09/02 日東ビル
09/04 大手町野村ビルディング(旧日清生命館)
09/06 桜田門派出所
09/08 旧内務省庁舎・合同庁舎第二号館
09/10 旧文部省(文部科学省)
09/12 会計検査院
09/14 同和病院
09/16 フタバヤ
09/18 東京共成社
09/20 寿ビル(東京時計商会、旧杏花楼)
09/24 三慶商店
09/26 誠屋洋服店
09/28 東洋キネマ
09/30 萬屋履物店
萬屋履物店
所在地:千代田区神田神保町 2-19
構造・階数:木・2F
建設年:1929(昭和4)
解体年:2002〜03(平成14〜15)
Photo 2002.4.23
神保町さくら通りにあった銅板張りの看板建築。左奥が萬屋履物店。
右側の建物も同様の看板建築だったが、こちらも無くなっている。
跡地に建っているリーガルタワー神保町はRC造13Fで2005(平成17)年2月竣工なので、2003〜04頃に着工したと思われる。従って、この銅板張り看板建築はこの撮影の少し後には解体されてしまったのではないかと思われる。
Photo 1995.7.22
「よろづ」の文字に矢が刺さって「萬屋」。屋の字が傾いてしまっているのは御愛嬌。
ぼくの近代建築コレクション > 萬屋履物店、手塚印刷
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築
東洋キネマ
所在地:千代田区神田神保町 2-11
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:木・2F
解体年:1992(平成4)
Photo 1988.10.30
藤森照信氏の著書でダダイズム的と書かれていた建物。1F部分は改築されて往時の面影が無かったが、2F部分の装飾に華やかなキネマの時代の面影が残る。解体後にバブルが崩壊したため、十数年間コインパーキングになっていて、つくづく解体してしまったことが残念に思われる状況だった。
2011(平成23)に住友商事神保町ビルが跡地に竣工。当時の様子を感じさせるものは現在は全く無くなっている。
2023.12.22追記
下記、「消えた映画館の記憶」によれば、東洋キネマは1921年12月開館だという。また、1970年から1973年までの間に閉館したそうだ。
その後は関連の会社などが使用したりしていたようで、1973年の住宅地図では小川町郵便局(仮局舎)、1982年の同地図では東洋キネマ・スタジオコモン、1991年には東洋キネマビル・(有)視聴覚センターと記されている。
千代田区の映画館 - 消えた映画館の記憶
ぼくの近代建築コレクション > 東洋キネマ
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #映画館・ホール #看板建築
誠屋洋服店
所在地:千代田区神田神保町 1-32
構造・階数 :木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2001〜02(平成13〜14)
Photo 1996.10.5
90年頃に閉店してから無人化していた。バブル崩壊の影響からか、1階部分に板囲いが立てられたまま長らく放置されていた。
白山通りは現在は歩道上にアーケード屋根がないが、この頃は部分的にまだアーケードが残っていた。
2023.12.29追記
戦後まもなくの火災保険特殊地図(1951年作成、1954年修正)には「KK誠屋洋服店」と記されている。戦前の1935年発行の同地図ではそれらしき建物の形はあるが、屋号などが記入されておらず、戦前に建てられたかどうかは確認できない。ここの界隈は戦災で焼失したようなので、やはり恐らく戦後まもなくの時期のものだったのだろう。屋号の看板も左から書いてあるし。
誠屋洋服店/神田神保町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系
三慶商店
所在地:千代田区神田神保町1-19
構造・階数:木・3(ギャンブレル屋根)
建設年:1926(大正15)頃
解体年:2000(平成12)年5月
Photo 1992.7.31
神保町のすずらん通りで個性的なギャンブレル屋根を載せていた楽器店。2Fの看板を取り外した状態を見てみたかったが、結局見れずじまい。
2023.12.29
戦後まもなくの火災保険特殊地図を見たところ、1951年発行のものには「森信吉S・近江屋産業」とあった。建物は大正時代末頃に建てられたそうだが、当初は「三慶商店」ではなかったようだ。1954年発行のものには「三慶」と記されているので、この頃に変わったらしい。
ぼくの近代建築コレクション > 三慶商店、他
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系
#ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
