都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2021年9月 記事一覧

2021-09-30 | 記事一覧 

09/03 中村眼鏡店/トムソン人形町店
09/06 フレンド商会
09/09 中栄 K.K. 東京支店?
09/12 杉野ビル
09/15 旧メリヤスビル(二興商会、帝莫)
09/18 中央区立中央小学校(旧鉄砲州小学校)
09/21 東京建物ビル
09/24 中央区立城東小学校(旧京橋昭和尋常小学校)
09/27 芝浦 木村屋
09/30 堤第一ビル

タグ一覧   Tokyo Lost Architecture

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堤第一ビル

2021-09-30 | 港区   
堤第一ビル
所在地:港区 新橋1-15-4
構造・階数:RC・5F
建設年:1920(大正9)
解体年:2014(平成26)
Photo 2010.9.15

 新橋駅の近くに建っていたビル。1、2階はそば屋や居酒屋で前面外壁が造り替えられていたが、3階から上は当初からのもののようで、その外壁が黒ずんでいたため、一見すると廃墟のように見えてしまい、駅前で得も言われぬ存在感を放っていた。
 『日本近代建築総覧』には4F建てと記されていたが、側面の窓からすると5階建て。4階建てを増築したようにも見えなかった。
 上写真でビル側面に並ぶ自動販売機の右手にも建物の入口が見える。

 軒先のデザインは幾何学的なもの。その下の部分には草柄のレリーフがある。
 また、窓枠の多くは古くからのものだったようだ。

 建物北側(後方)から。麻雀店の入口はビル側面(北側)か、裏側(西側)だったようだ。

 同じ街区内には他に2棟(隣接の第一光和ビル、街区南角の3階建て(2008年までは中古カメラ店の大庭商会、その後は居酒屋・寿司店など))があったが、3棟は2014年後半にまとめて解体され、跡地には「ペルサ115」という一棟のビル(13F・B1F)が建設された。

堤第一ビル/新橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
昔の思い出 1990年ごろ新橋駅前にあったすごく古いビルのこと - 御光堂世界~Pulinの日記
4160 堤第一ビルディング解体へ | 龍的思考回路

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#失われた建物 港区  #近代建築  #商業系   タグ一覧
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木村屋

2021-09-27 | 港区   
木村屋
所在地:港区 芝浦1-7-1
構造・階数:木・3F
建設年:1921(大正10)
解体年:2016〜17(平成28〜29)
Photo 2011.4.11

 旧海岸通りの芝浦一丁目交差点に面した角地に建っていた洋風建物。たばこや雑貨を扱う店で、ドラマのロケ地にもなって有名にもなっていたという。
 ただ、窓の位置が2階と3階では微妙にずれていて3階北側には窓がないなど、変則的な壁面デザインで全体のバランスはいまひとつの建物だった。

 石張りの壁面のように見えるが、窓枠と目地が整合しておらず、モルタル塗りで目地を描いていたようだ。

 付け柱の柱頭の装飾デザインもギリシャ由来のドリス式やコリント式ではない、謎のデザイン。

 1階コーナー部の軒先にもモルタルで装飾が付けられている。木製扉は観音開きだったのだろうか。

 交差点の反対側から見ると、屋根がトタン葺きだったことが分かる。

 写真の2011年頃までは営業していたようだが、2013年頃からはシャッターが閉じられていることが多く、仕舞屋状態だったようだ。2016年2月のGoogle ストリートビューには写っているが、2017年9月時点では右隣の青トタン屋根の建物と共に消失しており、この間に解体されたようだ。ただ写真右の2階建てモルタル看板建築は2021年3月時点のストリートビューでも現存が確認できる。

旧木村屋|港区観光協会|VISIT MINATO CITY

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#商業系  #看板建築  #失われた建物 港区   タグ一覧
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区立城東小学校(旧京橋昭和尋常小学校)

2021-09-24 | 中央区  
区立城東小学校(旧京橋昭和尋常小学校)
所在地:中央区 八重洲2-2-2
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)
解体年:2017(平成29)
備考 :八重洲二丁目北地区市街地再開発に伴い解体
Photo 2012.7.25

 東京駅前の一角にあった小学校校舎。同校を含む街区での再開発に伴い解体された。再開発では45階建ての超高層ビルが建設中で、小学校はビル完成後にその1〜4階に入る予定という。


 Photo 2006.1.28

 区立城東小学校は、関東大震災後の震災復興の一環で京橋昭和尋常小学校として建てられたもの。1962(昭和37)年に日本橋城東小学校と合併して城東小学校となった。
 壁面の柱に垂直の線が入りアーチ型の窓があるなどのデザインは表現主義的と言われている。当初は知らないが、訪れた頃は外壁が薄緑色に塗られていた。


