10/07 早稲田大学51号館 2(屋上からの風景)
10/10 早稲田大学51号館 3(都心の高層ビル風景)
10/16 小江戸、佐原で船に乗る(運河と利根川)
10/27 佐原駅周辺(駅前商業地の盛衰)
10/30 西武新宿線(電車の顔立ち)
新型電車はなんだか愛嬌のある顔立ち。
西武新宿駅にて 30000系
Photo 2009.4.5
電車っていろんな顔をしている。ちょっと怖い顔、すました顔、とぼけた顔。最近はおすまし系が多い気がしていたけれど、この電車はちょっとおとぼけ系。だけどなんかいいです。この30000系はスマイルトレインっていう愛称らしい。
乗ってしまえば別に顔なんて気にならないし、分かってないことも多い。機能さえ満たせばどんなでも構わないことは確かだ。でも、電車という機械に親近感を感じさせる上では、顔立ちはやはり重要な要素じゃないかと思う。
ヨーロッパなどで電車に乗ると、外観も車内もなんだかとても格好がよいことがある。清潔さは日本の方が上なのだが、デザインの格好良さは、90年代はまだあちらの方が上だった。最近は日本の電車も列車も格段に格好が良くなりおしゃれになってきたが、意外に一般の人はそれらに目を向けていないように感じる。そんなことどうでもいいという感じ。
西武新宿駅にて 左:20000系、右:新2000系
Photo 2009.3.31
でも小さな子供には、そういうことの方が大事だったりする。子供は言語的な評価軸をまだ持ち合わせていないのか、外観などの直感的要素に反応する。他の評価軸をまだ理解できないのは分かっているから、大人も子供には、先頭車両を見せようとする。大人が喜々として電車を見ていると、子供っぽいと思われてしまうが、子供はもちろんそれが許される。世のお父さん方は子供をだしにして自分が電車を見ていたりすることも意外にあるけれど。
交通機関は機能性や利便性、安全性などが重要視される。それらはもちろん非常に大切なことだが、最低限であって全てではない。車内の快適性も、冷暖房の性能や静かさ、椅子の広さといった数値化できる類はもちろんだが、それだけではなく見た目の美しさや格好の良さにも目を向けたい。
西武鉄道30000系車内
Photo 2009.4.5
内部の車輌連結部は大きなガラスドアを使っていて開放的で明るい印象。強化ガラスだとは思うけど、満員で圧迫されても大丈夫なんだろうか。同じようなドアの電車が副都心線にも走っていたけど同じ製造元なんだなぁ。
Wikipedia > 西武鉄道、西武30000系電車
西武20000系電車、西武2000系電車
#鉄道
3ヶ月前の蔵出し、つづき。Photo 2009.7.28
電車が1時間に1本程度しかないので、帰りの時間を気にしながら駅付近の商業地を足早に歩く。あの~、その~、伝統的建造物群の街並みは観光でそこそこ賑やかだし、キレイになってはいるんですが、駅周辺の商業施設はどうも廃れてしまってるようでした。
呉服の山田屋
1階の右側半分は灯りが点いていてお店として営業しているが、左側はやっていないようだし2階は外から見る限りがらんとしている。外装もくたびれていて3階にはネットが掛けられていて寂しい感じ。
丸越百貨店を囲む建物
丸越百貨店は右手奥の角地1Fでまだ営業している模様。Google Mapでみると写真の建物はその丸越百貨店をL字型に取り囲む別の建物のようだが、ともかく人の気配のない大きな建物が街中に佇んでいる。
丸越百貨店西隣
こちらも1階は使われているのかもしれないが、2階以上は使われていない模様。上のL字型の建物と同一らしい。
清見屋(せいみや)
こちらは完全に廃墟。Wikipediaにも記載されているが、成田市の郊外などに大型SCができて周辺市町村からも車でそちらに行くようになってしまったとかで、2004年に廃業したのだそうだ。結構大きな建物が放置されているのは残念。
