都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

理容室ハシモト

2024-11-12 | 千代田区 
理容室ハシモト
所在地:千代田区 神田須田町1-30
構造・階数:木・3
建設年:戦前?
解体年:2016(平成28)
Photo 2014.3.16

 神田須田町、靖国通りから南へひとつ入ったところにあった、角地モルタル看板建築。1階は改装されていたらしくタイル張り。上部に小さな切妻屋根が見えていたので、ギャンブレル屋根を用いた屋根裏3階だったのかもしれない。壁面が下から真っ直ぐ立ち上がっているので事実上普通の3階建てだったけれど。。

 戦前、1935(昭和10)年の火災保険特殊地図では、店名はないが「床屋」と記されており、恐らく戦前に既に開業していた店だったようだ。一帯は戦災では焼失しなかった地域なので、建物もあるいは戦前のものだったのかもしれない。

 同所では写真周辺の建物がほぼ同時期にみな取り壊された。その後、街区全体が開発され、2018年にパークホームズ千代田淡路町という12階建てマンションが竣工している。

神田万彦、理容室ハシモト/神田須田町1丁目

Tokyo Lost Architecture
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K邸

2024-03-21 | 千代田区 
K邸
所在地:千代田区 富士見2-5-4
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期
解体年:2010(平成22)
Photo 1994.7.16

 下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事では、拙ブログの写真よりさらに前の1986年4月のものが見られるが、このころ既にツタで覆われていて、人の気配があまり感じられない状況ではあったようだ。ただ私の1枚目では手前2階の雨戸がわずかに開いているようでもあり、無人の廃墟ではなかった様子。


 Photo 2008.4.4

 アパートのようにも見える総二階の大型のちょっと洋風な建物として記憶に残るものだった。


 Photo 2008.4.4

 門柱が独特な造形だったのも印象的。このスタイルだからなのか門扉はなし。奥の扉は庭へ通じているもの。


 Photo 2009.2.22

 全体には装飾がほとんどなかったが、道路沿いの側面には半円形の窓があって洒落ていた。道路に近い部分に手間を掛けた設計だったのだろうか。

民家/富士見2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
K邸 千代田区富士見 - 東京ノスタルジア

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井上輪店

2024-03-18 | 千代田区 
井上輪店
所在地:千代田区 富士見2-2-11
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2014(平成26)
Photo 2008.4.4

 飯田橋駅近くの商業地にあった自転車屋さん。袖看板には三菱自動車のマークがあり、ギャラン、ミニカなどの文字もあるので、かつては自動車の取り扱いもしていたのかもしれないが、戦後間もない時期の火保図(1952年)では、井上サイクルと記載されているので、基本はやはり自転車屋さんだったのだろう。

 モルタル平入り看板建築で、2階の窓まわりの壁はトタンかアルミに換えられたかしたようだ。一帯は戦災では焼失しなかったエリアなので、もしかすると戦前に建てられたものだったのかもしれない。現在は5階建ての雑居ビルになっている。

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あかね書房

2024-03-15 | 千代田区 
あかね書房
所在地:千代田区 西神田3-2
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2005(平成17)
Photo 2005.3.25

 あかね書房は1949年創立。1964年発行の全住宅案内地図帳で「KKあかね書房」として記載されている。いつ頃建てられたのかは不明だが、会社の創立期、1950年頃だったのではないかと思われる。

 木造2階の小さなオフィス。モダンな外観で小路を挟んで神田蓄電池のひとつ西側に建っていた。奥が前項の神田蓄電池。

 写真の少し後に解体され、同街区は住友不動産千代田ファーストビル南館になった。現在は、あかね書房もこのビル内にある。

あかね書房、再開発で新ビルに 07年11月に竣工 - The Bunka News デジタル

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神田蓄電池(車庫・倉庫)

2024-03-12 | 千代田区 
神田蓄電池(車庫・倉庫)
所在地:千代田区 西神田3-1
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前?
解体年 :2014(平成26).4
Photo 2008.9.9

 玄関シャッター上部に見える「神田蓄電池」で検索したところ、本社は神保町にあり、ここは1972(昭和47)に建物を購入して、車庫、倉庫として使用していたものだったことが分かった。

 モルタル看板建築で一部にギャンブレル屋根があり、その部分は屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根を用いた3階建てなので、震災後から戦前期のものだったのではないかと思われる。

 90年代以降は別の居住者の名が記されていたりして、いつ頃まで同社の倉庫として使われていたのかはわからなかった。この数年後の2014年に解体され、現在、同所はコインパーキングになっている。

有限会社神田蓄電池

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鉄道日本社

2024-03-09 | 千代田区 
鉄道日本社
所在地:千代田区 西神田2-1-4
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2018(平成30)
Photo 2008.9.9

 白山通りの西側の裏通りに面してあった、少しだけ洋風なモルタル塗りのオフィス。界隈はかなりの部分が戦災で焼失している。鉄道日本社は1954年発行の火災保険特殊地図には記載があるので、戦後まもなく建てられたものだったのではないだろうか。


 Photo 2010.6.6

 鉄道日本社は過去には鉄道系の書籍や雑誌を出版していた会社。鉄道ではないが「自動車工学」という雑誌も2016年までは出していたようだ。
 窓枠や玄関扉は木製で、玄関は洋風の観音開き。2018年3月時点のGoogleストリートビュー画像には解体のお知らせ看板が写っている。