 玄関付近  Photo 2006.1.28

 玄関庇を支える梁や窓台、植栽枡などにもギザギザや刻みの線が入れられていて少し装飾的。アールデコ風でもある


 Photo 2006.1.28

 周辺の街区の建物が中高層化していたため、大通りに面していない同校の校舎は目立たなかった。このため私自身は2000年代になるまで、同校がそこにあり昔の校舎が残っていることを全く知らなかった。

中央区立城東小学校/中央区八重洲2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
環境デザインマニアック中央区立城東小学校

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東京建物ビル

2021-09-21 | 中央区  
東京建物ビル
所在地:中央区 八重洲1-9
構造 :SRC
階数 :8+B2+塔屋
設計 :阿部美樹志
建設年:1929(昭和4)
解体年:2020(令和2)
備考 :八重洲一丁目東B地区第一種市街地再開発事業に伴い解体
Photo 2011.6.21

 東京駅八重洲口駅前、八重洲通りに面して建っていたオフィスビル。市街地再開発事業のため、上写真右側のヤエスメッグビル他とともに解体された。かつて東京駅付近の丸の内、大手町、八重洲などには大型の近代建築が多数あった。しかしそれらは90年代頃から次々に建て替えられて消えていったので、このビルが界隈では最後に残った大型の近代建築だった。


 Photo 2015.4.28

 屋上に装飾が施された塔屋があったのだが、建物後方(北側)にあるため八重洲通りからは先端部しか見えなかった。また、かつては最上階のファサードにも装飾が施されていたそうだが、改装によりそれらは失われていた。


 Photo 2014.5.27

 近くでは見えない塔屋も、駅付近まで離れると見えるようになる。写真は東京駅八重洲口のグランルーフ2階のデッキから撮ったもの。


 塔屋拡大 Photo 2014.5.27

 拡大してみると、テラコッタで飾ったものだったことがわかる。屋内のレイアウトの関係で建物後方に塔屋が位置していたのだろうが、見えない状態だったのは少々残念。


 Photo 2019.7.17

 八重洲通り沿いの様子。改修されて当初の装飾は失われたようだが、クラシックな雰囲気が残るデザイン。


 Photo 2019.7.17

 建物背面にあたる北側の壁面。1階部分にはエアコンの室外機が並んでしまっていたが、2階部分にはアーチ型の窓や丸窓が並び、裏通り側でも端正な表情を見せていた。


 解体時の様子 Photo 2020.10.24

東京建物ビル/八重洲1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
環境デザインマニアック61東京建物本社ビル

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中央区立中央小学校(旧鉄砲州小学校)

2021-09-18 | 中央区  
中央区立中央小学校(旧東京市鉄砲洲尋常小学校・旧鉄砲洲小学校)
所在地:中央区 湊1-4
構造・階数:RC・3
建設年:1929(昭和4)
解体年:2010(平成22)
Photo 2006.4.7

 関東大震災後の震災復興事業のひとつとして建てられた小学校建築。戦前期は東京市鉄砲洲尋常小学校、戦後は中央区立鉄砲洲小学校となっていた。区内の少子化に伴い、1993(平成5)年に八丁堀にある京華小学校と統合されて中央小学校となった。

 外側に半円型の柱型を見せた柱が列柱のように並ぶ姿が印象的。


 校庭側の様子  Photo 2006.4.7

 その後も同校校舎として使われ続けていたが、2010(平成22)年に校舎建て替えのため解体。震災復興小学校建築として貴重なものであるとして日本建築学会他が保存要望書を出していたが、区側は建て替え新築を選択したのだった。


 玄関部分  Photo 2006.4.7

 ほとんどの窓は長方形だが、玄関とその両側はアーチ型。

日本建築学会東京都中央区に現存する復興小学校 7 校舎保存要望書
鉄砲洲小学校/湊1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京都中央区立中央小学校(昭和モダン建築探訪) : 関根要太郎研究室@はこだて
にわとりトシ子の、君の瞳に恋してる!「きれい・・・」を訪ねて 〜旧鉄砲洲小学校

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旧メリヤスビル(二興商会、帝莫)

2021-09-15 | 中央区  
旧メリヤスビル:二興商会、帝莫(メリヤスK.K.)
所在地:中央区 東日本橋3-6
階数 :3
建設年:1927〜28(昭和2〜3)
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2005.3.27