佐原の駅前には十字屋という地元百貨店もあったそうだが、こちらは1997年に閉店した後、建物も取り壊されて更地になり跡形もない。駅前がやけに殺風景だったのはそのためだったようだ。
む~ん、駅周辺には賑やかなお店がほとんどない・・・。社会構造の変化が、都市にも大きく影響を与えるのだということを改めて感じる。産業構造の変化で工場依存の都市がゴーストタウンになるのは以前から知られているが、一つのSCによって中心市街地がここまで衰退してしまったのにはやはり驚かされる。
ただ、車に乗ってる人々はさほど困らないんでしょうなぁ。むしろSCができて便利になってるのかも。問題は車を持たぬ人々で、特に高齢者。でもSC行きのバスなどがあるのなら、それもある程度解消されてしまう。商業の中心が駅前から郊外に移ってしまったというだけなのか・・・。
市街地の拡散は都市基盤を維持管理する上はコスト増で、良いことではないはず。だから最近の趨勢はコンパクトシティ。しかし首都圏周辺の都市ではまだ自動車中心の拡散傾向がどうやら続いている模様。それへの対策はとられ始めているのかもしれない。でもそれが形になって現れるのは10年ぐらい先のことだろう。
伝建地区の街並みや遊覧船は良かったけど、最後になんだか複雑な気分にさせられた佐原のまちあるきなのだった。
Wikipedia > 清見屋
#古い建物 千葉県 #街並み 千葉県 #商業系 #デパート・百貨店
かなり前のことになってしまったが、せっかくだから蔵出しで。
Photo 2009.7.28
小野川遊覧船
佐原は利根川南岸の町。江戸期以来、舟運で栄えたといい、昔はこの地方の中心都市だったそうだ。舟による物資の輸送は衰退してしまったが、今でも町なかにはいくつかの運河・堀割があり、近年は遊覧船が運行している。
定員は船頭のおばちゃんも入れて13名。3艘に分乗して川を下る。
遊覧船から小野川の眺め
水面近くから街並みを眺めるのも新鮮な体験。川沿いの道の拡幅により、以前より川幅が狭くなっている場所もあるそうだが、江戸期の石垣や船着き場もところどころ残っており、往時の風景をしのばせる。
小野川水門
天候などの状況が許せば、舟は水門をくぐって利根川まで出て行く。
小野川排水機場
利根川と小野川の間には水位差が生ずる場合もある。雨が降った時、利根川に水が出て行かないと洪水になってしまうので、ポンプで小野川側の水を揚げ、利根川に強制的に放流させるべく、水門のわきには排水機場がある。
利根川
利根川にちょっとだけ出て、水面をぐるっと回って、またもとの小野川に戻る。遠くにぼんやり見えるトラス橋は鹿島線の鉄橋。天気が良ければ鹿島臨海工業地帯を望むことができる。
やっぱり利根川は大きいなぁ。このあたりでは川幅が500m以上あって水もたっぷり。風が強いと波が立って、小舟では危険だそうで、利根川に出られる機会はそうそう多くないのだそうだ。なかなか運が良かったんでないの? 貴重な体験でありました。
#街並み 千葉県 #海・川・池 #船 #橋
昨日掲載の51号館屋上の景色、遠方に写っているビル群をよく見てみると、約20年前の東京の超高層ビル群風景は、今とはかなり違うことに気づいた。現在と比較してみたいところだが、屋上に出られなくなっており、同じポジションでの撮影は難しい。そこでとりあえず1988年時点の建物を写真に記入してみた。
早稲田大学51号館 屋上から東南方向
内幸町・日比谷、永田町、赤坂、新橋方面
所在地:新宿区大久保3-4-1
Photo 1988.8.24
一目見て、超高層ビルがまだ少ない。驚いたのは国会議事堂が比較的はっきり見て取れること。現在は見えなくなっているのではないかと思う。また平河町にあったNHK分室の鉄塔もぼんやり見えている。
