都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧佐藤武夫邸

2023-02-27 | 東京都下 
旧佐藤武夫邸
所在地:西東京市 東伏見1-18
建設年:1930(昭和5)
構造・階数:木・2F
解体年:2019(令和元)
Photo 2010.1.8

 早稲田大学教授だった佐藤武夫(1899−1972)の自邸。西武新宿線に乗っていると車窓に一瞬見えて気になっていた洋館だったが、当初は詳細を知らなかった。しかし下記「★近代建築探訪★」の記事やFacebookで流れてきた情報などから、佐藤武夫邸だったことを知ることとなった。写真の時は既に他の方の住宅だったようだが、同ブログ記事などによると、住所が一致しており外観も同じとのこと。

 佐藤武夫は早大大隈講堂(1927)を、佐藤功一、内藤多仲と共に設計したことでも知られる。そのような方の住宅がひっそり現存していたのには少々びっくり。

 いつも川越へ行く電車の車窓から見るだけだったのでいつか下車して見に行こうと思っていたのだが、最近になって既に解体されていたことに気付いた。Google ストリートビューで確認したところ、2019年6月の写真に解体作業の様子が写っていた。残念。
 結局、近くへ行って写真を撮らないうちになくなってしまった。この写真は電車の車内から撮ったもの。

佐藤武夫 - Wikipedia
udf weblog 佐藤武夫 自邸
佐藤武夫自邸: ★近代建築探訪★

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 都下  #洋館・洋風住宅  #近代建築  #佐藤武夫   ブログ内タグ一覧
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旧立川飛行場格納庫

2019-01-19 | 東京都下 
旧立川飛行場格納庫
所在地:立川市緑町4
建設年:?
構造・階数:S+RC・1F
備考 :跡地再開発により解体
Photo 1995.7.18

 第二次大戦中は陸軍の立川飛行場だった場所で、戦後はアメリカ空軍の立川基地になり、1969(昭和44)まで飛行場として使われていた。その後も宿舎などとして使われていたが、1977(昭和52)に全面返還された。

 1994(平成6)にはこの南側エリアがファーレ立川として再開発されたが、この建物は1995年時点で廃屋状態で残されており、周辺敷地も立入禁止になっていた。

 格納庫の建設年は未把握。戦前に陸軍が建てたものか、戦後の接収中に米軍が建てたものかも知らず。

 その後、建物は2003年頃までに解体されたようだが、新しいビルはすぐには建たず、駐車場、空地などになっていた。現在は玩具メーカーのコトブキヤの本社、壽屋ビル(2016年竣工)などになっている。

立川飛行場 - Wikipedia
ファーレ立川 - Wikipedia

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#失われた建物 都下  #倉庫・蔵 
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JR国立駅駅舎

2011-04-28 | 東京都下 
JR国立駅駅舎
所在地:国立市北1
建設年:1926(大正15)
構造・階数:木1
備考 :2006解体。復元については検討中
Photo 2005.11.5

 シンプルな切妻屋根だが、向かって左側の屋根だけを長くして、部分的に左右非対称にしている。中央線の都市部の駅にしては駅舎が小さく、田舎の駅のような風情だった。

 大正末期、駅ができた頃の国立は、かなりの田舎だったようだ。周辺の人口は今と比べると全然少なかった。駅前の住宅地は別荘地的な扱いで考えられていたぐらいだそうだ。そう考えると、田舎風だけどちょっとハイカラな駅舎になったのもなんとなく理解できる。

駅舎正面入口前
Photo 2005.11.5

 「国立駅」の文字の上方にアルコーヴがあるが、その上は窓ではないようで、何だったのか写真からはよく分からない。下のホール写真では、この部分より下までが吹き抜けになっている。屋根裏部屋のようなものがあったのだろうか。無窓なので倉庫か物置だったのかもしれない。

 車寄せの庇屋根も古いもののようだった。この部分の柱梁はレールを曲げたもの。簡便で軽快な感じ。

ホール
Photo 2005.11.5

 アーチ型の採光窓の場所までが吹き抜けになっていて、意外に天井は高く開放的。日曜の午後だったので、さほど混雑しているわけでもなく、この駅舎のままでも十分なような気もしたが、通勤時間帯はもっと混んでいたのかもしれない。

 中央線の高架化事業に伴い、駅舎は解体された。部材は保管されており、復元を検討中という話だったが、Wikipediaによると、復元用に土地を確保せねばならず、残念ながらまだ目途が立っていないそうだ。

 JRが保存を拒否したのは、移転費用の問題や、老朽化、耐震性なのだろう。まあ、いろいろ商業施設を置いて利益を上げるのには向かない構造規模だったので、お金が掛かる保存などはせずに建て替えたかった、というのがほぼ真意なのではないかと思うが・・・。現在はなんだか冴えない駅舎が建っている。仮駅舎だろうか。こういう状態が続くのはあまり好ましいことではないなぁ。

駅前の大学通りから望む
Photo 2005.11.5

 駅から少し離れた場所から眺める。大学通りの軸線の正面、アイストップの場所に印象的な姿が見えている。国立の駅前は住宅地として区画分譲された時に、駅前広場から放射状に道が造られ、ある意味、バロック的な景観構造が創り出された。桜並木の広い道(幅40m以上)の正面に駅舎が見える様子が、この街のイメージ形成に大きく関与してきたのは間違いない。