 手もとの『はいまっぷ住宅地図』(セイコー社、1997)や『ゼンリン住宅地図』(ゼンリン、2000)では、二興商会、帝莫(株)と記されている建物。下記「ぼくの近代建築コレクション」の写真を見ると、以前は右側に「帝莫株式会社」の袖看板が付いていたようだが、2005年に訪れた時には帝莫の文字はなく、二興商会の袖看板のみになっていた。

 2階から3階にかけてつながるアーチ型の窓枠には細かな装飾が付けられている。2階の上げ下げ窓は古いまま。3階の窓はアーチ部分は古いままにして、その下は少し小さめな窓に換えている。柱頭はギリシャ由来のデザインではないが、ちょっとだけ装飾的。

 『日本近代建築総覧』では3階建てと記されているが、軒庇の上の屋上?腰壁の部分にガラス窓が嵌っているのがちょっと不思議。屋根裏部屋とかがあったか、4階を増築していたのだろうか。そのあたりは今となっては分からない。

 この建物は2012〜13年に写真手前の建物と共に解体され、跡地にはグランスイート東日本橋スクウェアという高層マンションが2015年3月に竣工している。

ナグスビル、二興商会/東日本橋1、3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス 
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杉野ビル

2021-09-12 | 中央区  
杉野ビル
所在地:中央区 日本橋本町2-5
構造・階数:RC・4
建設年:昭和初期
解体年:2010(平成22)
Photo 2005.3.27

 昭和通りに面して建っていた雑居ビル。昭和通りの上空には首都高速1号上野線が通っているため、ビルの全景が道路の反対側から見えず、建物前の歩道上からしか撮影できなかった。このため建物の全体像やファサードの様子はよく見ることができなかった。

 この時点で少なくとも1階と2階の一部は飲食店やタバコ店などの店舗となっていた。下記のリンク先、「ぼくの近代建築コレクション」を見ると、後の年代には1、2階だけでなく、3階の一部も飲食店になっているように見える。

 もともとは2〜4階は事務所などだったのではないかと思う。場所柄、住宅ではなかったのではないだろうか。窓の様子を見ても、オフィスの可能性の方がある気がする(ビルオーナーの住居の可能性はあるが)。

 壁面はスクラッチタイル張り。中央部には幾何学模様の部分(たぶんテラコッタ)がある。
 上階へは中央の入口から入って階段を上る。4階建てなのでエレベーターはなかった模様。

 建物は2010年8月から解体され、同建物の敷地は、現在はアステラス製薬本社ビル(2013年竣工)の一部となっている。

杉野ビル/日本橋本町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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中栄 K.K. 東京支店?

2021-09-09 | 中央区  
中栄 K.K. 東京支店?
所在地:中央区 日本橋堀留町 2-1-7
構造・階数:木・2(3?)
建設年:?
解体年:2011〜13(平成23〜25)
Photo 2011.1.26

 『日本近代建築総覧』では、所在地が日本橋堀留町2-2と記されているが、『はいまっぷ住宅地図』(セイコー社、1997年)では、同所に中栄東京支店はなく、隣の街区の日本橋堀留町2-1-7に同社が記されている。

 撮影時、木造2階(または屋根裏3階?)の建物は崩れかけていた。倒壊のおそれがあるので近づかないようにという貼り紙があり、中央区役所が管理しているようだったが、どのような経緯でそうなったのかは分からない。またこの時点で既に中栄東京支店はここにはなくなっており、この建物が中栄 K.K. 東京支店だったのかも実は不明。

 この後、1、2年のうちに建物は解体され、現在同所はマンションになっている。

 囲いがされていて1Fは見えないが、2Fには4連のアーチ型窓が設けられていて、洋風のビルに見せていたことが分かる。壁が剥落して壁裏が見えており、木造モルタル塗りだったことが逆によく分かる。もう少し早く訪れていれば、こうなる前の姿を見ることができたのだがと思うのだった。

Tokyo Lost Architecture  
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コメント (2)
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フレンド商会

2021-09-06 | 中央区  
フレンド商会
所在地:中央区 日本橋堀留町1-3-11
構造・階数:木・2
建設年:?
解体年:2002〜03(平成14〜15)
Photo 1996.10.6

 撮影時、既に店舗や事務所としては使われていなかったらしく、屋号を示す看板等はなかった。フレンド商会が何を扱っていたのかも知らず。

 洋風の建物だが、2階建てなので恐らく木造モルタルの看板建築だろう。角地にあって2面とも洋風で窓が多い造りだったので、さほど大きくはないが存在感画のある姿だった。

 右手の「小柳」は飲食店。左隣の看板建築は1997年の「はいまっぷ」住宅地図では「森山軌條」と記されているもの。

フレンド商会、東武ビル/堀留町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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