04/04 掛川市役所旧庁舎
04/08 聖書キリスト教会 高田馬場教会
04/12 花の湯
04/16 銅板張り看板建築
04/20 千住柳町・旧赤線の建物
04/24 神田消防署
04/28 万安楼
万安楼(まんやすろう)
所在地:中央区 銀座1-22
構造・階数:木造・2F
備考 :1990年代末に廃業、その後解体
Photo 1995.6.20
万安楼は1882(明治15)に創業した老舗料亭だったという。
個人的には全く縁のない場所だったので、中の様子は知らないままだった。写真も板塀の外から撮ったこの一枚だけ。
改めて写真を見てみると、高い黒板塀に灯りが並び、立派な料亭の雰囲気を醸し出している。門も大きく、庭木も立派。今になって、もう少しいろいろな角度から撮っておけば良かったと思う。
万安楼は1990年代末に廃業して2000年頃に解体されたようだ。跡地には銀座タワーという25階建ての高層マンションが2003(平成15)に完成している。
万安楼、慶州苑/銀座1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京/銀座/万安楼 -ストックフォト-イマジンネット画廊
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #遊興施設 ブログ内タグ一覧
神田消防署
所在地:千代田区 神田淡路町2-12
建設年:1960年代?
解体年:2008年頃
階数 :3F+望楼
Photo 2005.5.28
Wikiによれば、神田消防署は2004(平成16)年に外神田4-14に移転したそうなので、写真の時点では既に空き家だったのかもしれない。掲示板には何も張り紙がないし、入口にはなんらかのお知らせ張り紙が出されている。
様式的な建物ではなく機能的なモダニズム系のデザインで、恐らく戦後の建物だったのだろう。ただ望楼があるあたりからは、建設当時はまだ背の高い建物が周辺にあまりなかったのだろうと想像される。
南側の神田郵便局が建て替えられたため、消防署は周囲を郵便局に取り囲まれた形になり、望楼もビルに張り付くような感じになってしまい、1990年代後半以降は目立たなくなっていた。
Photo 1995.6.3
1995年時点では、南側の神田郵便局が建て替え工事中で。この時には辛うじて遠くから望楼を望むことができていた。
中央線の線路近くにあった建物なので、しばしば目にしていたはずだが、いつ頃取り壊されたか記憶がない。ネット上には2007年2月の写真があり、その時点ではまだ建物は残っていたようだが、航空写真などから考えると2008年には解体されたようだ。
2023.12.22追記
モダンな角形の庁舎で、下記「ぼくの近代建築コレクション」には「昭和40年代の建築かと思われる。」と記されている。
火災保険特殊地図で確認したところ、戦前の1935年と、戦後の1950年、1959年は同じ形で描かれているのだが、これらではコーナー部がカーブしており、この建物とは形が異なっている。このことからするとやはりこの建物は1960年代、もしくは昭和40年代以降に建てられたものだったようだ。
神田消防署、フジモト商店/神田淡路町2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #公共施設
旧赤線の建物
所在地:足立区千住柳町15
構造・階数:木造・2F
備考 :2010〜14年に解体
Photo 2006.10.8
日本橋から出発して日光街道と奥州道の最初の宿場が千住宿。江戸期は千住のまちなかを南北に通る街道沿いに旅籠がたくさん並び、飯盛女(食売女)が大勢いて、遊興地として繁盛していたそうだ。
明治以降は宿駅制度が廃止され、鉄道も開通したため、宿場としての機能は失われ、宿場は遊廓となった。そして1919(大正8)に遊廓は街道沿いから千住柳町に移転し、1958(昭和33)の売春防止法施行まで、いわゆる赤線となっていた。
写真の建物は、その後50年近く普通の家屋として残されていた旧赤線時代の建物。カーブしたコーナー、バルコニーなど、それらしいデザインがところどころに見られる木造モルタル家屋だった。
Photo 2006.10.8
アーチ型の玄関や窓、曲線が多用された出窓など、古い建物にしてはハイカラなデザインが特徴的。ただ、初めて見たら、見過ごしてしまいそうなくらいで、町に埋もれているのだった。
Photo 2006.10.8
西南側コーナーは面が取られ、庇と2階壁面も曲面になっていた。
旧赤線時代の建物は既にほとんどない。あったとしても改装され、特色のある意匠は分からなくなっている。ただ、地図で見ると、この一角だけは道幅がやや広くグリッド状になっており、周辺の他の町とは異なる道路パターンになっている。
その後はこの界隈を訪れていないが、Google S.V.で確認すると、既に解体されマンションに建て替えられている。2009年12月ではまだ存在しているが、2015年5月の写真では既にマンションができている。従って2010〜14年に解体され、なくなったようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 足立区 #遊興施設
銅板張り看板建築
所在地:荒川区南千住1−32
構造・階数:木造・2F
解体年:2010〜2013.7
Photo 1995.6.17
