06/03 中央薬局
06/06 協和美術印刷
06/09 テーラーエマ・ENZO
06/12 麻布郵便局(旧逓信省貯金局、旧郵政省)
06/15 キクヤレストラン
06/18 旧渡辺甚吉邸(旧ラオス大使公邸・旧スリランカ大使公邸ほか)
06/21 とらや(高輪虎屋)
06/24 高輪3丁目の洋館
06/27 東芝港クラブ
06/30 京品ホテル
京品ホテル
所在地:港区 高輪4-10-20
構造・階数:RC・4
建設年:1930(昭和5)
解体年:2010(平成22)
備考 :1973(昭和48)頃に大幅に改築?
ホテルは2008(平成20)に廃業
Photo 2006.11.5
品川駅前にあったホテル。下記Wikipediaにもあるように、名前の「京品」は東京と品川から一字ずつをとったものとのこと。近くに京浜急行があるが、京急グループとは関係がなかったという。
建物は戦前の1930(昭和5)年に建てられたものだったそうだ。ただ昔の写真とはだいぶ様子が異なっており、1973(昭和48)年頃に外観も含めて大幅に改装されていたようだ。この頃の住宅地図では(建)となっていて、地図の調査時には建て替えのように思われたのかもしれない。
ところで、下記、港区の写真サイトには、「廃止前の京品ホテル」と題して1967(昭和42)年撮影の写真が掲載されているが、ここで言っている「廃止」は、品川駅前の都電の廃止のことで、ホテルの廃止ではない。また、写真中、奥のトンガリ屋根は京浜電鉄の高輪駅ビル(1925年築、RC造、3階)で、これは後に建て替えられてウィング高輪になっている。
下記オークションサイトには、建物の昔の様子を写した絵はがきが出品されている(落札されてページが消える可能性あり)。
京品ホテル - Wikipedia
港区ホームページ/No.250 廃止前の京品ホテル
WinterGarten・二十面相の館
rx-29300【戦前絵葉書】 京品ホテル全景(東京品川駅前) /// 検)高輪建築街並宿泊観光京浜急行の落札情報詳細 - ヤフオク落札価格検索 オークフリー
Tokyo Lost Architecture
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東芝港クラブ
所在地:港区 高輪4-4
構造・階数:木・2
建設年 :?
解体年代:2006〜08(平成18〜20)
Photo 2006.3.10
高輪4丁目、二本榎通りの先の尾根道から西へ入り、品川区との区界にあるS字階段へ向かう途中にあった建物。
外見上はさほど豪華な建物には見えなかったが、黒板塀が巡らされ、しっかりした門があり、庭木も手入れされていて、御座敷のある料亭のような施設だった。
同じ高輪にある旧朝吹常吉邸(現 高輪館)は、「東芝山口記念会館」としてかつて東芝が保有していたもので、近代建築ファンの間ではよく知られている。しかしこちらは、それとは規模も豪華さもかなり違っていて、失礼だが本当に東芝の倶楽部施設なのだろうかと思ってしまう雰囲気ではあった。ただ、大企業だから様々な大きさやテイストの保養施設があって、「港クラブ」もその一つだったのかな、などということも想像されるのだった。
2024.8.26追記
その後、旧版の住宅地図等を見たところ、ここが東芝港クラブとなったのは1970年代中頃以降だったことが分かった。それまでは個人宅。なお、戦後版(1950年代)の火災保険特殊地図では、東禅寺の門前(現 高輪3-20)に東芝港クラブが記載されている(現在は駐車場)。
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高輪3丁目の洋館
所在地:港区 高輪3-4-10
構造・階数:木・2
建設年:?
