都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

路地の呑み屋街・城東閣

2024-10-18 | 青森県  
路地の呑み屋街・城東閣
所在地:弘前市 鍛治町11・新鍛冶町30
構造・階数:木・1〜2
建設年:1959(昭和34)
解体年:2018〜19(平成30〜令和元)
Photo 1998.8.25

 弘前市内の繁華街にあった呑み屋街。
 弘前市中心部は城下町時代の町割が残り、通りの両側が同じ町名で、街区の中に町界があることが多い。このためこの路地も鍛冶町から新鍛冶町へと抜けている。

 下記、城東閣のサイトによれば、もともとここには天然氷を扱う藤田商店(藤田製氷所)があったという。そして戦後、1959(昭和34)年にその敷地に小路を作り飲食店街としたのが「城東閣」だという。店が替わったりして改装を重ねた姿だったのだろうが、路地のスケール感や雰囲気は古くからのものだったのかもしれない。

 20年以上前のことなので記憶が曖昧だが、かつての路地は少し折れ曲がっていて、途中からは建物の下を通り抜ける形だった。変則的な路地だったこともあり、なんとなく通り抜けるのがためらわれる感じで、昼間でもやや怪しい雰囲気の場所だった。

 同サイトによれば、写真の建物は全て取り壊され、2018(令和元)年に新しい城東閣が完成したという。現在も通り抜け小路の形態で、平屋の店舗が両側に建ち並び、途中にはイベントスペースがある形になっているようだ。Googleストリートビューでは、路地の両端に「城東閣」の文字を掲げたゲートが見える。

城東閣

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上土手町商店街振興組合事務局 ほか

2023-04-30 | 青森県  
上土手町商店街振興組合事務局 ほか
所在地:弘前市 土手町151
構造・階数:木・2
解体年:1998〜03
備考 :道路拡幅に伴い解体
Photo 1998.8.25

 土手町の通りは訪れた頃に道路拡幅事業が始まっていて、この後、沿道の建物は建て替えられていった。
 上写真左側のモルタル看板建築には、撮影当時、上土手町商店街振興組合の事務局が入居していた。建設当初は振興組合の事務局ではなく、なんらかの店舗だったのだろうと思って調べてみたら、1980年代から90年代前半は自民党の弘前支部で、その後、商店街振興組合事務局・町会事務局・まちづくりステーションになっていた。ただそれ以前の使われ方は結局よく分からなかった。

 一方、右側の建物には撮影当時2軒ほどの店が入っていたようだ。元の写真を拡大すると、左から「おしゃれの店レディ」「手芸ノ店ネージュ」の文字が見える。いつ頃に建てられたものか分からないが、戦前期からあったのなら伊藤文具店だったのかもしれない(モルタル看板建築の方が伊藤文具店だった可能性もあるけれど・・・)。1980年代の住宅地図では「弘前緑屋信用販売」とあった。写真では小店の庇から赤い暖簾状のものが下がっていて、屋号の後半の「用販売」の文字だけが見えている。


 南側から

 左端奥に見える高層建物は紀伊國屋書店も入居していたホテル法華クラブの建物。左端の3階建ては「毛糸のマツヤ」。その右側の茶色の2階建ては「鶴屋ボタン店」。電柱の陰が商店街振興組合で、いちばん手前が旧「弘前緑屋信用販売」。マツヤと鶴屋は1980年の住宅地図にも載っているお店だが、昭和初期の地図には見当たらず、いつ頃からの店かは不明。


 通り沿いに掲出されていた整備イメージの看板

 モルタル看板建築の場所は、現在はPizzaHutの店舗になっている。また商店街振興組合は、右隣の弘前緑屋信用販売があった場所にある。2つの建物は隣りあっていて、かつてのモルタル看板建築のデザインを想起させる装飾を付けたファサードにされている。

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旧 福乃湯

2023-04-27 | 青森県  
旧 福乃湯
所在地:弘前市 新寺町66
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25

 弘前市内には元寺町や新寺町と呼ばれて寺院が建ち並ぶ通りがある。写真は新寺町の通りに面して建っていた銭湯。撮影時は既に廃業しており、建物の大半は花屋(山内花店)として使われていた。

