11/01 一の湯商店街のアーケード
11/05 白光堂
11/09 日本通運中央研修センター
11/13 第一KSビル(旧丸菱ビル)
11/17 鳥常
11/19 ニッポンぶらり鉄道旅
11/25 水無橋
11/29 藤本牛乳店
藤本牛乳店・自然食品の店フジモト
所在地:千代田区 神田淡路町2-6
構造・階数:木・2F
解体年:2008〜09
Photo 1995.6.3
神田消防署近くの外堀通りに面して建っていた看板建築商店。90年代までは雪印牛乳の文字とマークが軒先に付けられた印象的な姿をしていた。ただ、写真を拡大すると「自然食品の店フジモト」の袖看板が左に出ていて、もしかすると既に牛乳店はやめていたのかもしれない。
1Fの柱は煉瓦色のタイルまたは煉瓦、2Fの壁面はクリーム色のタイル張り。1Fと2Fの間にはモルタルでロンバルディア帯が造られている。
Photo 2005.3.25
手もとの住宅地図でも1998年には、自然食品の店フジモトとなっていた。2005年に通りかかった時には雪印牛乳の文字看板も外されていたが、建物はそのまま存続していた。
2009.12のGoogleストリートビューでは、右側のビルと共に解体済で、現在のオフィスビルの建設が始まっていたので、恐らく2008〜09年に解体されたのではないかと思われる。
2023.12.22追記
1935年の火災保険特殊地図では「小■牛乳株式会社」(■部分は判読できず)、1950年と1954年作図・59年修正の同地図では「藤本牛乳S」(SはShop、店)と記されている。戦後まもなくの時点で既に藤本牛乳店になっており、また戦前から牛乳販売店ではあったようだ。建物の正確な建設年代は分からないが、戦後まもなく、もしくは昭和初期に建てられたものだったのかもしれない。
神田消防署、フジモト商店/神田淡路町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #タイル張り看板建築 #看板建築
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水無橋
所在地:渋谷区神宮前6丁目
構造 :鉄
建設年:1883(明治16)
解体年:2006(平成18).3
Photo 1989.5.3
原宿駅前、代々木体育館東側の山手線に架かっていた鉄橋。1883年に日本鉄道品川線が通された際に切通しが建設され、上写真の橋はこのときに架設されたものらしい。
Y字形の橋脚はレールを曲げたもので、これをアングル材でつなげたり補強して造られていた。4径間で、中央の2径間部分に山手線と埼京線(山手貨物線)が通っている。
120年あまり利用されていたが、2006年3月に現在の橋に架け替えられた。現在のものは途中の橋脚がない桁橋。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 渋谷区 #橋 #鉄道
来週、NHK BSの番組に出演させて頂きます。
ニッポンぶらり鉄道旅
NHK BSプレミアム 11月26日(木)19:30〜
再放送 11月28日(土)07:45〜 12月03日(木)12:30〜
NHK BS4K 11月26日(木)19:30〜
再放送 12月03日(木)09:00〜 12月04日(金)16:00〜 12月05日(土)07:00〜
NHKオンデマンド でも配信予定
金子貴俊さんと、大田区内の階段を一緒に歩きながら、階段の魅力についてお話致します。
よろしければ御覧下さいませ。
大田区山王4丁目の階段にて
池上本門寺・此経難持坂にて
#階段・坂 大田区 #マスメディア
鳥常
所在地:豊島区雑司が谷2-5
構造・階数:木造・2F
解体年:1998〜99(平成10〜11)頃
Photo 1994.12.3
目白通りを歩いていて、道の北側にあった店を撮ったもの。この時は開店前か休業日だった模様。
モルタル塗りの戸袋に店名などが描かれており、焼き鳥を売っていたのは確か。だが、持ち帰り専門だったか、店内での飲食もあったのかなど、店舗形態や営業形態の詳細は覚えていない。
1998年版の住宅地図に掲載があるが、その2年後の2000年1月には、同所にプレ・ドール目白というマンションが竣工しているので、1998年か1999年に解体されたものと思われる。なお鳥常は同マンション1Fで現在も営業している。
2023.1.28追記
1957年発行の東京都全住宅案内図帳には「焼鳥・かばやき鳥常」、また1973年発行の住宅地図には「うなぎの鳥常」と記されており、鶏以外も扱っていてむしろ鰻がメインだった時代もあった模様。
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第一KSビル(旧丸菱ビル)
所在地:千代田区 神田淡路町2-3
構造 :RC造
階数 :4+B1+R1
建設年:1925(大正14)
解体年:2014(平成26)