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尾張屋蕎麦店

2024-03-06 | 千代田区 
尾張屋蕎麦店
所在地:千代田区 神田富山町17
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:1997〜2000(平成9〜12)
Photo 1996.10.10

 店のウェブサイトによれば、尾張屋蕎麦店は1923(大正12)年に創業したというが、神田富山町あたりは戦災で焼失したそうなので、写真の建物は戦後のものだったのではないだろうか。角地の店舗ではあるが、和風の木造2階建てはある意味昔ながらの典型的な蕎麦屋さんの店構え。

 この写真の後、2001年の住宅地図では3階建てと記されているので、1997〜2000年に建て替えられたのではないだろうか。蕎麦店は現在も同所で営業している。

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外堀通りの看板建築

2024-03-03 | 千代田区 
外堀通りの看板建築:桃太郎、S邸、ライフ(旧中村商店)
所在地:千代田区 神田司町2-8-1
構造・階数:木・3
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2002.2.24

 外堀通りに面して建っていた3棟のギャンブレル屋根看板建築。左から桃太郎、路地を挟んでS邸、ライフ(旧中村商店)。敷地割に対して道が斜めに交差しているため、3棟はそれぞれ少しずつ異なるスタイルでファサードと屋根を作っていた。


 Photo 2005.3.25

 3棟のうち、南側のライフ(旧中村商店)はやや間口が広いこともあり、1階は道路に沿って建て、2階、3階は脇の小路をもとに長方形の平面としており、大きなバルコニーを持つものだった。ギャンブレル(腰折れ)屋根という体裁をとっていたが、腰折れ部の下はほぼ垂直で、普通の壁のようだった。通り沿いのファサードは銅板張り、1階の丸柱や木製引き戸などはピンク色に塗られていた。戦前は中村商店(タバコ屋)、戦後は杉田金属、日東銅器KK、ジョニー商事など、店は何度か替わっていたようだ。

 その北側、3棟のうち真ん中はS邸。こちらはギャンブレル屋根の部分だけを、通り沿いの壁面から交代させ、長方形平面に収めていた。戦後間もない1950年代の地図でもS邸で、なんらかの店舗だったのは戦前の頃だけだったようだ。


 Photo 1996.2.20

 1枚目写真左端の「桃太郎」は菓子店。下記「ぼくの近代建築コレクション」掲載の写真が撮られた1987年時点ではまだ営業していたようだが、拙記事の写真(1996年)では袖看板が取り外されていて、既に営業していなかった。桃太郎の名は、1950年代後半の火保図で既に記されており、40年以上営業していたお店だったようだ。

 ライフとS邸の2棟は2012年頃に解体され消失。桃太郎のほうは2005年頃に解体されたようだ。現在、一連の建物の跡地にはPMO神田司町というビル(2013年9月竣工)が建っている。

ライフ、桃太郎/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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東京ビル

2024-02-27 | 千代田区 
東京ビル
所在地:千代田区 神田司町2-2-1
構造・階数:RC・3
建設年:戦後まもなく?
解体年:1997(平成9)
Photo 1996.2.20

 角地にあった3階建てビル。戦前のものなのか、戦後まもなくのものだったのかはわからない。下記「ぼくの近代建築コレクション」にもあるように、「『乱歩と東京』松山巌、1984年、PARCO出版」に南からの写真が掲載されていて、かつてはコリント式柱頭の付け柱を持つ建物だったようだ。戦前の火保図(1935年)では、中央商会(業種は不明)。

 戦後の1950年代の火保図では「東京ホテル」と記されている。3階建ての小規模なビルが東京ビルと名乗って、そこに東京ホテルがあった事はちょっと驚き。1960年代以降、1階はパーラー、ネクタイ屋、釣具店、洋品店、立ち食いそばなど、いろいろなお店になっていたようだ。また90年代、2階はカラオケだったようだ。

 ただ撮影時、それらは全て閉店しており、この翌年には解体されてしまった。その後は2002年までコインパーキング、2004年以降はオフィスビルになっている。

東京ビル/神田司町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #ホテル・旅館 #近代建築 
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大信不動産

2024-02-24 | 千代田区 
大信不動産
所在地:千代田区 神田多町2-9
構造・階数:木・2
解体年:2010(平成22)
Photo 1998.6.27

 多町通りの角地に建っていた洋風モルタル看板建築。戦前なのか戦後のものなのかはわからないが、1915年の火保図には「タバコ屋」、戦後の火保図や1965年の全住宅案内地図帳では「塩崎洋服店」と記されている。
 1973年以降に発行された住宅地図では「大信不動産」となっており、これが解体直前まで続いていた。下記「ぼくの近代建築コレクション」によると、大信不動産は1965年からここで営業していたとのこと。


 Photo 2009.2.14

 コーナー部を挟んで両サイドに出入口があったが、角地にあり交差点に面したコーナー部にアーチ型の装飾があった。昔はアーチの下に店の名前の文字が縦書きで付けられていたのだろう。
 なお、西隣(写真左手)の銅板張り看板建築はサカエヤクリーニングで、こちらは2022年7月時点で現存(Google ストリートビューによる)。

大信不動産、サカエヤクリーニング店/神田多町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 
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