02/01 昇降機を体験する(銀座奥野ビルの古いエレベーター)
02/02 八重洲1丁目(東京駅東側の用途混在の街)
02/04 街中でクルマを見る(絵になる風景に出会う時)
02/05 COREDO日本橋(巨大な建物)
02/06 高田馬場の看板建築(早稲田通り沿いの街並み)
02/07 3丁目の斜面地と階段(高田馬場三丁目)
02/08 さかえ通り(高田馬場の西側)
02/09 東京電力目白変電所
02/10 鉄塔に萌える(西武線上空の送電線)
02/12 有楽町・東宝食堂ビル(失われゆく近代建築)
02/14 丸ノ内八重洲ビルヂング1(失われゆく近代建築)
02/15 丸ノ内八重洲ビルヂング2(失われゆく近代建築)
02/16 早稲田大学大隈講堂 その4
02/17 丸の内の変貌(皇居二重橋前から見た丸の内のパノラマの移り変わり)
02/18 有楽町 三信ビル(失われゆく近代建築)
02/19 ポケットパークが多い町(百人町・都営戸山アパート)
02/19 都営戸山アパート第一給水塔(百人町・都営戸山アパート)
02/20 「新宿村」あたり(北新宿再開発地)
02/21 銭湯の背景画(職安通り拡幅工事)
02/23 新井薬師前駅北口(わずかに残る古い建物)
02/25 ルイヴィトンの昼と夜(銀座・外装にこだわった建物)
02/28 銀座ミキモト2(新しい構造の建物)
お正月の新聞にミキモト2が銀座にできたと一面広告で載っていた。中央通りのミキモトの他に、銀座にもう一つお店ができたんだそうな。
銀座ミキモト2
所在地:中央区銀座2-4-12
階数 :9F+B1F
建設年:2005.12
設計 :伊藤豊雄
Photo 2006.1.28
建築系の雑誌には、伊藤豊雄さんの設計で完成し云々と書かれていた。伊藤さんと言えば、仙台メディアテークやTOD'S表参道などで、新しい構造デザインからも建築を考えている方。どうやらミキモト2もその流れの延長線上にあるらしい。気になったので銀座に行ったついでにちょっと見てきた。
Photo 2006.1.28
まず最初に気になるのはやはり窓の形です。おむすび型みたいな窓が、フロアーとかも関係なくランダムな感じで全面に。TOD'Sの方は、コンクリートの躯体がケヤキの幹や枝のようになっていて、残りの部分が窓という感じだったけど、ミキモト2の方は外壁が面のようになっていて、そこにおむすび型の窓穴が開けられている感じ。
Photo 2006.1.28
不思議なのは、下から上まで外壁に継ぎ目などが全然見えないこと。雑誌で読んだところによると、この外壁は二枚の鋼板の間にコンクリートを流し込んで固めたものらしい。鉄筋コンクリートの場合は、中に鉄筋が入っていて、コンクリートが固まったら外側の木製の型枠を外してしまう。ところがこの建物では、コンクリートの型枠でもある鋼板をそのまま構造体として使っているという。鉄板は錆止めの塗装がしっかりされていて、表面は滑らか。鋼板相互が溶接されているため継ぎ目が全く見えないのだという。
船の船体などは溶接でできていて、100m以上あるような大きな船も溶接で組み立てられているが、それを四角くして垂直に立てたようでもある。大きな船ができるのだから出来ないはずがない、ということかもしれないけど、結構大変だったのだろうなこれ。
入口付近 Photo 2006.1.28
外壁が鉄板とコンクリートでがっちり出来ているので、あとは内部に床を張るだけ。この建物、壁が全体を支えていて、柱というものが無い。壁の厚さはわずか20cmほどだという。構造的に問題がない範囲であちこちにおむすび型の窓があけられている。窓枠の箇所に壁の厚さが表れてます。
入口付近夜景 Photo 2006.1.22
あー、こういう考え方があったかー、と驚かされる。出来上がってしまえば、ふーん、確かにそうすれば出来るよねーと判るのだが、普通は到底こんな構造を思いつかないんじゃないだろうか。やっぱり建築家が考えることは違うなー、日々新しい建物のデザインを考えてると、こういうことを思いつくんだろうなぁと感心するばかり。
