都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2022年8月 記事一覧

2022-08-31 | 記事一覧 

08/13 旧 天神山
08/16 東京大学 理学部旧1号館
08/19 月の湯
08/22 中島屋酒店
08/25 柴田科学
08/28 鶯谷アパート
08/31 ガスライターサービスセンター

ブログ内記事のタグ一覧   Tokyo Lost Architecture

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ガスライターサービスセンター・平坂ビル/旧 菊屋テーラー

2022-08-31 | 台東区  
ガスライターサービスセンター・平坂ビル/旧 菊屋テーラー
所在地:台東区 台東3-38-6
構造・階数:木・3
解体年:2015(平成27).10
Photo 2012.4.4

 木造モルタル塗り3階建てのいわゆる看板建築だが、初めて見たときはちょっと声が出てしまった。建物の大きさや用途に不釣り合いなほど派手な装飾は、下町のさほど広くない通りにあるとかなり違和感があり目立つものだった。

 建物の両隅部分はコリント式風の柱頭がある付柱がモルタルで造られているが、その内側、窓の両側にも付柱状の装飾が付けられている。この装飾柱は下部が半球状で壁から飛び出すようになっていて、また上部も柱頭で終わりになっていて、何をも支えていない。ちゃんとした様式建築では見掛けないデザイン。
 作者は正式な西洋建築デザインを学んでいなかったのかもしれないが、見よう見まねで洋風デザインをこしらえたお陰でこの特異なデザインの建物ができたわけで、その奇妙さが魅力的だった。

 1階は改築されて当初のデザインは残っていなかったが、この感じだと最初はどれほどだったのだろうと思ってしまう。派手なモルタル塗りファサードが残っていたのはある意味奇跡的だったのかもしれない。ただ残念ながらこの建物も数年前に取り壊されてしまった。

 私がこの建物を見たのは最後の頃に近く、ガスライターサービスセンターという店舗で、ビル名は平坂ビルだったが、昔の住宅地図では別の店だったりする。いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」によれば、1966年の住宅地図では「不二写真製版社」だったという。80年代の住宅地図では「今本ビル・平塚商事(株)」だった。
 いつ頃建てられたものなのか、また最初の用途や屋号は把握できなかったが、力の入ったデザインが記憶に残る。


2022.9.26 追記
 1953(昭和28)修正作図の火災保険特殊地図には「菊屋テーラー」と記されていた。第二次大戦の空襲では幸運にも焼失を免れた地区なので、戦前の建物だった可能性もあるが、戦後の時点では洋服の仕立屋だったようだ。

平坂商事/台東3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Jun-Jun on Twitter:「ガスライターサービスセンター」

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#失われた建物 台東区  #商業系  #モルタル看板建築 
#看板建築   ブログ内タグ一覧
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鶯谷アパート

2022-08-28 | 台東区  
鶯谷アパート
所在地:台東区 下谷2-3
構造・階数:木・3
建設年:1932(昭和7)
解体年:2020(令和2)
備考 :ギャンブレル屋根、屋根裏3階
Photo 2008.10.14

 下谷2丁目、言問通りの北側裏の通り沿いにあったアパート。大型のギャンブレル屋根が全体に載り事実上3階建てだったが、内部の間取りなどについては調べていなかったので詳細を知らず。


 Photo 2012.12.18

 屋根上のドーマー窓は7ヶ所、これに対して2階の窓は5ヶ所。食い違っているわけではないが、メゾネットタイプだとしたら部屋によっては上階に複数の窓があることになり、ないとは言えないがちょっと珍しいことになる。腰折れ屋根の屋根裏とはいえ、その部分の階高(天井高)もそれなりにありそうなので、やはり完全に3階建てだったのだろう。

 だとすると3階の廊下はどこにあったのか? 妻面の窓の位置から考えると道路とは反対側だったのだろうか。しかしこれだと陽当たりの良い南側が廊下だったことになる。もしかすると3階には廊下はなく、2階の廊下からそれぞれ階段で上る形だったのかもしれない。


 Photo 2004.12.25

 ギャンブレル屋根の屋根裏3階建ての集合住宅じたいが東京では珍しい存在だったので、内部は想像がつかない。解体された後になってから、写真を見ていろいろ気になり出したのだが、こんなことを考えるなら存在していたときにいろいろ見ておけば良かったのと思うのだった。


 Photo 2010.12.4

 下記「ぼくの近代建築コレクション」によれば、2000年頃に外装が改修されたそうだ。同サイトの記事で扱われている改装前の写真と、拙ブログ記事の改装後の写真を比べてみると、屋根の色、玄関わきのタイル壁、玄関扉などが改装の前後で異なることが分かる。