 東京でよくある宮造り型ではなく、間口がやや大きい洋風の木造モルタル2階建て看板建築のような建物。銭湯なので奥にも長かったようだ。

 通り沿いは店舗になっていて、銭湯の入口の右側は以前から理髪店(浅原理容所)。銭湯は中央付近の入口を入って奥へ進んだところにあったとかだったようだ。

 建物は20年ほど前に解体されたらしい。Google ストリートビューで確認したところでは、花店の方は跡地に建つ建物で現在も営業しているようだ。

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弘都交通

2023-04-24 | 青森県  
弘都交通(株)本社営業所
所在地:弘前市 一番町6
構造・階数:木・2
解体年:1998〜2003(平成10〜15)
Photo 1998.8.25

 弘前市の繁華街にあったタクシー会社の建物。今、ネットで検索してもほとんど情報がない。ただ、下記サイトによれば、弘都交通のタクシー部門は2001年7月に弘前タクシーに買収されたようだ。その弘前タクシーも2017年に破産している。

 間口の大きな木造モルタル看板建築。1Fはタクシーの車庫で、右側奥には2Fの事務所への階段が設けられていたようだ。1F前面には両サイド以外には柱がなく、構造的にはやや不安な感じ。

 側面の様子からすると平入りだったようだが、ファサードが山型をしていたので、こちら側にも破風状のものがあったのかもしれない。

弘前タクシーが破産、負債総額15億円 | レスポンス(Response.jp)

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天香堂

2023-04-12 | 青森県  
天香堂 倉庫
所在地:弘前市 元寺町5
構造・階数:木・2
解体年:1998〜03(平成10〜15)
Photo 1998.8.25

 天香堂は弘前市内に古くからある化粧品店。同社の沿革を見ると、明治30年代に菓子屋として創業し、大正期には洋菓子喫茶「天香堂パーラー」も始めたという。戦後の1946年、化粧品店に転換し元寺町で化粧品店を始めたそうだ。

 沿革の記載から考えると、撮影時、倉庫になっていたこの建物で化粧品店を始めたのではないかと思われる。菓子店や洋菓子喫茶をどこで営業していたか、またこの建物の建設年代の記載はない。なので、もしかすると洋菓子喫茶・パーラーもこの建物だったのかもしれない。

 建物は木造モルタルの看板建築。1階はシャッターで覆われていてデザインが分からないが、2階には洋風の上げ下げ窓があり、ガラスは嵌っていないがアーチ型部分も造られていて、洋風デザインがかなり意識されている。化粧品店(もしくは洋菓子喫茶)という業態のイメージもあってのことだったのだろう。

 沿革には1984年に土手町に天香堂ピアザを開店したという記載もある。従ってその頃以降、ここは倉庫になったのだろう。2003年発行の住宅地図では天香堂月極駐車場となっている。建物はこの写真の後、2003年までに解体されたようだ。

天香堂について

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川口染工場

2023-04-09 | 青森県  
川口染工場
所在地:弘前市 北川端町14
構造・階数:木・2
建築年:大正期
解体年:2005〜08(平成17〜20)
Photo 1998.8.25

 弘前の繁華街(居酒屋やスナックが連なるエリア)と、中心部を流れる土淵川の間のエリアにあった染め物工場。下記サイトの記事によれば、大正時代の創業で建物も大正時代のものだったという。

 同サイトには2004(平成16)年撮影の写真が掲載されていて、この頃には道路沿いの板塀が取り去られて駐車スペースになっていたことも分かる。

 基本的には和風の建物だが2階の窓が縦長の上げ下げ窓だったりして、少し新しめの雰囲気を漂わせている建物だった。

 2008年発行の住宅地図で既に記載がない。またネットで検索してもこの会社は見つからないので、恐らく2005〜2008年頃の間に廃業するなどして建物も取り壊されたものと思われる。

弘前の和風建築・川口染工場
弘前の和風建築・川口染工場 | スチャラカでスーダラな日々

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バンビ保育園/旧 松田医院

2023-04-06 | 青森県  
バンビ保育園/旧 松田医院
所在地:弘前市 鍛治町9
構造・階数:木・2
解体年代:2003〜08(平成15〜20)
Photo 1998.8.25

 洋風の木造小規模建物を使った保育園。奥行きがあまりない小さな建物なのに、入口がしっかりしているのがやや奇妙で不思議。1993年の住宅地図では、フロスト英会話センターと記されている。もしかするとキリスト教系の組織とかが、英会話学校や保育園を運営していたのかもしれない。

