03/03 外堀通りの看板建築
03/06 尾張屋蕎麦店
03/09 鉄道日本社
03/12 神田蓄電池(車庫・倉庫)
03/15 あかね書房
03/18 井上輪店
03/21 K邸
03/24 天七
03/27 松屋東別館(旧日本酸素本社)
03/30 料理 多奈加
季節料理 多奈加
所在地:中央区 新川1-18-10
構造・階数:RC・2
建設年:戦前
解体年:2013(平成25)
Photo 2001.6.17
日本橋川が隅田川に出る河口近く、湊橋のそばにあった元倉庫。戦前に建てられたようで、もともとは川から荷揚げしていたのではないかと思われる。戦後も1970年代までは倉庫として使われていたようだ。
1980年代の住宅地図から「たなか」ないしは「多奈加」と記載されていて、2000年代半ばまで料理店多奈加だった。2000年代後半から数年は「さ蔵」という居酒屋だったようだが、2013年に解体され、以降はコインパーキング。
元が倉庫なのでガラス窓はほとんどない。居酒屋や料理店は窓がなくても良いのかもしれないが、飲食店に改装した際にもガラス窓にはしなかったようだ。
また、道路側は黒く塗られており、倉庫としては小規模だったが店構えはなんだか重厚な雰囲気だった。
丸玉ビル、料理屋多奈加/新川1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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松屋東別館(旧日本酸素本社)
所在地:中央区 銀座3-7-9
構造・階数:RC・4+B1+R(5階は増築)
建設年:1927(昭和2)
解体年:2023(令和5)
Photo 2023.3.28
銀座松屋がある銀座3丁目で、中央通りのふたつ東側の通りに面してあったビル。日本酸素という会社の本社ビルとして昭和初期に建てられた。同社が戦後の1958(昭和33)年に移転した後は、いくつかの会社に利用され、その後は松屋の東別館となっていた。
『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』には、このビルの竣工当時の写真が掲載されている。外観に関して、5階は後年の増築だが、その他は当時とあまり変化していない。ただ中央の2本の柱は柱頭部が装飾的だったようだ(もとから古典建築の様式デザインではなかった模様)。
東別館は売り場ではなく事務所として使われていた。銀座の松屋は裏通りに面した東館も事務棟だが、東別館はその東館と渡り廊下で繋がっていて、東館を介して本館(店舗)まで従業員などが行ける構造になっていたようだ。Googleマップの航空写真を見ると、東館南側の2階建て(これも東館の一部?)の屋上に屋根付きの通路がある。これが東館3階と東別館の3階をつないでいたようだ(本館と東館は5階のブリッジでつながっている。)。
銀座界隈では少なくなった近代建築だったが、昨年、解体されたという。
参考
『震災復興〈大銀座〉の街並みから−清水組写真資料』
銀座文化研究 別冊、銀座文化史学会編、秦川堂書店、1995
松屋東別館/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
松屋東別館が建て替え工事に:大江戸時夫の東京温度
松屋銀座東別館 - ずぼら堂懐古録
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京橋 天七
所在地:中央区 京橋2-5-17
構造・階数:木・2
建設年:戦後再建?
