都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

大黒湯

2024-11-09 | 足立区  
大黒湯
所在地:足立区 千住寿町32-6
構造・階数:木・1
建設年:1929(昭和4)?、1945(昭和20)?
解体年:2022(令和4)
備考 :1929(昭和4)創業。2021(令和3)閉店。
Photo 2001.5.27

 国道4号線から西へ入ったところにあった立派な銭湯。軒高が高く、入母屋屋根前面には大きな破風が付く。玄関部も入母屋と唐破風を組み合わせたもので、宮造り型の銭湯の中でもひときわ豪華なものだった。

 創業は昭和初期。下記『東京都の近代和風建築』には、「昭和4年の建立と伝えられる銭湯」と記されていて、建築年は「昭和4年(1929)(口伝)」とされている。そして、「建物は昭和32年に清水産業有限会社所有になったのを契機に、改修整備され現在の姿に至っている。」とも記されている。

 一方、周辺は戦災で焼失したエリアで、大黒湯も戦後再建されたものだったという話もあり、それによると戦後すぐの1945(昭和20)年に建てられた、ということになっていて、ネットでもこちらを記しているサイトがいくつかあり、私にはどちらなのか分からない。

 ただ、戦後すぐの時期は住宅等では資材統制がされていて豪華なものは造れなかった。銭湯は規制されなかったのかどうか知らないが、資材も不足していたはずなのに立派な建物が建てられたのには少々驚かされるし、やや違和感がある。ただこれも、戦後すぐには暫定的な建物を建てていて、上にもあるように昭和32年に改修されて立派になったということなら納得できるわけで、結局、建設年については私はよく分からない。

 銭湯研究の第一人者で庶民文化研究家の町田忍氏が「キングオブ銭湯」と呼んだとされ、ファンの間でも著名な銭湯だったそうだが、2021年6月30日に営業終了し、建物は翌2022年4〜9月に解体されたという。ただ、玄関の唐破風だけはクラウドファンディングを経て安養院(千住5-17)に移設されている。

参考『東京都の近代和風建築−東京都近代和風建築総合調査報告書』
  東京都教育庁地域教育支援部管理課 編集・発行、2009

大黒湯の解体現場で、 - 荒川三歩

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三福荘

2023-02-24 | 足立区  
三福荘/旧赤線のカフェー?
所在地:足立区 千住柳町20-13
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2018〜19
Photo 2006.10.8

 千住柳町の旧赤線エリアの中央を通る南北の道沿いにあった建物。元はいわゆるカフェーだったのではないかと思われるが、本当にそうだったのか、またそうだった場合の屋号などは不明。1960年代以降はアパートだったようで、最後の頃には三福荘というアパートだった。

 正面が左右対称になっているあたりは旧カフェー建築系の建物を思わせるが、それだけなので旧カフェー建築なのかどうかははっきりしない。1階部分の店舗?の様子が分かればと思ったが、シャッターが閉じられた状態しか知らない。玉の井や鳩の街、洲崎ほど明瞭な洋風デザインの建物ではなかったのでやはり確証はない。


 東南側からの全景


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あけぼの荘

2023-02-21 | 足立区  
あけぼの荘/旧曙楼・旧旅館光楽
所在地:足立区 千住柳町19
構造・階数:木・2
建設年:戦後
解体年:2001〜03(平成13〜15)
Photo 2001.5.27

 赤線時代は曙楼として営業していたという建物。赤線でなくなった後は「光楽」という旅館だったようだ(注)。
 旅館としての営業がいつごろまで続いていたのかは未把握。撮影時は「あけぼの荘」というアパートで、表通り側の1階には居酒屋とスナックが入居していた。
 遊廓系建築でしばしばある左右対称のデザインではなかったが、左右2ヶ所に入口があるあたりはその系統と言えなくもない。軒先に白い円があるが、往時はここに屋号かなにかが記されていたのではないだろうか。

 千住柳町には90年代までは赤線時代の建物が数軒残っていたが、現在はほぼなくなっている。この建物も撮影後数年のうちに解体されたらしく、2004年版の住宅地図では既に月極駐車場になっている。

  注)東京都全住宅案内地図帳 足立区(1962発行?)による。

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#失われた建物 足立区  #遊興施設  #ホテル・旅館 
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丸二青果

