12/02 花沢の里
12/06 鳩の街のアーケード街
12/08 新井天神 北野神社 酉の市
12/10 成城学園前
12/12 六本木6丁目(現 六本木ヒルズ)
12/14 神田須田町地下鉄ストア
12/16 彦左小路
12/18 新宿西口七福小路
12/20 六本木1丁目・偏奇館跡あたり
12/22 六本木1丁目・偏奇館跡そばの階段
12/23 大隈講堂
12/24 田園調布
12/26 六郷用水・丸子川暗渠
12/27 丸子橋
12/28 多摩川浅間神社
12/29 早稲田界隈にて
12/30 早稲田大学3号館
12/31 早稲田大学3号館 つづき
昨年秋に竣工した、早稲田大学新3号館・つづき
旧3号館再現部分・4F吹き抜け側
Photo 2014.11.5
中庭を内部空間化して、3・4Fに通路を設けたため、再現された窓まわりを間近で見ることができる。 ただ、鉄骨造の躯体にパネル化したものを張っているようで、ところどころに継ぎ目の細い線が見える。そのあたりはまあ仕方ないところ。
旧3号館再現部分の廊下
Photo 2014.10.4
旧3号館の再現部分は、内部もクラシックな雰囲気の仕上がり。サッシや照明や防災関係はもちろん全く新しいし、エレベーターも当然のように設置されている。それでも昔の建物を残したのかと思う人も多い。
新棟側の小ラウンジ
Photo 2014.10.4
各階に小さなラウンジがあり、いくつかは2層吹き抜け。PCとスマホでいろいろ検索中か?
教室のサイン
Photo 2014.10.4
高層の新棟部分の教室はゴシック体。旧3号館を再現した部分の教室は明朝体。よくみるとどうもそういう使い分けをしているようだ。
旧3号館再現部分の4Fに造られた通路
Photo 2014.11.5
もう少し屋根上の高さに余裕があると、中庭部分がもう少し明るくなったのではないだろうか。昼でもやや薄暗い感じに思えてしまうのがちと残念。奥の方、右側の建物と左の再現部分が、あまりつながっていないように見えるかもしれないが、バッチリつながって一体化している。
#古い建物 新宿区 #新しい建物 新宿区 #早稲田大学
#近代建築 #大学 #吹き抜け・アトリウム
昨年秋に竣工した、早稲田大学新3号館。
早稲田大学3号館
所在地:新宿区西早稲田1-6
建設年:2014年9月
構造 :S造(一部SRC造・RC造)
階数 :15階・地下2階・低層部4階
Photo 2014.11.5
低層部前面は、1933(昭和8)年に竣工した旧3号館の南半分を復元し、メインの軸線沿い低層部の景観の保持を試みている。
新棟建設に際しては、RC造の旧3号館はいちど完全に解体された。新3号館の復元部分は、S造(一部SRC・RC)とのことなので、外観を「再現した」という方が良いのかもしれない。
吹き抜け内部・旧3号館復元部分
Photo 2014.11.5
復元部分の入口から入ると吹き抜け空間に出る。昔も中庭があったが、新棟では内部空間になった。再現部分の3、4階には通路も新たに設置されている。
旧3号館再現部分の通路から新建物側。
Photo 2014.11.5
エスカレーター側面がミラー状になっているので、写り込みと実像が混在して、奇妙な写真になる。 昔のOBなどは、上の方の階まで上り下りのエスカレーターがあることに驚き、今の学生は恵まれてると仰る。確かにそういう面もあるのだが、かなりの学生数が授業の間の休み時間に頻繁に移動する事を考えると、やはり階段だけではダメで、しかもエレベーターよりエスカレーターという選択になるのだろう。
旧3号館再現部分、3階の大教室
Photo 2014.10.4
夜になって教室の灯りが消えてから、吹き抜け側の通路から覗き込んで撮ってみた。
#古い建物 新宿区 #新しい建物 新宿区 #近代建築
#夕景・夜景 #早稲田大学 #大学 #吹き抜け・アトリウム
早稲田大学の名があるマンホール蓋
所在地:新宿区馬場下町62
Photo 2014.10.4
早稲田通り、馬場下町交差点そばの歩道上で見つけたマンホール。
