都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

湯島天満宮社殿

2024-09-27 | 文京区  
湯島天満宮 社殿
所在地:文京区 湯島3-30-1
構造・階数:木・1
建設年:1885(明治18)
解体年:1994〜95(平成6〜7)
Photo 1994.11.26

 学問の神様、菅原道真を祀ることで知られる湯島天満宮。1500年以上前の458年に創建されたという古社だが、現在の社殿は1995年に総檜造りで新築されたもの。旧社殿が1885(明治18)年に建てられてから100年以上が経過して、老朽化が激しくなったため建て替えに至ったそうだ。

 上写真は、明治中期に建てられた旧社殿を建て替えの直前にたまたま撮ったもの。
 江戸時代、火事が頻繁に起こったため、幕府は防火対策として「焼け跡に建てる建物は全て塗屋造り・土蔵造りで瓦屋根にせよ」と指示していたという。旧社殿はその考えを引き継いで、塗屋造り(土蔵造りの一種)で建てられたものだったそうだ。軒下がはっきり写っていないので、塗屋造りの特徴は判然としないが、素木造りではなかった感じには見える。


 Photo 2014.10.21

 建て替え後の現在の社殿は純木造で屋根は銅板葺き。都心は多くの場所が防火地域で木造での新築は認められないが、防火対策を整えた結果、特別に認められたものという。

 権現造りの全体構成は変わっていないようだが、以前の拝殿は平入りで手前に千鳥破風があり、唐破風の向拝が付く形。しかし新しい拝殿はどうやら妻入りで、手前から奥に向かって棟が置かれ、大型の入母屋屋根の手前に唐破風の向拝が付いている。現社殿の後方両側に張り出して見えている屋根は、入母屋の大屋根上に設けられた千鳥破風。入母屋屋根と千鳥破風が組み合わせられていることには変わりがないが、前面の破風が大きいため以前より立派に見えている。

湯島天神総檜造りの社殿

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #神社  #土蔵造り   ブログ内タグ一覧
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金子書店

2024-08-06 | 文京区  
金子書店
所在地 :文京区 本郷6-2-6
構造・階数:木・2
建設年代:明治〜大正?
解体年代:1998〜99(平成10〜11)
Photo 1995.5.14

 トタン看板に店の名前が大書してあるのが印象的だった古書店。そちらに気をとられて全景は撮り忘れてしまった。下記リンク先「ぼくの近代建築コレクション」には出桁造り町屋の全景写真が掲載されている。

 界隈は第二次大戦では空襲の被害に遭わなかった地域で、今も古い建物が所々に残っている。出桁造りのこの建物も明治・大正期に建てられたものだったのかもしれない。

井上書店、金子書店/本郷6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #出桁造り  ブログ内タグ一覧
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旧東京市営真砂町住宅・Y邸

2024-08-03 | 文京区  
旧東京市営真砂町住宅・Y邸
所在地:文京区 本郷4-21-5
構造・階数:木・2
建設年:1923(大正12)
解体年:2022(令和4)
Photo 2014.7.15

 本郷4丁目のこの界隈は江戸期には松平右京亮の中屋敷だった場所。大正期、東京市内の住宅不足を受けて、この一帯には東京市によって1923〜25(大正12〜14)に多くの市営住宅(46棟、75戸)が建てられた。また単身男性向け共同住宅(清和寮、RC造4F、144室)も1930(昭和5)年に建てられた。

 平成の初め頃までは清和寮もあり、当初の市営住宅もいくつか残っていたようだが、私が東京の街を見て歩くようになった90年代後半には、それらはほとんどなくなっており、それとわかるものは3棟ほどになっていた。


 Photo 2014.7.15

 この家は菊坂の谷から南へ丘を上る坂の途中左側にあったもの。ギャンブル屋根とドーマー窓が印象的。妻側など2階壁面はモルタルで、柱を装飾的に見せていた。2階の窓などはアルミサッシに替えられていたが、玄関は木製枠のものが残されていた。


