12/02 丸嘉ビル
12/05 勝鬨橋から佃・月島方面
12/08 勝鬨橋から佃・大川端リバーシティ21方面
12/11 勝鬨橋から芝浦方面
12/14 勝鬨橋から浜松町方面
12/17 都営桐ヶ丘アパート E47号館
12/20 般若苑
12/23 雪むら
12/26 旧洲崎遊廓 大賀楼
12/29 鈴木邸
鈴木邸
所在地:大田区 田園調布3−3
建築年:昭和初期
構造/階数:木/2F
解体年:2015春
備考 :国登録有形文化財(解体により抹消)
Photo 2012.2.26
田園調布の住宅地は西側の中心部は半円型で放射状の道が入っている。鈴木邸は有名なその放射状分譲地の一角にあり、分譲当初に建てられ、多少の増改築はあったもののほぼそのまま残されていた数少ない住宅。
可愛らしい門の向こうに、木立の中に赤い屋根の洋館が見え隠れする姿はとても印象的で、残っていって欲しい建物だった。国の登録有形文化財にもなっており、所有者も大切にしているのだろうなと思っていたのだが、相続税を納めるために売却され解体されることになってしまったのだった。
下記のリンク先の記事にもあるように、解体直前には見学会も行われたが、私は行けなかったので内部の写真は無い。敷地の中に入ることもなかったので、この写真も門の外からちょっと覗いて取らせて貰ったもの。若干反った屋根、暖炉の煙突、カーブした張り出し部分など、特徴的な意匠が印象的。
北東側から
敷地が大きく庭も大きいので、外周には多くの木があり、邸内はあまり見えなかったが、冬場は枯れ木越しに建物が見えたりしていた。日本の建物には見えない可愛らしい家。
西側から
築90年余り の洋館取り壊しから考える、家を大切にすると言うこと - SUUMOジャーナル
築100年弱、相続のために売却されたお屋敷の一夜限定公開を見てきた | 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 大田区 #近代建築 #住宅系 #洋館・洋風住宅 #登録有形文化財
旧カフェー「大賀」(旧洲崎遊廓 大賀楼)
所在地:江東区 東陽1-38
構造/階数:木/2F
建設年:戦後
解体年:2011.3の東日本大震災で損壊したため、同年秋に解体。
備考 :洲崎_(東京都) - Wikipedia
Photo 2002.11.6
洲崎は1888(明治21)に根津から移転してできた遊郭。戦前の建物は第二次大戦時の空襲で焼失したが、戦後は「洲崎パラダイス」として、1958(昭和33)の売春防止法施行まで赤線として存続した。
Wikipediaによれば、大賀楼は洲崎遊廓の中でも一等クラスの店だったという。戦後は特殊喫茶店として洋風店舗が建てられ、カフェー「大賀」となった。売春防止法施行後は他の店同様、ここも普通のアパート「大賀荘」になった。ただこの建物では屋号の「大賀」の文字がそのまま残されており、写真の頃は区議会議員の事務所としても使われていた。
Photo 2009.8.1
1枚目の写真にはわずかに見えているが、ベースは木造瓦屋根の2階建て。コーナー部分はモルタルの壁面を建てて洋風に見せている。
北側から Photo 2009.8.1
増改築を経ていたのだろうか、側面から見ると妙に複雑な外観をしていた。複数の入口を持つ建物だったのかもしれない。
Photo 1995.11.18
コーナー部には黒い豆タイルを張った丸柱、庇もカーブを描いている。2階壁面にも丸い付け柱があり、洋風のお洒落な外観。
東日本大震災で損壊したため、その後解体されたそうで、跡地には現在は3棟の家屋が建っている。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区 #商業系 #遊興施設
雪むら
所在地:新宿区 荒木町10
構造/階数:木/2F
Photo 2004.6.5
荒木町の窪地、策の池近くにあった料亭。料亭に出入りするわけでなく、夜、このあたりを訪れることも無かったので、いつ頃の開業で、いつ頃まで営業していたのかなどの詳細は知らず。この写真の段階ではまだ営業していたのかもしれないが・・・。ただ、よく考えてみると、2階の窓が開いていたり人の出入りがあったりという景色は見たことがなかった気がする。
策の池の前から Photo 2007.8.13
右奥の階段を上ると、料亭千葉の前に至る。谷底の平場の奥の方にあったが、谷地から上る階段道のわきにあるため、目立つ建物だった。角にあった「雪むら」の看板は、2014年に撮影した時には既に外され、穴が開いた状態になっていた。
玄関付近 Photo 2014.7.1
2014年時点で入口の中には既に雑草が生えていた。居住者はいたのかもしれないが、お店としては完全に廃業していたらしく、入口わきの看板は残っていたが、角の看板はなくなっていた。
玄関付近 Photo 2014.7.1
最後の頃はやはり手入れもされておらず、あちこち傷んだ感じだった。
雪むら跡地 Photo 2017.1.28