 最近まで入居者を募集したりしていたが、2020年末に解体されたそうで、現在はマンションが建設中らしい。なお、Google ストリートビューでは、2020年3月時点の写真が最新で、鶯谷アパートがまだ写っている。

鶯谷アパート/下谷2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
下町のラ・ボエーム 鶯谷アパート | Souvenirs de la saison

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#失われた建物 台東区  #集合住宅  #ギャンブレル屋根
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柴田科学

2022-08-25 | 台東区  
柴田科学器械工業(株)分室
所在地:台東区 池之端3-2
構造・階数:RC?・3
解体年:2010(平成22)
Photo 2007.2.3

 池之端の住宅地内の角地にあった建物。道の南側には同社の工場もあったようだが、そちらは見ないまま数年前に両者とも無くなった。

 柴田科学は理化学関連の機器を製造販売している会社で、現在も本社は池之端2丁目にあり、草加市に工場があるそうだ。創業は1921(大正10)年とのことだが、同社の沿革で池之端(旧上野花園町)が出てくるのは1940(昭和15)年に工場を建設したときなので、この建物もそれ以降のものだったのだろう。

 3階建てだが、RC造だったのか木造だったのかは判別しにくい外観だったため不明。コーナーを丸くして立ち上げているあたりはちょっと古めなデザインだが、ほかの部分があまり古そうではないので、やはり戦後、昭和30年代頃までに建てられたのではないかと思う。

 2010年頃に解体され、2011年には跡地にマンションが完成している。

柴田科学

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中島屋酒店

2022-08-22 | 文京区  
中島屋酒店
所在地:文京区 目白台3-16
構造・階数:木・2
解体年:2018〜19(平成30〜31)
Photo 2015.4.6

 目白通りに面してあった酒屋さん。切妻屋根妻入り建物の前面に半円形パネルの付いた壁を立てたいわゆる看板建築。
 撮影時は前面が全てピンク色になっていたが、かつては違っていたのではないかと思う。昔の写真を持ち合わせておらず、また昔から知っているわけでもないが、壁面の様子からするとトタン板張りだったのではないだろうか。銅板張りだった可能性もあるが、それなら塗り直す必要があまりない。トタン張りだと錆びて朽ちて行くので塗装が必要。金属板の目地が見えているのでモルタル塗りでもなかったようだ。なお、側面はモルタル塗り。

 撮影時、周囲は既にコインパーキングなどになり、ポツンと残される形になっていた。その後、2018年頃に壊されて、跡地には5階建てマンションが建てられている。なお、Google Mapでは現在も同所に中島屋酒店があることになっているが、ストリートビューで見ると店舗があるようには見えない。


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月の湯

2022-08-19 | 文京区  
月の湯
所在地:文京区 目白台3-15
構造 :木
建築年:1927(昭和2)
解体年:2015〜16(平成27〜28)
備考 :2015(平成27).5末廃業
Photo 2010.3.13

 目白通りから北側に入った場所にあった銭湯。いわゆる宮造りタイプで、大ぶりな入母屋屋根と唐破風が印象的だった。1927(昭和2)年創業だったそうで、建物もその時に建てられたものだったという。

 下記リンク先では内部の様子も見ることができる。中に入ると脱衣場の天井は高く、格天井だった。また浴室の壁にはやはり富士山が画かれていた。

 わきから見ると、瓦葺きの入母屋屋根は脱衣場部分までで奥行きがあまりなく、浴室部は切妻トタン屋根だったことが分かる。

 東日本大震災で屋根などが破損し、最終的に2015年5月末に廃業、その後、解体された。

 昔ながらの銭湯は平成後半以降、急速に減少しているそうだ。往時の文化や建築を残したいという立場からすると残念なことなのだが、考えてみれば自分自身、最近はほとんど銭湯に行っていない。日常的に銭湯を使う人が少なくなっている状況下では、建物の修繕が必要でも頑張って直す方向にはなりにくいのは、ある意味仕方ないことなのかもしれない。

 だとすると銭湯の建物は将来的には、江戸東京たてもの園の子宝湯のように、文化財的に保存されたものだけになっていくのかもしれない。

銭湯紀行 月の湯(東京・文京区) | 動画で見るニッポンみちしる | NHKアーカイブス
【文京区】東京最古級の木造銭湯『月の湯』見学会に参加しました
東京最古級の木造銭湯 目白台「月の湯」解体間近 - 文京建築会ユース
月の湯(文京区目白台)
月の湯(360°映像)

