01/05 2008年もよろしく(富士ヶ嶺からの富士)
01/16 富士山静岡空港建設現場(牧之原台地に造られる空港)
01/20 石雲院(牧之原の古刹)
01/22 新宿二丁目にて(新宿・10年の変化)
01/24 胸突坂(雪景色の階段を歩く)
01/26 新宿一丁目にて(新宿・10年の変化)
01/26 電話インタビューを受ける
01/28 ブルータヒチ(新宿・10年の変化)
01/30 東京の階段 アフターサービス(Google My Mapで階段をマッピング)
みなさまお世話になっております。
さて今回、「東京の階段」(日本文芸社刊)掲載の階段を、Google My Mapでマッピングいたしました。街歩きのご参考になれば幸いです。
東京の階段Map ↑地図画像をクリックするとGoogle Mapが表示されます。
(ちなみに現在、Google マップではInternet Explorer 6.0 以降、Firefox 0.8 以降、Safari 1.2.4 以降などのウェブ ブラウザがサポートされています。低いバージョンのものだと御覧になることができませんがご了承下さい。)
地図があったら便利なのにという感想を多く頂きましたが、すぐには改訂などをすることもできませんので、現時点でできる範囲で対応することに致しました。
検索をして私のブログもしくはホームページに辿り着いた方のみが享受できるサービスとなってしまいましたが、よろしければご利用下さい。
左欄には、巻末のリストの順(目次順)に階段を全てリストアップしました。名称をクリックすれば、該当地点の地図が表示されますので、地図を拡大して詳細な位置を御確認下さい。マーカーの色は本書の章に対応しています。また、本の中では場所を記さなかった紅葉の階段、雪の階段などについても、おまけとして場所をマークしました。
一方、地図中のマーカーをクリックすると吹き出しが表示され、階段の名称(本書内での名前)と掲載ページが表示されます。行き先エリアが決まっている場合は、近辺の階段をこちらからお探し下さい。
Google Mapにはかなり狭い路地も掲載されていますので、拡大表示をして確認して頂ければ、間違いなく現場にたどり着けることと思います。ただし本文中でも書きましたが、狭い路地はプライベートな場所であることも多いので、通行や写真撮影に際しては地元の方の迷惑にならぬようご注意下さい。よろしくお願いします。
#階段・坂 #地図
東京新旧写真比較(1996/2008) No.064
歌舞伎町にブルータヒチというキャバレーがあった。
Photo 1996.11.13(ノーマル時)
ユインビル(ブルータヒチ)
所在地:新宿区歌舞伎町1-9-5
構造・階数:RC6F?
Photo 2008.1.20(マウスオン) 新築中の建物
ユインビルは歌舞伎町1丁目と2丁目の境の花道通り沿いに建っていたビル。ユインビルというより、ブルータヒチがあったビルという方が分かりやすいのかもしれない。だがこのブルータヒチの方もネットではあまり情報がなかった。昔のテレビドラマで使われていたという記載があったが、未見なので詳細はわからず。
内部に入ることがないままになったので、どういう構造や間取りになっていたのかは不明。ただ、外見から想像すると、シャッターが下りている角の部分から入ると階段があって、2・3F部分にブルータヒチがあったのではないかと思う。ブルータヒチの店内がどんなだったのかは見てみたかった。なにしろ世代的にもキャバレー体験自体が無いわけで・・・。歌舞伎町にはまだグランドキャバレーなるものがあるそうだが、呑めないし社用族でもないので、こういう所には縁がない。キャバレーだった(ハズ)ブルータヒチに入店したりして、内部の様子を御存知の方がいたら教えて頂きたいところ。
ユインビルの入り口は右手。左手には銀寿しという寿司屋が1Fに入居している。寿司屋の上部に、消えかかっているが婚礼葬祭の文字が読める。歌舞伎町にも昔は冠婚葬祭業者が店を構えていたのだろうか。
ビル名のユインビルというのもちょっと不思議な名だが、上部の壁面に付く飾りなどがまた意味不明なものだった。グリンとは?、そしてその右にあるグニャグニャした線は何?、右奥と頂部にはUKとンの文字が見えるが、これもビル名とは違っており言葉としても意味不明だ。看板が錆び付いて色褪せ、ブルータヒチのブの字が落ちかかって斜めになっているなんて出来過ぎにさえ思われるが、いい味を出していた。最後の頃の怪しい姿もいい感じだと思うが、一方で最盛期の姿も見てみたかった。頂部から流れ落ちるようなネオンサインが点いているところを見てみたかったなと思う。
飲んで遊んでという生活はしてないが、こういう建物に惹かれる自分もいるわけで、これはなぜだろう。妄想が膨らむせいなのか??
