都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧湯浅屋/細越菓子店

2024-11-27 | 中央区  


 Photo 2001.4.22

 
 
所在地:   
構造・階数: 
建設年:   
解体年:   
左:湯浅屋
(H邸、N邸)
中央区 築地7-10-1  
木・2
1935(昭和10)頃
2020〜21(令和2〜3) 
右:細越菓子店、
クリーニング ユニバース築地店
同左
木・2
震災後〜戦前
2018(平成30)初

 築地、あかつき公園のそばにあった2棟の銅板張り看板建築。あかつき公園の場所はかつては隅田川につながる明石堀という運河で、公園は1970(昭和45)年に運河を埋め立てて造られた。この看板建築はその明石堀に架けられた南明橋の橋詰近くにあったもの。

 左側、角地の建物は、瓦葺きの屋根を隠しておらず、角地に面して屋根も面を取っている。下記、中央区の「中央区近代建築物調査」のページによると、湯浅屋という海産物問屋として建てられたものだったそうだ。
 戦後の1950年発行の火災保険特殊地図では麻雀屋、1965年の住宅地図では日山電機KKとして記されているが、70年代以降は仕舞屋で住宅になっていたようだ。

 右側の建物も、下記、中央区のページによれば「コンクリート製の床に砂を敷き、板床を貼り、乾燥が必要な海産物問屋の設えが残されている。」と記されている。
 こちらも戦後は業態が替わったようで、1950年の火保図や1965年の住宅地図では「細越商店」、その後は「細越菓子店」となっていた。写真の頃は菓子店も既にやめていたかもしれないが、その後も建物は残されていた。

 残念ながらこれらの建物は、平成の終わりから令和に掛けて解体された。築地界隈には第二次大戦の空襲被害から免れていた地区もあり、震災後から戦前に建てられた銅板張り看板建築が数多く残されていたが、老朽化や代替わり、マンション・オフィス需要の高まりなどもあって、近年は解体されることが増え、それらは少なくなっている。

中央区ホームページ/湯浅屋
細越菓子店/築地7丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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尾張町ビル

2024-11-24 | 中央区  
尾張町ビル
所在地:中央区 銀座6-8-3
構造・階数:SRC・7F(当初は6F)
建設年:1933(昭和8)
解体年:2010〜11(令和2〜3)
Photo 2008.1.26

 銀座中央通りのひとつ西側のすずらん通りとみゆき通りの交差点に面して建っていたビル。

 英国屋があったビルという印象だったが、調べてみたら英國屋はこのビルの完成当初から入居していたわけではなかった。
 下記、英國屋のサイトと50年史によれば、同社は日本橋丸善裏で小林洋服店として1940(昭和15)年に創業。1952(昭和27)年に銀座四丁目で(株)英國屋を設立。銀座六丁目店は1953(昭和28)に開店したという。

 従って1950年の火災保険特殊地図では尾張町ビルはあるが、英國屋の名は入居していた店としてはまだない。建物は当初は6階建てで、当時入居していた店としてはTuji洋品、一番(料理店)、バーカジノシローの名が見られる。

 90年代の住宅地図で見てもかなり多くの店やオフィスが入居している。当時、英國屋は1階に店舗、3階に事務所が入っていた。みゆき通りに面していたフタバヤ靴店も同様。尾張町ビルの事務所は4階。1Fには他に陶芸社、マリリン、バー龍、今泉商会の名があり、B1Fにはパブも入居していたようだ。路面店以外のテナントや上層階への入口は写真左手、すずらん通り側にあった。
 大きなビルだったので大きな会社の事務所が多くを占めているのかと思っていたが、実際は多くの店舗やオフィスが入居するテナントビルだったらしい。


 Photo 1995.4.30

 1階は石張り、2階から上は塗装。1階と2階の境部分以外には装飾らしいものがなかったが、縦長の上げ下げ窓があるためクラシックな感じに見えていた。また、すずらん通り側に並ぶ自販機の後ろの開口部はガラスブロックになっていた(当初からのものだったのかは分からない)。