 Photo 2019.7.8

 玄関扉は幅広の観音開きでサイド部にも蝶番があり、さらに広く開けることができる仕様だったらしい。大型の家具の搬入を想定したのだろうか。現在も残る他の一軒は、玄関まわりが改装されており、他の家もそうだったのかどうかは不明。

 下記リンク先「ぼくの近代建築コレクション」の記事では、同様の家屋が建ち並んでいる様子を見ることができる。かつては、このような独特で東京中心部では珍しい街並みだったようだ。この家がなくなったので、現在も残っている真砂町住宅の建物はおそらく一軒だけである。

東京市営真砂町住宅(2)/文京区本郷4丁目 - ぼくの近代建築コレクション
旧東京市営真砂町住宅(東京都文京区): 日常旅行日記
旧町名 本郷區眞砂町 - 歩・探・見・感
旧東京市営真砂町住宅 : レトロな建物を訪ねて

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#失われた建物 文京区  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅 
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柴ペットショップ

2024-07-30 | 文京区  
柴ペットショップ
所在地 :文京区 小石川2-24-1
構造・階数:木・2
建設年代:戦前
解体年代:2001〜02(平成13〜14)
Photo 1994.12.23

 こんにゃく閻魔で知られる源覚寺の少し北側、千川通り沿いにあった戦前に建てられたものと思われる銅板張り看板建築。小路の角にあり奥の方まで3軒分が銅板張りの店舗だった。

 火災保険特殊地図1954(昭和29)年版では「いまさや味噌店」。70年代の住宅地図では微妙に違って「いまあさ」となっている。ペットショップになったのは1980年代以降のようだが、近年のペットショップとは異なる昔風のお店だったらしい。

 建物は北隣に少し見えている山戸酒店と同時期に解体され、跡地には2003年にマンションが完成した。山戸酒店の方は少なくとも戦後まもなくから続いていたお店で、マンションになった後もその1階で営業していたが、こちらも10年ほど前に店を畳んだようだ。

砂糖小売専門店/小石川2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #看板建築  #銅板張り看板建築 
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窪田邸

2024-07-27 | 文京区  
窪田邸
所在地:文京区 大塚6-11-8
構造・階数:木・2
建設年 :1943(昭和18)
解体年代:2011〜12(平成23〜24)
Photo 2011.2.1

 木造2階で切妻屋根はトタン葺きかなにかだが屋根面はあまり見えなかった。窓上の庇は瓦葺き。道路側の壁面には柱型が出ており、内部は和式だったというが日本家屋風には見えなかった建物。だからといって洋風ともあまり言えないが。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事にもあるが、1965(昭和40)年に一部洋式で増築がなされたという。増改築でこのようになったのか、最初からこのような雰囲気だったのかは知らない。しかしよく見るとやはり個性的な建物だった気がする。

窪田邸/大塚6丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 文京区  #住宅系  #戸建て住宅   ブログ内タグ一覧
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中島屋酒店

2022-08-22 | 文京区  
中島屋酒店
所在地:文京区 目白台3-16
構造・階数:木・2
解体年:2018〜19(平成30〜31)
Photo 2015.4.6

 目白通りに面してあった酒屋さん。切妻屋根妻入り建物の前面に半円形パネルの付いた壁を立てたいわゆる看板建築。
 撮影時は前面が全てピンク色になっていたが、かつては違っていたのではないかと思う。昔の写真を持ち合わせておらず、また昔から知っているわけでもないが、壁面の様子からするとトタン板張りだったのではないだろうか。銅板張りだった可能性もあるが、それなら塗り直す必要があまりない。トタン張りだと錆びて朽ちて行くので塗装が必要。金属板の目地が見えているのでモルタル塗りでもなかったようだ。なお、側面はモルタル塗り。

 撮影時、周囲は既にコインパーキングなどになり、ポツンと残される形になっていた。その後、2018年頃に壊されて、跡地には5階建てマンションが建てられている。なお、Google Mapでは現在も同所に中島屋酒店があることになっているが、ストリートビューで見ると店舗があるようには見えない。


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月の湯

2022-08-19 | 文京区  
月の湯
所在地:文京区 目白台3-15
構造 :木
建築年:1927(昭和2)
解体年:2015〜16(平成27〜28)
備考 :2015(平成27).5末廃業
Photo 2010.3.13

 目白通りから北側に入った場所にあった銭湯。いわゆる宮造りタイプで、大ぶりな入母屋屋根と唐破風が印象的だった。1927(昭和2)年創業だったそうで、建物もその時に建てられたものだったという。

 下記リンク先では内部の様子も見ることができる。中に入ると脱衣場の天井は高く、格天井だった。また浴室の壁にはやはり富士山が画かれていた。

 わきから見ると、瓦葺きの入母屋屋根は脱衣場部分までで奥行きがあまりなく、浴室部は切妻トタン屋根だったことが分かる。

 東日本大震災で屋根などが破損し、最終的に2015年5月末に廃業、その後、解体された。

 昔ながらの銭湯は平成後半以降、急速に減少しているそうだ。往時の文化や建築を残したいという立場からすると残念なことなのだが、考えてみれば自分自身、最近はほとんど銭湯に行っていない。日常的に銭湯を使う人が少なくなっている状況下では、建物の修繕が必要でも頑張って直す方向にはなりにくいのは、ある意味仕方ないことなのかもしれない。

 だとすると銭湯の建物は将来的には、江戸東京たてもの園の子宝湯のように、文化財的に保存されたものだけになっていくのかもしれない。

銭湯紀行 月の湯(東京・文京区) | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス
【文京区】東京最古級の木造銭湯『月の湯』見学会に参加しました
東京最古級の木造銭湯 目白台「月の湯」解体間近 - 文京建築会ユース
月の湯(文京区目白台)
月の湯(360°映像)

Tokyo Lost Architecture  
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東京大学 理学部旧1号館

2022-08-16 | 文京区  
東京大学 理学部旧1号館
所在地:文京区 本郷7-3
構造・階数:RC・3+増築1
設計 :岸田日出刀/小野薫
建設年:1926(大正15)
解体年:1994(西棟)/2003(中央棟)/2013(東棟)
備考 :4階部分は1965年の増築。2017年に東棟(6F)が竣工
Photo 2002.4.7 後方は新1号館西棟

 東京大学本郷キャンパス、安田講堂の裏側(東側)にあった大正時代末に建てられた建物。ロの字型をしていたが、戦前の国土地理院地図(1926〜36)や火災保険特殊地図(1934〜39)では、南側と東側のみのL字型で数学物理学教室と記されており、いちどに全部が建てられたわけではなかったようだ。北側と西側の建設時期は未把握。
 安田講堂裏は本郷台地から藍染川の谷地への下り斜面で、旧1号館は安田講堂より低い位置に建っていた。このため1965年に4階が増築されても安田講堂前の広場や銀杏並木からは背後に見えることはなかった。しかし、建て替えで背の高い建物になったため、残念ながら現在は講堂の背後に新建物が大きく見えてしまっている。ただ、そうでなくても、キャンパス外の池之端方面の高層ビルがそのうち見えるようになってしまったかもしれない。


 旧1号館中庭部分  Photo 2002.4.7

 旧1号館の建て替えは3期に分けて段階的に行われたそうだ。私が初めて旧1号館の写真を撮ったのは第1期工事の後だったため、建て替え開始前の全景を撮ることは出来なかった。
 ロの字型の校舎は、1994年に西側の1/3が解体され、そこに1998(平成10)年に新建物が建てられた。続いて2003年頃に中央部が解体され、中央棟が2005(平成17)年に完成。そして2013年に残る東側が解体され、2017(平成29)年に東棟が完成。こうして3期に分けた工事が終わり、全てが建て替えられたのだった。

 本記事掲載の1〜3枚目は西棟が建て替えられた後で、旧1号館がコの字型をしていた頃のもの。

 他サイトの記事などによれば表現主義のデザインだったという。たしかにレンガタイル張りの柱やアーチ部分は縁が丸められていて、新古典主義などの様式建築とは異なっている。とはいえ周辺の様式建築校舎とも違和感なく共存している感じだった。