2023-02-18 | 足立区  
青果 八百政・丸二青果(株)
所在地:足立区 千住龍田町18
構造・階数:木・2
解体年:2001〜03(平成13〜15)
Photo 2001.5.27

 千住柳町の旧赤線エリアの西南端に面してあった青果店。通り抜けられる路地には庇が差し掛けられ、いくつかの店が並んでいた。都心部には少なくなった小規模店が建ち並ぶ路地空間。

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#失われた建物 足立区  #木造店舗  #路地  タグ一覧
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クスリ千寿堂

2023-02-15 | 足立区  
クスリ千寿堂
所在地:足立区 千住龍田町15
構造・階数:木・2
解体年:2006〜09(平成18〜21)
Photo 2006.10.8

 鋭角になった角地に建ってた薬屋・化粧品店。戦後の建物ではないかと思うが、コーナー部に赤い字で「クスリ」と大書されているのがかなり目立つお店だった。

 現場は北千住駅から旧日光街道や国道4号を越えて、やや屈折した道を千住柳町の旧赤線の方へ向かう道の途中。写真の右側の道、お店の前を通って奥へ向かうとかつての赤線エリアに至る。現在は静かだが往時は多くの人が歩いた道だったのかもしれない。そしてこの薬屋もそのお客さんなどに薬を売っていたりしたお店だったのかもしれない。

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中居町牛乳店

2019-01-13 | 足立区  
千住中居町牛乳店(和田牛乳店・旧和田邸)
所在地:足立区 千住中居町9
建築年:1940(昭和15)頃
構造/階数:木/2
備考 :2009.12〜2011.1に解体。
Photo 2006.10.8

 モルタル洗い出しの壁面を持つ牛乳店。塔屋のようなものがあるが、前面付近だけがモルタル壁面になった看板建築だった。塔屋と丸窓、ドリス式のような柱頭を持つ付け柱も目立つ。

 軒先付近の壁面には、モルタルで右から和田と屋号?が書かれ、中央には○に「わ」の字が書かれていた。また、右側の縦長の枠内には「足立・・・会社」という文字があった痕跡がある。ほとんど読めなくなっていたが・・・。そしてこの部分は塔屋の庇下に付けられた電灯で照らされていたようだ。

 このお店があったのは千住駅からは離れた西の方で、NTT千住電話局の南側。現在は商店街とかでもない静かな場所に唐突に塔屋が目立つ看板建築があったのが印象的だったのだが、残念ながら数年前に解体された。

 2009.12のGoogle Street Viewでは存在しているが、2013.7の同写真では建て替え済みなので、この間に解体されて建て替えられたものと思われる。

 いつも見ている下記、「ぼくの近代建築コレクション」にも同じ建物が掲載されているが、そちらの写真は1988年時点のもの。この頃はまだ営業していたのか玄関わきには自販機があり、1階の軒先の看板も私が撮った時とは異なるものが掲げられている。

森永牛乳中居町販売店(旧和田牛乳)/千住中居町 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 足立区  #商業系 

2018.1.14 追記
Facebookにリンクを張って掲載したところ、2011.1時点で既に解体済だった、とのコメントが寄せられましたので、備考部分の解体時期については新情報に修正しました。
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かどやの槍かけだんご

2018-05-18 | 足立区  
かどやの槍かけだんご
所在地:足立区 千住5-5
建設年:1907(明治40)
構造・階数:木造・平屋
備考 :2012(平成24)解体
Photo 2008.11.23

 千住の名物でもある「かどやの槍かけだんご」。以前の建物は木造平屋で、店名がトタンの看板に大書されているのも昔ながらの味わいだったが、建て替えられて現在は鉄骨造3階建てのきれいなお店になっている。

 1907(明治40)に足袋屋として開店した店舗を、1948(昭和23)からだんご屋として使っていたそうだ。従って、築100年以上の建物だったことになる。まただんご屋としては今年で創業70年で、こちらもそれなりに歴史のあるお店だ。

 「槍かけだんご」は、近くにある清亮寺の「槍掛けの松」に因むという。かどやは日光街道・奥州道に面しているが、この少し先、北の交差点から東へ入るのが昔の水戸街道で、曲がって200mほどのところに清亮寺はある。

 なんでも、水戸藩主水戸光圀公の参勤交代の折、街道に張り出した清亮寺の松の木に、槍を立て掛けて休息を取ったという話(詳細は省略・・)から、この松の木が「槍掛けの松」と呼ばれるようになったという。松の木は昭和20年頃に枯れてしまったそうだが、だんごはその昔話にヒントを得たものだそうだ。


 Photo 2006.9.30

 夕方などに通り掛かると、蛍光灯に照らされた店内の様子が垣間見え、懐かしい雰囲気のある店だった。

 この店は2012年3月25日で一時休業して建て替えに入り、新しい店舗は2012年10月に竣工したという。

かどや/千住5丁目 - ぼくの近代建築コレクション
かどや槍かけだんご | V建築設計室
かどやの槍かけだんご 一時休業(足立区千住) - 足立区発!

