08/20 赤羽台3丁目の階段
08/24 赤羽台3のアプローチ階段
08/26 赤羽台4丁目にて
08/28 赤羽台4丁目の木造家屋
08/30 ニューギンザ第一ビル
ニューギンザ第一ビル
所在地:中央区銀座7-11 Google Map
建設年:1948(昭和23)から1958(昭和33)の間
構造・階数:RC4
Photo 2006.10.3
三十間堀川を埋め立てた場所に建てられた南北に細長いビル。三十間堀川は、戦災で生じた瓦礫を処理するために1948(昭和23)年から埋立が始まり、1953(昭和27)年には完全に失われたという。
一方、ニューギンザ第一ビルは、1950~58(昭和25~33)年発行の火災保険特殊地図(都市製図社刊)に記載されている。従ってこのビルは、早ければ1948年の埋立開始の後、遅くとも1958年の火保図発行までには建てられたものと考えられる。
撮影時はまだ使用されていたので、こんど日中に撮ろうと考えていたら、翌2007年に解体されてしまった。現在、跡地は駐車場になっている。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中央区 #街並み 中央区 #夕景・夜景
#オフィス #モダニズム
赤羽台4丁目の木造家屋
所在地:赤羽台4-12
建設年代:戦後まもなく
解体年代:2019〜20(令和元〜2)
Photo 2013.7.3
赤羽台4丁目の5~15番地のあたりは街区が碁盤の目のようになっており、かなり古い建物も建っている。
この近辺は、終戦時までは近衛工兵第一連隊と第一師団工兵第一連隊、両工兵連隊の練兵場だった場所で、戦時中の航空写真を見ると原っぱになっている。
戦後すぐ(1947年頃)に宅地化され、当初は都営住宅地だったようだ。復員者などが増えて住宅難になったため、応急的に造られた木造住宅団地らしく、その辺の経緯は戸山ハイツなどとも似ているが、ここの住宅地は集合住宅団地にはならず、現在も戸建てが密集する宅地になっている。
スリバチ本の地図には同潤会住宅地と記されているが、ここは戦時中は練兵場だったので、これは著者の錯誤かと思われる。
スリバチ・フィールドワークで御一緒した際、もしここが同潤会住宅地なら当時の建物かもしれないとは思ったのだが、後からよく見ると、なんだか違うような気がして気になっていた。
分譲住宅地だとしたら、言ってはなんだが、ややしょぼい。また、2階部分が相対的に小さいプロポーションは普通住宅地の2戸連続の長屋形式に似るが、ここでは戸建てなのが気になっていた。裏路地的な細道が配されているあたりは、かなり同潤会住宅地っぽいのだが、昭和12年の地図で練兵場と書かれ、また昭和20年の地図では真っ白に表記されている場所に、戦前に同潤会住宅地ができてそれが残っていることは、まず考えられない。
現在、北区赤羽近辺の同潤会住宅地としては、赤羽普通住宅地が赤羽西4丁目(旧王子区稲付町4丁目)に、また、赤羽分譲住宅地が西が丘1丁目(旧稲付西町)にある。あと、少し南には十条普通住宅地が十条仲原3丁目(旧上十条町)にあり、いずれにもわずかな数、当初からと思しき木造家屋が残っている。
2024.10.4 追記
2018年11月に現地を訪れた際にはまだ存続していたが、2020年10月時点のGoogle ストリートビューでは既に更地で土地分譲中となっていた。現在は3階建て2棟となっている。
#失われた建物 北区 #公営・公団・公社・公立住宅
アパート入口の階段
所在地:北区赤羽台3-15
Photo 2013.7.3
とあるアパートの敷地入口。公園の入口とかには幅広の階段があるが、2、3棟のアパート敷地の入口としてはかなり珍しい形。
階段マニアなんじゃないだろうかと思ってしまう。
#階段・坂 北区
狭い路地を進み、角を曲がると建物の陰に階段が。
真っ直ぐな道を行くと階段下に木造家屋がある階段が。
階段下に木造家屋がある階段
所在地:赤羽台3-3 Google Map
Photo 2013.7.3
実はこれ、同じ階段。でもアプローチの方法が違うと、感触は全く異なる。
この階段の場合、前者の方が体験が劇的で階段との遭遇インパクトが大きい。
後者の場合は、抜けられてホッとする感じ。
さて次回はどちらから行こうかな。。
#階段・坂 北区