2017年1月末に某講座で久しぶりにここを訪れ、解体されたことを初めて知った。跡地がまだ比較的きれいだったことを考えると、解体は2016年の後半だったのではないだろうか。Google Street Viewの2015.6の写真をみると、まだ存在していることが分かる。
また、雪むらの敷地は案外狭かったことを跡地を見て知った。料亭というとかなりの広さを思い浮かべてしまうのだが、考えてみればこの雪むらは道路からの引きが全くなかった。板塀に見越しの松などというものは当然なく、建物が道に接していてほぼ総二階。裏側に小さな坪庭かなにかはあったかもしれないが・・・。料亭にもいろいろな大きさがあってここは中小の部類だったのかなと思う。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #商業系 #遊興施設
般若苑
般若苑
所在地:港区 白金台2−20
備考 :般若苑 - Wikipedia
Photo 2003.9.7
料亭などには全く縁がないので、ここがどんな場所だったのか、内部の様子などは全く知らず。撮影した時にはそれが料亭であることすらも知らなかった。後で場所を確認して般若苑という施設だったことを知ったが、それでも新興宗教かなにかかと思っていたぐらい。般若苑が実は結構有名な料亭だったということは、それが無くなってしばらくして知ったので、正面側などを撮影することはできず、写真もこの一枚しかない。
Wikipediaによると、主な建物は1939(昭和14)に建てられたようで、戦後に売却され、1948(昭和23)に料亭になり、多くの政財界の人が利用したそうだ。
般若苑が一般に有名になったのは、三島由紀夫の小説の舞台になり、更にそれに関連する裁判が起こったことにもよるらしい。ただその頃、私はまだ生まれていなかったので、そのあたりのことは全く知らなかった。今も詳細は理解していないし、だいいちあまり関心がない。従って詳細は他のサイトを当たって頂きたい。
料亭としては2005(平成17)に閉店し、その後、解体されたという。写真は最後の頃に近い時期に撮ったものということになる。黒板塀の向こうにいくつも和風家屋が繋がって建っており、土蔵などもあって、白金台にはやはり立派な家があるものだなどと勘違いして思っていた。殺風景な駐車場の向こうの壁に小さなランプがあるあたり、恐らくここは勝手口の側だったのだろう。
なお、跡地には2013(平成25)にテラス白金というソフトバンクグループの施設が竣工している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #商業系
都営桐ヶ丘アパート E47号館・北西側から
所在地:北区桐ヶ丘1-8
建設年:1970(昭和45)
構造 :SRC
階数 :14F
Photo 2018.11.3
現在、桐ヶ丘1丁目アパートへの建て替えが進められている桐ヶ丘団地。1960〜70年代に建てられた団地の建物はほとんどが5階建て以下で、一部にメゾネット6階があるだけ。その中で唯一この建物だけは14階建てで、団地のシンボルタワーのような存在だったそうだ。
南側からの全景と、団地の給水塔
桐ヶ丘団地は詳細には見ておらず、この建物も近づいたことがなかった。先月訪れた際、灯りが点いておらずちょっと異様な雰囲気を漂わせていたため近くに行ってみた。すると解体の掲示が出ており、そのとき初めてこの建物がなくなることを知った次第。
玄関付近
結局内部には入らずじまい。平面形はほぼ正方形、吹き抜け中庭のあるロの字型の建物だったという。解体直前だったので補修もされておらず、あちこちの塗料が剥げていた。
解体工事は10月30日からの予定とされていたが、11月3日に訪れた際にはまだ工事は特に始まっていなかった。ただその後1ヶ月以上経ったので、現在はたぶん解体作業が始まっているだろう。
1Fには桐ヶ丘小売市場という店舗もあったようだ。昔は周辺地域からも多くの人が訪れていたのだろうが、訪問時は既に無人でひっそりしていた。
階段室・EV室のある壁面の見上げ。近くで見るとなかなかの迫力がある外観をしている。
非常階段の見上げ
錆び付いた階段が上方に伸びる姿は迫力があり存在感があった。建物名で検索すると昔の写真も出てくるが、非常階段に布団を干しているのが印象的だった。高層で外側にベランダがなかったためそんなことになっていたようだ。
壁面から片持ち梁を2列張り出して、それに鉄製の階段を載せている。一見すると素っ気ないが無駄のない合理的な姿はある意味潔くて格好が良い。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 北区 #公営・公団・公社・公立住宅 #集合住宅
#高層ビル #塔
東京新旧写真比較(1988/2018) No.071 勝鬨橋から浜松町方面
勝鬨橋から浜松町方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ)
