同潤会代官山アパートは、代官山駅から見上げる形の丘の上に建てられており、傾斜地の地形に沿って大小合わせて多くの住棟があった。全部で36棟、337戸が設けられていたという。老朽化のため建物群は1996年に解体され、跡地には代官山アドレスが建設され、超高層マンションとショッピングモールの街並みが現れた。
再開発準備組合があった中心部の建物前の広場的空間
左:23号館(文化湯が併設)、右:29号館
同潤会代官山アパート
所在地:渋谷区代官山町17
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2〜3F
解体年:1996(平成8)
Photo 1996.4.27
3階建ての住棟
老朽化して建て替えられることが予想されていたからか、補修等はあまりされていなかった。コンクリート製の庇は内部の鉄筋が露出してボロボロ。玄関部分の庇の上には雑草が繁茂していたりもした。
29号館
内部に入るのはためらわれたので、内部は全く見ていない。階段室や廊下、部屋の取り付き方がどのようになっているのかぐらい見ておけば良かったと今更ながら思う。モルタルで造られた幾何学的な模様が印象的。
再開発準備組合事務所が入っていた29号館
撮影当時は既に再開発の方針が大体決まって、準備が始まっていた時期だったので、団地の集会所だったか食堂(はっきり覚えていない)は、再開発準備組合事務所になっていた。
3階建ての住棟(恐らく左が27号館で、右が26号館)
樹木が結構大きくなっていて、緑の多い住環境だった。庭先で落ち葉炊きをしたりして、ゆったりとした時間の流れる団地。
間取りは決して大きくなく、その意味では良い住居空間ではないのだが、なぜか大型のアメリカ車が停まっていたりして、お金のある人が住んでいるのかしらんと思った記憶もある。
敷地内への階段と3階建ての住棟(左:32号館、右:31号館)
周辺は地形の起伏があるため、場所によってはエリア内へ上る階段が設けられていた。擁壁の上に住棟が聳える姿も印象的。
小規模な住棟:13号館
不勉強でよく知らないのだが、四戸で一つの建物となっていた模様。
同じく小規模な住棟:4号館
1階部分は反対側からアクセスするんだったかな? ちゃんと見ていなかったことに今頃気づいたりする。
低層棟の入口部分
コンクリートモルタルで階段状の腰壁?を作り、ちょっとした造形をしている。二階から下りてきて屋外に出るときの感覚はちょっと面白かったかも知れない。
低層棟の入口部分:35号館
建物ごとに少しずつ様子が違っているようで、こちらの建物は階段を二段上がって庇の下の扉を開ける形。木陰では猫がマッタリしていた。
銭湯・文化湯
引き違い戸の玄関は、古い他の集合住宅の多くで見られる。近代的な鉄筋コンクリートの建物が引き戸だと、ちょっと違和感があるのだが、日本的な生活習慣からするとその方が馴染むのかも知れない。今でも、狭い階段室などの場合は、引き戸の方が良い気もする。
銭湯の入り口
代官山アパートの建築群の敷地内には、銭湯、食堂、集会所などがあり、全体として一つの街となっていた。集合住宅団地という考え方は当時の日本ではまだ新しいものだったはず。海外の新しい住宅地の情報なども入ってきていたのかも知れないが、日本なりにそれを消化して代官山集合住宅地は造られた。銭湯が団地の中心部近くにあって、立派な建物になっているあたりはやはり日本的な気がする。
銭湯入口脇のタイル
上はアーチ部分をかたちどるスクラッチタイル。下は柱部分で、凹凸模様のある陶板状のタイル。右側の壁はモルタルで、洗い出しのようなザラザラした手触りになっている。
団地の片隅にうち捨てられていたトヨペットクラウン。
既に住民が退去を始めており、空き室になった建物が多くなり始めた頃だったと記憶している。その頃になると、不法投棄されるものも増え、車も置き去りになっていたりした。廃墟と廃車。ノスタルジーをかき立てる意味においてはフォトジェニックであり、つい撮影をしてしまった。
しかし、後でこれを片づけるコストとか、勝手に捨てていく心根を考えると、「いい感じ」ではちょっと済まされない気がしてくる。
代官山アパートでは3階建てが最大の建物で、階段の両側に住戸が取り付く形が多かった。ただ、住宅地図で改めて確認すると、ひな壇状になった斜面に建てられた29〜33号館は建物間を繋ぐ渡り廊下があったようで、これらの建物には建物内の廊下もあったのかもしれない。
2007.2.26
rewrite 2019.2.3
同潤会アパート - Wikipedia
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