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 足立区  #商業系  #日光街道  #奥州街道 
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千住柳町・旧赤線の建物

2018-04-20 | 足立区  
旧赤線の建物
所在地:足立区千住柳町15
構造・階数:木造・2F
備考 :2010〜14年に解体
Photo 2006.10.8

 日本橋から出発して日光街道と奥州道の最初の宿場が千住宿。江戸期は千住のまちなかを南北に通る街道沿いに旅籠がたくさん並び、飯盛女(食売女)が大勢いて、遊興地として繁盛していたそうだ。

 明治以降は宿駅制度が廃止され、鉄道も開通したため、宿場としての機能は失われ、宿場は遊廓となった。そして1919(大正8)に遊廓は街道沿いから千住柳町に移転し、1958(昭和33)の売春防止法施行まで、いわゆる赤線となっていた。

 写真の建物は、その後50年近く普通の家屋として残されていた旧赤線時代の建物。カーブしたコーナー、バルコニーなど、それらしいデザインがところどころに見られる木造モルタル家屋だった。


 Photo 2006.10.8

 アーチ型の玄関や窓、曲線が多用された出窓など、古い建物にしてはハイカラなデザインが特徴的。ただ、初めて見たら、見過ごしてしまいそうなくらいで、町に埋もれているのだった。


 Photo 2006.10.8

 西南側コーナーは面が取られ、庇と2階壁面も曲面になっていた。

 旧赤線時代の建物は既にほとんどない。あったとしても改装され、特色のある意匠は分からなくなっている。ただ、地図で見ると、この一角だけは道幅がやや広くグリッド状になっており、周辺の他の町とは異なる道路パターンになっている。

 その後はこの界隈を訪れていないが、Google S.V.で確認すると、既に解体されマンションに建て替えられている。2009年12月ではまだ存在しているが、2015年5月の写真では既にマンションができている。従って2010〜14年に解体され、なくなったようだ。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 足立区  #遊興施設 
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柳原2丁目

2014-08-18 | 足立区  

 足立区柳原2丁目

柳原千草通り商店街
所在地:足立区柳原2丁目   Google Map
Photo 2014.5.20

 京島のキラキラ橘商店街も狭いが、ここも相当狭い。

 片側の商店の庇で通りに覆い屋根が掛かってしまう状態。狭い道に面して出桁家屋が建っていたりするのも印象的。

 商店街の通りの脇道路地はもっと狭い。

所在地:足立区柳原2-17   Google Map
Photo 2014.5.20

 建物と門がくっついてしまっているためか、妙なことになっている。門なのか、玄関なのか・・・。

#街並み 足立区  #商業系  #路地 
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京成関屋・牛田

2014-08-16 | 足立区  

 荒川区の南千住8丁目(汐入)から、千住汐入大橋で隅田川を渡って足立区へ。

京成関屋駅近くのガード
所在地:足立区千住曙町4   Google Map
Photo 2014.5.20

 京成関屋駅近くのガード。ちょうどスカイライナーが通りかかった。

東武伊勢崎線牛田駅東側のガード
所在地:足立区柳原1-35   Google Map
Photo 2014.5.20

 こちらは東武伊勢崎線(スカイツリーライン)牛田駅東側の桁下高さの低いガード。

京成本線荒川橋梁   Google Map
架橋年:1931(昭和6)
Photo 2014.5.20

 少し東へ行き、荒川土手に出る。

 荒川橋梁は荒川(旧荒川放水路)の開削に伴い架けられたもの。橋の構造様式は、下路式曲弦ワーレントラスというものだそうだ。 川面からの位置が低く、いろいろ問題が出てきたので架け替えが計画されてるんだとか。

 こういうレトロな感じの鉄橋、好きなんだけどな。

#鉄道  #海・川・池  #橋 
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