しかも結構美しい。かっこいい。おむすび型の窓は銀座の他の建物とは全然違うけど、全体のプロポーションはスクエアで、ソリッドなスタイルは銀座の街並みにもちゃんと合ってる。ブランドイメージとしての高品質な感じもちゃんと表現されている。数年したら、表面の塗装が剥げて、錆びて汚くならないかという点はちょっと気になるけど。
Photo 2006.1.22
夜景もきれいだ。最近は光の箱のように輝くガラスの建物が増えているけど、直方体から光が漏れ出す様子は、オフィスのような均質なモダニズムとは異なる美しさを持っていると思う。
ああ・・・、ですが、この建物も内部の方にはご縁がありませんです。ハイ。建物は好きだけど、冷やかしで入って、キョロキョロ見てるだけってのも申し訳ない気がするので、中には入ってません。「なにかご案内致しましょうか?」なんて言われたら困ってしまうから入れない、というのが正直なところですが・・・。
ミキモト2に関するHP
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#新しい建物 中央区 #商業系 #夕景・夜景 #伊東豊雄 #21世紀 #平成期
最近の銀座にはちょっと面白い建物が増えている。一昨年、銀座にできたルイヴィトン並木通り店もその一つ。
所在地:中央区銀座7-6
建設年:2004.9
設計:青木淳
Photo 2005.6.12
昼間に訪れると窓がほとんどない白っぽい箱のように見える。付近には飲食店やバーなどの袖看板が多く取り付けられた雑居ビルが多く建ち並ぶ。しかしこの建物には、LOUIS VUITTONというロゴ文字以外には文字が全くない。また、玄関と1Fのショーウィンドウの他には、数カ所に四角い窓があるが、この他にはほとんど装飾らしいものが見あたらない。
壁面の中には白く四角い部分がところどころにある。小さく白い斑点のようなものもたくさんあるのだが、何だろうこれ? という感じ。ただ、このある意味のっぺりしたシンプルな外観は、周辺の雑居ビル群とは異質であるので、逆にかなり目立っている。
Photo 2005.4.10
しかし、夜になると、この白い箱は不思議な灯りの箱へと表情を変える。建築設計上の詳しいことはよく知らないのだが、excite.ism内の記事によるとこの壁はGRCという石のように見える素材でできていて、その中に透過性のある天然石が嵌め込まれているらしい。そのため内側からの光を通す天然石部分が光ってみえる。光を通す部分も、通さない部分も共に白っぽく、また窓枠もなく、表面がフラットになっているため、昼間はただの白い箱に見えているのだが、夜になると、光がちりばめられた箱になるのだ。ぼんやりと光るさまは形を変えた行燈のようでもある。
全ての壁面を白いパネルとして、そこにランダムに窓を穿ったあたりは、モダニズムで言うところの「自由な立面」の一つの新しい解釈でもあり、現代的モダニズム建築なのかもしれないなと勝手に思った。
GRC=Glass Fiber Reinforced Concrete(ガラス繊維強化セメントコンクリート)
Photo 2005.4.10
建物は面白いなーと思うけど、残念ながら、個人的には今のところ全くご縁がないお店です、ハイ。だから内装の方は全然知らないんだな、これが。
1階には、上の方の窓と同じような大きさの、小さなショーウィンドウがあり、ここにも展示がされている。小さな窓なので、つい近づいて覗き込んでしまうようになっているところがミソ。
Photo 2005.4.10
新聞その他でも取り上げられているが、近年の建築の一つの流れとして、外観の見た目の新しさ勝負みたいなところがあるようだ。内部空間の利用形態とか、そこでの空間の体感を中心にして、そこから外観が出来上がって来るというのが、今までは一つの設計手法として重要視されていたように思う。またそれが「正しい」考え方なのだという信念のようなものがあったのではないだろうか。もちろん今でもそれは大切だとは思われているのだろうけれど、一方で、人目を引く外観に力点を置いた建物も店舗などを中心に増えてきた。銀座や表参道などの場合、建物の外観はブランドイメージをアピールし強化する、一つの媒体として、近年は非常に重要視されている。このため、他よりも高級感がありつつ、上品でなおかつ目立つという、ある意味、明快な目的=デザイン方針を持った建物が生まれるようになった。