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2012.7.25
鍛治橋通りから北へ入ったところにあった天ぷらのお店。私は入ったことがなかったが、1892(明治25)年創業の老舗だったそうだ。
昔は京橋界隈にもこのような店構えのお店がたくさんあったのだろう。だが最近は高層のオフィスビルばかりになったので、裏通りでこのような店を見かけるとちょっとびっくりしてしまう。
奥には浜勢という料理屋の看板も見えている。こちらもなくなり、跡地は大型のビルになっている。
京橋界隈は戦災で焼失したそうなので、創業は古いが建物は戦後のものだったのかもしれない。
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K邸
所在地:千代田区 富士見2-5-4
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期
解体年:2010(平成22)
Photo 1994.7.16
下記「ぼくの近代建築コレクション」の記事では、拙ブログの写真よりさらに前の1986年4月のものが見られるが、このころ既にツタで覆われていて、人の気配があまり感じられない状況ではあったようだ。ただ私の1枚目では手前2階の雨戸がわずかに開いているようでもあり、無人の廃墟ではなかった様子。
Photo 2008.4.4
アパートのようにも見える総二階の大型のちょっと洋風な建物として記憶に残るものだった。
Photo 2008.4.4
門柱が独特な造形だったのも印象的。このスタイルだからなのか門扉はなし。奥の扉は庭へ通じているもの。
Photo 2009.2.22
全体には装飾がほとんどなかったが、道路沿いの側面には半円形の窓があって洒落ていた。道路に近い部分に手間を掛けた設計だったのだろうか。
民家/富士見2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
K邸 千代田区富士見 - 東京ノスタルジア
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井上輪店
所在地:千代田区 富士見2-2-11
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2014(平成26)
Photo 2008.4.4
飯田橋駅近くの商業地にあった自転車屋さん。袖看板には三菱自動車のマークがあり、ギャラン、ミニカなどの文字もあるので、かつては自動車の取り扱いもしていたのかもしれないが、戦後間もない時期の火保図(1952年)では、井上サイクルと記載されているので、基本はやはり自転車屋さんだったのだろう。
モルタル平入り看板建築で、2階の窓まわりの壁はトタンかアルミに換えられたかしたようだ。一帯は戦災では焼失しなかったエリアなので、もしかすると戦前に建てられたものだったのかもしれない。現在は5階建ての雑居ビルになっている。
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あかね書房
所在地:千代田区 西神田3-2
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2005(平成17)
Photo 2005.3.25
あかね書房は1949年創立。1964年発行の全住宅案内地図帳で「KKあかね書房」として記載されている。いつ頃建てられたのかは不明だが、会社の創立期、1950年頃だったのではないかと思われる。
木造2階の小さなオフィス。モダンな外観で小路を挟んで神田蓄電池のひとつ西側に建っていた。奥が前項の神田蓄電池。
写真の少し後に解体され、同街区は住友不動産千代田ファーストビル南館になった。現在は、あかね書房もこのビル内にある。
あかね書房、再開発で新ビルに 07年11月に竣工 - The Bunka News デジタル
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神田蓄電池(車庫・倉庫)
所在地:千代田区 西神田3-1
構造・階数:木・2
建設年代:震災後〜戦前?
解体年 :2014(平成26).4
Photo 2008.9.9
玄関シャッター上部に見える「神田蓄電池」で検索したところ、本社は神保町にあり、ここは1972(昭和47)に建物を購入して、車庫、倉庫として使用していたものだったことが分かった。
モルタル看板建築で一部にギャンブレル屋根があり、その部分は屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根を用いた3階建てなので、震災後から戦前期のものだったのではないかと思われる。
90年代以降は別の居住者の名が記されていたりして、いつ頃まで同社の倉庫として使われていたのかはわからなかった。この数年後の2014年に解体され、現在、同所はコインパーキングになっている。
有限会社神田蓄電池
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鉄道日本社
所在地:千代田区 西神田2-1-4
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2018(平成30)
Photo 2008.9.9
白山通りの西側の裏通りに面してあった、少しだけ洋風なモルタル塗りのオフィス。界隈はかなりの部分が戦災で焼失している。鉄道日本社は1954年発行の火災保険特殊地図には記載があるので、戦後まもなく建てられたものだったのではないだろうか。
Photo 2010.6.6
鉄道日本社は過去には鉄道系の書籍や雑誌を出版していた会社。鉄道ではないが「自動車工学」という雑誌も2016年までは出していたようだ。
窓枠や玄関扉は木製で、玄関は洋風の観音開き。2018年3月時点のGoogleストリートビュー画像には解体のお知らせ看板が写っている。
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尾張屋蕎麦店
所在地:千代田区 神田富山町17
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:1997〜2000(平成9〜12)
Photo 1996.10.10
店のウェブサイトによれば、尾張屋蕎麦店は1923(大正12)年に創業したというが、神田富山町あたりは戦災で焼失したそうなので、写真の建物は戦後のものだったのではないだろうか。角地の店舗ではあるが、和風の木造2階建てはある意味昔ながらの典型的な蕎麦屋さんの店構え。
この写真の後、2001年の住宅地図では3階建てと記されているので、1997〜2000年に建て替えられたのではないだろうか。蕎麦店は現在も同所で営業している。
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