09/01 アメ横ガード下(上野・御徒町界隈)
09/02 下谷神社周辺(東上野の看板建築)
09/09 同潤会上野下アパート(最後の同潤会アパート)
09/14 旧東京市営清澄庭園店舗向住宅(RC2階建ての店舗付き共同住宅)
09/16 清洲寮(RC4階の大型共同住宅)
09/17 原町の隙間階段(新宿区原町界隈)
09/18 近代建築なのかしら?(新宿区原町界隈)
09/19 試衛館跡の階段(新宿区市谷柳町界隈)
09/20 旧第一信用金庫本店(新宿区市谷柳町界隈)
09/21 大蔵省印刷局柳町寮(失われた近代建築・新宿区市谷柳町界隈)
09/22 Google Mapを使って地図づくり(市谷柳町界隈散策Map)
09/23 矢来町の階段(新宿区榎町・矢来町界隈)
09/25 墓地裏の小径を辿る(新宿区榎町・矢来町界隈)
09/26 マンホール階段(新宿区榎町・矢来町界隈)
09/27 宗柏寺南側の階段(新宿区榎町・矢来町界隈)
新宿区矢来町と榎町の境、ラスト。ここにはもう一つ小階段がある。
Photo 2006.9.11
擁壁と墓地の間を、昨日の記事とは逆方向、つまり南方向に進むと、行き止まりかと思いきや、西側に下りることができる。写真はその小階段を下りて振り返ったところ。木造住宅が建ち並ぶ路地奥に小さな段々がある。階段があって、奥に街灯(民有灯)が見えるので、抜けられそうだと分かるが、キョロキョロしながら歩くのはよろしくない。通り慣れた道を歩くようなそぶりで静かに抜ける。
段々は6段で、下3段は幅40cmほどしかない。上3段はそこそこ幅があるのに、下は踏み台のように小さい。夜中に踏み外す人がいてもおかしくない。ちょっとした高低差に造られた、踏み台のような階段であることが上から覗き込むとよく分かる。
下部の狭さにはワケがありそうだ。後から写真を見るうちに分かったことだが、画面の右上に階段わきにある住宅の扉が見えている。階段の幅が広いと、この扉が半分ぐらいしか開かないのだ。建築設計で扉が十分に開かない設計をしたら、ダメ出しを喰らってしまうが、世間にはその上を行く形がある。扉が開かないのなら階段の幅を狭く造ってしまえ・・・。
下りるときでなく、上るときでも踏み外しそうだ。でもこうしておけば扉を開けることができる!。どういう順序でこういうことになったのかなぁ。
#階段・坂 新宿区 #路地
ひきつづき新宿区矢来町と榎町の境。今回は、擁壁と墓地の間を北に進み、早稲田通りに抜け出る階段。
新宿区榎町と矢来町の境にある階段
Photo 2006.9.11
路地はコンクリート舗装されたが、この階段は以前同様、大谷石の段々。途中から隣地の塀や建物が張り出してきて道が狭まり、そのまま木造家屋の隙間を抜けて早稲田通りに至る。急に狭まる道は見通しがきかず、通れるかどうか分かりにくいので、気後れさせられるのだが、ここは意外に通る人がいるのでちょっと不思議。地域住民のちょっとした抜け道になっているようだ。
階段上部の路地が、車輌が全く通らない完全に歩行者のみの空間の場合、階段には車止めがないことがほとんどである。ここの場合、平坦な路地の先でいきなりストンと落ち込むタイプなので、9段しかないのに、おっとっととなってしまう。
マンホール階段・下から
Photo 2006.9.11
同じ階段を下から見ると、マンホールの円筒が半分剥き出しになっていて面白い。ここの1段目はマンホールでできている。というわけでここは「マンホール階段」と、またまた勝手に命名。
下水道を造る際の必要に応じてここにマンホールを造ったのだろうが、偶然できた姿には、まともに考えた形を超えたものがあり、そんなことするのかよっ、という意外性がある。
まあ、こんな階段を見て、おおっ!とか言って、良いな良いなと喜んだりコーフンしてるのは私ぐらいなのかもしれないけど。
#階段・坂 新宿区 #路地
前回記事の階段を下りると墓地裏の小径に出る。
新宿区榎町と矢来町の境界の小径
Photo 2006.9.11
中段部分に道があり、左側の擁壁の上が住宅地、右側の道の下方は墓地。擁壁と墓地の間を行く不思議な道が南北に続く。
宗柏寺墓地と小径
Photo 2006.9.11
墓地南端には無縁仏の塚かなにかがあり、頂部に石仏が立っている。小道を進み、振り返ると、ひょえーっ、有り難い風景であります。夜一人で来るのはやっぱりやだかも・・・。
Photo 1995.1.27
今回も約10年前の写真を掲載。おばちゃんが慣れた感じでとことこ奥へ歩いていく。よく見るとこの頃はまだコンクリート舗装がされておらず、飛び石の露地だったことが分かる。東京都新宿区、山手線の内側なんだけど、都心とは思えない風景が大通りのすぐ裏側に広がっている。
#階段・坂 新宿区 #街並み 新宿区 #路地
牛込あたりのつづき。矢来町から、榎町にある宗柏寺の墓地裏へ向かって下りる。
所在地:新宿区矢来町
段数:16段
Photo 2006.9.11
クランクした路地の奥で下る階段なので、知ってる人以外はまず通らない道。かなりプライベートな道のようなので、今回は番地を伏せておく。
