円山町の階段
所在地:渋谷区円山町12と14の間 Google Map
型 :直
段数 :31段(上部10段、下部北側21段、下部南側20段)
幅 :上部3.0m、下部北側2.3m、下部南側0.8~1.1m
高低差:5.6m
長さ :約22m
蹴上 :16~20cm(最下部は50cm)
踏み面:29~43cm
傾斜 :上部20°、下部北側28~33°、下部南側34°
Photo 2011.11.20
神泉駅付近には、北側の鍋島松濤公園の谷と合流する小さな谷がある。駅のあたりから北に5つ、東向きに上る階段が並んでいる。5つの階段は全て同じような高低差の斜面を上るものだが、それぞれ少しずつ形が異なっている。
北から2番目のこの階段は、下部が二手に分かれているもの。南側はマンションで、敷地内に設置されているが、北側の部分と傾斜や平場の造り方が異なるためか、両者の間には仕切り壁が造られている。北側部分の階段は道路からの引きが全くなく、階段を下りると道路にいきなり飛び出してしまい、やや危険。一番下の段もL字型側溝と合わせて段差が50cmもあり、これも下りる際に注意を要する。
北側の隣接地では建物が新築中。もし階段の北側部分が私道なら、建物の新築に併せて階段の改築も今後行われるかもしれない。
#階段・坂 渋谷区
渋谷区立鍋島松濤公園
所在地:渋谷区松濤2-10 Google Map
Photo 2011.11.20
松濤は、江戸時代には紀州徳川家の下屋敷があったところで、明治時代に旧佐賀藩主の鍋島家に払い下げられたという。鍋島家はここに狭山茶を移植して松濤園という茶園をつくり、茶を売っていたといい、松濤の地名もそれにちなむそうだ。その後、茶園は廃止されて果樹園になり、大正時代には分譲されて住宅地になったという。1880年(明治13)の1/20,000迅速地図には、東側の高台に確かに茶畑のマークが並んでいる。現在の松濤の御屋敷町は茶畑が宅地化された場所なのだった。
また、1909年(明治42)の地図には、池の西側一帯に「牧場」の文字が読み取れる。明治期の渋谷は、東京の街の少し外側で、茶畑や牧場が広がる郊外だったようだ。
鍋島松濤公園は児童遊園として造られた後、1932年(昭和7)に東京市に寄贈され、更に渋谷区に移管されたものだそうだ。小さな谷地の最奥部にあたる場所にあり、谷は東急本店やセンター街を経て、渋谷川へと続く。園内の池は湧き水で、これは渋谷界隈に残る数少ないものだそうだ。
渋谷区 > 鍋島松濤公園
Wikipedia > 鍋島松濤公園、松濤
スリバチブログ > 渋谷至近の谷戸公園(111029報告)
#公園 #海・川・池 #地形
宇田川町の階段
所在地:渋谷区宇田川町10と11の間 Google Map
段数 :17段
Photo 2011.11.20
宇田川町の神南小学校西側にある階段。雑貨店やレストラン、CDショップなど、いかにも渋谷らしい店舗が並ぶが、中心部から少し離れるためか、さほど人通りは多くない。周辺の壁に落書きがあったり、階段の手摺りにも店のシールが貼られていたりと、あまりきれいな景色ではないが、そのへんはやはり繁華街ならでは。
#階段・坂 渋谷区 #商業系
スペイン坂
所在地:渋谷区宇田川町13と16の間 Google Map
型 :くの字
段数 :23段
幅 :3.3~3.6m
高低差:約3.5m
長さ :約12m
蹴上 :15cm
踏み面:37cm
傾斜 :22°
Photo 2011.11.20
日曜午後のスペイン坂は、大勢の人でごった返していた。やや人通りが少なくなった瞬間を狙って一枚。こんな場所で階段の写真を撮っていると、怪訝な顔をして通り過ぎる人も多いが、最近は次第にそういうのにも慣れてきてしまった。図々しくなったというか、鈍感になったというか・・・。
#階段・坂 渋谷区 #街並み 渋谷区 #道 #商業系
百軒店 B.Y.G・ライオン
所在地:渋谷区道玄坂2-19 Google Map
Photo 2011.11.20
百軒店は道玄坂から坂を上った先のループ状になった街区の一角。最近はマンションや風俗店が混在するような場所になってきたが、昔からの名曲喫茶や、ジャズ喫茶もまだ健在。百軒店は戦災で焼失したため、古いものでも戦後に建てられたものらしいが、それでも既に築60年程度になっているようだ。ライオンでクラシックを聴きながらボーッとしていると、21世紀の渋谷にいることを忘れてしまう。
B.Y.G
名曲喫茶ライオン
渋谷の隠れ家|百軒店商店街|道玄坂
Wikipedia > 百軒店
Site Y.M. 建築・都市徘徊 > 百軒店の看板建築
#古い建物 渋谷区 #街並み 渋谷区 #商業系
道玄坂の木造3F
所在地:渋谷区道玄坂2-10 Google Map
Photo 2011.11.20
