大黒湯
所在地:足立区 千住寿町32-6
構造・階数:木・1
建設年:1929(昭和4)?、1945(昭和20)?
解体年:2022(令和4)
備考 :1929(昭和4)創業。2021(令和3)閉店。
Photo 2001.5.27
国道4号線から西へ入ったところにあった立派な銭湯。軒高が高く、入母屋屋根前面には大きな破風が付く。玄関部も入母屋と唐破風を組み合わせたもので、宮造り型の銭湯の中でもひときわ豪華なものだった。
創業は昭和初期。下記『東京都の近代和風建築』には、「昭和4年の建立と伝えられる銭湯」と記されていて、建築年は「昭和4年(1929)(口伝)」とされている。そして、「建物は昭和32年に清水産業有限会社所有になったのを契機に、改修整備され現在の姿に至っている。」とも記されている。
一方、周辺は戦災で焼失したエリアで、大黒湯も戦後再建されたものだったという話もあり、それによると戦後すぐの1945(昭和20)年に建てられた、ということになっていて、ネットでもこちらを記しているサイトがいくつかあり、私にはどちらなのか分からない。
ただ、戦後すぐの時期は住宅等では資材統制がされていて豪華なものは造れなかった。銭湯は規制されなかったのかどうか知らないが、資材も不足していたはずなのに立派な建物が建てられたのには少々驚かされるし、やや違和感がある。ただこれも、戦後すぐには暫定的な建物を建てていて、上にもあるように昭和32年に改修されて立派になったということなら納得できるわけで、結局、建設年については私はよく分からない。
銭湯研究の第一人者で庶民文化研究家の町田忍氏が「キングオブ銭湯」と呼んだとされ、ファンの間でも著名な銭湯だったそうだが、2021年6月30日に営業終了し、建物は翌2022年4〜9月に解体されたという。ただ、玄関の唐破風だけはクラウドファンディングを経て安養院(千住5-17)に移設されている。
参考『東京都の近代和風建築−東京都近代和風建築総合調査報告書』
東京都教育庁地域教育支援部管理課 編集・発行、2009
大黒湯の解体現場で、 - 荒川三歩
Tokyo Lost Architecture
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