都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2008年8月 記事一覧

2008-08-31 | 記事一覧 
08/08 刑部邸 2(失われた近代建築)
08/11 新宿昭和館(東京新旧写真比較(1996/2008) No.18)
08/13 新宿松竹会館(東京新旧写真比較(1996/2008) No.19)
08/30 飯田橋の木造家屋(失われた木造家屋)


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飯田橋の木造家屋

2008-08-30 | 千代田区 
飯田橋の木造家屋
所在地:千代田区飯田橋1-12-15
構造・階数:木・2
建設年:不明
解体年:1995〜97(平成7〜9)の間
Photo 1994.7.16

 JR飯田橋駅東口から九段下交差点に至る目白通りの一つ西側の裏通りに建っていた二棟の木造家屋。後方に見えている高層建物はホテルグランドパレス。

 1m弱の石垣基礎の上に建ち、総二階建て。奥の建物は、南京下見板張りで、上げ下げ窓、屋根は急傾斜のトタン張り。オーダー柱などの西洋建築のディテールはないが、洋風家屋である。小屋部分の壁面に会社名が書かれていたとおぼしき鉄板が掲げられていたが、錆び付いていて全く読めなくなっていた。手前の建物も通り側は南京下見板張りで、1階には大きな出窓があり、やや洋風。だが側面は押縁下見板張りで和風の佇まいだった。

 モルタル塗りなどにならず、昔のままの下見板張りの外観だったため、2棟の建物はかなり黒ずんで、周辺の街並みの中で目立っていた。このため、派手なデザインではなかったが、かなり印象に残るものだった。

 当時、裏通りを歩いていて、こういう建物に出会ったのでハッとして写真を撮った。しかしこの北方向からの1カットのみで、南側から見た時にどのような姿だったかは記録し損ねてしまった。その後、2度ほど通りかかったのだが、いつのまにか2棟とも解体され、ビルに建て替わってしまったのだった。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #住宅系  #洋館・洋風住宅  
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新宿松竹会館

2008-08-13 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1996/2008) No.19

靖国通りに面して建っていた映画館。

新宿松竹会館
所在地:新宿区新宿3-15-15
建設年:1958(昭和33)
2006年5月に閉館・解体。
Photo 1996.11.10(ノーマル時
新宿ピカデリー建設中の様子
Photo 2008.1.20(マウスオン

新宿ピカデリー
構造・階数:S・11F
2008年7月オープン
Photo 2008.8.11(Click

 記憶があまりはっきりしないが、新宿松竹会館は4つのスクリーンがあり、ファストフードなどのショップも入居していた大型建物だった。ここで映画を観たのは数回。釣りバカとか文芸系の映画を見たことがある。内部に入ってしまえば何のことはない普通の映画館だった。

 調べてみると、最大のスクリーンはかなり大きく820席、一方最小は44席という小ささだったという。

 ただ私は、歌舞伎町の側からこの建物を見たときのこの無骨な外観(特に上部)がずっと気になっていた。建物の足下を歩いて入口にたどり着くと全然分からないのだが、遠くから見ると、あれは何?、と言いたくなるような形をしている。いまどきのキラキラした建物からは程遠く、かといって戦前の近代建築のようなクラシックなものでもなく、ごっつい外観。

 建物の用途に従って設計をして、外部を飾り立てることなく、内部の空間を隠さずに外観に現した武骨な外観。特に上部は映画館の形そのもの。

 だが結果的にこの外観からは、映画というものについてまわる庶民的な憧れの感覚が排除されているような気がしていた。確かに映画館としての機能は満たしているし、劇場内部の方はこんなに武骨ではなく、古くてもラグジュアリーな空間だったのだが、この外観だけを見ると映画を見ようという気分が少々萎えるものがあった。あの汚い外観の建物で映画見るのー?、あたしイヤよっ、と言われそうなくらい、薄汚れた外観。内部は違ったんだけど。私も含めて庶民としてはやはり、映画という非日常体験をする時に、それを見る空間の周囲も非日常空間であって欲しいと思う。

 その意味では、新宿という街には豪華絢爛系や文芸路線の映画は、今まではどうも似合っていなかった。ギャング映画とか、成人映画など、全体にざらざらした系統の映画でないと街の雰囲気には合わない。見終わった後、外に出て美しい夢の続きを見ることができる街ではないような・・・。すぐに現実に引き戻されるというか、別の現実を見せられてしまう街。

 数年前に早稲田の学生に、新宿と映画について問うてみたところ、女子学生を中心に新宿ではあまり映画を観ないという回答が多かった。周辺の私鉄沿線都市に出来はじめたシネコンで観るか、日比谷・有楽町へ行くという惨憺たる結果だった。少なくとも数年前まではそんな感じだったのだ。

 だが最近は状況が少し変わってきたらしい。シネシティ新宿としてイメージアップに取り組んだから、というのだけでは残念ながらない。歌舞伎町の映画館は、箱自体が現在のところ変わっていないので、さしたる変化はない。

 変わったのは新宿東映の跡にできた新宿バルト9であり、今回の新宿ピカデリーである。新宿区新聞などによれば、新宿バルト9はかなりの集客力をみせているようだ。歌舞伎町には来ないような、若い女性が来ているという。旧新宿松竹会館も、今回、完全に建て替わって、同様に、新宿では新しいタイプの映画館になったようだ。新宿ピカデリーのサイトによれば、4Fから11Fに、115〜580席の大小さまざまな10のスクリーンがある。内部もきれいで、今まで新宿で映画を見なかったカップルも来るようになるだろうなと思われる。