前にもいちど載せたことがある道玄坂途中の5棟の木造建物。毎回、もう無くなっちゃったかなぁと思いながら通りかかる。店舗としてはもうしばらく営業しておらず、ずっとシャッターが下りたままなのだが、なぜかまだ建物は存続している。以前の記事を見返したら、7年前から既にネットが掛かって、現在と似た状況だったようだ。どういう経緯なのか分からないが、長期間使われないで閉じているのは残念だ。
Site Y.M. 建築・都市徘徊 > 道玄坂のマンサード・看板建築
#古い建物 渋谷区 #失われた建物 渋谷区 #階段・坂 渋谷区
#街並み 渋谷区 #看板建築 #モルタル看板建築 #ギャンブレル屋根
旧清水市内北部のお寺をもう一つ。
真珠院 門
所在地:静岡市清水区梅ヶ谷 Google Map
Photo 2011.2.19
初めて訪れたのは、登録文化財に指定されている鐘楼を見に行った時。その時は鐘楼に気を取られて素通りしてしまったが、実はこの門も秀逸。コンクリート製で、一応単なる門柱なのだが、常夜灯のようでもあり、相輪のようなものがあるあたりは仏塔的でもあり、なんだかちょっと変わっている。
真珠院 山門
Photo 2011.2.19
参道の途中には木造瓦葺きの四脚門である山門もあって、それも立派なのだが、こちらはオーソドックス。境内には市の天然記念物にもなっている梛(ナギ)の大木もある。
真珠院 鐘楼
所在地:静岡市清水区梅ケ谷
建設年:1929(S4)
構造・階数:RC1
備考:国登録文化財
Photo 2011.2.19
山門内の境内にある鐘楼は、昭和初期にRCで造られた鐘楼として貴重であるという理由で登録文化財に指定されている。木造檜皮葺のような外観を鉄筋コンクリートで丁寧に造っているのは見事だ。光福寺の本堂同様、この鐘楼も関東大震災後に耐火性や耐震性が重視されて造られたものなのだろう。
今川時代再発見 > 今川時代表紙
> 今川時代の旅目次 > 真珠院
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#寺院 #古い建物 静岡県 #登録有形文化財 #近代建築
光福寺 本堂
所在地:静岡市清水区柏尾97 Google Map
建設年:1924〜27(大正13〜昭和2)
構造・階数:RC・2F
備考:静岡県指定文化財
Photo 2011.2.19
清水区北西部の山裾に位置する寺院の本堂。大正末から昭和初期のこの時期に、地方都市の町外れにこのようなデザインの寺院が建設されたことにやや驚かされる。コンクリートの老朽化が心配だったが、しばらく訪れぬ間に修復が行われたようだった。不思議な柱頭デザインの4本の柱、左右に付く塔など、エキゾチックなたたずまいを見せる。一方で火灯窓、玄関の構えなどに和風の要素も持ち、なんとも言えない変わったお姿。
軒上の天女と蓮の装飾
柱頭、屋根の隅に付く塔、中央の家紋?など奇妙なデザインが目を引く。衣服をたなびかせているのは天女だろうか。観音か阿弥陀さまにしてはちょっと艶めかしい。清水→三保の松原→羽衣の天女、なのかもしれない。この部分は漆喰なのか、以前はやや剥げていたが、修復後は風雨の直撃を避けるべくアクリルパネルが立てられている。
玄関は両開きの木製引き戸。式台のような玄関には両サイドにも引き戸の入口がある。また、組み物もコンクリートで作られている。
柱頭のレリーフは他で見たことがない形。窓はスチール製(現在はアルミ?)の観音開き。壁面には卍模様が並べられている。中央にはお寺の紋が掲げられ、九輪の小塔が聳える。
本堂は総二階の立方体のような形をしている。軒はやや強い反りで、傾斜屋根が巡らされているが、基本的に屋根は陸屋根。何度見ても奇妙な姿だ。
窓ガラス越しに堂内を拝見。1Fは石敷の土間。真っ白な空間の正面中央に須弥壇がある。導師は中央の板敷きの場所に座布団で座り、参列者は折り畳み椅子や木製の腰掛けに座って拝礼するようだ。金色の天蓋がお坊さんの座る場所より手前にあるけれど、これでよいのかしら? 天井には6灯の灯りが2基。簡素だが清浄な感じのする空間だ。
本堂左手に外階段があり、これを上ると2Fの方も外から拝見することができる。 2Fは畳敷きの広間でこちらも壁や天井が真っ白。中央正面は位牌堂、右奥は床の間付きの和室、左手前は資料室だそうだ。2Fは式の前後に使用する控え室のような場所なのだろうか。右端は1Fからの階段。正面玄関を入ったところの頭上を階段が横切るように実はなっている。
いろいろな部分がイレギュラーなデザインの建物だが、このお寺、なんとなく好きです。豪華ではないけれど、意外と真面目にデザインしているあたり、好感が持てる感じ。
お寺の風景と陶芸 > 光福寺 最古級の鉄筋コンクリート造り本堂
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#寺院 #古い建物 静岡県 #近代建築 #都道府県指定文化財