 英國屋は現在は晴海通りより北側のエリアに店を構えている。尾張町ビルの解体直前まであったと思っていたが、2009年11月時点のGoogleストリートビューでは「ロンドンからくり博物館」になっており、英國屋は2008年かその翌年には銀座六丁目店を閉じたようだ。

 なお、同所には2012年8月に銀座尾張町タワービルが竣工している。

オーダースーツの銀座英國屋|東京・大阪に5店舗で創業80年
英國屋50年史

尾張町ビル、第三高嶋ビル/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス  #商業系 
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福隆美術工芸

2024-11-18 | 中央区  
福隆美術工芸
所在地:中央区 銀座2-11-4
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2019(平成31/令和元)
備考 :福隆美術工芸は1968年頃開店、2019年に八丁堀に移転。
Photo 2006.4.7

 昭和通り沿いにあった骨董店。歩道に張り出して「刀」と大書された看板が目立っていて、古めかしい店の様子とも相俟って印象的な建物だった。


 Photo 2007.5.26

 一帯は戦災で焼失した地域で、古そうに見えたこの建物も戦後まもなくに建てられたものだったようだ。下記『銀ぶら百年』によれば、当初は和菓子屋で、その後は雀荘だったという。昭和40年代に骨董店としたそうで、画家の先代が絵を売り、骨董屋も始めた。そして2代目になって刀剣や鎧などの武具が中心になったのだという。

 下記、同店のサイトによれば、銀座で51年間営業した後、2019年4月に八丁堀に移転したという。なので、逆算すると1968(昭和43)年頃に開店したということになる。


 Photo 2007.5.26

 新店舗はきれいなビルの1階。店内も恐らくきれいなのだろうが、骨董店としては時間が止まったかのような姿をした店の方が似合っているような気がしてしまったりもする。ただもちろんそれは見る側の勝手な期待。廃屋のようだと入りづらくなってしまうし、古い建物で店を続けるのには問題も多い。貴重な商品を扱うお店が老朽化した建物から移転するのはやはり自然な成り行きなのだろう。昔の姿はひとまず写真で残しておくことにするのが良いのかもしれない。

福隆美術工芸 公式ホームページ
参考『銀ぶら百年』泉麻人 著、文藝春秋 刊、2022

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久長家住宅

2024-11-15 | 中央区  
久長家住宅・アトリエ久長
所在地:中央区 入船1-6-6
構造・階数:木・2
建設年:1929(昭和4)
解体年:2020〜21(令和2〜3)
備考 :元 米屋の建物
Photo 2013.10.13

 出桁造りの町屋。下記、中央区の「中央区近代建築物調査」のページによれば、米屋として関東大震災後の1929(昭和4)年に建てられたものだったそうだ。

 震災後の都心商業地では、銅板張りなどで洋風に見せた看板建築が多く建てられたが、そのようななかこの米店は在来型の立派な出桁造りを建てた。ただ、1階の店舗の軒先は銅板張りのベランダにしていて、在来町屋とは少々異なる。また、2階の戸袋も銅板張り、側面はモルタル塗り(これは後年の改装だったのかもしれないが)。昭和初期の状況を踏まえて、防火と少しの洋風化を考えたのかもしれないと思わせる。

 後方の別棟はギャンブレル屋根。こちらも屋根裏3Fだったようだ。

 戦後の1950(昭和25)年の火災保険特殊地図では「久長工具」となっているが、1970年代以降の住宅地図では個人宅で仕舞屋だったようだ。2000年代頃以降は「アトリエ久長」。Google ストリートビューでは、2020年2月までは存在を確認できたが、2021年6月の画像では既にコインパーキングで、この頃に解体されて消失したようだ。

中央区ホームページ/久長家住宅

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丸新青果、森永牛乳販売店

2024-09-21 | 中央区  
丸新青果、森永牛乳販売店
所在地:中央区 新富1-6-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:1995~98(平成7~10)
Photo 1995.6.20