このマンホールがあるのは大学キャンパス内ではなく、馬場下町交差点前の三朝庵そば、早稲田通りの歩道だ。
大学構内ではないが、早稲田大学が管理してるのだろうか?? 詳細は不明。御存知の方は御一報を。
また、撮影ポジションが取れず、上下逆さまなのはご勘弁を。
世間にはマンホールの蓋写真を撮りためている方もおられるし、観光まちおこしの一環でさまざまにデザインされたカラフルなマンホール蓋も近年はあちこちにある。
ただ、私自身はそれほどマンホール蓋愛好家というわけではないので絶えずあちこちのマンホールをチェックしているわけではない。たまたまこの時は、近くの喫茶店を出てとぼとぼ下を見ながら歩いていたら行き当たったという状況。でも遭遇してしまうとこういうのも妙に気になるものだ。
フォルクスワーゲン・トランスポルター T1(VW・T1)
Wikipedia > フォルクスワーゲン・タイプ2
Photo 2014.10.4
水稲荷神社参道に駐められていたVWトランスポルター。丸みを帯びた車体と、鼻面にでかでかと付けられたVWマークが愛嬌があってカワイイ。初期型の新幹線0系にもどこか似た雰囲気。
#道 #自動車 #夕景・夜景
多摩川浅間神社・参道
所在地:大田区田園調布1−55
段数 :計60段、写真は下部25段(下から13・12段で一の鳥居)
Photo 2014.9.28
多摩川浅間神社は多摩川台公園から連なる高台の先端部にある神社で、北条政子が近くの亀の子山から富士山を望み、源頼朝の武運を祈ったことに由来するという。
階段はまさにその先端から高台へと上り、社殿前に至るもの。
参道の階段・上部
段数 :上部35段
(下から1・二の鳥居・14・三の鳥居・9・6・5段・神楽殿前の鳥居)
Photo 2014.9.28
下部25段を上ると社務所前の駐車場の場所で、そこから更に階段を上ると社殿前に至る。この上部の階段はやけに蛇行した道筋になっているが、これは都内の神社の正面の石段としてはあまり例がない。
推測に過ぎないので詳細は不明だが、参道の上部と下部の間を社務所へ至る車道が横切っている関係で、参道を直線的にすることが距離と高低差の面で難しくなったため蛇行させたのかもしれない。
境内、拝殿・本殿(正面)と神楽殿
Photo 2014.9.28
日曜の午後、境内の神楽殿では、お神楽の練習をしていた。
ここの浅間神社の場合、読みは「せんげん」神社なのだが、関東では浅間山(あさまやま)も有名なので、あさま神社だと思う人もいて、この時も学生が携帯で「今、あさま神社とかいう神社に来てるから・・」と話していた。
古代、火山のことを一般に浅間山と言ったという話もあるので、あさま神社でもあながち間違いではないとも言えるけど・・・。
多摩川浅間神社 本殿 Wikipedia
建設年:1973(昭和48)年
構造 :RC
Photo 2014.9.28
浅間造(せんげんづくり)と呼ばれる、ちょっと変わった社殿(本殿)。社殿を二階建てにして、本殿を高く掲げるのが特徴。
浅間神社は富士山信仰で木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祭神とする。そのためもあってか高い位置に向かってお祈りするように設えられているのが面白い。
浅間神社は都内に数ヶ所あるが、いわゆる浅間造の社殿を持つのは都内ではここだけらしい。同様の浅間造の社殿としては、富士宮市にある富士山本宮浅間大社が著名。また静岡市にある静岡浅間神社は拝殿が二階建ての楼閣建築で、これもかなり珍しいタイプだ。
東急東横線・写真は乗り入れている副都心線の車両
Photo 2014.9.28
境内の北側では東横線が高台を切り通しで横切っている。このため地図では浅間神社は西北側の台地から切り離された一つの山のように見えるが、もともとは多摩川台古墳群などがある多摩川台公園の高台から繋がる一続きの高台の先端部である。
#階段・坂 大田区 #神社 #鉄道
あちこちに寄り道して16時頃にたどりついたら超逆光だった。。。
丸子橋 Wikipedia
