都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2018年 8・9月 記事一覧

2018-09-30 | 記事一覧 

08/23 中野ハウス
08/27 日本長期信用銀行本店ビル(新生銀行本店ビル)
09/01 橋本ビル
09/09 国宝社
09/13 霞が関ビルから 新宿方面
09/17 旧台東区立福井中学校(旧東京市福井尋常小学校)

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旧台東区立福井中学校(旧東京市福井尋常小学校)

2018-09-17 | 台東区  
旧台東区立福井中学校(旧東京市福井尋常小学校)
所在地:台東区 浅草橋1-22
建築年:1929(昭和4)
構造/階数:RC/3F
備考 :2010(平成22)解体
Photo 2001.5.9

 旧台東区立福井中学校の建物は、当初は東京市福井尋常小学校として建てられたもの。戦後、中学校として使われることになったそうだ。

 その台東区立福井中学校は1991(平成3)年4月に蔵前中学校と統合されて、蔵前中学校の場所で区立浅草中学校になった。このため福井中学校の旧校舎は、その後しばらくは民間の学校などに短期貸付されるという暫定利用が行われていた。写真の2001年時点では聖進学院という学校に貸し出されていたようだ。

 写真では部分的に4F建てになっているが、当初の校舎は3Fで、後年増築されたものだという。窓と窓の間隔がやや大きく、間に太い柱があるというよりも、壁と窓が交互に並んだような外観に見える。各窓はやや縦長だが、窓台と各階の庇が横に連続していて、水平線も強調されている。装飾的なものはほぼ無く、モダニズム的な考え方で造られた学校建築だった。

 この後、2010年に旧校舎は解体され、現在は跡地に、ヒューリック浅草橋ビル(12F・B2F)というオフィスビルが建っている。

東京都台東区立旧福井中学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
台東区立福井中学校/浅草橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 台東区  #近代建築  #学校  #モダニズム 
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霞が関ビルから 新宿方面

2018-09-13 | 千代田区 

東京新旧写真比較(1988/2015) No.061 霞が関ビルから赤坂見附・新宿方面

 四半世紀のうちにビルがかなり増えて、新宿の超高層ビル街は特別なものではなくなっていた。

霞が関ビルから 赤坂見附・新宿方面
所在地:千代田区霞が関3-2
Photo 1988.5.3(マウスオフ)36Fの展望室から
Photo 2015.12.7(マウスオン)35Fの東海大学校友会館から
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 最上階の展望室がなくなってしまったので、全く同じ場所からは撮影できない。1フロア下から撮って画角などを後で調整したが、建物相互の位置関係は若干ずれている。

 1988年の写真は夜景なので細かい部分は判然としないが、右手の高層ビルはニューオータニ新館と赤坂プリンスホテル新館。また、一番右の空中の赤色灯は平河町にあったNHKの鉄塔のもの(たぶん)。

 画面中央が赤坂見附交差点で、鹿島建設のツインビルが明るく照らされている。左後方の暗い場所は、赤坂御用地・東宮御所や新宿御苑。左奥に新宿の繁華街や超高層ビル群が見えている。新宿界隈は当時からかなり明るかったようだ。それと超高層ビルが群になって林立しているのはこの頃は新宿ぐらいしかなかった。

 2015年の写真では、手前に大型のビルが増えたことが印象的だ。

 左手前の首相官邸や、右手前の議員会館は建て替えられて大きく変化している。左端には山王パークタワー、その右側はザ・キャピトルホテル東急、中央はプルデンシャルタワーで、その左陰にはAKASAKA K-TOWERが見えている。

 赤坂プリンスホテル新館は無くなり、東京ガーデンテラス紀尾井町の大きなビルができた(2015年時点では建設中)。右端には防衛省の通信塔も見えている。

 新宿の超高層ビルにも都庁などが加わり、以前よりも更に山のように見えている。

Site Y.M. 建築・都市徘徊Cityscape of Tokyo

#東京新旧写真比較  #東京新旧写真比較 千代田区
#眺望  #塔  #高層ビル  #夕景・夜景 
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国宝社

2018-09-09 | 文京区  
国宝社
所在地:文京区 小石川3-36
建設年:1956(昭和31)
構造/階数:RC/4F
備考 :2008.3〜2009.11に解体
Photo 1998.6.8

 国宝社は1919(大正8)年に創業した製本会社。この建物は1956(昭和31)年に小石川工場として建てられたものだったようだ。しかしGoogle Street Viewでみると、2009年11月時点で既に解体されており、現在、同所は村中医療器東京支店となっている。

 窓が横に連続(横連窓)して外光を多く取り入れていたり、コーナー部分が丸められているあたり、モダニズムの工場デザインをかなり意識した建物だったのではないかと思う。戦後の建物でもあり、あまり話題にはなっていなかったのだろうが、ちょっと印象的な工場建築だった。

 いつも参考にしている「ぼくの近代建築コレクション」内の記事、「国宝社小石川工場」には2007年2月の写真があるが、この写真では「株式会社ヤマシタ第二工場」という看板が見て取れる。

 この株式会社ヤマシタは近くの小石川3-36-6に本社がある印刷会社のようで、現在は第二工場が小石川3-38-12にある。同社のサイトでは「2008年3月に第二工場移転」とあるので、写真の工場建物は2008〜09年に解体されたようだ。

 ところで、現在のヤマシタ第二工場の場所は、現在の国宝社の本社の所在地でもあり、Google Mapでも「(株)國寶社ビル」と記されている。両者のサイトには相互の関係は書かれていないようだが、印刷と製本という同種の事業でもあるので、昔から相互にかなり関係のある会社だったのではないかと思われる。

国宝社小石川工場/小石川3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #オフィス  #工場 
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橋本ビル

2018-09-01 | 中央区  
橋本ビル
所在地:中央区 京橋3-7
構造/階数:RC/4
備考 :2016年解体
Photo 2014.5.27

 鍛冶橋通り沿い、中央通りとの京橋交差点を越えて少し進んだ右側(南側)に建っていた4階建てオフィスビル。後方の黒いビルとも構造的には一つだったが、そちらは別名で「篠塚本社ビル」という名だったそうだ。

 いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」というブログの該当記事には、周辺が建て替わっていない1986(昭和61)時点の写真が掲載されているが、この時点では後方の篠塚本社ビルも同じような外壁になっている。

橋本ビル/中央区京橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション


 Photo 2006.1.27

 窓と窓の間のやや茶色い壁面はスクラッチタイル張り。またその他の明るい茶色の壁面は、塗料を混ぜたコンクリートで造られていたのだろうか。繁華街の街角にあったちょっとモダンでお洒落なオフィスビルだった。


 Photo 2015.4.28

 2階には東京搬送機(株)という会社が入居していた。また、上層階への入口は鍛冶橋通り側の西端(一枚目写真で建物右端)にあった。

 2016(平成28)にこのビルは解体され、現在、跡地には「ホテルインターゲート東京 京橋」というホテルができている。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス 
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