 Photo 2002.4.7

 建て替えが段階的に進められたため、途中段階では切断されて残された建物の断面が見えている状態だった。


 東側から、後方は中央棟、更にその奥が西棟  Photo 2007.2.3

 中央棟が完成すると、残されたのは東側部分のみになっていた。


 東側部分  Photo 2007.2.3

 この東側部分だけは文化財的に残すのかと思ったが、結局取り壊されたのだった。


 東側の残存部分を北側から  Photo 2007.2.3

 残った東棟部分を使用するため、この時期はわざわざ避難階段などが設置されていた。ここまでしっかりやっていたので残すのかと思ったのだが、やはり暫定利用だった。


理学部旧1号館の記憶 - 特集
理学部 旧1号館 特設ページ
理学部1号館東棟の設計が固まり3期工事が始まる
理学部1号館東棟が遂に完成
    - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部

東京大学理学部旧1号館/本郷7丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京大学 理学部旧1号館 | 収蔵庫・壱號館

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#失われた建物 文京区  #大学  #岸田日出刀  #表現主義  #近代建築 
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旧 天神山

2022-08-13 | 文京区  
旧 天神山
所在地:文京区 本郷6-18-1
構造・階数:木・2
解体年:2008.6〜2012
Photo 2006.12.16

 本郷通りから西へ入ったところにあった洋風建物。アパートのような外観をしていたが、「洋食レストランの草分け」とする記述がネット上にあり、かつては飲食店だったようだ。一般の住宅としてはやや華やかなデザインで、玄関も引き戸ではなく観音開きだった。洋瓦を用いているあたりも洒落ていた。

 戦前版の火災保険特殊地図では用途等は不明。戦後版(1952(昭和27))に天神山と記されていてこれが洋食屋だったようだ。ただ、ネットで調べた範囲ではその詳細は不明。「ぼくの近代建築コレクション」によれば、1966(昭和41)年の地図にも「天神山レストラン」と記載されているという。

 しかし1973年の住宅地図では既に天神山の名はなく、一般住宅になっている。レストランとして営業していたのは、戦前か戦後すぐの頃から1970年頃までだったようだ。
 建物はその後も住宅や小規模事務所として残っていたが、2008〜12年に解体され、跡地にはマンションが2013年10月に完成している。

天神山レストラン/本郷6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都文京区の近代建築探訪 1

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#失われた建物 文京区  #商業系  #飲食店  #洋館・洋風住宅  #近代建築 
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菊水湯

2022-07-28 | 文京区  
菊水湯
所在地:文京区 本郷4-30
構造・階数:木・1
創業年:明治中期
建築年:大正期
解体年:2015(平成27).9月末
備考 :1962(昭和37)に改築
Photo 2008.6.4

 本郷4丁目、鎧坂下にあった銭湯。
 広くはない道に面していたので、全景を撮らずじまいに終わった。建物としては平入りで、入口の唐破風が比較的大きいのが印象的だった。
 近辺にはかつて樋口一葉や宮沢賢治、金田一京助・春彦などの著名人が住んでいた。明治中期創業とのことなので、彼らもこの銭湯を使っていたのかもしれない。

 設備の老朽化、店主の高齢化などから廃業したという。廃業の前後には近辺に住む東大生が中心となって記録を残したりもした。近年は内湯がほとんどになり、銭湯は存続が難しくなっている。文京区内でも、2013年6月に千石のおとめ湯、2015年5月には目白台の月の湯と、歴史のある銭湯が残念ながら次第に無くなっている。

本郷の老舗銭湯「菊水湯」の閉店 - 文京建築会ユース
さようなら、菊水湯。長く暮らしを彩り、惜しまれながら閉業した銭湯の話 - UmeeT
都内では週に1軒消滅?文京区の菊水湯から銭湯消失の意味を考える | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
文京区の菊水湯 : レトロな建物を訪ねて

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