07/01 てんぐ小路
07/05 JR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)
07/09 田辺エージェンシー本社ビル
07/13 玉置邸
T邸
所在地:大田区山王2-10
建設年:1924(大正13)
構造・階数:木・2F
備考 :2011〜13に解体
Photo 2011.2.16
JR大森駅西口を出て、西側の丘を上った先の一角にあった家。白い壁と緑色の屋根、やや大振りな2階のベランダ、装飾的な窓などが印象的な家だった。
設計者はライトの弟子だったという情報もあった。よく見るとベランダのパーゴラの木製柱が帝国ホテルの大谷石立方体のような感じで、言われてみればそうだったのかもしれないとも思う。垂直線や高さ感をあまり強調せず、水平にゆったり広がるさまも優雅だった。
Photo 2011.2.16
同所には2014年9月に共同住宅が新築されているので、この家は2013年頃までに解体されたようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 大田区 #住宅系 #洋館・洋風住宅
田辺エージェンシー本社ビル
所在地:目黒区青葉台2-21
建設年:1984(昭和59)
構造・階数:S・3F
設計 :石井和紘
備考 :2010〜11解体
Photo 2007.4.21
わざわざ建築家に依頼した建物をいとも簡単に建て替えてしまうなんて、と思ったのだが、実は山手通りの拡幅事業のため建て替えざるを得なくなったようだ。確かに撮影当時、両側のビルは既に建て替えられて後退していたが、この建物だけはまだ残っており、前に出っ張った状態になっていた。
ただ、山手通りの拡幅の計画は昔からあったはずなので、拡幅が事業化されたら建て替えもやむなし、という心づもりで建てられた建物だったのかもしれない。
鉄橋のような外観が印象的な建物だった。設計した石井和紘氏は当時、橋をモチーフとした建物をいくつか設計しており、この建物もその一つだったそうだ。写真の頃には両側をビルなどに挟まれてよく分からなくなっていたが、隣地が空き地だった頃は、橋のような外観がよくわかり印象的だったそうだ。
新しいビルは2011年4月着工で、同年12月に竣工ということなので、旧本社ビルは2010年〜2011年初め頃に解体されたようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 目黒区 #現代建築 #ポストモダン #オフィス #石井和紘
JR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)
所在地:品川区広町2-1
構造・階数:RC造、12F、6棟
建設年:1966(昭和41)
備考 :2017(平成29)解体
Photo 2011.3.26
大井町駅の北西側にあったJR東日本広町社宅(旧国鉄広町アパート)。12階建ての共同住宅が6棟建っていた。1フロアあたり10世帯だったそうで、12×10×6で、約720世帯が住んでいたという。
Photo 2011.3.26
Photo 2011.3.26
耐震性の不足とかで住人が全て退去したそうで、2016年に訪れた際には既に無人化しており、しばらく放置されていた。
2014年頃までは普通に使われており、外観上は老朽化感があまりなかったので、無人化してひっそりしているのはかなり異様だった。
その後、2017年に一連の建物は解体された。
今年8月には、JR東日本が経営する複合スポーツエンターテインメント施設「スポル品川大井町」がオープンする予定という。ただこれも2021年までの期間限定とのことで、ほとんどの施設は仮設的なもの。その後どうなるかは未発表のようだ。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 品川区 #住宅系 #モダニズム
てんぐ小路
所在地:江東区東陽1-25
構造・階数:木造・2F
建設年:1953(昭和28)以降
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1995.7.15
洲崎遊廓があった東陽1丁目で、旧カフェーサンエスの向かいにあった木造モルタル看板建築。左端の入口から中に入った先にバーなどが5軒ほどあったようだ。1995年時点ではまだバーやスナックの袖看板が壁面に付いており、エアコンの室外機もあった。しかし通り沿いの窓は閉まっていて錆び付いており、夜に訪れたわけではないので営業しているかどうかは分からなかった。
左に写っている薬の旗やサトちゃん人形は、写真左側にあった一乗薬局のもの。
Photo 2002.11.6
2軒続きのモルタル看板建築で、奥がてんぐ小路。手前でシャッターが閉まっているのが一乗薬局だった部分。
2002年の写真では袖看板や室外機は既にない。壁面には貸店舗の掲示があり、この時点ではまだ解体、建て替えは未決定のようだったが、隣の薬局もなくなっており、建て替えが近い雰囲気だった。
跡地に建っている学生向けマンションは2006年11月竣工なので、てんぐ小路とその隣の旧薬局の建物は2005年頃までに解体されたものと思われる。
2022.9.18 追記
1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では、この場所に建物の記載がない。従ってこの建物は、早くても1953年以降に建てられたものだったようだ。カフェー(特殊喫茶店)だった可能性はあるが、そうだったとするとわずか数年で廃業したことになる。地図等からの感触だと、どちらかというと最初から呑み屋街だった可能性が高いのではないだろうか。
1973(昭和48)年版のゼンリン住宅地図(注)には、てんぐ小路と一乗薬局の記載がある。てんぐ小路の方は、解体直前の2005年版住宅地図でも飲食店が3軒掲載されている。一方、一乗薬局の方は1995年頃までは営業していたが、1996、97年頃に廃業して空き家になっていたようだ。
注)都立中央図書館で紙面で閲覧できる最も古い江東区版の住宅地図
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 江東区 #飲食店 #看板建築