都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2025年2月 記事一覧

2025-02-28 | 記事一覧 

02/03 協立製本(株)第二工場、岡村紙工
02/06 旧 綿貫理髪店
02/09 関口書店・小山履物店
02/12 九谷焼商会
02/15 旧 同志看護婦家政婦紹介所
02/18 旧 料亭箱根
02/21 アンヂェラス
02/24 Once Upon A Time
02/27 台東区立坂本小学校(旧入谷尋常小学校)

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台東区立坂本小学校

2025-02-27 | 台東区  
台東区立坂本小学校(旧入谷尋常小学校)
所在地:台東区 下谷1-12-8
構造・階数:RC・3
建設年:1926(大正15)
解体年:2022(令和4)
備考 :1996(平成8)に小学校は閉校
Photo 2012.12.18

 入谷駅近くの言問通り、入谷の鬼子母神の西隣にあった震災復興小学校。玄関まわりや階段室の頂部に放物線が用いられていて、当時、出始めていた表現派風のデザインが見られるとされる。

 玄関アーチが放物線になっているだけでなく、柱から庇へ至る部分も曲面でつながっている。

 校舎は南側に開いたコの字型。左端は講堂(体育館)。
 柱は丸柱が壁面に付く形で、壁面上部に桁がまわされている。

 東側から。東北角だけは面が取られていた。手前は真源寺(入谷鬼子母神)

 統合されて坂本小学校は閉校になり、その後、区の施設として20年以上利用されてきたが、2022年に校舎も解体。跡地は現在、暫定広場となっている。

東京都台東区立旧坂本小学校(大正モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
台東区立坂本小学校/下谷1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
【台東区の旧坂本小】26、27日に「棟下式」開催/96年の歴史に労い | 建設通信新聞Digital

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#失われた建物 台東区  #学校  #震災復興 
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Once Upon A Time(ワンスアポンアタイム)

2025-02-24 | 台東区  
Once Upon A Time(ワンスアポンアタイム)
所在地:台東区 上野1-3-3
構造・階数:煉瓦・2
建設年:明治時代初期
解体年:2023(令和5).10
備考 :1976(昭和51)頃、改装してバーになった
Photo 2011.10.9

 明治時代初期に建てられた煉瓦蔵。1965(昭和40)年発行の東京都全住宅案内図帳では隣(上写真の手前側)に池田ビルがあって、蔵はその別棟とされている。また、下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事には、酒屋の倉庫だったとある。

 改装されて1976年頃にバーになったそうで、それから40年以上営業していたことになるが、一昨年秋に解体された。
 写真の時は屋根にブルーシートが掛けられている。2011年秋の撮影なので、東日本大震災で瓦が落ちたりして応急措置がとられていたタイミングだったのではないかと思う。解体少し前の頃に撮られた他の方の写真では瓦屋根が復活していた。

 煉瓦造の蔵は都心では数えるほどになっているのではないだろうか。明治時代の建物はやはりかなり少なくなっている。

Once Upon A Time/上野1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 台東区  #倉庫・蔵  #飲食店 
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アンヂェラス

2025-02-21 | 台東区  
アンヂェラス
所在地:台東区 浅草1-17-6
構造・階数:木・2+屋根裏3
建設年:1946(昭和21)
解体年:2019(令和元)
Photo 2016.11.29

 浅草、オレンジ通りに面してあった老舗喫茶店。2、3回しか入ったことがないし、店内の様子は撮らずじまいであまり覚えていない。ただ、天井や窓の位置が低い場所があったりする少し変わった空間だなとちょっと思った記憶はあった。

 今回改めてチェックしたところ、その感覚はこの建物の経緯と関係があったようだ。下記、J-CASTニュースの記事によれば、創業時は平屋で建てられたが、内部に2階を造り、屋根裏を3階としたのだという。

 外観はハーフティンバーぽい洋風建物。内部は濃いめの木を多用した山小屋調の雰囲気。

 老舗喫茶店として有名だったが、建物の老朽化により2019年3月に閉店して解体された。レトロな喫茶店は都内にまだ残っているが、見ておかないとそれらもそのうちなくなってしまうのかもしれない。

浅草の名物喫茶店「アンヂェラス」70余年の歴史に幕へ
 街の復興夢見た創業者・澤田要蔵さんの功績: J-CAST ニュース【全文表示】

浅草 喫茶 アンヂェラス(閉店) - レトロ絵日記 de 街さんぽ
さようならアンヂェラス | 村井美樹オフィシャルブログ「村井美樹のつれづれ日記」 Powered by Ameba