そして銀座という、大正期以降にブランド化した場所に、これらの店舗が集中したことによって、銀座は建築的にも面白いものが多く見られる街になったのである。
#新しい建物 中央区 #商業系 #夕景・夜景 #青木淳 #現代建築 #21世紀 #平成期
今回はご近所の建物。西武新宿線を新井薬師前駅で下車し、バスが通る商店街を哲学堂公園方向へ歩くと、信号のある五差路に古い建物が建っている。
Photo 2006.1.27
1階はキク薬局、2階は松井歯科。2階の方は営業しているかどうかよく分からないが、たまに夜、灯りが点いているので無人ではないようだ。木造の看板建築なのだが、狭い脇道に沿った側面にも、同じような窓が付いていて、ちょっとモダンなビルに見えたりもする。
Photo 2006.1.27
玄関の青瓦の庇と赤いランプ、2階の縦長の窓が印象的。洋風の看板建築でも2階の窓は普通の日本家屋風で、戸袋と雨戸が付いていることが多いが、ここの窓は洋風の上げ下げ窓でちょっとお洒落なデザイン。街並みの中で昔から目立っていたのではないだろうか。玄関部分が山型の庇でなく、右から連続した水平庇だったら、モダニズム系看板建築だ。
薬師北口商店街はバス通りで人通りも割合多い。10年ほど前までは2階建ての木造建物が多かったが、最近は建て替えが進み古い建物はかなり減った。木造看板建築も、ファサードが大幅に改築されたものがほとんどで、北口商店街で古い状態を残すのは、このキク薬局と隣の蕎麦屋さんぐらいである。
もうひとつはたまに行く喫茶店。正面から見るとちょっと可愛らしい瀟洒な店構えなのだが、数年前に隣の建物が取り壊されてから、あることに初めて気づくこととなった。
Photo 2005.6.12
実は、お洒落に見えていたのは正面の1階だけで、全体では老朽木造アパートなのでした。側面が見えるようになるまで、後ろ側に二階への階段があるなんて全然知らなかった。道路沿いからでも上を見ればアパートらしきことは分かるのだが、喫茶店の方に目が行っていて全く気づいていなかった。日頃、見てるようで全く見ていなかったことにもかなり驚いた。
しかし不謹慎ながら、次に大地震が来たらまずいかもと思う。今度からお茶するときは気をつけようっと。
#失われた建物 中野区 #古い建物 中野区 #看板建築 #商業系
北新宿と西新宿の境の一帯では、税務署通りの拡幅工事が数年来続けられているが、ここへきてようやく大半の建物の立ち退きが終わり、道路の様子がよく分かる状態になってきた。沿道では超高層マンションへの建て替えや、昨日も記した超高層オフィスを含む市街地再開発事業が行われている。
数年前に来たときに見た沿道の老朽建物群は殆どが無くなっていた。幹線道路沿いに老朽建物が建ち並んでいる場合、たいがいそこには道路拡幅等の都市計画が存在する。計画があるので、建て替えもままならず残されてしまっているのだ。税務署通り沿いの建物群もそのような状況下で残されていたが、6年の間に状況はかなり変わっていた。
ところが、通りを歩いていくと、いくつか奇妙な建物が現れてくる。
Photo 2006.2.18
道路が造られる場合、たいがい沿道の土地・建物の所有者は補償を元にビルに建て替えたり、土地を手放して引っ越していく。従って沿道の建物は殆どが一新されるのだが、ここでは妙な形で建物の一部が残っている。
大根を切って切り口にラップを掛けたような感じとでも言ったらよいだろうか。そのままでは部屋の中が剥き出しになるので壁をあてがったとしか言いようがない建物が点々と並ぶ。計画道路の境界線に沿って巨大なカッターを動かして、建物を次々に切ってしまった感じ。 このような形で道路が造られているのは初めて見た。ヨーロッパや中国の場合は、煉瓦造や石造なので、道路になる場所だけを壊せば済むが、軸組構造の日本建築は、柱が片方無くなったら梁が落ちてしまって成り立たない。でもここでは半分になった家とか、薄い二階建てが残された。大丈夫なのかな? かなり狭いみたいだけどこの二階って住めるのかしら? だいたい二階に上がれるの?