 新富1-6街区の南端角にあった2軒続きの看板建築。角地の丸新青果は柱部分は恐らくタイル張り、2階壁面は、わずかに色が異なる2種類の石板か大きめの正方形タイルを市松模様に張っていたようだ。一方、左側の森永牛乳の販売店は恐らくモルタル塗りで縞々模様になっていた。

 左奥の川島産業(株)は、2022年9月時点のGoogleストリートビューで剥落防止のネットが掛けられているが存在している。最近は見ていないので判らないが現存しているかもしれない。
 右奥は新光貨物新富倉庫で、こちらは丸新青果と同時期に解体された模様。現在はHF銀座レジデンスEAST2(1999年の竣工時の名称はメゾン・ド・ヴィレ銀座東)というマンションになっている。

 新富町は戦争では焼失していないようだが、この建物は戦後まもなくの時期に建てられたもののようだ。戦前、1933年の火災保険特殊地図ではここは「新富演芸場(新富座とは別)」となっている。この新富演芸場は戦後は新富2-3、三業地の見番の場所に移転し、1949頃に閉業したという。
 1950年の火災保険特殊地図では、丸新果物S・喫茶店として記載があり、60年代の住宅地図では、八百屋丸新とH邸、70年代には丸新八百屋と森永牛乳、80年代以降は丸新青果と森永牛乳という形で記載されている。

丸新青果店、他/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#看板建築  #モルタル看板建築  #タイル張り看板建築 
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旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店

2024-09-03 | 中央区  
旧 加藤物産KK?/旧 村井堀留店/東京中栄株式会社(倉庫)
所在地:中央区 日本橋堀留町 2-1-6
構造・階数:木・3
建設年:戦前?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 1996.10.6

 解体直前に見て写真を撮った(3、4枚目)が、昔の名前などが判らず気になっていた建物。最近、90年代に撮ったリバーサルフィルムを見返していたら、同じ建物をたまたま撮っていたことが分かった。そこで改めて昔の住宅地図などを国会図書館などで閲覧。以前よりは少しだけ様子が分かったので再掲。

 戦前(1932年・昭和7年)の火災保険特殊地図では「内田」。なんらかの商店だったのではないかと思われるが詳細は不明。写真の建物が「内田」だったかも不明。

 戦後(1949年・昭和24年)の火災保険特殊地図では「加藤物産KK」。堀留町2丁目の一部は戦災では焼失しなかったようなので、昭和10年代とかに建てられたものなら、この建物はかつては加藤物産KKだったのかもしれない。もちろん建物の古さ加減からの推測だが。

 1963(昭和38)年発行の全住宅案内図帳・中央区では「村井堀留店」。加藤物産KKも、村井もしくは村井堀留店も今はない会社のようで、詳細は不明。同名の会社は国内にあるが、それらの創業時期や沿革から判断すると、この時期に日本橋堀留町にオフィスがあった会社ではないようだ。

 1973年、1980年の住宅地図では空き屋で、かなり前にいちど使われなくなっていたようだ。

 1995年の住宅地図では、東隣の東京中栄株式会社の倉庫。1枚目のファサード部分を少し拡大すると、隣の東京中栄株式会社のビルとほぼ繋がっているように見える。


 Photo 2011.1.26

 その後の住宅地図によれば、2000年頃以降はまた空き屋になっていたようだ。東隣にあった東京中栄株式会社のビルもなくなり、跡地には2002年にマンションが完成している。新しめのビルだけがなくなって、古い木造だけが残っていたのはなにか理由があったのだろう。

 2011年の撮影時、木造3階の建物は崩れかけていた。壁が剥落して壁裏が見えており、木造モルタル塗りだったことが逆によく分かる。
 倒壊のおそれがあるので近づかないようにという貼り紙があり、中央区役所が管理しているようだったが、どのような経緯でそうなったのかは分からない。


 Photo 2011.1.26

 写真の後、3月の東日本大震災で半壊したそうで、その後建物は解体され、現在は同所もマンションになっている。

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テーラーエマ・ENZO

2024-06-09 | 中央区  
テーラーエマ・ENZO
所在地:中央区 八重洲2-9-9
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2009(平成21)
Photo 2006.1.28

