小学校や中央小学校と同様、明石小学校も保存が要望されていたが、耐震性、老朽化、複合施設化の必要性などが言われ、中央区は解体・建て替えに踏み切った。2013年に幼稚園と一体的にされた新校舎が完成している。
関根要太郎研究室@はこだて > 東京都中央区立明石小学校(大正モダン建築探訪)
中央区立明石小学校
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #近代建築 #学校
中央区立明正小学校
所在地:中央区新川2-13
建設年:1927(昭和2)
構造・階数:RC・3F
備考 :2012年解体・建て替え
Photo 2001.6.17
いわゆる震災復興小学校と呼ばれる、関東大震災後〜昭和初期に建てられたRCの校舎。コの字型をしておりコーナー部が丸くなっている。また縦長の窓と横の帯が特徴。様式についてはあまり詳しくないが、流れるような曲面や横帯、楕円形の窓などは「表現派」と呼ばれるスタイルだという。
写真右手方向のカットもあるのだが、パノラマ状につながるようには撮っていなかった。パノラマ撮影しておけばよかったなとつくづく思う。
Google Map上の航空写真
北東側の越前堀公園は1930(昭和5)年に開設された震災復興小公園で、震災復興小学校である明正小学校とセットで造られたもの。
中央区内にはいくつかの震災復興小学校があり、明正小学校も貴重な近代建築であるとして日本建築学会などから保存要望が出されていたが、解体・建て替えの方針は変わらず、2012年に解体された。そして2014年に新校舎、明正小学校等複合施設がRC造、6F・地下1Fで竣工した。
関根要太郎研究室@はこだて > 東京都中央区立明正小学校(昭和モダン建築探訪)中央区立明正小学校
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #近代建築 #学校