03/01 銀座ワインハウス
03/03 京橋ビルディング・福井銀行東京支店
03/07 新宿御苑 旧大温室
03/09 外苑東通り・市谷薬王寺町 1
03/11 外苑東通り・市谷薬王寺町 2
03/13 外苑東通り・市谷柳町
03/23 船の科学館展望台から 1
03/25 船の科学館展望台から 2
03/27 船の科学館展望台から 3
03/29 船の科学館展望台から 4
03/31 船の科学館展望台から 5
東京新旧写真比較(1994/2010) No.056 船の科学館展望台から 5
船の科学館展望台から 東京港海底トンネル・品川埠頭・天王洲方面
所在地:品川区東八潮3-1
Photo 1994.6.11(マウスオフ)
Photo 2010.3.10(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
天王洲については1994年時点で既にある程度開発が進んでいたため、中央やや左の奥には多くの高層ビルが既に建っている。左端の運河は京浜運河と東京港をつなぐもので、新幹線の引き込み線と若潮橋が奥に架かっている。左方の煙突は品川火力発電所のもの。
中央奥にうっすら見える高いビルは品川プリンスホテルの新館(現メインタワー・1994年竣工)。海上を行く船の上方に薄く見える中央が出っ張ったシンメトリーなビルが品川駅前のパシフィックホテル東京(現SHINAGAWA GOOS)。右方の奥に上部だけが見えているのはどうやら恵比寿ガーデンプレイスのようだ。1994年頃はまだ都心部の高層ビルも数が少なかったので、意外に遠くのビルまで見通すことができていた。
2010年までには、品川駅東口側の港南エリアに品川インターシティや多くのマンションなどが建ったため、そのあたりが壁のように立ち上がり、品川駅西口より西側のビルはほとんど見えなくなっている。ただ、この界隈は羽田空港の空域による高さ規制があるため、ビルの高さは総じて100m程度までになっており、突出して背の高いビルはない。逆にそれだからビル群が壁のように連なることになっている。
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#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 品川区
東京新旧写真比較(1994/2010) No.055 船の科学館展望台から 4
船の科学館展望台から テレコムセンター方面
所在地:品川区東八潮3-1
Photo 1994.6.11(マウスオフ)
Photo 2010.3.10(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
この方角は1994年から2010年の間に建物の建設が進み、かなり様子が変わっている。
1994年当時はループ状に地区内をめぐるゆりかもめの軌道の全体像がよく見えていた。プラレールみたいにエリア内をぐるぐる走らんでも良いのではないかと当時は思ったが、当時は建物がほとんどなかったから向こうの方の駅まで見えていてそのように感じたようだ。実際の埋立地は広大で、都内の他の地域と違って一つ一つの建物もかなり大きく、スケール感や距離感が全く異なる。
2010年に訪れてみたら、ゆりかもめはビル群の間を縫うように走っていた。
中央、球体がある建物は日本科学未来館(2001年開館)。その上方、遠方にわずかに海が見えていて、建設中のゲートブリッジが見えている(縮小写真では判別できないが・・・)。
1994年当時、建設中だったのは、白い外壁のタイム24ビル(1996年完成)と、その後方、ミラーガラス張りのテレコムセンター(1995年完成)。テレコムセンターは2棟が上部で繋がったゲート型をしているが、1994年時点ではまだ建設中で繋がっていない。
このほか新設されたのは、左方の東京国際交流館(2001年完成)、フジテレビ湾岸スタジオ(2007年完成)、右端の東京湾岸警察署(2008年完成)など。
右下に見えている船は、船の科学館の別館として展示されていた、青函連絡船「羊蹄丸」。譲渡されて2012年に愛媛県の新居浜港に曳航され、1ヶ月ほど展示された後、2012〜2013に解体されたという。
船の科学館、 羊蹄丸 - Wikipedia
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#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 品川区
東京新旧写真比較(1994/2010) No.054 船の科学館展望台から 3
船の科学館展望台から パレットタウン方面
所在地:品川区東八潮3-1
Photo 1994.6.11(マウスオフ)
Photo 2010.3.10(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
1994年当時、展望台から東方向はまだ茫漠とした埋立地が広がるだけだった。
1994年の画面中央の道は仮設道路。右側の空地部分が後々道になるわけだが、当時はまだ地下のインフラ工事などをしていたのだろう、そこが道路になる気配はほとんど感じられない。ただその先の遠方に、橋の工事で桁だけが架かっている様子がわずかに見て取れる。
画面内で当時からあるのは、右上、運河の向こう側、フェリー埠頭の都営の倉庫群。それから左方の有明清掃工場(ただしこの時点では未稼働)と、中央やや左側の有明清掃工場サブステーション程度。
中央上部の有明フロンティアビルは建設中(1996年完成)。中央右上部の二つの柱状のものは、建設中だった東京ビッグサイト(東京国際展示場・1995年竣工・1996年開館)。ビッグサイトの逆三角形の部分って、後からジャッキアップしたのだろうか?
2010年になっても画面左側は公園と駐車場などの空地で、建物は少ない。右側に建ったのは東京国際交流館(2001年完成)。中央上部は パレットタウンと大観覧車など(共に1999年完成)。その奥に東京ベイコート倶楽部ホテル&スパリゾート(2008年開業)が見えている。また、東雲方面には超高層マンションなどが増加している。
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#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 品川区
東京新旧写真比較(1994/2010) No.053 船の科学館展望台から 2
船の科学館展望台から フジテレビ方面
所在地:品川区東八潮3-1
Photo 1994.6.11(マウスオフ)
Photo 2010.3.10(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
1994年の写真で、4本のクレーンが立つのはフジテレビ社屋の建設現場。台場界隈にはまだオフィスも商業施設も全くない。当時、ゆりかもめの建設が大詰めの時期だったが、船の科学館駅にはまだ駅舎へ上る階段ができていなかった。
諸々の施設の完成年等は以下。各項のリンク先はWikipediaの記事。
首都高速湾岸線 臨海副都心付近は1984.12開通
台場フロンティアビル 1995.10竣工
ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線 1995.11開通
有明清掃工場 1995.12完成
テレポートブリッジ 1996完成
シンボルプロムナード公園 1996.4開園
フジテレビ(FCGビル) 1997.3竣工
アクアシティ お台場 2000.4開業
トレードピアお台場 2001.2竣工
THE TOWERS DAIBA 2006.8竣工
右遠方に見える煙突は有明清掃工場。台場界隈には地下の共同溝にゴミ収集システムも造られており、開発の早い段階で清掃工場も完成したが、この写真の段階ではまだ稼働していなかったようだ。
フジテレビの現場のクレーンの左側、左奥遠方に霞んでいる高層ビルは明石町の聖路加ガーデン(1994.6竣工)で、ちょうどこの撮影の頃に竣工したようだ。遠方のビルで目立つのはこれぐらいしかなく、都心の超高層化は1990年代後半から急速に進んだことがわかる。
高速湾岸線の東南側は現在も広大な駐車場になっており、ビルはほとんど建っていない。それなのに21年前、界隈は工事中の所だらけだった。今、振り返ってみると、これらは共同溝や区画道路などのインフラ整備の工事だったのだろう。また、フジテレビを含めて、周辺で急速に建設が始まっていたビル群の現場事務所が界隈のあちこちにあったのだろう。
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#東京新旧写真比較 #東京新旧写真比較 品川区 #眺望
東京新旧写真比較(1994/2010) No.052 船の科学館展望台から 1
船の科学館展望台から レインボーブリッジ方面
所在地:品川区東八潮3-1
Photo 1994.6.11(マウスオフ)
Photo 2010.3.10(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
船の科学館は2011年9月末で本館での展示を休止した。現在も南極観測船「宗谷」の展示などはしているが、本館の展望台に行けなくなると同じポイントからの撮影ができなくなるので、その前にお台場界隈の変化を見ようと16年ぶりに訪ねてみた。
1994年時点でレインボーブリッジは完成(1993.8完成)していたが、ゆりかもめはまだ開通していなかった(1995.11開通)ので、この時は品川から海底トンネルを通って門前仲町へ行くバスに乗って行った。台場界隈には船の科学館以外にはまだめぼしい施設もなく、訪れる人も少なかった。
大きな変化は、台場側にいろいろ施設ができたこと、そして芝浦側にも高層ビルが多くできたこと、緑地の木々が大きくなったこと、あたりだろうか。レインボーブリッジは以前は全景が見えていたが、手前右側に、ホテル日航東京(1996開業)と、ホテルグランパシフィック・ル・ダイバ(1998開業)が完成して、現在は一部が隠されてしまっている。
以前は芝浦・芝界隈で目立つビルは、田町のNECスーパータワー(1990竣工)、芝浦の東芝ビル(浜松町ビルディング・1984竣工)、カネボウの三角形のビル(ヨコソーレインボータワー・1995竣工(撮影時は建設中))ぐらいだったが、現在では芝浦の海沿いの埋立地に高層マンションがたくさんできて、それらは埋没してしまった感じだ。
1994年当時、お台場はまだインフラ基盤の整備中で、ガサガサしていていかにも新開地といった感じだった。その後10年ほどで諸々の整備が進み、公園もできてきれいな都市空間ができた。その姿は精緻な都市模型のような感じで、それはそれで興味深いことだが、新開地然とした昔の様子をおぼろげに記憶している身としては、なんだか当時の有り様が懐かしい。
Wikipedia > 船の科学館、ヨコソーレインボータワー
ホテルグランパシフィック・ル・ダイバ、ホテル日航東京
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東京新旧写真比較(2006/2009) No.051 新宿区市谷柳町
外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷柳町交差点付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ)
Photo 2009.4.18(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
外苑東通り市谷柳町交差点の少し南側。拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。
2006年の時点で道路沿いの建物は既にある程度解体されていたので、この写真の中で2006年〜2009年に解体されたのは、ドトールコーヒーが入居していた建物と、その後ろ、そして2軒先の家屋。ドトールコーヒーの隣はパチンコ屋で、2009年にもまだ残されていたが、既に営業はしていなかったようだ。
右端に見えている建物は市谷柳町交差点角にあった建物で、写真の頃には1Fにオリジン弁当が入居していた。左方には新しくビルが建ったため、2006年に見えていた少し後方のマンションは、写真では見えなくなっている。また、バス停は移設されたのか、2009年の写真には見あたらない。
電柱や街灯、電線の類がまだ移設されていなかったため、撮影の位置決めはこれらと後方の建物との重なり具合で行うことができた。道路拡幅が済む頃には、電柱・電線の地下化も進み、街灯も移設されるだろうから、もし次に同じ場所から写真を撮れば、画面のあちこちを横切る電線や電柱が無くなるので、それだけでも様子は大きく変化するだろうと思われる。
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東京新旧写真比較(2006/2009) No.050 新宿区市谷薬王寺町
外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ)
Photo 2009.4.18(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。市谷柳町交差点の一つ南側の横断歩道信号の場所。
2006年の写真中央にあった木造モルタル2階建て商店は、この時点で既にお店をやっていなかったようで、1階北側は車庫になっていた。この1、2年後には解体されたらしく、2009年時点では現場事務所のプレハブが建っている。Google Street Viewで確認すると2014年時点では、このプレハブ事務所も無くなっており、整地作業中となっている。
左端の茶色いタイル張り建物は、通りの拡幅を見越して、5階建てで建てられていたもので、これは現在も沿道に建っている。
定点観測をしようとして1枚目の写真を撮っているわけではないため、仮に自分が撮った写真であっても、正確な撮影位置は記憶していない。従って、2度目の撮影の際には、手がかりになる建物の様子を見ながら、正確な位置を特定するのだが、その際には建物の前後の重なり具合を利用することが多い。二つ以上のポイントで重なり方を同一にできるとかなり合わせて撮ることができる。
この時は前後に重なる箇所があまり多くなかったが、撮影位置は比較的正確に特定できた。ただ、やはり撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みが同一にならず、画像を切り替えると残念ながらポイントがややずれる。
外苑通りの拡幅が終わったらまた撮影してみたいとは思うが、現時点で既にかなり手がかりが減っているため、次回の撮影はやはり難しくなるのではないかと思う。
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東京新旧写真比較(2006/2009) No.049 新宿区市谷薬王寺町
外苑東通り西側
所在地:新宿区市谷薬王寺町4付近
Photo 2006.8.27(マウスオフ)
Photo 2009.4.18(マウスオン)
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)
外苑東通りの拡幅事業によって変化しつつあった頃の街並み。写真は新しい方のものでも6年ほど前のもの。最近近くを通りかかったら、写真手前右端の建物だけでなく、後方の建物も無くなったようだった。
2006年の写真中央は木造モルタル2階建て看板建築の洋品店。その右も木造2階のコインランドリー。右端の2009年時点でも残っていた3階建ての1階は韓国料理店。
現在も拡幅工事は続けられていて、沿道の建物は道路用地になってほぼ消失し、後方の建物も建て替えられたりしている。拡幅後の沿道には14階建て程度の高層マンションが壁のように建ち並んでおり、街並みの様子は数年前とも全く異なる。
2度目の撮影の時点で既に手がかりになる建物が少なくなっていたため、撮影位置合わせは若干ずれてしまった。また撮影機材が異なるため、画面周辺の歪みも同一にはならず、画像を切り替えると残念ながらポイントのズレがやや目立つ。現在は写真中の建物がほぼ無い状況で、電柱や街灯、道路の縁石程度しか手がかりがないため、同一視点からの撮影はかなり難しくなっているのではないかと思う。
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新宿御苑 旧大温室
所在地:新宿区内藤町
建設年:1957/58(昭和32/33)
備考 :2007(平成19)閉鎖・解体
Photo 1991.7.7
一般財団法人国民公園協会のサイト(最新情報 | 新宿御苑 | 一般財団法人国民公園協会)には、「昭和26年(1951)から温室の公開が始まりましたが、観賞用にはたてられていなかった為、改修工事を行い、昭和33年(1958)に、当時としては東洋一の規模を誇る大温室が完成しました。」と記されている。
しかし、環境省の「国民公園新宿御苑について」には、「昭和32年:大温室完成。」と記されている。
建築物としての竣工は昭和32年で、一般公開は昭和33年ということなのだろうか? そのへんの詳細はよく分からなかった。
新宿御苑内には、中国風木造建築である旧御涼亭(台湾閣) や、管理事務所としても使われていた旧洋館御休所など、文化財として保存されている建物もある。大温室は築50年で、戦前からの古い建物ではなかったが、放物線型のアーチを持つ大屋根は美しく印象的だった。
この大温室は施設の拡充等のために建て替えられることになり、2007年に閉鎖され、解体された。同所には新しい温室が2012年に完成している。
Tokyo Lost Architecture
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