10/08 東京モード学院(東京モード学園とは違うのだ)
10/12 都心部の地形をたどる2(東京スリバチ学会フィールドワーク)
10/17 平川門付近(東京新旧写真比較(1981/2008) No.21)
東京新旧写真比較(1981/2008) No.21 千代田区大手町
Photo 1981(ノーマル時)、Photo 2008.3.3(マウスオン)
大手濠と平川橋、平川門、国立近代美術館の風景はほとんど変わっていなかった。東御苑は宮内庁管理で国の特別史跡なので、門や橋が変わることはまずないので、これは想定内。近代美術館の背後にうっすらと見えるのは市ヶ谷の防衛省の通信塔。
以前にも書いたが、旧江戸城の周辺で驚くのは、樹木が四半世紀の内に皆かなり大きくなっていることである。街路樹は剪定されてしまうのであまり変化がないのだが、公園内の樹木は伸び放題なのか思いのほか大きくなっている。
戦争の時に焼けてしまったり伐採されて燃料などになったのか、戦後すぐの頃の東京写真を見ると、木々が小さい。だが、1981年の写真は戦後36年、更に今年は戦後63年が経過している。27年の間に、樹木の背丈は1.5倍以上になった。建物の変化と違って、樹木は年々、徐々に大きくなるのでなかなか気が付かないのだが、いつのまにか東京の緑視状況も結構変化しているのだった。
#東京新旧写真比較 千代田区 #海・川・池
少し前になるが、スリバチ・フィールドに久々に参加。
高輪2丁目 高輪ホームズを眺めるひとびと
品川区立第三日野小学校 解体現場
三田用水跡近くにて。痕跡を探す。
三田用水の遺構(左側の堤上に造られている溝)
今回、三田用水の跡を知ることができたのは、非常に大きな収穫だった。以前から、あの付近の道路パターンがやや奇妙なのが不思議だったのだが、川の跡だったとは。もっと細かく昔の地図なども見ていれば、気づいたのかもしれないが、知ってるつもりになっていて、よく見ていなかった。こういうのを再確認したりすることができるのも、いろいろな方々と、一緒に歩いたり、話したりすることによって得られる大きな成果。
来月もできれば行こうかな〜。
スリバチブログ
#地形 #街並み 港区
一字違いで大違い
東京モード学院
所在地:墨田区太平4-6-13
構造・階数:RC4
Photo 2002.12.11
墨田区内に少し前まであった学校。現在、建物は存続しているが、屋上の看板は既に無い。
袖看板などを見ると、2階はヘアーサロン、3階は錦糸町ゼミナールという学習塾である。Google Street Viewを使って確認すると、両者は現在も同所にある。一方、東京モード学院は4階にあったらしいが、屋上看板、袖看板などが現在は無くなっている。
建物はL字型で蔵前橋通りに南面している。写真左手の袖看板のある部分が建物の正面玄関。窓の高さが南面と東面で異なり、また4階部分の屋根が傾斜しているので、ここが階段室になっているようだが、随分大きい。後方の屋上広告の付く部分が恐らく居室・教室部分。
西新宿で異形の超高層ビルを建設中の「東京モード学園」とは、たった一字違いだが、全然別物。
ネットで検索しても、ほとんどこの学校のことは出てこない。Googleで検索すると「もしかして:東京モード学園」などと表示され、入力ミスを疑われてしまう始末なのだが、一応実在した学校。
東京モード学園のことを東京モード学院と誤入力して記載している記事の方がずっと多い。なんだか哀しくなるほどの情報量の差。Yahooの電話番号検索などでは表示されるのだが、いずれも古い情報の模様。
東京モード学園が西新宿に進出したのは1980年ということなので、その後、20年ぐらいは併存していたことになる。手許の地図で、2006年版には載っているが、2007年版では消えているので、2年ほど前に無くなったのかもしれない。
いつ廃業したかはともかく、一字違いで、ものすごい違いになっていたのに、とにかく驚いてしまったのだった。
#古い建物 墨田区 #学校