住宅の隙間を通って下ると墓地裏の小道に至る。信心深くはないし、霊とかもあまり信じていないけど、下りた正面が墓地っていうのは、正直言って気持ちの良いものではない。夜なんか下りていくのが少々薄気味悪かったりするだろうな。地元に長年住んでいる人は慣れてるからなんとも思わないんだろうけど。
これでも昔に較べたら階段まわりの怪しさは減った。昔は両側が木造住宅で、階段わきにはブロック塀があり、ステップは大谷石が摩滅していた。今回行ったら昔より開放的で小ぎれいになっていてちょっと拍子抜け。
Photo 2006.9.11
同じ階段を下から。隙間大好き派としてはなかなか高ポイント。
写真を撮っていたらどこかの飼い猫がひょいと下りてきた。
だがこの階段の面白さは下りた先にあるのだと、大した話でもないのに勿体付けて明日に続く・・・。
#階段・坂 新宿区
Blogを書いていると、地図を使って説明したくなる。階段のある場所とかをプロットしたい、歩いたルートをちょっと記入したい・・・。
地図会社のサイトにもそういうサービスがあるが、有料だったり、専用ソフトが必要だったりと、ちょっと面倒だったりする。地図のアルプス社関連のALPSLABなどは結構良いのだが、これでも無精な私にはちょっと面倒。かといって個人で市販の地図を使って作ると、著作権問題がハードルとなったりする。
ところが今日、何気なく「地図作成」でぐぐったら、「地図Z 簡単にGoogle Mapを利用した地図を作成できるサイト」を発見。なんだこれ?
無料。登録不要。専用ソフト不要。使い方簡単。初めてでも10分で作れる。サイト内やBlog内に埋め込み可能。Google Map利用で、著作権問題もクリアしてるようだ。
でもってちょっと作ってみた。
残念ながら、gooブログではフレーム埋め込み用のタグに対応していないので、このBlogに地図を埋め込むことはできなかった。でも下記リンク先に、私が仮に作ってみたまちあるき地図があるので御覧下さい。
原町・市谷柳町界隈散策Map
赤い線は、私がこのサイト上で引いたルートライン。名前付きのNo.タグも簡単に置ける。Google Map同様、スクロールも拡大・縮小もできる。一度作ったら後からでも加筆など編集ができる。かなり優れもの。自分だけのルートマップを簡単に作れちゃうのが素晴らしい。ほんと、gooブログで埋め込めるといいんだけどなぁ。
少々懸念材料があるとしたら、ネット上で作成して、そのサイト内に保管されるので、作成した地図が手許には残せないこと。だからもしこのサービスが何らかの事情で終了してしまうと、せっかく作った地図も消えてしまう。まあBlogもそういうサービスではあるんだけど、そのへんがちょっと気になる。
あと、地図上のポイントマーカーにリンクを張れると、クリック一発で関連ページを開けたりするので、もっと良いのですが。欲張って言うなら、個人的にはもう少し機能が付くといいかなぁと思うわけだが、現在知ってる中では、一番簡単で使いやすい地図作成サイトなんじゃないかと思います。
#地図
大久保通りに面して、旧第一信用金庫本店のすぐ近くにあった洋館。
大蔵省印刷局柳町寮(旧斉藤邸)
所在地:新宿区市谷山伏町2-4
建設年:大正初期
構造・階数:木・2
Photo 1995.6.3
今回訪れたら残念ながら建物は全てなくなり、更地になっていた。「ニッポン懐景録」内の「新宿区市谷柳町周辺」というページには、昨年4月撮影の写真が掲載されている。Netで得られた情報を総合すると、どうやら昨年夏までは存在していたようだが、2005年の秋頃に取り壊されたらしい。
屋根は寄棟瓦葺きなので、遠目に見ると洋館という感じではないのだが、外壁はタイル貼りで、観音開きの大きなガラス窓が多用されている。総二階建てに近く、見かけよりは大きく堂々とした建物。また、最後の頃はアコーディオン型の門扉に替えられていたが、10年ほど前のこの写真では立派な木の門扉で、御屋敷然とした風格の漂うお家だった。
大蔵省印刷局の寮だったとのこと。幹部の社宅だったのだろうか?、それともルームシェア?。寮としてどのように使っていたのかは知らないが、昨今の財政再建のために行われた、都心の低未利用地の、再開発もしくは売却の一環だとしたら、とても残念な話だ。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #住宅系 #洋館・洋風住宅
市谷柳町、大久保通り沿いに建つ洋風建物。
旧第一信用金庫本店
所在地:新宿区市谷柳町1
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・2F
Photo 2006.8.27
久々に訪ねてみたら、外壁が塗り直され、ちょっとオシャレな感じに変わっていた。現在はレストラン・洋菓子店として利用されている模様だが、以前は居酒屋だった記憶がある。
Photo 1995.6.3