さて今回行ってみたら、まさに新しいビルが建設中で、鉄骨が組み上がったところだった。後方に見える第80桃源社ビルと、右手の台湾同郷協同組合ビルの様子は変わっていなかった。新しいビルのボリュームは旧建物とほとんど同じ。では何故建て替えるのか? メンテナンスが悪くて老朽化が激しかったのか、もしくは内部の間取りが特殊で、少々の改造では使い回しが巧くできなかったか。なんとなくその両方であるような気がする。
Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 新宿区 #失われた建物 新宿区
26日(土)午前中の番組だそうだが、19日にその録音をやった。電話インタビューなので、スタジオに出向くわけではなく、指定された時間に自宅等で待機して、掛かってきた電話でお話をしただけ。こんなのでいいのか?
番組内で階段関連の話が流れるのは10分番組の中の数分なのだそうだ。だが電話では、インタビュアーでもある構成スタッフの方と20分程度やりとりをした。たくさん録音しておいて編集して要点だけにするらしい。こっちは在宅でへらへら喋っただけなんで楽だったけど、スタッフの方は後が大変だったろうな。さてさて、どの部分が使われるのかしら? ご興味のある方はどうぞ。
【番組名】RADIO DONUTS 1月26日(土)am8:00-pm12:00)
【紹介されるコーナー】House Mate COLORFUL STYLE(9:10~9:40)内の10分程度
#マスメディア
東京新旧写真比較(1997/2008) No.063
数年前までは新宿のまちなかにも塀で囲まれた和風家屋があった。
吉村邸
所在地:新宿区新宿1-16-2
構造・階数:木造・2F
備考 :吉村邸は2006(平成18)に解体
Photo 1997.12.28(ノーマル時)
Photo 2008.1.20(マウスオン)
板塀で囲まれ、庭木があり、数寄屋風の屋根が載るなどしている外観からすると、この建物は以前は料亭もしくは待合など、お座敷のあるお店だったのかもしれない。新宿一丁目界隈の一軒家にしては規模が大きい木造建物だった。だが当時、既になんらかの営業をしている気配はなく、中はひっそりとしていた。
新宿のどのあたりで撮ったか自分でもあやふやになってしまっていたのだが、塀に付けられた住居表示を頼りに現場へ行ってみた。
さて今回、右奥の建物は新しいので残っていたが、角地のこの建物と左手の新聞屋さんはきれいさっぱり無くなり、跡地には中高層のマンションが新築され販売中となっていた。2006年2月頃までは前の建物があったが、その後、取り壊されて建て替えられたようだ。いつのまにかこの街からも昔の面影は消えていく。
しかし何度見ても同じ場所には思えない。建物が変わると、街の印象が激変することが改めてわかる。新宿に立派な木造建物があるというのは、意外性があって面白かったのだが、マンションになってしまうと全然面白くなくなってしまう。オフィスやマンションばかりの街になるのは仕方ないことなのかも知れないけれど、もうちょっと魅力的なデザインの建物が増えてくれるといいなぁ。
Tokyo Lost Architecture
#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 新宿区 #失われた建物 新宿区
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東京新旧写真比較(1997/2008) No.062
もうなくなっただろうと思っていた建物は意外にもまだ健在だった。
