都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2022年6月 記事一覧

2022-06-30 | 記事一覧 

06/03 鈴木邸・旧 杉邸
06/06 新宿コマ劇場
06/09 新宿東宝会館+新宿プラザ劇場 
06/12 明治安田生命新宿ビル(旧 安田生命本社ビル)
06/15 松の湯
06/18 旭寿司
06/21 照井医院
06/24 共同印刷
06/27 おとめ湯

ブログ内記事のタグ一覧   Tokyo Lost Architecture

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おとめ湯

2022-06-27 | 文京区  
おとめ湯
所在地:文京区 千石3-31
構造・階数:木・1
創業年:1954(昭和29)
解体年:2013(平成25)
Photo 2011.10.3

 千石の商店街にあった銭湯。玄関まわりは改築されていたが、唐破風の庇や上部に千鳥破風がある姿はやはり宮造りと呼ばれるもの。

 建物は平入りで、少し離れて眺めると大きな入母屋屋根が見えていた。

 破風には「おとめ湯」と書かれたの紙か布を咥えて飛ぶ鶴の絵が、漆喰(鏝絵)で描かれていた。また唐破風にも鶴や波間を飛ぶ鳥の絵が描かれていた。

 建物などの老朽化もあり、2013年6月末に廃業。その後、解体までの間に見学会が行われたりしたので、内部の様子はいくつかのサイトで見ることができる。

文京区千石の「おとめ湯」見学会 - きゃおきゃおの庭
おとめ湯(文京区千石) - 風呂屋の煙突 ~銭湯探訪記・赤線跡紀行

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #銭湯  ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同印刷

2022-06-24 | 文京区  
共同印刷 本社
所在地:文京区 小石川4-14
構造・階数:RC・4
建設年:1935(昭和10)
解体年:2019(平成31)
Photo 2011.9.27

 播磨坂・吹上坂の坂下、植物園前交差点に面している工場・事務所。小石川4丁目の広大な敷地に工場があるので、複数の建物が建ち並んでいるが、上写真は交差点角にある目立つ建物。左後方に塔屋が見えているが、これは東側に隣接した建物(下写真・本館)。

 交差点に面してカーブを描いたファサードがあるのが特徴。角地の場合、コーナーに合わせたカーブにすることが多いが、ここでは逆に引っ込めた形のカーブにして、来訪者を招き入れるようなデザインになっている。

 2019年から解体・建て替えが行われ、7階建ての新本社ビルが2022(令和4)年3月に完成した。会社のサイトで見たところ、新本社ビルも交差点側が凹んだ形になっている。

共同印刷 本館

 この建物も本社の建て替えに際して左側の一部を残して解体され、その跡は本社ビルの一部になっている。

TOMOWELの共同印刷、本社新社屋が竣工-ニュースリリース|TOMOWEL 共同印刷株式会社
共同印刷本社、本館/小石川4丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #近代建築  #工場  #オフィス 
タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

照井医院

2022-06-21 | 文京区  
照井医院
所在地:文京区 小石川1-27
構造・階数:木・2
建設年:大正期(大正初期?)
解体年:2018(平成30)
Photo 2007.11.4

 かつては商店が建ち並んでいた通りに面してあった歯科医院。前面はスタッコ仕上げ、側面は南京下見板張り。


 Photo 2007.11.4

 縦長の上げ下げ窓が並ぶ姿が印象的。窓枠や桟は往時のままで、細い桟が縦に2本、横方向上下に1本ずつ入っている。妻面上部には2階の天井を支える材?が壁から外に出ていたようで、持ち送り状の飾りが並んでいた。


 Photo 2002.6.17

 玄関は恐らく外側への両開き。前面下部はモルタルで石材状に仕上げられていた。

 2002年に通り掛かったときは「診療中」の札が出ており、まだ営業していたようだったが、しばらくして休止してしまったようで、その後この札を見ることがないまま、2018年後半に解体されたのだった。

照井歯科医院、佐藤紙工/小石川1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
照井医院 文京区小石川 - 東京ノスタルジア
【×】照井歯科医院 - ずぼら堂懐古録
文京区小石川 照井歯科医院 - 東京あるけあるけ

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #医院  #洋館  ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旭寿司

2022-06-18 | 文京区  
旭寿司
所在地:文京区 大塚5-2-11
構造・階数:木・2
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1994.12.18