10年ほど前の写真と比較してみると、側面や正面上部の看板が取り外され、側面には照明も取り付けられたことが分かる。店舗の庇も建物にマッチしたものに取り替えられている。建設当初の色と同じかどうかは分からないが、外観は改装によって、オリジナルの建物を活かしたものになり、良い感じになった。
しかしこの建物、昔から飲食店だったのかしら? そう思って、例のごとく日本近代建築総覧を見るも記載なし。手掛かりは浪漫亭という新聞などにも載ったことがあるお店の名前。Netで検索してみると「新・浪漫亭/ビストロかがり火」というHPがあり、その中の「浪漫亭あれこれ」にこの建物の来歴が記されていた。それによるとこの建物は、以下のように変わってきたという。
1925(大正14) 第一信用金庫本店(注1)
戦後 柳町病院(注2)
1989(平成 元) 浪漫亭
1996(平成 8) 新・浪漫亭
2005(平成17) ビストロかがり火
注1)第一信用金庫は、後に帝都信用金庫となる。更に2000.3に合併し、現在は東京シティ信用金庫 注2)柳町病院は1982に道の反対側に移転
浪漫亭あれこれというページには第一信用金庫本店当時の姿が載っている。
これと現在の姿を比較してみると、現在は2階部分のみになっている半円形の付柱が、もともとは1階から立ち上がっていたこと、また中央上部には第一信用金庫の社章とおぼしきレリーフがあったことも分かる。
単なる商店にしては立派な外観だったので不思議に思っていたのだが、もともと銀行系の建物だったということで納得。戦後、病院になったり、居酒屋になったりと紆余曲折はあったが、それでも残り続けたのは幸運なことだと思う。
大江戸線が開通して、市谷柳町は交通も便利になった。オシャレなレストランとしてこれからも残り続けていって欲しい建物だ。
#失われた建物 新宿区 #近代建築 #銀行・保険 #商業系 #病院
市谷柳町にある小さな階段(Google Map)を久しぶりに訪れたら、以前にはなかった標柱が立てられていて「試衛館跡」とあった。何かと思って読んでみると、近藤勇の道場である試衛館があった場所だという。あらま、こんなところだったのね。以下、標柱に書かれた説明書きを転記。
「幕末に新選組局長として知られる近藤勇の道場「試衛館」は、市ヶ谷甲良屋敷内(現市谷柳町二五番地)のこのあたりにありました。この道場で、後に新選組の主力となる土方歳三、沖田総司などが剣術の腕をみがいていました。」
試衛館跡の階段
所在地:新宿区市谷柳町25
Photo 2006.8.27
以前は「市谷柳町の小さな神社の前にある階段」と呼んでいたのだが、これからは「試衛館跡階段」にしちゃおうと勝手に命名。ただし、試衛館があった頃にこの階段が既にあったかどうかは不明。
由緒はさておき、なかなか味わいのある小階段である。路地の中央には御影石の敷石が敷かれているが、両側は土が露出したまま。都心では土が見えている路地や階段が少ないのでこれは貴重。段々は敷石とは異なり、砂岩や大谷石で土留めされて造られている。しかし基礎部分の土の流出によって石が傾き、かなりガタガタの状態。階段わきの大谷石の擁壁も土圧でやや膨らみ、歪んでいる。
端正でピシッとした階段も見ていて気持ちよいが、崩れかけたような階段には、生活の営みとか、ものの哀れなどという、別の味わいがある。
大谷石の擁壁沿いにL字型に曲がる
時間の経過を残す階段の姿、小さな神社の存在、新選組の道場だったという土地の記憶。互いに直接的な関連は無いのかもしれないが、これらが干渉し積み重なることで、歴史が感じられる場所になっている。
#階段・坂 新宿区
8月末に、原町1丁目(Google Map)を歩いていて遭遇した建物。
某住宅
所在地:新宿区原町1丁目
Photo 2006.8.27
昨日の階段の近くにある、一見普通の戸建て平屋住宅。だがよく見るとその辺の和風家屋とは少々異なる。
切妻屋根の単純な外観なのだが、中央にある塔状のものがやけに目立つ。この玄関脇にある石貼りの塔は恐らく暖炉の煙突だろう。そしてコーナー部分のカーブした壁面と庇。手前側の二ヶ所だけでなく、左奥の角も丸くなっている。
戦後の建物にはあまりこのようなものはない気がするのだが、日本近代建築総覧にこの建物の記載はない。やはり戦後の建物なのか、それとも記載漏れか、和風住宅とみなされたか、近代建築的価値なしと判断されたか・・・。
居住者の方は不在だったようで、建設年代など詳細は不明のまま。
さて、詳細を御存知の方はおられないでしょうか? 気になる〜。
玄関先の様子
それほど凝ったデザインはないのだが、部分的にちょっと洋風だったりする。mのマークは恐らく居住者のイニシャルから採ったもの。
2022.8.14 追記
その後、2010〜12年にこの住宅は解体され、跡地にはマンションが建てられた。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #住宅系 #洋館・洋風住宅
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