 現在の東京スクエアガーデンの裏手、柳通りに面して建っていた木造2階のちょっと洋風な店舗。界隈は戦時中の空襲で焼失した場所なので、戦後の建物だったのではないかと思うが詳細は不明。1950年代の火保図では「エマ洋服S」(SはShop、店の略)と記されているので、既にその頃から営業していたようだ。

 装飾はほとんどなく、窓も引き戸で戸袋があるので洋風というのはおかしいかもしれないが、黄土色に塗られた壁面と窓上の小さな庇のため、わずかに洒落た感じに見えていた。

 2000年代の住宅地図にはテーラーエマの名とともに「エンツォアクセサリーコレクション江間」も記されている。壁面のENZOはこの店の名から記されているもの。実はこの住宅地図で初めて、エマが名前ではなく、江間という苗字だったということを知った。

 八重洲界隈も最近は大型の再開発が次々に行われている。この一角の再開発はまだ本格化していないが、この建物は15年ほど前に解体され、以降はコインパーキングになっている。

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協和美術印刷

2024-06-06 | 中央区  
協和美術印刷(株)
所在地:中央区 湊1-12-4
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前
解体年:2016(平成28)
Photo 2006.4.7

 亀島川と隅田川が合流する場所、南高橋の少し南側の川沿いの道に面してあった銅板張り看板建築。
 1階は改装されていたようでアルミサッシの引き戸とトタン張りの引き戸、側面も波板トタン張りだったが、2階のファサードは全面が銅板張りだった。


 Photo 2013.10.13

 震災後〜戦前の建物だったようだが、元から協和美術印刷だったかどうかは不明。戦前版の火災保険特殊地図には建物名が記されていない。
 ただ、戦後の火保図(1950年)では「協和印刷KK」とあり、また、1963年発行の全住宅案内図帳(中央区)では、既に「協和美術印刷(株)」と記されている。

銅板張りの併用住宅 中央区湊 - 東京ノスタルジア

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中央薬局

2024-06-03 | 中央区  
中央薬局
所在地:中央区 湊1-11-3
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前?
解体年:2012(平成24)
Photo 2006.4.7

 鐵砲洲稲荷や区立鉄砲洲児童公園の東側の一角、鉄砲洲通りのひとつ東側の道沿いの街並み。
 中央薬局は妻入の木造2階だったようだが、道沿いの1階と2階には庇が付けられており、また2階の両端には袖壁らしきものもあった。

 中央左のギャンブレル屋根の3階建て(三葉企画)や、その左側のモルタル看板建築(品川練炭・今村商店)は建物が現存するが、中央薬局は2012年に解体されて、以降はコインパーキングになっている。

 中央区の湊界隈は第二次大戦の空襲ではあまり焼失していないため、震災後から戦前期の住宅併用建物が多くあったが、老朽化が進んで再開発が企画されることも増え、最近は高層や超高層のマンションも増えている。

中央薬局、他/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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協友社

2024-05-30 | 中央区  
協友社
所在地:中央区 湊1-7-6
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前?
解体年:2020(令和2)
Photo 2013.10.13

 中央区湊1丁目の角地に建っていたちょっと洋風な建物。界隈は戦災では焼失しなかった地区なので、この建物も恐らく戦前に建てられたものだったのだろう。

 賃貸だったのか年代によって入居している会社は様々に入れ替わっていたようだ。1962年時点では個人宅、1973年では長谷川運輸、1982年では日本商工出版販売所、1991年には(株)協友社と(株)協進精螺になっている。
 また、下記「ぼくの近代建築コレクション」には、「区役所の出張所が置かれていたこともあるらしい。」とあって、確かに、1950年発行の火災保険特殊地図には「中央区役所第二出張所」と記されている。なお、戦前版では小規模の建物の場合、名称が記されなかったりするため詳細は不明。

籠平、他/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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