Photo 2018.9.23(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
東京新旧写真比較。前回と同じく勝鬨橋から浜松町・芝浦方面。逆光なので全部シルエット。太陽を正面に見る写真は撮りたくなかったが、東京タワーを入れるため前回の写真より少し西方向を写したもの。今回の撮影に際しては、iPhoneのPerfect BAというアプリを使用して、およその位置確認を行った。シルエット写真ではあるが、3棟の超高層ビルと東京タワーが見えているため、撮影位置は比較的よく一致している。
30年前は高層ビルがまだ少なかったのだなと改めて感じる。前回の写真同様、東京ガスビルと世界貿易センタービルはほとんど隠されてしまい、東京タワーも汐留近辺のビルによって半分以上が隠されてしまった。
1988年時点の東京タワーは上の方がそのまま細くなっている。特別展望台の上に地デジ関連の設備が設置されて上部が大きくなったが、それから既に15年ほどが経って今のタワーの姿に慣れたため、昔の姿は却って新鮮だ。
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東京新旧写真比較(1988/2018) No.070 勝鬨橋から芝浦方面
勝鬨橋から芝浦方面
Photo 1988.2.28(マウスオフ)
Photo 2018.9.23(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
勝鬨橋から隅田川河口方向を見る。1988年の写真がシルエットであるため、位置の特定がしにくく適当に撮影してみたら、実際はもっと築地寄りの地点から撮影したもので、川沿いの築地市場などは上手く一致しなかった。
1988年当時、この方向に見えていた超高層ビルは3棟だけ。左から東芝の東芝ビル(1984年竣工、現 浜松町ビルディング)、中央に鉄塔がある東京ガスビル(1984年竣工)、右が世界貿易センタービル(1970年竣工)。
それなりに背の高いビルなのでビル自体は見えるだろうとたかをくくって現地へ行ってみると、驚くべきことに東芝ビル以外はほとんど見えなくなってしまっていた。東京ガスビルはビルの隙間に見える壁面と、屋上のアンテナの先端だけ。世界貿易センタービルも白くライトアップされた屋上階しか見えない。竹芝埠頭近辺に高層ビルが多く建って隠されてしまったのだった。
築地大橋ができたのも予想外だった。こうして30年前と比較してみると、隅田川はかなり都会的な景色の中を流れる川に変わったのだった。高層ビルは既に建ってはいたが、今と比べると30年前の川の景色はのどかなものだったのだなと思う。
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東京新旧写真比較(1988/2018) No.069 勝鬨橋から佃方面
勝鬨橋から佃・大川端リバーシティ21方面
所在地:中央区佃
Photo 1988.2.28(マウスオフ)
Photo 2018.9.23(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
東京新旧写真比較、30年前と現在の比較。
撮影位置の特定に使えたのは月島側のいくつかの中高層マンションと、佃大橋の橋脚とリバーシティの中層棟の位置関係。だがリバーシティの中層棟もまだ建設中で、完全に一致させることはできなかった。
大川端リバーシティ21が建設されていた頃と現在では、やはり都心の高層化がこの間にかなり進んだことが分かる。
佃大橋の一つ上流側に1993年に完成した中央大橋が新たに見えるようになった。また、1994年竣工の聖路加タワーが左端に聳えている。一方、左奥に見えていた東京住友ツインビル(1988年竣工)は、手前にリバーシティ21新川ができて大半が隠れてしまった。
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東京新旧写真比較(2001/2018) No.068 勝鬨橋から佃・月島方面
勝鬨橋から佃・月島方面
所在地:中央区佃
Photo 2001.4.22(マウスオフ)
Photo 2018.9.23(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
17年の間に月島界隈に超高層マンションが増えた。更に右方に視界を移すと、現在はそちらにも超高層マンションや超高層オフィスビルが建っている。しかしこんなに短期間に超高層化が進むとは思いもしなかったので、2001年にはそちらの方は写さなかった。
IHIの造船所だった跡地を開発した大川端リバーシティ21は2001年時点で既に完成していたので、現在と比較してもほぼ変化がない。一方、佃や月島の昔の街並みが残ってるあたりの再開発がこの20年ほどの間に急速に進み、超高層マンションが一気に増えたようだ。
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