都電荒川線の三ノ輪駅から北へ向かう、旧日光街道(国道4号線)の裏通り沿いに建っていた、4軒つづきの銅板張り看板建築。
Photo 2006.9.30
1995年時点では4軒つづきだったが、2006年9月に訪れた時には、上のモノクロ写真の手前の一軒(最も南側)が既に建て替えられて3軒になっていた。残っていた建物でもトタンで補修された部分が増え、銅板張りの部分は減っていた。また老朽化がかなり進んで、傾いて歪んでもいた。
Google S.V.では、2009年12月時点では存在しているが、2013年7月撮影の写真では、既に車庫になっており、この間に解体されたようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 荒川区 #銅板張り看板建築
#看板建築 ブログ内タグ一覧
花の湯
所在地:板橋区板橋3−15
建設年:1967(昭和42)
構造 :木造
備考 :2017年3月廃業。その後、解体。
Photo 2006.5.21
中山道板橋宿の街道沿いに建っていた銭湯。
いわゆる宮造り型の昔ながらの立派な建物だが、意外にも、1967年に建て替えられたものだそうで、建物は築50年とすごく古いわけではなかった。一方、創業は1910(明治43)年だったそうで、100年以上の歴史のある銭湯としても知られた存在だったという。
Photo 2015.2.3
間口が割合大きく堂々とした姿。青い瓦も個性的だ。そして玄関の大振りな唐破風が印象的。ただ、入口は唐破風庇の下ではなく、1枚目写真のように右側になっていた。上写真では営業開始前のためシャッターが閉じられている。右側にはコインランドリーも併設されており、内部の間取りを変えるなどした際に、当初の入口を閉じてしまったようだった。
Photo 2006.5.21
唐破風の懸魚も鳥の透かし彫りでなかなか凝った造り。
2015年に通りかかった時にはまだ営業していたが、2017年9月に訪れた時には既に解体されていた。ネットで調べたところ、経営者が高齢化するなどしたため、2017年3月30日で営業を止め、廃業したのだそうだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 板橋区 #銭湯 #旧中山道
聖書キリスト教会 高田馬場教会
所在地:豊島区高田3−9
建設年:?
構造・階数:?
備考 :1995年頃に解体。
Photo 1988.10.30
西武新宿線の上り電車が高田馬場駅に到着する直前、神田川を渡る際に鉄橋から見えていた教会。川に沿って華奢な鉄骨フレームが建つ様子がモダンで印象的だった。
この写真は電車内から撮ったもの。午後で日陰になってしまい、露出不足で発色も悪く、写真としてはかなり良くないが、手もとにはこれしか写真がない。
近くまで行ったことがなかったため、堂がどのような構造になっていたのかは知らないままで、いつのまにかなくなってしまっていた。改めて調べてみたら、神田川の改修工事のため、1995年に練馬区豊玉北に新会堂を購入して移転したのだそうだ。情報があまりなく、建設年や構造・階数も不明。
三角形の敷地だったようなので、川沿いの部分はフレームだけで、その北側に実際の礼拝堂が接続していたようだ。
移転先の建物(東京教会)はカステラの文明堂の工場だったものだそうで、それを改装(改装設計:東畑建築事務所)して使っているそうだ。建物の屋上には高田馬場時代と同様のフレーム型の塔が載っている。
聖書キリスト教会
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 豊島区 #教会
掛川市役所旧庁舎
所在地:掛川市掛川1114-2-2
建設年:1956(昭和31)
構造 :RC造
階数 :3F・B1F
設計 :日建設計
備考 :1996(平成8)頃に解体
Photo 1992.4.11
掛川城の城内にあった市庁舎。城へ向かって逆川の橋を渡った先の右側、現在の掛川城三の丸広場の場所に建っていた。
低層の平たい姿で、玄関前に大振りなピロティがあるなど、まさにモダニズム庁舎建築という雰囲気のデザインをしたオフィス建築だった。
1994年に掛川城天守閣が復元されて、城跡一帯の整備が本格化するなか、市庁舎は郊外に移転。新しい掛川市庁舎は1996年5月にオープンした。それまでのこの庁舎は、この後、解体されたものと思われる。
ネット上に旧庁舎の写真が他にもあるかと思って探してみたが、戦前の様式的な近代建築ではないし、また変わったデザインの建物でもなく、やや地味なモダニズム建築だったためか、ほとんど掲載されていないようだ。
個人的にはこのシンプルなオフィス建築は嫌いではない。プロポーションなどが良く考えられていて、モダンな建物だったと思う。ただ、掛川城天守閣の復元に伴って、一帯が城下町風デザインで整備されることになったため、残念ながらスタイルが合わなくなってしまったのだろう。また、竣工から40年近くが経過して、古びた感じに見えてしまっていたのかもしれない。
現在、市庁舎跡地の掛川城三の丸広場はイベント等で使用されている。また新しい掛川市庁舎は同じ日建設計によるもので、こちらは大きな吹き抜け空間などを伴った現代的で個性的なデザインでもあり、話題の建物となっている。
静岡の建築
#失われた建物 静岡県 #官公庁 #オフィス
#林昌二(日建設計) #モダニズム タグ一覧