Photo 1997.12.18(ノーマル時)、Photo 2008.1.20(マウスオン)
ちゃんぽん 長崎亭
所在地:新宿区新宿2-12-3
構造・階数:木造2F
10年前にこの建物を見たのは、新宿二丁目に赤線の名残を探しに出掛けたときのこと。遊郭建築じたいが既に無いことは知っていたが、戦後暫くのあいだに建てられた古い建物があったりはしないかと見に行ったのだった。夕方にISO100のスライドフィルムで低速シャッターを切ったら、手ブレしてしまった。
瓦葺きの木造家屋をベースにした二階屋。右奥の少し引っ込んでいるものとも一体の建物のようだ。二丁目界隈は戦後に土地区画整理をしているので、戦前の建物であるはずはないが、規模や構造からすると昭和40年代頃までの建物なのではないかと思う。もちろん何度も改築はされているのだろう。
さて、今回訪ねてみたら、建物はちゃんと残っていてちゃんぽん屋もそのままだった。軒先や2Fに付けられた縦板が全てオレンジ色に塗り替えられていて、妙に目立つことになっていたが、その他は全く同じ。10年ぶりだったのでそれほど変化がなく、現場での撮影位置の特定も楽だった。
笑ってしまったのは、左奥のビジネスホテル。昔は「ビジネスホテル・T」だったのが、今回見たら「ビジネスホテル・S」になっていた。看板もTをSにしただけ。この分だと10年後にはRになっているかもしれない。
#東京新旧写真比較 新宿区 #古い建物 新宿区 #街並み 新宿区
しばらくぶりに石雲院へ行った。
曹洞宗龍門山石雲院
所在地:静岡県牧之原市坂口
総門・建造年:1595(文禄4)
Photo 2008.1.6
龍門山石雲院は室町時代の1455年に創建された古刹。三度の火災に遭い、本堂は江戸後期のものだそうだが、総門は安土桃山期に建立されたもので、県内でも古い方だ。
以前ここを訪れたのは、静岡空港の建設計画が持ち上がり、ここが無くなるかもしれないという話を聞いたのがきっかけだった。空港の建設が進んだ今、お寺はどうなっているのだろうという興味もあって、久々に訪れたというわけ。
幸い、空港は境内部分をよけて建設されたため、お寺の建物群は残された。土地の一部が削られたりはしたようだが、普通に参拝した限りでは大きな変化は感じられなかった。建設計画が一部変更されたりしたのだろうか。とにかくまずは一安心である。だが、なんだか雰囲気が以前とは少々異なる気がした。総門、山門、本堂など、文化財でもある主要建物はそっくり残っているのだが、どうも様子が少し違う。しばらくぶりだから記憶違いもあるのかもしれないなと思いつつ、そのまま参拝して帰ってきたのだが、帰宅後、昔の写真を引っ張り出してみたら、実はかなり様子が変わっていたのだった。
山門へ至る階段 Photo 1990.11.18
改修された階段 Photo 2008.1.6
最も大きく変化したのは、総門から山門(楼門)に至る階段である。今回、きれいに整備された階段を見て、ハテ?こんな階段あったかしら?、と不思議だったのだが、やはり以前とは全く違っていた。個人的には以前のものの方が風情や風格があって非常によいと思うのだが、安全対策なのだろうか、味も素っ気もないきれいな階段になってしまっていた。きれいにはなったがつまらなくなった典型的な例である。周囲の緑も殺風景になってしまった。今回が冬場だったせいもあるかもしれないが、全体的に以前の方が調和が取れていて美しいと思うのは私だけではあるまい。
山門
建設年:火災で焼失後、嘉永年間(1848~1853)に再建
Photo 1990.11.18
山門は、三間一戸の八脚門で総ケヤキ造り。入母屋造りの屋根を持つ楼門で、放射状に伸びた扇垂木が大きな屋根を支えている。