 副都心線が開通した新宿の街は、映画館一つをとってみても次第に変わりつつあるのかもしれない。

 ただ、改めて、新しくできた新宿ピカデリーの外観を見てみると、新宿バルト9が入居している、新宿三丁目イーストビルになんだか似ている。とても繊細できれいな感じなのだが、いまいち印象が強くない建物だなぁ。今さら言うのもなんだが、前の建物の方が個性的で面白かった。上の方で書いた文とまるで矛盾するのだが、新しいのができてみたら、昔の建物の意外な面白さが分かった気がする。

 以前の建物の二倍近いヴォリュームがあるようなので、濃いデザインとか派手なデザインだと街並みを混乱させることになり、それはそれで困るのだが、ここまで無色透明な感じだと、どうなのかなぁと思ってしまうのだった。

映写室からのつぶやき
 > File.37 新宿松竹会館が建替えFile.51 新宿松竹会館メモリアル 1
新宿経済新聞新宿松竹会館、シネコンへの再開発始まる
新宿ピカデリー
Tokyo Lost Architecture

#東京新旧写真比較 新宿区  #失われた建物 新宿区  #映画館・ホール 
コメント (2)
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新宿昭和館

2008-08-11 | 新宿区  

東京新旧写真比較(1997/2008) No.18

Photo 1997.12.18(ノーマル時)、Photo 2008.1.28(マウスオン
新宿昭和館
所在地:新宿区新宿3-35
構造・階数:RC・2F+地下1F
建設年:1951(昭和26)
解体年:2002.4に閉館。その後、解体
備考 :映画館としては1932(昭和7)に開業。

 新宿昭和館は任侠映画専門として知られた映画館だった。だが、今回調べてみたら、そうなったのは昭和40年頃以降で、当初は洋画上映館として開館したのだそうだ。

 昭和館のあった場所は新宿通りから南に入り込んだ一角で、それは甲州街道から北に入り込んだ場所でもあり、表通りからは少し離れた場所だった。駅からは比較的近いが表通りに較べると人通りは少なく、ちょっと怪しげな雰囲気のある場所で、地下に成人映画館があったことも関係があるのか、現在も風俗系の店舗が少し集積する場所である。

 立地や場所が雰囲気を生み出したのか、映画館が場所の雰囲気を創ったのかは定かではないが、3丁目のこの周辺は微妙な空気が漂う場所である。

 2002年に惜しまれつつ昭和館が無くなった後、跡地には小さな映画館と飲食店が入居した複合ビルが建てられた。

 左後方に写っているのは三越新宿店南館。三越南館は1991年開業。上の写真の時にはまだ三越だったのだが、99年に大塚家具に賃貸され、下の写真の時(現在)は同じ外観だが大塚家具となっている。

参考記事
港町キネマ通り新宿昭和館/昭和館地下劇場
神宮寺表参道映画館嗚呼、新宿昭和館
魅惑の昭和館

2009.1.11追記
 2008.12.27に、誤って以前の文章を別のものに差し替えてしまいました。テキストのバックアップが無かったため、オリジナルのものには復元不可能ですが、およそ似た内容の記事を書き直しました。

Tokyo Lost Architecture

#東京新旧写真比較 新宿区  #失われた建物 新宿区  #映画館・ホール  #夕景・夜景 
コメント (3)
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刑部邸 2

2008-08-08 | 新宿区  

 2年前に解体されてしまった刑部人邸。

刑部人邸
所在地:新宿区中井 2-19-3
建設年:1933(昭和8頃)
構造・階数:木2
林芙美子邸東側、2006.4 解体
Photo 2006.2.19

 写真は二棟の内、東側のもの。こちらが刑部人氏の自宅アトリエだった建物らしい。中井駅北側を東西に通っている谷道に面して入口がある。数段の階段の奥、木々の中に可愛らしい建物がたっていた。

 壁はコテの跡が残るスタイルの仕上げ、スペイン瓦が載る、南欧風・スパニッシュスタイルの明るい雰囲気の洋館。

 谷道沿いの風景を見ると、大谷石の擁壁が連なり、大きな木々が並び、そこだけ昔からの風景を残していたことがわかる。長い間の土圧で擁壁は外側に倒れ込んでしまっていた。

 この写真には写っていないが、これを撮ったとき、近くに、スーツ姿で住宅地図を見ながら一所懸命に刑部邸の現状を記録して、写真に撮っている若者がいた。近代建築ファンともちょっと違う雰囲気だったので、声を掛けたりしなかったのだが、今にして思えば、あれは不動産関係者だったのだろう。そしてこの写真のわずか2ヶ月後に建物は無くなってしまったのだ。

 建物外観は、左右対称に近い。菱形の網目になった窓、中央上部の大小3つの窓が特徴的だ。

 Chinchiko-Papalog内の記事には背後(北側)からの写真が載っている。絵を描く際に間接光を取り入れるため、北側の屋根面に天窓があるのがわかる。

刑部人邸/アトリエを拝見する。
下落合を描いた画家たち・刑部人。
刑部人邸/アトリエを拝見する。

 あと、いのうえさんの「漂泊のブロガー2」にも建物内外の記事がある。

刑部邸の見納め   芙美子邸と刑部邸

 拙Blog既往関連記事

刑部人の風景画   刑部邸 1
Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 新宿区  #近代建築  #洋館・洋風住宅 
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