 周辺は居酒屋やバー・スナックなどが多く建ち並ぶ弘前市随一の歓楽街。界隈が賑やかになる前からあった建物なのかもしれないが、夜になると賑やかになる街なかに、洋風建物の保育園がポツンとあるのは唐突な感じで、昼間でも少々違和感があった。

 弘前へはこの後訪れていない。この建物を見たのもこれいちどだけ。2003年の住宅地図には掲載されているが、2008年には既に消失している。


2023.4.28 追記
 1960(昭和35)発行の「弘前商工名鑑」で松田産婦人科医院が鍛冶町9に所在していると記されている。また、1935(昭和10)発行の「弘前市案内図」でもここが松田医院と記されている。この後方の家も松田邸だったので、この建物はもともと松田医院として建てられたもののようだ。

 ※『市制施行七十周年記念 弘前商工名鑑』弘前商工会議所 編・発行、1960
  『弘前市案内圖』1935、「ひろさき懐かし地図」として復刻
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相坂りんご倉庫

2023-04-03 | 青森県  
相坂りんご倉庫
所在地:弘前市 駅前1-3
構造・階数:木・2
解体年:2015〜17(平成27〜29)
Photo 1998.8.25

 JR弘前駅のそばにあった大型の木造倉庫。2015年頃までは存在していたようだが、2017年のGoogleストリートビューではなくなっており、一帯は駐車場になっている。

 写真右端の鉄塔はJR弘前駅構内の照明塔のようだ。左後方はこの訪問時に宿泊した弘前プリンスホテル。こちらは2022年までは営業していたが、同年中に閉館したという(建物の存続状況は不明)。

 駅周辺は土地区画整理もされてかなり様子が変わったようだ。ただその結果が良い方向に向かっているようにはあまり見えない。区画整理後の一帯では駐車場や空地がかなり多く、スカスカな印象になってしまっている。

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いろは通り

2023-03-21 | 青森県  
いろは通り
所在地:青森市 古川1-13-12
構造・階数:木・2
解体年代:2018〜22(平成30〜令和4)
Photo 1998.8.24

 こちらは少し前まで建物が残っていてGoogleストリートビューでも確認できたもの。店先の通りに商品を山積みしたりしていて、撮影時は賑やかな市場といった雰囲気だった。

 現在、Googleストリートビューで見られるのは2014年以降の画像だが、この頃になると閉じてしまっている店も増えていて賑やかさはあまりない。それでも2018年までは建物が残っていた。だが、2022年の画像では写真中央の三浦商店(青い建物)の左側の阿保商店(茶色の建物)までが解体されて、駐車場になっている。

 私が訪れたのは午後〜夕方の時間帯で、ストリートビューの撮影時間帯とは異なっているかもしれないので一概には言えないが、ストリートビューの画像では人通りも少なく、閑散とした印象。

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青森公益魚菜市場?

2023-03-18 | 青森県  
青森公益魚菜市場?
所在地:青森市 古川1-12-4
解体年代:1998〜2014(平成10〜26)
Photo 1998.8.24

 建物の外観や看板を撮らずに入口と内部だけを撮ったため、正確な場所や施設名がはっきりしない。
 Google ストリートビューで駅周辺のある程度大きな市場の建物を探してみたところ、似ているものはあったが同じものは現存しないようだった。そこで現存しない市場系の建物を90年代の住宅地図で探したところ、青森公益魚菜市場が候補として残った次第。ただ、改装されて現存している可能性もあるので、結局のところ確証はない。

 よく見ると1枚目の写真と2枚目では売場のしつらえが少し異なっている。もしかするとこの2枚の写真も別々の建物だったのかもしれない。四半世紀経っているので当時の記憶はやはり曖昧になってしまっている。


2023.3.19追記
 Facebookサイトにリンクしてこの記事を公開したところ、2枚目の方は「青食センター」ではないか、という御指摘があった。青食センターの内部の様子をネットで発見できていなかったため、2枚目も青森公益魚菜市場としていたが、御教示頂いた下記サイトの写真を見ると、2枚目は青食センターのようだ。
 通称、青食センター(協同組合青森生鮮食品センター)は青森公益魚菜市場の南隣で、Googleストリートビューで見ると建物は2022年9月時点で残っている。ただ、2018年5月のストリートビュー写真ではまだ市場として営業していたが、4年後の2022年では1階がコインパーキングになっており、上の階も空き家になっているようだ。

懐かしい風景を求めて 2014.7 鉄旅北東北 第22回 青森レトロ市場めぐり

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