解体年:2010(平成22)
Photo 2006.3.5
桜田通りから東に入った場所にあった洋館付き住宅。住宅地図等を見ても詳細はよく判らなかったが、1990年代以降は貿易関連の会社として使われていたもののようだった。
急傾斜の屋根と上げ下げ窓が印象的。洋風なのは写真の部分だけで、左側の奥まった部分は少し新しめの普通の2階屋だった。
1階の窓は少し張り出したベイウィンドウ。
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とらや(高輪虎屋)
所在地:港区 高輪1-20-8
構造・階数:木?・3
建設年:1925(大正14)頃
解体年:2022(令和4)
備考 :1949(昭和24)創業、1955(昭和30)頃改築
Photo 2006.11.5
赤坂の「虎屋」と同名だが別の和菓子店。角地に建っていた白壁の3階建てで、城の櫓のような雰囲気もある建物だった。
1階の庇は銅板の本瓦葺き。2階の庇と3階の屋根は以前は瓦葺き(写真1、3枚目)だったが、2006〜08年に金属板葺きに換えられた。また、北側部分は切妻屋根で銅板葺き
Photo 2008.9.27
Googleストリートビューで見ると、2009年時点では営業していたが、2013年以降の画像ではシャッターが閉まっており、その頃から長期に渡って休業していたようだ。
Photo 2006.11.5
高輪・二本榎通りにある印象的な建物だったが、残念ながら2022年に解体された。
ノスタルジ野 > とらや
【とらや】〜港区のレトロな和建築 - 港区
高輪にある虎屋、取り壊し。│高輪ライフ
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旧渡辺甚吉邸(旧ラオス大使公邸、旧スリランカ大使公邸ほか)
所在地:港区 白金台4-19-10
構造・階数:木・2+R
設計 :遠藤健三、今和次郎、山本拙郎
建設年:1934(昭和9)
解体年:2018(平成30)
備考 :2022(令和4)に取手市に移築完成。国登録有形文化財
Photo 2017.1.10
白金台にあった旧渡辺甚吉邸は2018年に解体されたが、その後、取手市内に移築された。もともとの所在地で残せなかったのは残念だが、東京の現状などを考えると移築であっても残らないよりはましで、残ったのは良かったことだ。
建物は岐阜の名家、渡辺家の当主、甚吉の私邸として建てられたもの。渡辺甚吉は実施設計を行った遠藤健三を伴ってヨーロッパに赴き、その体験からチューダー様式でこの住宅を建てたという。全体計画は洋風住宅を手掛けていた「あめりか屋」の技師長・山本拙郎、また、内部の装飾類は考現学で知られる今和次郎がデザインしたものという。
戦後は米軍が接収、渡辺家に返還された後はラオス大使公邸やスリランカ大使公邸として利用され、更に2010年からは結婚式場「白金甚夢迎賓館」としても使用されていた。
塀や1階部分の壁は鉄平石を積んだもので、都内に残る洋館の外壁としては珍しいものだった。2階、屋根小屋部分はハーフティンバーで、チューダー様式の田舎家の雰囲気。
正門左側の平屋は車庫だったものだそうだ。
都内に現存していた頃は内部を見学する機会がほぼなかったが、移築後の現在はときどき見学会が行われており、他のサイトには現状や内部の様子も掲載されている。また、移築作業を行った前田建設によるレポートも見ることができる。
旧渡辺甚吉邸主屋 文化遺産オンライン
旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト|Construction REPORT|実績・事例|前田建設工業株式会社
奇跡の住宅- 旧渡辺甚吉邸と室内装飾- | LIXILギャラリー | LIXIL文化活動 - LIVING CULTURE
旧渡辺甚吉邸(東京) : 洋館探訪ブログ
思いつくまま 第845回・旧渡辺甚吉邸
Anthology -記憶の記録-
− 取手市のお散歩2023 その3、その4、その5
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #移築保存 #洋館・洋風住宅 #国登録有形文化財
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キクヤレストラン
所在地:港区 芝浦1-4
構造・階数:木・2
建設年:1946(昭和21)?