寿ビル(東京時計商会、旧杏花楼)
所在地:千代田区神田神保町1-3
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・4F
備考 :解体・建て替え
Photo 1992.7.31
由来等はさっぱり知らない。とにかく洋風のビルに中国風の玄関とベランダがついているのが目を引く。1990年頃まではすずらん通りには歩道上にアーケードがあり、建物のファサードがよく見えなかったが、その後、取り外されてこのような外観を見ることができるようになった。
調べてみると、杏花楼というのは中華料理屋だったとのこと。やや東洋趣味的な外観はそのためなのかもしれない。
ぼくの近代建築コレクション > 寿ビル
廃景録 > 寿ビル(杏華楼)
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #近代建築
東京共成社
所在地:千代田区神田小川町 2-6
建設年:1924(大正13)
構造・階数:木造・2F
解体年:1997〜98(平成9〜10)頃
Photo 1995.7.29
写真左手の2Fが洋風になっているのが東京共成社。靖国通りから、裏通りの坂道を御茶の水へ向かって上っていく途中にあった洋風看板建築だった。
この東京共成社、何をやっている会社なのか知らず、建物がなくなったのでてっきり会社も無くなったのかと思っていたが、ネットで調べたら印刷関係の会社で、建て替えたビルで現在も営業しているのだった。
Google Street Viewで確認したところ、中央の青色の2階屋(山内商店・履物店)の建物は2019年6月時点でも残っているが、東京共成社と右側の小川町丸十(パン屋)は2009年12月時点で既に共に消失していた。
現在、東京共成社が入居している永岡ビルは1999(平成11)竣工とのことなので、写真左の建物は1997〜98(平成9〜10)頃に解体されたのではないかと思う。
ぼくの近代建築コレクション > 稲川楼、東京共成社
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #商業系
フタバヤ
所在地:千代田区神田小川町 1-8
構造・階数:木造・2F
建設年:1928(昭和3)
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1998.6.27
小川町の交差点に面して建つ小さな看板建築商店。周辺の建物がどんどん建て替わっていって、絵本の「小さなお家」そのものの状況になって久しかった。2005年の春に訪れてみたら、跡形もなく新しい建物に建て替わっていた。ビルの間にちょこんとフタバヤがあることで、この交差点は印象的なものになっていたのが、それが無くなってしまうとあまり特徴がない交差点なのだった。
尾張屋、深見酒店/小川町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #モルタル看板建築
#看板建築 #商業系 ブログ内タグ一覧
同和病院(旧東京医師会館)
所在地:千代田区神田淡路町 2-8
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・5F
解体年:1998(平成10)
Photo 1995.6.3
急傾斜の瓦屋根が目を引く。玄関のステンドグラスが綺麗だった。背面にも個性的な窓が並んでいた。
建物裏側 Photo 1995.7.22
屋根裏状になった部屋があったのか、高窓があったのか分からないが、小屋根が付いていた。スクラッチタイルとスペイン瓦が印象的。
Photo 1995.6.3
廃景録 > 同和病院
ぼくの近代建築コレクション > 同和病院/神田淡路町2丁目
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #病院 #近代建築
会計検査院
所在地:千代田区霞が関 3-2
建設年:1935(昭和10)
構造・階数:RC・5F
解体年:2004(平成16)
Photo 2003.12.29
4F建てだったものに5階を増築した模様。中央部の屋上飾りが5階壁面に呑み込まれる結果になっている。全体としては装飾が少なくモダンな官庁建築。
玄関。大仰な車寄せではなく、国の役所にしては地味な玄関。
会計検査院前から文部省(写真奥右側)を見る。
昭和初期にできた官庁街の街並み。再開発後は高層ビルの街並みになる。
文部省と一体的に再開発されて高層化され、2007(平成19)年秋に霞が関コモンゲートが完成。
会計検査院の建物は、玄関まわりが新しいビルの一部として再利用された。
会計検査院/霞が関3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #オフィス #官公庁 #近代建築