所在地:大田区田園調布本町・川崎市中原区上丸子八幡町
建設年:2000(平成12)年
Photo 2014.9.28
多摩川の丸子橋は2000年に架け替えられている。新幹線に乗っていると、東京都に入る時に進行方向左手に見える印象的な橋だ。
1935年に架けられた初代の橋は、一部が御茶の水の聖橋に似た上路式アーチ橋だった。この時代の丸子橋も好きだったのだが、近くで写真を撮らぬうちに架け替えられてしまった。
丸子橋詰めで護岸の土手から川岸へ下る階段
段数 :最大38段(上端部・下端部の位置が場所によって異なる)
Photo 2014.9.28
階段でもあり、ベンチや腰掛け的なものでもある護岸。
ひなたぼっこして寝てる人あり、ノートパソコンで文章をパコパコ打ってる人あり、ぼんやり水面を眺める人あり。
9月末の東京はまだまだ暖かだったのでした。
丸子橋下から新幹線多摩川橋梁遠望
Photo 2014.9.28
奥のトラス橋は横須賀線。
新幹線は橋の前後にカーブがあるのと、住宅地があるため、この近辺ではあまりスピードを出していない。
丸子橋の下流、500m先をほとんど音もなくしずしずと渡っていく。
多摩川浅間神社社務所屋上の展望スペースから、多摩川、丸子橋、武蔵小杉遠望
所在地:大田区田園調布1−55
Photo 2014.9.28
多摩川浅間神社の社務所は多摩川に面した斜面に建てられており、社務所わきの階段を上って社殿前に至ると、そこから社務所屋上の展望スペースに行くことができる。多摩川と丸子橋、対岸の武蔵小杉の眺望がよく気持ちいい場所だ。
写真には入っていないが、少し上流側には東横線が見え、遙か西方には丹沢の山々、そして富士山を望むことができる。
多摩川浅間神社社務所屋上の展望スペースから、丸子橋
Photo 2014.9.28
#階段・坂 大田区 #海・川・池 #橋 #鉄道
六郷用水・丸子川暗渠
所在地:大田区田園調布1-11
Photo 2014.9.28
写真は多摩川浅間神社と中原街道の間の場所にあたる。
浅間神社西側を流れている六郷用水は、浅間神社前から中原街道南側までの区間は暗渠になっている。
桜の木がある妙な島状の植栽があるので、敏感な人はなにかワケがあるのだろうと気付くのではなかろうか。
昭和30年代の地図で見ると、どうやら左側の細道の方に水路があったらしい。そして、奥の方には中原街道をくぐるトンネルが見える。
中原街道下をくぐるトンネル
所在地:大田区田園調布本町34・40
Photo 2014.9.28
中原街道(古道ではなく現在の都道2号線)の下をくぐるトンネル。地図を見る限りでは、トンネルは当初から道路交通用のもので、中原街道の道をこのように立体的に交叉させた際には、六郷用水は地下水路としてここを通るように既にされていたようだ。
トンネルの建設年代は・・・。中原街道のこの区間の道路指定が1920(大正9)年で、初代丸子橋の開通が1935(昭和10)年で、昭和初期の地図にも現在の中原街道が載ってるので、たぶん大正末〜昭和初期のものだと思う。このデザインは最近のものではなさそうだ。
現場でもうちょっと建設年代や名称を示すプレートかなにかを探せば良かったな・・・。
中原街道丸子橋付近の階段
所在地:大田区田園調布1-10
段数 :50段(25・25段)
Photo 2014.9.28
六郷用水沿いの道から、中原街道・丸子橋付近に東向きに上がる階段。 法面の草地が午後の日差しを浴びてきれい。
中原街道丸子橋付近の階段
Photo 2014.9.28
中原街道側から見下ろしたところ。左上方は2000年に架け替えられた丸子橋。
#階段・坂 大田区 #海・川・池 #橋 #トンネル
どりこの坂
所在地:大田区田園調布1丁目と2丁目の間
Photo 2014.9.28
少し前までは「どりこ」の坂、かと思っていたが、坂道サイトで改めて見ると、「どりこの」という飲み物を作った研究者が坂上に住んでいたからなのだそうだ。今ではもうこの「どりこの」は販売されていない。しかし印象的な名前を持つ坂だ。