 春日通り沿いにあった寿司店。2階の階高がやや高く、窓が大きく取られ開放的なのが印象的。2階は恐らくお座敷だったのだろう。1937(昭和12)年発行の火災保険特殊地図に「すしや」として掲載されているので、昭和初期の頃からあったものではないかと思われる。

 春日通りの拡幅事業に伴い右隣の店舗と共に解体された。だが道路の一部になったわけではないようで、跡地にはプロフ文京大塚というマンションが2007年3月に竣工している。拡幅を機に建て替えたか売却したということかもしれない。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #商業系   タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松の湯

2022-06-15 | 新宿区  
松の湯
所在地:新宿区 西早稲田1-4
構造・階数:木・1
建設年:1969(昭和34)
解体年:2020(令和2)
備考 :営業開始は1969.4.19。2020.7.31閉店、
Photo 2009.5.10

 早稲田通り、都バス西早稲田バス停前にあった銭湯。開業時期は分からないが、建物は50年ほど前のものだったそうだ。いわゆる宮造り型だが、道路ぎわの部分は改修されていたものだろう。2020年7月末で閉店し、その後解体された。

 現在、跡地では「ザ・パークハウス アーバンス 早稲田」が建設中。RC造13階建ての共同住宅で、2023年1月末竣工予定。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 新宿区  #銭湯  #昭和戦後  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治安田生命新宿ビル(旧 安田生命本社ビル)

2022-06-12 | 新宿区  
明治安田生命新宿ビル(旧 安田生命本社ビル)
所在地:新宿区 西新宿1-9-1
構造・階数:SRC・9+B3
建設年:1961(昭和36)
解体年:2020(令和2)
備考 :明治安田生命ホールは2017(平成29)に閉館。
Photo 1997.3.3

 新宿駅の西口駅前広場に面して建っていた大きなオフィスビル。南北に長い直方体がベースで、1、2Fが広場側に張り出した形。なんの変哲もない形ではあったが、直方体の縦横奥行きのプロポーションが良かったように思う。各階にルーバー庇を巡らせた姿は繊細さも感じさせた。庇やベランダが巡らされている姿は日本的なモダニズムだったが、RCのベランダではなく金属製のルーバーだったので、軽快な印象だった気がする。一方で1、2Fは柱が道路側に並び、ビルの前を歩くと重厚な印象もあった。

 上写真は安田生命時代のもの。安田生命は2004年に明治生命と合併して明治安田生命となった。


 Photo 2012.5.31

 2枚目写真は合併後の2012年のもの。当初は低層部屋上の緑化はされていなかったようだが、この頃には既に樹木や植栽が見える。


 小田急百貨店から Photo 2018.7.23

 駅西口の南の方はヨドバシカメラなどの電気店が多く、ごちゃごちゃと賑やかな景色だったが、西口の中央は明治安田生命ビルがどんと構えていて、いかにもビジネス街という雰囲気だった。


 ビル東南側から Photo 2010.6.9

 低層部、道路ぎわに店舗などが全くなかったため、その意味ではやや殺風景だった。


 南側面 Photo 2010.6.9

 ルーバーがあるため、近くから見上げると窓ガラスや建物内はあまり見えない。

 建物の解体は既に終了し、跡地では西新宿一丁目地区プロジェクトとして新しいオフィスビルの建設が2021年から行われている。新ビルは、S・RC・SRC造、23F・B4Fで、高さ126m。オフィスの他に店舗、ホール、子育て支援施設を含む建物で、2025年7月末に竣工予定だそうだ。

「明治安田生命新宿ビル」他の跡地 地上23階、高さ約126mの「(仮称)西新宿一丁目地区プロジェクト」 建築計画のお知らせ掲示!: 東京・大阪 都心上空ヘリコプター遊覧飛行

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #オフィス  #銀行・保険  #モダニズム 
本ブログ内の記事についてのタグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿東宝会館・新宿プラザ劇場

2022-06-09 | 新宿区  
新宿東宝会館/新宿プラザ劇場
所在地:新宿区 歌舞伎町1-19
階数 :9(12?)+B3
建設年:1969(昭和44)
解体年:2011(平成23)
Photo 2009.2.25