さて、そのような建物群の中にひときわ異彩を放つ「壁」が・・・。
Photo 2006.2.18
最初に見たときは、正直言って何なのか分からなかった。裸体の女性が二人佇む爽やかな壁画(ちょっと東郷青児風)。何故こんなところに? と思った直後、背後の煙突を見て、全てを了解。なんと銭湯の浴室が壁を残して解体されていたのである。浴室の内壁はいつのまにか外壁になっていた。よく見ると、切られた梁などにはちゃんと蓋がしてあり、完全に外壁として今後も使うつもりであることが分かる。壁画の中央下部には引き戸が取り付けられ、外への出入口になっている。フェンス越しにちょっと覗かせてもらうと、浴室は洗濯物を干す庭になっていた。
Photo 2006.2.18
Photo 2000.4.16
帰った後、昔の写真を見てみたら、偶然にも「吉野湯」というこの建物を撮っていたことがわかった。この写真から考えると、この壁画は正面奥にあり、男湯と女湯にまたがって描かれていたことはほぼ間違いない。壁画の裏側に接した建物が道路予定地外だったため、この壁だけが残されたのかも知れない。
お時間のある方はいちどお訪ね下さい。写真で見る以上に奇妙な景色です。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #銭湯
北新宿に新宿村というところがある。ほんとの村ではない。飲み屋でもない。
正体はダンスや音楽の練習スタジオ。業界の人なら知る人ぞ知るスタジオらしい。私はその分野の人ではないので、以前は全く知らなかった。だがこの界隈を歩くと、住宅街なのにやけに若い人が沢山連れ立って歩いて行く。再開発途中でフェンスだらけの路地を、明らかに目的地を持って歩いているので、何かがあることはすぐ分かった。
Photo 2006.2.17
Photo 2006.2.18
新宿村スタジオのHPを見てみると、結構たくさんの大きな部屋があることがわかる。演劇やミュージカルのけいこ場として使われていたり、バレエ教室や合唱団の練習場所となったり、かなり幅広く使われているらしい。ちょっと見ている間にも、頻繁に車が来て、楽器や道具を下ろしたりしている。駐車場で大道具を作っている人もいたりする。華やかな音楽や舞台、テレビの世界を支えている一つの拠点でもあるようだ。狭い路地のそこここに次々に建てたり増築したらしく、いくつもの建物が複雑に建ち並んでいる。空地の中に忽然と建つ姿は怪しい砦のようでもある。
Photo 2006.2.17
さて、この場所は税務署通りの拡幅に絡んで、市街地再開発が進行中である。既に一部では中層のマンションが建ち始めた。超高層のオフィスや住宅も造られる予定である。新宿村は、現在の建物は解体されるものの、再開発地に新しく場所が確保されるようだ。都心でこのような拠点はそうそうあるものではないだろう。新宿が抱える多様な文化の一拠点としてうまく存続していって欲しいと思う。
Photo 2006.2.18
訪れたときにはちょうど道路の舗装作業が行われていて、熱を持ったアスファルト路面への撒水で湯気が盛大に上がっていた。ここも激変してゆく。
Photo 2006.2.18
あたりの建物はほとんど無くなったが、神社のお社だけは残った。超高層ビルと空地と神社というのはかなりシュールだが、これも東京ならではの風景。どうやら再開発後もここにこのまま残されるらしいのでひとまず納得。神社は土地に密接に繋がっている。
#失われた建物 新宿区 #街並み 新宿区
百人町の戸建て住宅地の西はずれには、給水塔が忽然とそびえ立っている。
都営戸山アパート第一給水塔
建設年:1949(昭和24)
高さ:54m
灰色のコンクリートの六角塔は、最近のスリムな給水塔に比べてガッシリしており、蔦も絡まりかなりの迫力がある。見知らぬ街でいきなりこういうものに出会うと、監視塔のように思えて、ちょっと恐くなったりしてしまう。悪いことをしているわけではないのだが、上から見下ろされているような気がして、畏れを感じてしまう。
頂部には小さな小屋も付いている。内部の階段を使って上部まで行き、そこから外のハシゴを使って先端に辿り着くらしい。錆び付いたハシゴが張り出す姿もおどろおどろしい感覚を呼び起こす。
数年前までは地区の東側にももう一つの給水塔が建っていたが解体されたという。この給水塔も将来的には役目を終え、解体されてしまうのかも知れない。
新宿区百人町は、立ち退きが進み解体されゆく風景と、老朽化しつつも立ち続ける給水塔が印象的な街だった。
Photo 2006.2.5
