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岡野ビル
所在地:中央区東日本橋 2-15
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
解体年:2003(平成15)
Photo 1996.10.10
東日本橋近辺は繊維問屋街になっており、その関係の近代建築がいくつか建っている。岡野ビルは、その問屋街の東の方に建っていた。小規模だがなかなか端正なオフィス建物だった。ただ1Fは何軒かの店舗になっていて、安っぽい庇が無造作に取り付けられていて、せっかくのファサードの一部を隠してしまっていた。街角の小規模な近代建築が人知れず失われていくのは、少し寂しい。
廃景録 > 岡野ビル
両国郵便局、岡野ビル/東日本橋2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
東南側から
公団晴海高層アパート15号館
所在地:中央区晴海1-6
建設年:1957(昭和32)
構造 :SRC
階数 :10F
設計 :前川国男
備考 :1997年解体、高層住宅に建て替え。
Photo 1996.5.25
西側から
北側から
北西側ファサード 2戸×3層=6戸を1ユニットとした構造
エレベーターホール
EVは1F・3F・6F・9F階に停止。この他の階の各戸は通路階から階段で上下にアプローチする
1F外階段室
通路手摺
6F通路の様子
通路は3F・6F・9Fの3層おき。この通路から階段を介して上下階の住戸にアプローチする。
通路の様子 やや階高が低い
Wikipedia > 晴海団地
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#失われた建物 中央区 #公営・公団・公社・公立住宅 #モダニズム
#前川國男
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エース証券東京支店
所在地:中央区日本橋兜町 3-9
建設年:昭和初期?
構造・階数:RC・3F+RF(4Fを増築?)
備考 :解体
Photo 2001.6.17
兜町に建っていた、イオニア式の柱頭を持つオフィスビル。野村證券→日東証券→高木証券→伊藤銀証券→エース証券というように、変遷してきたらしい。
来歴はともかく、どうにもこうにもファサード全体のデザインが平面的なのが気に掛かる。柱は付け柱状になっているが、表面の模様が平面的なので、パッとしない印象になってしまっていた。写真で見ると、むしろ奥の金万証券の方が、妙な和風の意匠で変に迫力がある造形になっている気がする。またイオニア式のオーダーも柱に比して小さくて薄く、これもパッとしない。これなら完全にモダニズムデザインにした方がファサードはむしろ整う気がするが、そこは証券会社なので、やはりオーソドックスさが重要で、古典建築を引用したかったのかもしれない。
山丸証券、伊藤銀証券/兜町 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス
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日本信託銀行
所在地:中央区日本橋3-1
建設年:1927(昭和2)
構造・階数:RC・3F
備考 :付け柱、玄関周囲など一部を解体保存。写真は新しい建物
Photo 2001.1.18
旧日本信託銀行本店。建て替えられて、ファサードの装飾の一部が再利用された。たしか旧建物の壁面にあった付け柱(半円型)二本を一組にして、合わせて円柱一本にしてたはず。
Photo 2018.5.29
その後、三菱信託銀行、三菱UFJ信託銀行になっていたが、昨年通り掛かったら、髙島屋の売場が入居していて、ビル自体は「スターツ日本橋ビル」になっていた。
Photo 2018.5.29
ところで、以前は空白だった部分に、現在は「STARRTS」の文字と会社のマークが浮き彫りになっているのだが、これはどうやったのだろう? 周辺も含めて石を全部交換したのか、文字とマークだけの石を貼ったのか、実は石のように見えるモルタルかなにかで文字を造ったのか? 最近は石のような風合いのFRPもあるので、触ったり叩いたりしないと素材が分からないが、この場所は触れないのでそのへんは不明。
日本信託銀行本店/日本橋3 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 中央区 #近代建築 #オフィス #銀行・保険
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丸善
所在地:中央区日本橋 2-3
建築年:1952(昭和27)
構造・階数:SRC・9F
備考 :2004(平成16)解体・建て替え。
2007(平成19)新・日本橋店オープン。
Photo 2001.1.18
洋書といえば、丸善と言われ続けてきた。クラシックな外観の日本橋高島屋に対峙して、ルーバーを兼ねた縦長の小さな窓が全面を覆うその姿は近代的で端正であり、塔屋のサイン以外はデザイン的な主張をせず、抑制の効いた上品な建物だった。
2004年に開業した丸の内OAZO内に丸善は一時移転したが、建て替えの後、新しく日本橋店が同所にオープンしている。
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#失われた建物 中央区 #商業系
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東急百貨店(旧白木屋)
所在地:中央区日本橋1-5
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:SRC・7F
設計 :石本喜久治
備考 :1999.1閉店、その後解体
Photo 1996.10.6
老朽化と不採算店舗の整理によって日本橋東急は閉店した。閉店セールに予想外に多くの客が押し寄せたことが記憶に残る。その後ビルは取り壊され、あっという間に再開発が行われ、2004年4月に日本橋コレドがオープンした。
外観は幾度かリニューアルされていたため、近代的な装いとなっていたが、構造体は昭和初期の白木屋当時のもの。有名な白木屋火災を経て改装・増築を重ねた姿である。
東急百貨店日本橋店/日本橋1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 中央区 #商業系 #デパート・百貨店 #石本喜久治
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松竹会館
所在地:中央区 築地 1-13
建設年:1956(昭和31)
解体年:1999(平成11)
Photo 1998.5.23
戦前の近代建築ではないけれど、再開発で無くなってしまったので掲載。
松竹会館は、松竹の本社だった建物。映画館でもあり、松竹セントラル1、2、3があった。
再開発事業に伴い1999.2に閉館して解体された。その後、2000.5にADK松竹スクエア(現在は銀座松竹スクエア)が着工し、2002.10に同ビルが竣工している。
ぼくの近代建築コレクション > 松竹会館/築地1丁目
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#失われた建物 中央区 #映画館・ホール #オフィス
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植村邸
所在地:中央区新富 2-11
建設年:1927(昭和2)
構造・階数:木・3F
Photo 1995.6.20 移築前の様子
ギャンブレル屋根3階の銅板貼り看板建築。
手摺、戸袋、中央上部のマークなど、細部に至るまで銅板で細かな細工があり驚かされる。
解体直前まで、建設当初の様子を良く遺していた。
解体後、江戸東京たてもの園(小金井市)に移築され、見学できるようになった(1998.6公開)。
以下は江戸東京たてもの園に移築後の様子。 Photo 2002.1.14
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増築されていた屋根が元に戻されているが、その他はあまり変化なし。
移築直前まで昔ながらの姿をしていたようだ。
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軒先のディテール。銅板の板金で、面白い造形を造り上げている。
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側面から。看板建築の意味が納得できる姿。
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背面から。展示物になって初めて目にすることができるようになった姿。
植村邸/中央区新富2丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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#失われた建物 中央区 #古い建物 都下 #商業系
#看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根
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Photo 1995.6.20
第二帝興ビル
所在地:中央区新富1-12
建設年:1925(大正14)
構造・階数:RC・4F
備考 :2002解体。90年代には帝国データバンクとして利用されていた。
通りに面しているのは3階までで、4階はセットバックしている。
Photo 2001.6.17
大通りに面した建物ではなかったが、半円アーチが並ぶ正面側はお洒落な感じだった。壁面は暗褐色のタイル張り。
建物背面 Photo 1995.6.20
裏側に回ると、避難用の鉄製バルコニーと非常階段が無造作に取り付けられていた。この姿もどこか外国のアパートメント風で格好が良かった。
廃景録 > 第二帝興ビル
第二帝興ビル/新富1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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