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東京大学 理学部旧1号館

2022-08-16 | 文京区  
東京大学 理学部旧1号館
所在地:文京区 本郷7-3
構造・階数:RC・3+増築1
設計 :岸田日出刀/小野薫
建設年:1926(大正15)
解体年:1994(西棟)/2003(中央棟)/2013(東棟)
備考 :4階部分は1965年の増築。2017年に東棟(6F)が竣工
Photo 2002.4.7 後方は新1号館西棟

 東京大学本郷キャンパス、安田講堂の裏側(東側)にあった大正時代末に建てられた建物。ロの字型をしていたが、戦前の国土地理院地図(1926〜36)や火災保険特殊地図(1934〜39)では、南側と東側のみのL字型で数学物理学教室と記されており、いちどに全部が建てられたわけではなかったようだ。北側と西側の建設時期は未把握。
 安田講堂裏は本郷台地から藍染川の谷地への下り斜面で、旧1号館は安田講堂より低い位置に建っていた。このため1965年に4階が増築されても安田講堂前の広場や銀杏並木からは背後に見えることはなかった。しかし、建て替えで背の高い建物になったため、残念ながら現在は講堂の背後に新建物が大きく見えてしまっている。ただ、そうでなくても、キャンパス外の池之端方面の高層ビルがそのうち見えるようになってしまったかもしれない。


 旧1号館中庭部分  Photo 2002.4.7

 旧1号館の建て替えは3期に分けて段階的に行われたそうだ。私が初めて旧1号館の写真を撮ったのは第1期工事の後だったため、建て替え開始前の全景を撮ることは出来なかった。
 ロの字型の校舎は、1994年に西側の1/3が解体され、そこに1998(平成10)年に新建物が建てられた。続いて2003年頃に中央部が解体され、中央棟が2005(平成17)年に完成。そして2013年に残る東側が解体され、2017(平成29)年に東棟が完成。こうして3期に分けた工事が終わり、全てが建て替えられたのだった。

 本記事掲載の1〜3枚目は西棟が建て替えられた後で、旧1号館がコの字型をしていた頃のもの。

 他サイトの記事などによれば表現主義のデザインだったという。たしかにレンガタイル張りの柱やアーチ部分は縁が丸められていて、新古典主義などの様式建築とは異なっている。とはいえ周辺の様式建築校舎とも違和感なく共存している感じだった。


 Photo 2002.4.7

 建て替えが段階的に進められたため、途中段階では切断されて残された建物の断面が見えている状態だった。


 東側から、後方は中央棟、更にその奥が西棟  Photo 2007.2.3

 中央棟が完成すると、残されたのは東側部分のみになっていた。


 東側部分  Photo 2007.2.3

 この東側部分だけは文化財的に残すのかと思ったが、結局取り壊されたのだった。


 東側の残存部分を北側から  Photo 2007.2.3

 残った東棟部分を使用するため、この時期はわざわざ避難階段などが設置されていた。ここまでしっかりやっていたので残すのかと思ったのだが、やはり暫定利用だった。


理学部旧1号館の記憶 - 特集
理学部 旧1号館 特設ページ
理学部1号館東棟の設計が固まり3期工事が始まる
理学部1号館東棟が遂に完成
    - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部

東京大学理学部旧1号館/本郷7丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京大学 理学部旧1号館 | 収蔵庫・壱號館

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#失われた建物 文京区  #大学  #岸田日出刀  #表現主義  #近代建築 
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旧 天神山

2022-08-13 | 文京区  
旧 天神山
所在地:文京区 本郷6-18-1
構造・階数:木・2
解体年:2008.6〜2012
Photo 2006.12.16

 本郷通りから西へ入ったところにあった洋風建物。アパートのような外観をしていたが、「洋食レストランの草分け」とする記述がネット上にあり、かつては飲食店だったようだ。一般の住宅としてはやや華やかなデザインで、玄関も引き戸ではなく観音開きだった。洋瓦を用いているあたりも洒落ていた。

 戦前版の火災保険特殊地図では用途等は不明。戦後版(1952(昭和27))に天神山と記されていてこれが洋食屋だったようだ。ただ、ネットで調べた範囲ではその詳細は不明。「ぼくの近代建築コレクション」によれば、1966(昭和41)年の地図にも「天神山レストラン」と記載されているという。

 しかし1973年の住宅地図では既に天神山の名はなく、一般住宅になっている。レストランとして営業していたのは、戦前か戦後すぐの頃から1970年頃までだったようだ。
 建物はその後も住宅や小規模事務所として残っていたが、2008〜12年に解体され、跡地にはマンションが2013年10月に完成している。

天神山レストラン/本郷6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都文京区の近代建築探訪 1

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#失われた建物 文京区  #商業系  #飲食店  #洋館・洋風住宅  #近代建築 
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