Google Map上で線を引いて当時の超高層ビル一覧と見比べると、多くのビルが特定できた。左方、第一勧銀とフジテレビの間の数棟は、霞ヶ関の中央合同庁舎5号館、内幸町の日比谷国際ビルと富国生命、西新橋の日比谷セントラルビルあたりだと思われる。
早稲田大学51号館 屋上から東南方向(上写真の右側)
浜松町、芝公園、六本木、三田・田町方面
Photo 1988.8.24
視線を少し南へ移すと、東京タワーが見える。東京タワーは今でも51号館から見えるはずだが、20年前のように足下の方までは見えないのではないかと思う。もしかすると大展望台も見えないかもしれない。
アークヒルズと重なって見えにくいが、TBSの鉄塔もぼんやりと見える。NHKの鉄塔もTBSの鉄塔も現在はない。たぶん90年代に取り壊されたのだろう。大久保から三田の方のビルが見えていたのも驚きだった。森永プラザビルヂングは田町の駅前にあるビルだが、今ではさほど背の高いビルではない。六本木界隈に多くのビルが建ったので、こちらも現在はほとんど見えないのではないかと思う。
毎日のように超高層ビルの風景を眺めていると、あまり変化に気づかないのだが、こうして昔の写真を見ると、いつの間に・・・と思うことしきり。昔、私が見ていたスカイラインは、今と比べるとかなりのんびりした風景だったのだなぁとつくづく思う。
#早稲田大学 #大学 #眺望 #パノラマ #高層ビル
早稲田大学51号館 屋上
所在地:新宿区大久保3-4-1
建設年:1967(昭和42)
構造 :RC+SRC
階数 :18F・地下2F・塔屋2F
設計者:安東勝男
Photo 1988.8.24
私が学生だった頃(20年近く前)は、51号館の屋上に出ることができた。18Fから階段を上って鉄製の扉を開けると、何もない屋上にいつでも出られた。大学院生になると、51号館の中に建築学科の研究室があったため、わざわざ屋上に行かずとも新宿などの景色を眺めることができたので、屋上に出ることは少なくなったが、学部生時代には、授業の合間や夕方などに何度か屋上に行って景色を楽しんだものである。何度か不幸な事故・事件があり、また屋上に実験観測装置が置かれたりしたため、90年代の中頃に屋上は立ち入り禁止になってしまった。
左方は東側階段室からの屋上出入り口。51号館は高さが60m以上あるので、両端部の階段室と中央の機械室の頂部に航空障害灯(低光度赤色航空障害灯)が取り付けられている。150m未満なので明滅はしない。だがこのランプがあるのは超高層ビルの証のようでもあり、入学当初は印象的に感じた。実家の方にも航空障害灯が付いた建物が無くはなかったが、近くで身近に見る機会はなかった。田舎者にはこういうのがもの珍しかったのさ~。
51号館屋上から新宿方面
Photo 1988.8.24
周囲にあまり眺望を遮る建物がない場所であり、また西新宿も比較的近いので、夕暮れ時などは新宿の超高層ビル群の夜景が美しい場所だった。
1988年時点では、都庁も恐らくまだ基礎工事の段階だったはずだ。ビル群の中央、安田火災海上(現 損保ジャパン)と新宿野村ビルの間に隙間があるが、ここに都庁の第二本庁舎と第一本庁舎の一部が後に見えるようになった。左側で建設中なのは新宿エルタワー。そのわきで工学院大学も建設中だった。南口方面のサザンテラスやNTTドコモは、この写真より10年ほど後に完成したので、その方向へは全くレンズを向けていなかった。
現在でも各研究室からはもちろん遠方を眺めることができるが、それ以外には両端にある階段室と、エレベーター北側のトイレスペースから辛うじて景色を眺めることができるのみである。
屋上にカフェを作ったら賑わうんじゃないかとちょっと思うのだが、いまどきの学生は、景色を見るためにわざわざ高い場所に行ってお茶したりはしないのかもしれない。だが、結構良い景色なのに使わないのは、やはりちょっともったいない気がする。
#早稲田大学 #大学 #古い建物 新宿区 #眺望 #夕景・夜景
#高層ビル #安東勝男