三間一戸というのは、正面から見たときに柱と柱の間が3つあり、その内の一つに扉が付く(通路になっている)タイプ。扉部分以外の二間には壁があるのが普通なのだが、ここの山門は足下がスカスカで門扉も無い。二層部分も窓状の部分に扉や戸がない。どうしてこのようになっているのかよく判らないが、横から見ると向こう側まで見えてしまうのが印象的な門である。
石雲院本堂
建造年:1843年(天保14)再建
Photo 2008.1.6
本堂は屋根瓦が葺き替えられた。雨漏りがすると建物が傷むので、定期的な修理は必要なもの。だから古めかしさが無くなったなどと非難するつもりはない。あと10年もすればまた良い感じになるはずだ。でも、以前は一番上の棟部分に石雲院なんて書いてなかった気がするんだけど。
本堂は寄棟式の屋根で、間口が大きい。玄関には大ぶりな唐破風屋根が付き、全体的に堂々とした姿だ。ただ、屋根の大きさに比して頂部の棟の長さが小さいため、屋根面が平べったく広がっている。最初に訪れたときから気になっていたのだが、どうも妙なバランスだ。正直言ってあまり格好良くない気がしてしまうのだが、逆に印象に残る姿になっている。
本堂前には小さな庭園が造られた。またいくつかの建物を結ぶ渡り廊下なども新築され、前に述べたように階段も改修された。空港工事関連で、ある程度補償などがあったのかもしれない。
参拝者もさほど多くなく、境内は静かだった。だが、遠くから絶え間なくガーガーと音がする。空港の工事をしている作業車のエンジン音だ。お寺の裏山を上った先はすぐに空港の工事現場だ。この分だと開港後は飛行機の離発着音が轟音のように聞こえることになるのだろう。一日あたりの本数は大したことは無いのだろうが、静かな聖地の環境は激変することになるのだろうな。
静岡の建築
#古い建物 静岡県 #寺院 #市区町村指定文化財
正月に実家から牧之原方面へ行った。牧之原台地の谷間にある石雲院という古刹を訪れるのが目的だったのだが、途中で静岡空港建設地見学展望台の案内標識があったので、ついでにそこに行ってみることに。
静岡空港工事現場 Photo 2008.1.6
静岡空港(愛称:富士山静岡空港)は、牧之原の台地上に起伏を慣らして造成されている。開港予定は平成21年3月。おやおや、来年3月にはできちゃうのか。県内ニュースなどを見ていると、国内だけでなく、韓国などへの直行便も就航予定であるなどと景気の良い話が載っていたりする。県内の大きな会社が空港運営会社へ出資して、官ではなく民が主に運営するんだそうだ。周辺にはヤマハ、スズキなど海外との行き来が多そうな会社の工場や研究所があり、オフィス街や大きな繁華街はないが、これらの工場関連で、一定の需要があることは予想される。北海道や沖縄へ乗り継ぎ無しで行けるのならそれも便利だ。また静岡からは富山、金沢など北陸方面が不便なので、その方面への需要はまあまああるだろう。でも、どうしても必要かと言われるとよく分からない。
静岡市内から牧の原に行くくらいなら、羽田へ行っても1時間程度しか差はないだろうし、浜松市内からなら、中部国際空港という選択肢がある。静岡空港の便数が多いなら便利になるが、2,500m滑走路1本だし、需要から考えてもそれほど頻繁にあちこちに飛行機が飛んでくれるわけではなさそうだ。そうなると、新幹線代はかかってしまうが、やはり東京や名古屋へ行った方が便利だろうと思われる。
そんなこんなで採算性をよく考えたのかどうか甚だ疑問な空港なわけだ。もちろん、黒字になるのならまだ良いが、赤字垂れ流しで、更に牧の原の緑を無くしてしまう環境破壊なんてことだと最悪。県は黒字予想をしてるのだろうが、行政の予想ほど楽観的でお気楽なものはない。素人でも?がつくような予想は予想ではなくて、期待であり、下手すると妄想だったりする。