坂としても蛇行したやや急な坂で、良い景色をしている。左手は田園調布せせらぎ公園。
田園調布せせらぎ公園
所在地:大田区田園調布1-53
Photo 2014.9.28
多摩川園跡に造られた田園調布せせらぎ公園。スリバチ本によると、園内に3ヶ所の湧水があるという。写真の奥のあたりが北側の湧水池。
田園調布せせらぎ公園内の湧水池
Photo 2014.9.28
こちらは公園南端近くにあるもの。こんこんと地中から湧き上がっているわけではないが、崖線の地中からちょろちょろとしみ出した水が池に溜まっている。
大山坂
所在地:大田区田園調布1-53(田園調布せせらぎ公園内)
段数 :91段(下から41・50段)
Photo 2014.9.28
田園調布せせらぎ公園内で、北東側の高台へ向かって南から真っ直ぐに上る階段。名称の由来は不明。公園内の丘に上るからだろうか。
富士見坂
所在地:大田区田園調布1丁目12・30・53の境
Photo 2014.9.28
田園調布せせらぎ公園の南側で、西向きに下る田園調布の富士見坂。
ここの富士見坂では、写真のカーブの先、坂の中ほどに行くとほぼ正面に富士が見えたようだ。
詳細は調べていないが、現在はこの富士見坂からは富士山は見えていないようだ。この写真のポイントだと、右手の田園調布せせらぎ公園の方に富士があるはず。
大田区ホームページ > 田園調布せせらぎ公園
坂学会/東京23区の坂 > どりこの坂、富士見坂
#階段・坂 大田区 #海・川・池 #公園
早稲田大学大隈講堂
所在地:新宿区戸塚町1丁目
建設年:1927(昭和2)
設計 :佐藤功一・佐藤武夫
構造設計:内藤多仲
備考 :重要文化財
Photo 2014.11.13
キャンパス内の建物の窓ガラスの反射のため、この時は壁面の一部が帯状に極端に明るくなっていた。
玄関の照明 Photo 2014.11.15
玄関上部のテラコッタ装飾 Photo 2014.11.15
間接光が漏れる玄関部分 Photo 2014.11.15
Photo 2014.11.15
Wikipedia > 大隈講堂
#古い建物 新宿区 #夕景・夜景 #早稲田大学
#近代建築 #大学 #花・紅葉 #映画館・ホール
#佐藤功一 #佐藤武夫 #内藤多仲 #重要文化財
六本木1丁目再開発により1999年に無くなった大谷石の階段。
所在地:港区六本木1-4
最下部から Photo 1995.5.27
下部の階段を上ったあと、右方に曲がり、更に180度向きを変えて中段を上り、また右へ曲がって上段部分を上る。上写真では左上に上って行く中段部分の側面までは見えているが、上段部分は樹木に隠れて見えていない。
中段部分 Photo 1994.8.8
下段部分を上り、テラス状になった踊り場を経て、中段部分(写真右手)を上る。中段部分は上るにつれて幅が狭くなる。テラス状の場所には昔は小さな家屋が建っていたようだが、90年代以前に無くなっていた模様。
また、この写真には写っていないが、中段部分谷側の大谷石の擁壁は長年の土圧で、見た目にも分かるほどはっきりと膨らんでしまっており、地震や大雨などがあったり崩壊するのではないかとさえ思われる状況だった。
幅が狭く急な上段部分 Photo 1995.5.27
上段部は幅が1m少ししかなく、かつかなり急で、大谷石の段は中央部が摩耗して凹んでおり、特に下る際にはやや危険を感じるものだった。また上段部には途中から脇の住居の2階へつながるブリッジがあった。
上段部分を上から Photo 1998.5.23
周辺の住居はこの頃既にほとんどが無人で、建物も老朽化がかなり進んでいた。住居2階へのブリッジも錆び付いていて今にも崩壊しそうな危うい状態だった。しかし周辺住民はこの頃まではこの階段を利用していた。
階段を上りきってから右手、東の方へ行き、クランクした道を進むと永井荷風の偏奇館跡に至る。
東京の階段 DB > 偏奇館跡そばの階段
この記事は「Site Y.M. 建築・都市徘徊」内から移設し、若干加筆しました。
#階段・坂 港区 #失われた建物 港区