備考 :国登録有形文化財(解体後に登録抹消)
Photo 2005.3.25
ワテラスの少し南側の外堀通り沿いにあったオフィスビル。何度か建物名が替わっていて、最後の頃は第一KSビルという名だった。幅が狭くペンシルビル状の小規模なビルだったが、窓まわりなどは白く装飾されていて、暗褐色のタイル壁面とコントラストがあり、意外に手の込んだファサードを持つ建物だった。
トラックなどが路上駐車していたのと、休日でお休みだったため、1Fの詳細は分からない。下記リンク先の写真にはディテールも写っている。
国の登録有形文化財にも登録されていた建物だったが、数年前に北側(写真右側)のビルと共に解体され、現在はマンションになっている。
2023.12.22追記
オフィスビルだったので、住宅地図等にはテナント名が記されていたりもしたようだ。1950年発行の火災保険特殊地図には、金本薬品工業KKと記されており、また1954年作図・1959年修正の同地図には、興亜火災海上KKと記されている。
思いつくまま 第420回・旧丸菱ビル(第一KSビル)
第一KSビル/神田淡路町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 千代田区 #近代建築 #オフィス #登録有形文化財
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日本通運中央研修センター
所在地:杉並区松庵2-3
構造・階数:木造・2F
建設年:戦前?
解体年:2003〜12(平成15〜24)の間
Photo 1998.5.5
西荻窪から南へ向かった先の住宅地にあった大型の洋館。航空写真でみると戦前からあったようだが、詳細は知らず。1990年代は日通の研修センターだったが、当初から日通のものだったのか、いつ頃から研修センターとして使われていたのかなども未把握。
撮影時、南側は別の敷地で駐車場で、このため道路沿いの建物だけでなく東側奥の方まで見えていた。東側にもやや大型のハーフティンバーの建物があり、両者は平屋の建物でつながって全体ではH型をしていた。全体になんとなく新しく見えてしまう建物だったが、古い航空写真で見てもH型の平面だったところからすると、改修はあったものの概ね全てが昔からの建物だったようだ。
その後、同エリアへしばらく訪れなかったため、いつ頃まであったのかは未把握。下記サイトには2003年1月に撮影された写真が載っているので、少なくともこの頃までは存在していたようだ。また、Googleストリートビューでは、2013年6月時点で既に数軒の住宅地になっている。
西洋館さんぽ > 解体建築(複数まとめ)
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 杉並区 #住宅系 #洋館・洋風住宅 #オフィス
白光堂
所在地:千代田区飯田橋3-1
構造・階数:木・2F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2010〜11(平成22〜23)頃
Photo 2006.5.14
目白通り沿いにあった写真店。いわゆる看板建築で軒先に縞々が入っていたが、それ以外にはほとんど装飾がないシンプルなものだった。
2010年までは存在していたが、2012年末に通りかかった時には既に現在の3階建ての建物に建て替わっていたので、2011年頃に解体されたのではないかと思う。かつては通り沿いにこのような建物が多く建ち並んでいたのだろうが、次第に建て替えられて現在はほぼ全てが消失している。
白光堂、明治印刷/飯田橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築
一の湯商店街 西側入口付近から東方向
所在地:中野区沼袋1-36、37
解体年:2000〜07(平成12〜19)の間
Photo 2000.4.19
西武新宿線沼袋駅北口にある銭湯前のアーケード商店街。北口の商店街の通りから、一の湯という銭湯へ向かって東へ入る小路と銭湯前の小路にT字形にアーケードが架かり、商店が並んでいた。
小路の北側の一角がマンションに建て替えられた(ダイナシティ中野沼袋、2008.3竣工)際に、アーケードは撤去されたようだ。南側の建物も一部は建て替わったり業態が替わっている。ただ、右側、幟のある店舗、茶の丸美屋と、奥の右角の鮮魚店魚光は現在も存続している。
アーケード中ほどから西側入口方向。右側はマンションになり、左側は店舗の業態が替わった。
一の湯の前から西方向。左端の鮮魚店と、少し奥の茶の丸美屋は現存。右側はマンションになり全てなくなっている。
T字形のアーケードの東南端から。右側の銭湯、一の湯は現在も営業していて、その前の部分だけはアーケードが残存している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区 #街並み 中野区 #商業系 #アーケード