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#失われた建物 文京区  #飲食店 
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旧料亭箱根

2025-02-18 | 文京区  
旧料亭箱根
所在地:文京区 本駒込5-59-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2011〜12(平成23〜24)
Photo 2010.11.21

 不忍通りの北側、迷路のようにも思える一角が駒込の神明花街だった場所。戦災で大半が焼失したので界隈には戦前の建物はおそらくない。

 料亭箱根の建物も戦後まもなくのもの。1970年代まで営業していたそうだが、写真の時には既に個人宅になっていた。往時の料亭建物はこの時点で既にこの一軒だけ。従って、同地区内の他の料亭建物とは比較しようがないのだが、昔の住宅地図などから判断すると、この界隈の料亭の中では大きなものだったようだ。

 2階建てだが階高が比較的高い。部屋数も多かったのではないかと思われる。蔦が壁一面に広がっている姿が印象的。下記リンク先「古今東西舎」内の写真は私の写真より少し前のものらしく、樹木がいくつかあるが、私が訪れた時は既に伐られていた。

 なお、写真にある「近藤医院」は道を左へ行った先にあるお医者さんで、これはそこへの案内看板。


 南西側から入口付近

 駒込神明花街は1922(大正11)年に三業地の許可が下りて営業を始めた花街だそうだ。神明の名は現在の本駒込3-40にある駒込神明宮(現駒込天祖神社)から採ったもの。花街は関東大震災のあと急速に発展したそうで、『全国花街めぐり』松川二郎著には、1929(昭和4)年時点で、芸妓屋78軒、芸妓202名、幇間4名、料理屋21軒、待合67軒があったと記されているという。戦前の最盛期には芸妓が400人もいたという大きな花街だった。

 1945(昭和20)年の戦災で一帯は焼失。戦後は昭和30年頃までが最盛期で、1956(昭和31)年時点では、料亭33軒、芸妓屋22軒、芸妓53人だった。その後は次第に衰退し、1972(昭和47)年時点では、料亭9軒、芸者が約20人。昭和50年代半ばには見番もなくなったという。料亭箱根は後期まで営業していたもののひとつ。


 北東側から 手前のえんじ色の壁の建物も旧料亭箱根の一部

参考『東京 花街・粋な街』上村敏彦 著、街と暮らし社、2008

駒込(旧神明花街)かつての料亭「箱根」の建物。 - 古今東西舎

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#失われた建物 文京区  #遊興施設  ブログ内タグ一覧
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旧 同志看護婦家政婦紹介所

2025-02-15 | 文京区  
旧 同志看護婦家政婦紹介所
所在地:文京区 本郷2-24-11
構造・階数:木・2(屋根裏3)
建設年:震災後〜昭和初期
解体年:2010〜13(平成22〜25)
Photo 2006.10.22

 大横丁通りから南に入ったところにあった銅板張り看板建築。一部にはギャンブレル屋根が載っていて屋根裏3階建てになっていた。側面や屋根はトタン張りだったが、ファサードは全て銅板張りで、やや狭い小路に面して案外迫力のあるものになっていた。

 関東大震災後に震災復興区画整理が行われた場所なので、昭和初期に建てられたものと思われるが、当初の用途等は不明。

 戦後、1951年の火保図では「同志会看護婦」、その後は90年代まで「同志看護婦・家政婦紹介所」などとして住宅地図に記載されている。「同志」がなんらかの組織を表すものなのか、単なる意味での「同志」なのかは知らず。「同志会」というキリスト教系の財団が経営する学生寮が西片にあるそうなのだが、これと関係があったのかどうかも不明。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」内の1988年の写真には看護婦・家政婦紹介所の縦書き看板が設置されていることが判るが、1990年代後半にその活動は終了したようで、この頃以降は住宅地図でも個人宅として記載されている。

 窓や引き戸はアルミサッシに替えられていたが、欄間状の部分には木製枠の小窓が一部残っていた。また、出窓部分の窓台まわりや窓上の庇も丁寧に銅板で覆われていた。

同志職業紹介所、伊東米店/本郷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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九谷焼商会

2025-02-12 | 文京区  
九谷焼商会
所在地:文京区 本郷2-24-9
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜昭和初期
解体年代:2010〜13(平成22〜25)
Photo 2006.10.22