解体年:2007(平成19)
Photo 2003.5.8
第一京浜の芝4丁目の交差点からJRをくぐって海側に行ったところにあった建物。木造モルタル2階建てのいわゆる看板建築だったが、2007年に解体されて4階建てのビルに建て替えられた。レストランは現在もその新しいビルで営業を続けている。
キクヤレストラン周辺。写真右側がキクヤレストラン。中央は喫茶さんぼるがある5階建てビルで、この建物は現存している。左は1990年代半ばまで歯科医院(岡本歯科)だったもの。この後、歯科医院は廃業したようで、しばらくすると建物もなくなり、現在は駐車場になっている。
キクヤレストラン解体前日 : やっとかめ どっとこむ
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麻布郵便局(旧逓信省貯金局・旧郵政省)
所在地:港区 麻布台1-6-19
構造・階数:RC・4+B1
建設年:1930(昭和5)
解体年:2019(平成31)
Photo 1995.5.27
外苑東通りに面して建っていた大型の近代建築。六本木交差点から飯倉交差点へ向かうと、右側にロシア大使館、左側にこの建物があった。
逓信省貯金局の建物として建てられたもので、シンメトリーで両翼が張り出した堂々とした庁舎建築だった。80年代に改修されたそうなので、本ページの写真は全てその改修後のもの。昭和初期の建物でアールデコ風のデザインが所々に見られた。
建物は戦時中から様々に名を変えながら使われてきた。1943(昭和18)年には運輸通信省通信院の本庁舎、戦後の1946(昭和21)年には逓信省、1949(昭和24)年からは郵政省の本庁舎になった。本庁舎が1969(昭和44)年に霞が関に移ると、以降は郵政省の飯倉分館となった。更に2007(平成19)年に郵政省が民営化されると「日本郵政グループ飯倉ビル」と名を変えた。
外苑東通り・ロシア大使館前付近から Photo 2017.10.2
正面中央 Photo 2018.12.13
90年代までは中央の時計が動いていたが、2000年代頃になると針が取り外されて機能していなかった。
我善坊谷を挟んで局舎北西側から Photo 2018.12.13
虎ノ門・麻布台地区の再開発が行われることになり、日本郵政もこれに参加したため、この立派な庁舎建築も残念ながら解体された。その後、ほぼ同じ位置に約330mの高さの超高層ビル、麻布台ヒルズ 森JPタワーが2023年に完成している。
貯金局 全景 文化遺産オンライン
逓信省 - Wikipedia
麻布郵便局/麻布台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
思いつくまま 第835回・旧逓信省貯金局庁舎
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テーラーエマ・ENZO
所在地:中央区 八重洲2-9-9
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2009(平成21)
Photo 2006.1.28
現在の東京スクエアガーデンの裏手、柳通りに面して建っていた木造2階のちょっと洋風な店舗。界隈は戦時中の空襲で焼失した場所なので、戦後の建物だったのではないかと思うが詳細は不明。1950年代の火保図では「エマ洋服S」(SはShop、店の略)と記されているので、既にその頃から営業していたようだ。
装飾はほとんどなく、窓も引き戸で戸袋があるので洋風というのはおかしいかもしれないが、黄土色に塗られた壁面と窓上の小さな庇のため、わずかに洒落た感じに見えていた。
2000年代の住宅地図にはテーラーエマの名とともに「エンツォアクセサリーコレクション江間」も記されている。壁面のENZOはこの店の名から記されているもの。実はこの住宅地図で初めて、エマが名前ではなく、江間という苗字だったということを知った。
八重洲界隈も最近は大型の再開発が次々に行われている。この一角の再開発はまだ本格化していないが、この建物は15年ほど前に解体され、以降はコインパーキングになっている。
Tokyo Lost Architecture
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協和美術印刷(株)
所在地:中央区 湊1-12-4
構造・階数:木・2
建設年:震災後〜戦前
解体年:2016(平成28)
Photo 2006.4.7
亀島川と隅田川が合流する場所、南高橋の少し南側の川沿いの道に面してあった銅板張り看板建築。
1階は改装されていたようでアルミサッシの引き戸とトタン張りの引き戸、側面も波板トタン張りだったが、2階のファサードは全面が銅板張りだった。
Photo 2013.10.13
震災後〜戦前の建物だったようだが、元から協和美術印刷だったかどうかは不明。戦前版の火災保険特殊地図には建物名が記されていない。
ただ、戦後の火保図(1950年)では「協和印刷KK」とあり、また、1963年発行の全住宅案内図帳(中央区)では、既に「協和美術印刷(株)」と記されている。
銅板張りの併用住宅 中央区湊 - 東京ノスタルジア
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