 アイストップを活かした印象的な景観だったが、残念ながら解体前の時点で既に、後方に中高層マンションなどが見えてしまっていた。駅舎の背後にいろんな建物が乱雑に見えるのは好ましくないが、法整備などが後手に回った結果で、残念ながら後の祭りなのかも。

Wikipedia - 国立駅
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 都下  #近代建築  #鉄道 
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大学セミナー・ハウス ユニットハウス

2010-04-25 | 東京都下 
大学セミナー・ハウス 宿泊棟
所在地:八王子市下柚木1987-1
設計 :吉阪隆正+U研究室
完成年:1965(第1期)以降20年掛けて施設を増設。
備考 :2005年に大半の宿泊ユニット群が解体撤去
Photo 2000.10.18(5枚とも)
上写真は、第2群・12~17号棟(解体)

 八王子にある大学セミナー・ハウス(八王子セミナーハウス)は首都圏にある大学が資金を持ち寄って作った研修施設。起伏のある山林に、事務棟、講堂、セミナー室、宿泊棟、野外ステージなどが点在する。

 「日本におけるDOCOMOMO100選」にも選定された、残すべきモダニズム作品とされているが、老朽化と利用率の低下を理由に、ユニットハウスと呼ばれる宿泊棟の大半が解体された。第1群と第2群の一部のユニットハウスと、それ以外の事務棟、セミナー室、講堂などは全て現存しているが、特色のある当初の宿泊スタイルは失われてしまったようだ。

第3群の建物群(全て解体)

 宿泊棟は2人用のユニットハウスが10~15棟程度集まって、その中に少し大きめのセミナー室建物が一つあるのが一つの「群」とされ、この宿泊ユニット群は第7群まであった。

第2群 セミナー室(現存)と、1~5号棟(解体)

 第2群では、セミナー室(木の幹と葉が白抜きで描かれた建物)は残されたが、その周囲のユニットハウスは解体された(写真に写っていないユニットハウスの中には残されたものもある。)。

第1群 1~12棟(現存)

 第1群についてはセミナー室も含めて全てが残されているが、これらユニット宿泊棟での宿泊は、現在は受け付けていない。

第1群 右:セミナー棟、左:13~8号棟(現存)

 施設群は地形を極力いじらずに建てられていて、コンクリートの基礎杭の上にプレハブ的な小屋が載った状態だった。基礎があればどこにでも建物は建つというモダニズムの考えを反映するかのように、山林のやや急な斜面に基礎杭を打って宿泊棟は造られている。

 高床状になっているのを明瞭に示そうとしたのか、入口部分のステップも簡素で、2、3の杭を打っただけだったりする。ぼんやり段々を上り下りすることはできない。入口の階段というものが嫌が上でも意識される。

 ユニットハウスのレイアウトなどは、私の恩師、戸沼幸市(元早大建築学科教授・現名誉教授)がU研在籍時に行ったという。小さな谷が入り込む地形に合わせて、またそれら建物群がセミナー室の建物を中心にまとまりを持つよう、建物群は少しずつずらしながら馬蹄形に並べられている。

 ユニットハウスの室内にはベッドと、小さな机とイス、卓上ライトがあるだけ。風呂・シャワー、洗面、トイレは群の中にはなく共同。もちろんエアコンなどもなかった。

 夏は暑く、冬は寒く、なかなかの耐久生活を強いられる施設で、昨今の快適なセミナー施設とは相当異なる。ただもちろん施設利用料はかなり安かった記憶がある。保養施設ではないので、このような考え方の研修施設があっても良いとは思うが、引率をする先生にも学生の側にもある程度の覚悟が求められるためか、最近はこの手の施設はあまり人気がないのかもしれない。

 一方、他の宿泊棟には風呂やトイレ、洗面が備わっており、ある意味使い易くなっている。

 大きな大学は自前の研修・セミナー施設を避暑地や保養地に保有していて、それらと比較すると、サービスがやや見劣りしてしまうと感じられるかもしれない。ただ、建築を学んでいる学生等は結構関心を持っている施設である。

 キャンプ場のような施設なので、夜間は真っ暗に近い。ところどころに街灯が建つのみで、トイレに行くにも懐中電灯が要る。また、コテージ周辺の道は狭く、山中のような階段だらけで、バリアフリーなどということを言い出したら、完全に不適格だ。セミナー施設ではあるが、ほとんどキャンプ場とか山中の村である。逆にいえば、不便さや危険性を通して、バリアフリーを含む、建築の安全性や利便性に思いを巡らせる場なのかもしれない。

 現在、有志を中心に、大学セミナー・ハウスを使いながらつくる「ぐるぐるつくる大学セミナー・ハウス」という取り組み(ワークキャンプ)も行われているが、残されたユニットハウスについても解体の予定であるという話もある。印象的な事務棟などは健在だが、全体としての様相はかなり様変わりしているようだ。

Wikipedia > 大学セミナー・ハウス

ぐるぐるつくる大学セミナー・ハウス
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八王子セミナーハウス施設案内

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#失われた建物 都下  #古い建物 都下  #吉阪隆正 
#モダニズム  #docomomo japan 

コメント (3)
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