まあ、それはともかく、現場がどうなっているのかはちょっと気になる。空港建設が話題になってから20年。ぼんやりしている内にいつのまにか土地買収が進み、造成が始まり、建物の建設も始まったという。野次馬根性もあって急坂を上り、台地上の展望台へ行くと、プレハブ小屋がポツンとあった。お正月休みにこんなところに来るやつなんてあまり居ないんだろうなと思っていたのだが、駐車場には20~30台の車が止まっている。茶屋があるわけでもないのに、小屋の中は大盛況。みんな退屈してるんだなぁ。何か変わったことが無いかとやって来る。かくいう私もその一人なんだが・・・。駐車場の先には真っ平らな土地が広がり、工事用車輌が忙しく行き交う。遮るものが何もない台地上は風がやたら強く、土埃が盛大に舞っていた。外にいると土埃だらけになるので、早々に小屋の中に入る。
プレハブ小屋の中には説明パネルが展示され、双眼鏡が用意されている。空港なんだから、真っ平らにしなければならないのは分かっているが、いつのまにかこんなに工事が進んでいたのだった。お茶山だった丘は削られ、小さな谷は埋められ、緩やかな丘陵地だった場所には真っ平らなスペースが広がる。うへ、やっぱり土木系の連中がやることのスケール感は相当違うな。
造成工事は8割方済んでいるらしいが、まだ少し、山を削らねばならないらしく、大型ダンプが行き来している。離れた場所から見ているのと、現場に人影が少ないため、スケール感がさっぱり分からないのだが、展示パネルの説明によれば、ダンプは、90t積み(幅6m、高さ5m、長さ10m、重さ約65t)だという。俄には信じがたい大きさ。テレビでたまに馬鹿でかいダンプがレポートされていたりするが、まさにそれが何台も走り回っている。あっという間に大量のガソリンを消費してしまうらしいが、人件費その他の効率性を考えると、やはりこうなるらしい。だいたいこのダンプやブルドーザーは、公道を走って現場に来られるわけではない。分解して運搬して現場で組み立てるわけで、現代の土木工事というのは誠に凄いことになっているのだなぁと思う。
進入灯などの設備の建設も始まり、アクセス道路の整備もかなり進んでいる。管制塔や空港本体の建物の建設も始まった。反対が叫ばれていたのは数年前だったか。でも確実に着実に建設は進んでいた。
ここまで造っちゃっていると、もう後戻りはしにくい。だからひとまず完成させてみて欲しい。で、造ったからには赤字にせずに有効活用して頂きたい。地元建設業界が潤うなどと、造ることだけが目標になっていたりすると、出来た後が無惨なことになる。運用次第で財産にもなれば、お荷物にもなるので、ある意味、今後に期待である。で、どうしても赤字になってしまって、回復の見込みが全く立たないというのなら、速やかに閉港すれば良い。ぐずぐずと判断を先送りにすればするほど、赤字は増え、人々の負担が増える。今から素人に赤字の心配をされてしまうこと自体がちょっと情けないし、閉港なんて聞いたことが無いけど。閉港したら、またお茶畑にしたら良いんじゃないかな。平らにしたから風が吹きっさらしになっちゃったけど。
榛原郡吉田町方面
展望台より富士山を望む
台地の上からは富士山や南アルプスを遠くに望むことができる。また島田、吉田方面の街も眼下に見ることができる。台地の上に造られつつある空港の工事現場は、今までの静岡にはない奇妙な風景を持つ場所だった。
Wikipedia・静岡空港
静岡県/富士山静岡空港静岡の街並み
#街並み 静岡県 #眺望 #飛行機