2006.9.19 追記
癸卯雑識という給水塔を中心としたBlog内の記事によると、2006年7月に、この第一給水塔の解体が始まったとのこと。10月末までの工期で解体が行われているらしい。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区 #塔 #公営・公団・公社・公立住宅 #昭和戦後期
高田馬場周辺から南下して百人町へ。この界隈は、いわゆる団地と戸建ての密集住宅地になっていたが、最近は団地の建て替えが進み、新しい中高層のアパートメントが増えている。戸建ての住宅地の方も少しずつ立ち退きが進み、そのうちにこちらも中高層アパートの街になるのかも知れない。
立ち退きは個別に始まっている。引っ越し後、建物は解体され更地にされるので、百人町にはあちこちに空地ができている。その内のいくつかはフェンスで囲まれて、道路予定地とか公園予定地(新宿区)という立て札が立てられている。しかしフェンスで囲むだけではあまりにも素っ気ない。またここではそのような土地がかなり増えてしまっている。そこで空地の一部はポケットパークとして整備されている。
もともとポケットパークは、児童公園程度の広さの土地を確保することが大変な場合に、窮余の策として街角に暫定的に造られたようなもの。それが再開発等の整備予定地ではあちこちにできてしまう。ポケットパークがそんなにたくさんあってもあまりありがたみはないのだが、暫定措置なので仕方ない。ここではポケットパークで囲まれてしまったようになっている妙な家まで存在する。激変しつつある町の過渡期の姿。
住宅地というのは適度な密度がないと、うまくコミュニティが成立しない。ただ今回気が付いたのは、必要な密度とか間隔は、必ずしも数値的なものではない、ということ。
百人町のような密集地の場合、立ち退きが進み、空地が増え人口が減ると、地区全体での人口密度は、数値上は郊外の住宅地などと似たようなものになるかも知れない。しかし空間面から見たとき、建物があちこちで歯が抜けたようになっていて、断絶した箇所ができてしまっている。初めから隣棟間隔をとって低密度で建てられている郊外住宅地と違って、本来は高密度に密集していたところから、パズルのピースを抜くように建物が除却されると、本来の姿が崩れたような印象を受けてしまう。コミュニティ内の人々も、急速に街の構成員及びその建物が抜けていくため、近所つきあいの喪失感を覚えるのではないだろうか。密度が減じて快適になるわけではなく、むしろ人が減って寂しく感じられる。もともと人が多く賑やかだっただけに、人けのない空地の増加は、寂しさを増幅させる。
地区の東側には西戸山タワーホームズの超高層マンションが見える。空地と木造住宅と超高層マンションの取り合わせは、意外なことに東京ではあちこちで見られる景色。相変わらず違和感や疑問を持つ景色だけど、永遠に建設中の街、東京らしい景色と言える。
Photo 2006.2.5
#街並み 新宿区 #広場
皇居前に行ったあと、更に足を伸ばして夕暮れの中、三信ビルへ。拙HP内のTokyo Lost Architectureでも、三信ビルは既に取り上げているが、テナントの多くが撤退を始め、いよいよかという雰囲気になってきたので、改めて見に行ってみた。
やはりこちらも玄関先に「テナントの迷惑になりますから写真撮影はお控え下さい」と書いてあった。新聞などで取り上げられたこともあって、土曜の夕暮れにも関わらず、次々に見学者が訪れている。丸ビルもそうだったが、この建物も多くの人に愛されたビルだったに違いない。ただ三信ビルの場合、そこで働いていたという人だけでなく、アーケードの美しさに惹かれて何度も訪れる人が多い気がする。男性に連れられてやってきた女性が、アーケードに入るなり上を見上げ、うわぁきれいと、感嘆の声を上げる。古くても良いものは良い。
この建物についても、老朽化、耐震性の不足が言われて建て替えが決定しているが、やはり企業的には土地の有効活用が建て替えの実質的な目標であろう。現行の制度下では、残す手だてはやはりないのかなぁと、これまた残念。
今回はHPでは取り上げていない部分を少し。まずは外観から。
所在地:千代田区有楽町1-4
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:SRC・8F+B1F
設計 :松井貴太郎(横河工務所)
備考 :2004建て替え決定
Photo 2006.2.4