 新宿コマ劇場の北側に隣接してあった複合商業施設。

 住宅地図等で確認したところ、1〜3階が新宿プラザ劇場、4・5階は飲食店、6階はビリヤード、7階がボウリング場、8・9階は歌舞伎町クラブハイツというキャバレー(1973(昭和48)年オープン)、地下1階は飲食店、地下2階はクリーニング、理髪店、サウナ、そして地下3階にも店舗があったという。


 Photo 2011.2.4

 ただ、この写真では、建物は11階ないしは12階建てだったように見える。住宅地図では9階までの商業施設がリストアップされていたため取り敢えず9階建てとしたが、上部に関連のオフィスなどがあったのかもしれない。

 新宿プラザ劇場も2008年末に閉館。コマ劇場同様、2011年春頃まではそのまま残されていたが、その後解体された。そしてこの新宿東宝会館と新宿コマ劇場の跡地には、シネコンとホテルを併設した新宿東宝ビルが2015年に完成している。

新宿プラザ劇場 - Wikipedia
新宿東宝ビル - Wikipedia
新宿プラザ劇場 (港町キネマ通り)
歌舞伎町「新宿プラザ劇場」、10月31日閉館へ-39年の歴史に幕 - 新宿経済新聞

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #映画館・ホール  #遊興施設  タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新宿コマ劇場

2022-06-06 | 新宿区  
新宿コマ劇場 
所在地:新宿区 歌舞伎町1-19
建設年:1956(昭和31)
解体年:2011(平成23)
備考 :2008(平成20)末閉館。新宿東宝会館と合わせて再開発。
Photo 1996.11.10

 歌舞伎町の名は、戦後、区画整理を行った際に老若男女が楽しめる「道義的繁華街」の創設を目標として歌舞伎劇場の誘致を目指し、東京都の石川栄耀(当時都市計画課長)の助言も得て命名されたもの。歌舞伎劇場の誘致はできなかったが、1956(昭和31)年にコマ劇場が開場。周辺の映画館と併せて一大興行街となった。

 2000年頃までは、当初からの外観で営業していたが、その頃の全景は撮っていなかった。上写真は、西側、コマ劇場の入口側の様子。おそらく演歌歌手のショーの開場直前で、多くの観客が開場を待っている。


 Photo 2005.7.13

 2005年頃はクイーンのトリビュートミュージカル「We Will Rock You」が行われていた。この時には全体が黒く塗られ、ロゴも KOMA になっていた。西南側から。


 Photo 2005.7.13

 歌舞伎町の広場、シネシティ広場から。 このときの改修で壁面には大型ビジョンが設置された。


 Photo 2011.2.4

 コマ劇場とシアターアプルは2008年末に閉館したが、建物は2011年春頃までは閉鎖された状態でそのまま残されていた。


 Photo 2011.2.4

 歌舞伎町、センター通り側、南側正面


 Photo 2009.2.25

 1階にあった飲食店街。再開発後のビルにも、店は違うが飲食店街が設けられている。

新宿コマ劇場 - Wikipedia
新宿歴史博物館 データベース 写真で見る新宿
演劇・映画文化を発信し続ける新宿の街のシンボル「新宿コマ劇場」と、そのDNAを継ぐ「新宿東宝ビル」<前編>

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #映画館・ホール  #昭和戦後 
タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木邸・旧 杉卯七邸

2022-06-03 | 新宿区  
鈴木邸・旧 杉卯七邸
所在地:新宿区 下落合2-14
構造・階数:木・2
建設年:1923(大正12)
解体年:2012(平成24).4
設計 :あめりか屋
Photo 2009.6.8

 下落合2丁目、日立目白倶楽部(旧学習院目白寮)のそば、近衛町と呼ばれる住宅地にあった洋館。
 壁面の多くは洋風の下見板張、2階の一部はハーフティンバー風と言えば良いのだろうか。

 窓枠は昔からのものが維持されていたようで、細く華奢で装飾的な窓が印象的だった。

 F.L.ライトがデザインに関わったのではないかという話もあったが、どうやら「あめりか屋」という洋風住宅建設会社によるものだったようだ。下記ブログの記事にはその詳細が記されている。

近衛町の杉卯七邸を拝見する。(下):落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #洋館・洋風住宅  #近代建築  #大正期 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする