都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧カフェー「錦水」・旅館錦水

2024-10-03 | 墨田区  
旧カフェー「錦水」・旅館錦水
所在地:墨田区 墨田3-11-6
構造・階数:木・2
建設年代:戦後まもなく
解体年代:1998〜2000(平成10〜12)
Photo 1994.4.17

 旧玉の井のカフェー建築。下記書籍によれば、かつては「錦水」という名で大店だったという。赤線の廃止後は同名の旅館になっていた。やや狭い路地にあったため全景は写せなかったが、2階バルコニーのコーナー部が丸められているあたりはカフェー建築らしいものだった。また玄関も斜めに引っ込んだ形で、ちょっとお洒落な造りになっていた。

 写真の時もまだ旅館の看板は掲げてあり、住宅地図でも旅館錦水として記載されていたが、90年代末には廃業したらしく、2000年代初めまでに解体された模様。現在、一帯は静かな住宅地になっている。

『玉の井色街の社会と暮らし』日比恒明 著、自由国民社、2010

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #遊興施設  #ホテル・旅館  
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旧カフェー「喜楽」

2024-09-30 | 墨田区  
旧カフェー「喜楽」
所在地:墨田区 墨田3-7-5
構造・階数:木・2
建設年代:戦後まもなく
解体年代:1995〜97(平成7〜9)
Photo 1994.4.17

 旧玉の井のカフェー建築。下記書籍によれば、1953年頃は「喜楽」という名の店だったという。赤線の廃止後は普通の住宅だった模様。一見すると普通の住宅かアパートだが、2階コーナー部の庇が丸くなっているあたりはそれらしい感じだった。

 左奥にも半円状の壁を立てた看板建築があるが、こちらは美容院だったもの。現在はこれも建て替えられて消失している。

『玉の井色街の社会と暮らし』日比恒明 著、自由国民社、2010
鈴蘭荘、喫茶ナナ/墨田3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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旧カフェー「時の家」

2022-12-21 | 墨田区  
旧カフェー「時の家」/U邸
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1994.4.17

 前項の建物の一つ東側の街区にあった建物で、カフェー「鹿島家」の写真左奥にも少しだけ見えている。

 建物への入口が複数あり、バルコニーもある、赤線などに特有な建物で、モルタル塗り洋風ではなかったが、南京下見板張りでペンキ塗りの外観が印象的だった。

 路地の入口には旧遊廓だったと思しき旅館の看板もあったが、周辺はほとんどが住宅やアパートで、知らずに通りかかるとかなり不思議な一角になっていた。

2019.3.16記


2022.12.21追記
 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、かつてはこの建物は「時の家」というカフェーだったようだ。また、赤線廃止後は一般の住宅になっていた(住宅地図などによる)。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系 
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旧カフェー「鹿島家」

2022-12-18 | 墨田区  
旧玉の井・カフェー鹿島家
所在地:墨田区墨田3-11
構造・階数:木・2F
解体年:1996〜97(平成8〜9)
Photo 1994.4.17

 2階にバルコニー状の部分があり、もしかするとここは顔見せ部分として機能することが期待されていたのかもしれない。コーナー部が丸く、裏通りにしては凝ったつくりになっており、不思議な存在感を放っていた。

 『新編「昭和二十年」東京地図』(西井一夫・平嶋彰彦、筑摩書房、1992)によると、旧玉の井遊廓の建物だったとされる。玉の井は関東大震災後に形成された私娼街で、永井荷風が足繁く通ったことでも知られる。当初の建物は戦災で失われ、戦後は若干場所を替えて売春防止法施行まで赤線として営業したという。当時の建物が90年代までは幾つか残っていたが、現在は大半が建て替えられ、当時の面影はほとんど無い。


2022.12.18追記
 『玉の井色街の社会と暮らし』(日比恒明、自由国民社、2010)によれば、この建物は「鹿島家」というカフェーだったそうだ。また、住宅地図などで確認したところ、玉の井遊廓の廃止後はメリヤス工場となっていた。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 墨田区  #商業系  #住宅系  #遊興施設 
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東京割工業

2022-09-18 | 墨田区  
東京割工業株式会社
所在地:墨田区 向島3-5
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 1995.6.11

 革に型押しをする工場だったそうだ。「割工業」という名に馴染みがなく、それが大書してあるのが印象的だった。1階は切妻屋根前面に半円形の壁を立ち上げた看板建築的なファサード。後方はモルタル塗り外壁の入母屋屋根2階建て。入口の引き戸や2階の窓には木製の窓枠が残っていた。

 創業100年にもなる会社で、最近まで活動していたそうだが、2021年に営業終了して解体されたという。台東区、墨田区界隈には革製品関連の会社や工場が多いが、それも次第に変わって行くのかもしれない。

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隅田湯

2022-09-15 | 墨田区  
隅田湯
所在地:墨田区 墨田3-23-16
構造・階数:木・1
建設年:1953(昭和28)
解体年:2022(令和4)
備考 :銭湯としては2016(平成28)年末に廃業
Photo 1994.4.17

 旧玉の井の赤線エリアの北側にあった銭湯。界隈の市街化が進んだのは震災後、また、一帯は第二次世界大戦時の空襲でも被災しているので、建物は恐らく戦後のものだろう。戦前の国土地理院の1/1万地図を見ると、銭湯の建物に引っ掛かるような位置に、現在はない道が東西に通っている。従って仮に戦前に創業していたとしても、この場所で営業し始めたのは戦後だったのではないかと思われる。


 Photo 2017.3.20

 建物は入母屋造りトタン葺き平入りで、入口部分にアーチ型の壁を立て、波打つような庇の下に男女別に入口が並ぶ。後方の浴室部分は切妻屋根。2枚目の写真は廃業後のものなので、自販機も既に撤去されている。
 1990年代に訪れた時には、アーチ型の壁に屋号が大書されていたが、2000年代になってから見たら、2つの入口上のシャッター袋に目立たない感じで書かれていた。アーチ型の壁部分の文字がなくなると、ちょっともの足りない感じ。
 左が女湯、右が男湯。シャッターの色も赤と緑(青?)に違えてあった。


 Photo 2007.5.27

 銭湯建築に詳しいわけではないが、外側の入口を男女別々にしていたのはあまり見掛けない仕様だった気がする。普通は入口は一つで、内側で左右に分かれていることが多い。唐破風とも異なるカーブした小さな庇がそれぞれの入口に付いていたのも特徴的。場所柄を意識したデザインということだったのだろうか。


 Photo 2019.2.16

 廃業後も建物はしばらく残されていて、今年になってから解体されたのだそうだ。


2022.12.20追記
 1953(昭和28)年11月発行の火災保険特殊地図に隅田湯として記載されているので、やはり恐らく戦後まもなくに建てられたものだったようだ。


2024.2.13追記
 コメント欄に書き込んで頂いたように、戦前の隅田湯は戦災で焼失したそうだ。戦後の隅田湯は1953(昭和28)年に別の人が経営者となって開業したものだったという。

【銭湯】墨田区 隅田湯(廃業) | なるとの銭湯ブログ
さよなら隅田湯ー12月31日で閉店しました( ̄^ ̄)ゞ(`_´)ゞ!―サヨナラ3連ちゃんリベンジ②!: 銭湯遍路ー銭湯大好き!-お湯巡り日記

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コメント (2)
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旧カフェー「東洋」

2022-09-12 | 墨田区  
旧カフェー「東洋」/旅館福井/田中アパート
所在地:墨田区 墨田3-2
構造・階数:木・2
建設時期:戦後
解体年:2011〜13(平成23〜25)
備考 :旧玉ノ井のカフェー建築
Photo 2007.5.27

 旧玉ノ井、バルコニーのあるカフェー建築。
 玉の井の銘酒屋街(私娼窟)は主に震災後に浅草のそれが移転してできたものという。1945.3.10の東京大空襲で焼失した後、少し北側に移り、戦後は赤線として1958(昭和33)年の売春防止法の施行まで存続した。界隈はもともと水田地帯で畦道をベースにした道路網が迷路のように広がり、迷宮(ラビリンス)とも呼ばれる街。この建物も赤線時代は本通りと呼ばれた狭い道と小路の角にあった。


 Photo 2007.10.21

 角の側の2階の壁が立ち上がっており、アシンメトリーだったのが印象的。バルコニーも斜めに造られていた。客がやってくる方向を意識したデザインだったのだろう。コーナー部にはかつては屋号の文字があったりしたのかもしれない。


 Photo 2007.5.27

 売春防止法の施行後は売却されて旅館となり、1970年代の一時期は会社の事務所、最終的にはアパートになっていた。雑誌などでもしばしば採り上げられていたが、10年ほど前に解体されたらしい。売春防止法の施行から60年以上が経ち、かつての玉の井の面影を残す建物も次第に少なくなっていく。

カフェー東洋/墨田3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 墨田区  #遊興施設  #集合住宅 
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東武鉄道本社 旧館

2021-12-21 | 墨田区  
東武鉄道本社 旧館(東武館)
所在地:墨田区 押上1-1
構造・階数:RC・4
建設年:1938(昭和13)
解体年:2010(平成22)
Photo 2008.7.19

 タイル張りのモダニズムオフィスビルだったが、別件で通り掛かった際だったため全景は撮らずじまいになった。
 下記リンク先の写真や、2009年時点のGoogle Street Viewを見ると、西南側の角はカーブした壁面になっていて、その東側に新館?があったようだ。戦前期の建物だが、装飾が全くなく、窓は単純な長方形、壁面の出入りもないなど、当時としてはかなりモダンなデザインだったのではないかと思う。しかしそれもあって、まさか戦前の建物だとは思わず、まともな写真を撮らなかったのだった。

 この写真を撮った2008年夏には、既に東京スカイツリーの建設が本社ビルの東側で始まっていた。そしてこの後、押上2丁目に新しい本社ビルが完成したため、この建物は解体され、この場所も含めて東京スカイツリータウンが建設された。

東武鉄道本社旧館/押上1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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東向島のタイル張り住居

2019-03-12 | 墨田区  
東向島のタイル張り住居
所在地:墨田区東向島1-22
構造・階数:木・2F
解体年:不明、大幅な改築のみの可能性もあり
Photo 1993.8.11

 『昭和二十年東京地図』西井一夫・平嶋彰彦 著、筑摩書房 刊、によると「鳩の街」の建物だったとされる。鳩の街は戦後にできた私娼街で、小さな飲み屋の業態で営業していた。近辺には今も当時の建物が数軒残るが、現在は静かな住宅地。

 最近はあまり見かけなくなったが、2cm角程度の小さなタイルを柱に貼り付け、玄関脇の丸柱や角柱を飾り付けるなどし、裏通りにしては凝った建物になっている。また、コーナー部が丸かったり左右対称で出入口が複数ある、などの特色を持つ。

 撮影時、東向島1丁目とだけ記憶していたのだが、その後この建物が、取り壊されたもしくは大幅に改築されて姿を変えたため、場所が分からなくなってしまった。上記の本にも詳細な場所の表記がなく、他の書籍にも示されていなかったため、後になってどこで撮ったのか気になる状態が長いあいだ続いた。

 写真中央の建物が既にないことは諸々の情報で知っていたので、最近になって写真内の他の建物と道路形状から所在地を探してみた。Google Street Viewで探しても一致する場所がないことから、Street Viewには載っていない場所で、かつ小路がT字に交わる場所を見つけ、現場へ行ったところ、左右の建物と交差点内のマンホールの位置が一致。約25年前に撮った写真の場所がようやく分かったのだった(町・番地より細かな部分は表記しない。)。

 ファサードの様子は全く異なるが、建物規模はさほど変わっていない。道路ぎわまで建っていた建物が若干後退したような感じなのは、看板建築状だった前面を取り払ったためかもしれない。だとすると完全な建て替えではなく大幅な改築だったのかもしれないが、当時の街並みは消失したと言って差し支えないだろう。


2022.12.20追記
 戦後のいわゆる赤線だった時代の詳細な地図がないので、当時の屋号などは不明。また、赤線廃止後は商事会社、呑み屋、一般住宅などいくつかの状態に変化しており、当時の人が住み続けたわけでもないのかもしれない。

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スミノ近江屋

2018-06-27 | 墨田区  
スミノ近江屋
所在地:墨田区東向島5-32
構造・階数:木造・3F
建設年:戦後まもなく
解体年:2006(平成18)
Photo 1995.6.11

 玉ノ井いろは通りの東端近くの角地にあったお店。1階が普通の店舗だったため、看板建築状だった2階だけを撮ってしまい、そのため何のお店だったか分からなくなってしまっていたが、ネット情報によれば呉服店だったそうだ。

 私の写真で見ると3階建てのビルのように見えるが、同記事には斜め横からの写真があり、屋根裏3階のようないわゆる看板建築的な建物だったことがわかる。

 近江屋という店名は主人の祖父の出身地が近江だったからという。ならばスミノは名字だろうか?、それとも角地にあったから「隅の」が元だろうか。

 同記事にもあるようにこの建物は2006年に解体された。跡地にはマンションが2007年に竣工している。

玉乃井の呉服店 - Kai-Wai 散策( ← 2022年時点でサイト消失)

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