左は建物の北側の様子。あまり北側の写真は見かけないし印象もなかったのだが、改めて見てみると横連窓のモダンなファサードになっている。その部分だけ出っ張っていたりして、もしかすると増改築等をしたのかもしれない。この建物の歴史を詳細には知らないのでその辺は不明だが、北側の採光を良くするために、最初から横連窓で窓を大きく取っていたとしたら、なかなか先進的な建物だ。
右は西側の玄関部分。昔より道路際の階段の段数が増えていると、昔を知る人が言っているそうだ。道路の方が地盤沈下したためかもしれない。たしかに基壇部分がやや不自然である。
壁面詳細
1、2階の壁面に貼ってある石板は、それぞれ4本のボルトで留められている。ウィーンにあるオットーワグナー設計の郵便貯金局他でもパネルがボルトで留められたりしているが、ちょっとそれに似ている。
さて内部を改めて見る。何度来てもいろいろ発見があるが、今回は通路上部の装飾。
エレベーターわきの通路上部の装飾
アーチ型の中に、鳥が羽を少し広げて通路を見下ろす形の紋章が付けられている。アーケードのアーチ部分にも鳥の彫像があるが、現代の建物にはこのような装飾はあまり付かないので印象深い。再開発建物にも、このようなディテールを是非存続させて活かして欲しい。
三信ビル その1 その2 その3 その4
2007.1.20の様子(追記)
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #近代建築 #昭和戦前期 #松井貴太郎(横河工務所)
丸の内に行ったついでに皇居二重橋前に久しぶりに行ってみた。
Photo 2006.2.4
ここから望む皇居の風景には変化がない、というか変化があったら大問題で大騒ぎだ。例えば上の写真の正面奥にひょっこりと超高層ビルが見えてしまうような事態は、さすがに誰もが認めないだろう。石橋と鉄橋が架けられて以降、変わらぬ風景。変わらないことが安心とか信頼、ひいては信仰のようなものを生むんだなと、改めて確認。
でもって、そこから目を転じて振り返ると・・・。
ここ十数年のうちに様変わりした景観が目に入ってくる。
Photo 2006.2.4 皇居二重橋前より丸の内のパノラマ
Photo 1991.10.13 皇居二重橋前より丸の内・15年前のパノラマ
(二点ともクリックすると拡大します)
残念ながらこれ以前の同所からのパノラマ写真は撮っていないが、この15年だけを比べても丸の内界隈には超高層ビルが増え、白砂青松の景観の背景が大きく変貌していることが判る。大きく目立って見えるものだけでも、新たに丸ビル、丸ノ内My Plaza、DNタワー21などが建設された。最近でも三菱商事ビル(114m)がほぼ完成、新丸ビルは丸の内では最も高い197mで建設中、更に東京駅の八重洲口側では、200m超の超高層オフィス二棟の建設が始まっている。
丸の内から大手町にかけてのエリアでは、この15年ほどの間に、十数棟の建て替えが行われ、二重橋前からの景観は松の向こう側に超高層ビルが林立するものに変わった。こうして写真を見比べてみると、特に東京駅に近い丸の内2丁目近辺に新規に建設されたビル群が、山のように景色の背後に建ち並び、街のスカイライン景観をかなり変化させていることに気づく。
1991年時点では煉瓦色の東京海上ビル(1974年竣工・写真左方)が目立っていたが、今では周辺のビル群の中に呑み込まれ、あまり目立たなくなっている。東京海上ビルは建設時には丸の内界隈で最も高く、丸の内景観論争で皇居周辺の美観論争の対象となった建物。論争の結果、当初設計より若干低くし、100mをわずかに切る軒高で建設された経緯を持つが、150mを超えるビルが周辺にどんどん建つ有様を見ると、その当時の議論は一体何だったのかと思う。結果的に、東京海上ビルは丸の内の超高層化への扉を開けることになったのかも知れない。そして今後数年内に、丸の内マンハッタン計画で描かれていた、高さ180m程度の建物が林立する景色が出来上がる。
皇居前には海外からも多くの観光客がやってくる。外国人はそこで、お濠と橋の向こうに、皇居という立ち入ることができない空白のような中心があり、それが東京・日本の中で強い求心力を発していることに興味を覚えるという。二重橋の写真の風景に「Japan」を見るわけだ。彼等が皇居を見た後、振り向いて見る風景は、皇居と同じように日本を代表する景色になるだろうか?
そもそも日本の中心の東京の、そのまた中心の丸の内の美観ってどんなものなんだろう?
#東京新旧写真比較 千代田区 #街並み 千代田区
#パノラマ #広場 #橋
#オフィス