 前項と同じく大横丁通りに面して建っていた商店で、こちらは銅板張り看板建築。下記「ぼくの近代建築コレクション」の1988年撮影の写真では、モルタル看板建築の化粧品店が右隣に並んでいたことがわかるが、私が撮ったときはそれは既になく、マンションなどの間に単独で建っている状態になっていた。

 屋根は寄棟瓦葺きだったようで、ファサード上部に軒先がちょっとだけ見えていた。銅板張り部分は剥がれたり欠けたりしておらず、比較的きれい。かつては袖看板があったのか、右端には道路側へ棒が張り出している。また、1階のビニール庇の少し上には白い出っ張りが2つある。昔はここに店の看板が載っていたのかもしれない。

三豊商店、他/本郷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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関口書店・小山履物店

2025-02-09 | 文京区  
関口書店・小山履物店
所在地:文京区 本郷2-19-7・8
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前
解体年 :2014(平成26).7末
Photo 2014.7.15

 本郷の大横丁通り沿いにあった2軒続きのタイル張り看板建築。2軒とも戦後まもなくの火保図に既に記載されているお店。この一角は戦災では焼失しなかったようなので、建物も戦前のものだったのかもしれない。

 関東大震災ではこの界隈までが焼失したようで、大横丁通り以南では震災復興区画整理が行われている。このため大横丁通りには昭和初期に銅板張りやタイル張りなどの看板建築が多く建てられ、90年代あたりまでは多くの店がまだその建物で営業を続けていた。

 タイルの色味が若干異なるが、それ以外のファサードデザインはほぼ同じ。構造的には一体だったものと思われるが、老朽化のためか軒先や庇のラインが一直線ではなく、ちょっと折れた感じになっていた。

 下記、「東京 DOWNTOWN STREET 1980's」には2013年2月時点の写真が掲載されていて、この時には関口書店の方はまだ営業していたようだ。

 ただ、2000年代以降、老朽化や代替わり、所有者の変化、廃業などに伴い、界隈の看板建築はかなり減少している。この看板建築も写真の2週間ほど後に解体されてしまった。

本郷大横丁/本郷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
文京区本郷界隈〜最近消えた景色 - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's

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#失われた建物 文京区  #看板建築  #タイル張り看板建築 
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旧 綿貫理髪店

2025-02-06 | 文京区  
旧 綿貫理髪店
所在地:文京区 白山1-10-8
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2015(平成27)
Photo 2008.3.28

 白山1丁目、旧丸山福山町にあった理髪店の建物。装飾はほとんどないが、2階建て平入りのモルタル看板建築になっていた。


 Photo 2008.6.4

 戦前の火保図には同様の建物の外形が記されているので建物自体は既にあったようだが、店名などは記されおらず、いつ頃から理髪店として営業していたのかは不明。その後、昭和40年代から昭和の終わり頃までは理髪店として住宅地図に記載されている。

 写真の頃は既に廃業して仕舞屋になっていたが、床屋のくるくるサインはそのまま掲げられていた。


 東側から Photo 2008.3.28

 側面や後方の壁面、窓上の庇などはトタン張り、屋根はセメント瓦?で、やや傷みが激しかった。写真の後も存続していたが、2015年に解体され、現在は3階建ての集合住宅?になっている。

綿貫理髪店、二軒長屋/白山1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #看板建築  #モルタル看板建築 
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協立製本(株)第二工場、岡村紙工

2025-02-03 | 文京区  
協立製本(株)第二工場、岡村紙工
所在地:文京区 白山1-10-5
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2019(平成31).7
Photo 2008.3.28

 白山三業地の東側、旧丸山福山町にあった洋風モルタル看板建築の工場。白山界隈は、製本、紙、印刷など、出版関連の工場が多くあるが、古い工場建物は建て替えられたりして次第に減っている。この工場建物も5年ほど前に解体されて、跡地は現在、マンションになっている。

 平入りの二軒長屋で、2階には付柱とアーチが付く。ただ、付柱は本格的な様式建築のデザインではなく、梁を支えているわけでもない。アーチも付柱の途中から架かっており、よく見るとちょっと変なことになっているが、そのあたりが建物の個性になっており、建物を印象的なものにしている。

旧協立製本(株)第二工場・岡村紙工 文京区白山 - 東京ノスタルジア
協立製本、四軒長屋/白山1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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