都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2017年1月 記事一覧

2017-01-31 | 記事一覧 

01/10 加藤硝子店
01/12 静岡駅 駅ビル・パルシェ屋上から
01/15 明治印刷株式会社
01/17 Canon Powershot S10
01/19 根津の木造モルタル看板建築長屋
01/22 村山邸
01/25 H邸
01/29 風貴堂

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風貴堂

2017-01-29 | 文京区  
風貴堂
所在地:文京区根津2-12
建設年:?
構造・階数:木造・2F
改築年:2001年に道路側の一部を撤去
Photo 1994.11.26

 根津駅そばの不忍通り沿いに建っていた漆器店。現在も一部分は残されており、後方のはん亭と一体化された別棟になっている。

 南側半分が大型の入母屋屋根の2階建てで、後方の木造3階建てのはん亭と共に印象的な一角をなしていたが、今、同じ姿を見ることはできない。

Photo 2012.9.2

 前面の不忍通りが拡幅され、歩道が広げられたため、そのまま建物を存続させることはできなかったようだ。しかしその際、全てを壊して建て替えるということはせず、拡幅事業に引っ掛かった前面部分だけを壊して後方は残し、道路との間に柵状の物を建てて、新しいデザインのように見せている。

 写真左端のビルは、道路拡幅前の上写真の頃からあるが、あらかじめ後退させて建てられていた。従って上写真左端のビルの壁面あたりまでがカットされた部分ということになる。

 いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」には、「不忍通りの拡幅で店舗部分の前面が削られたのは2001年のことという。」と書かれている。

 道路拡幅などによって解体されてしまう建物は多いが、利用法を替えながら部分的にでも残すという工夫がされたのはおもしろい。似たようなマンションやオフィスになってしまうことが多い中、他の場面でも参考にしてほしい事例。

2022.8.25追記
 戦後版(1953年)の火災保険特殊地図では、この建物は「会津木工」と記されている。

はん亭/根津2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 文京区  #古い建物 文京区  #商業系  ブログ内タグ一覧
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H邸

2017-01-25 | 文京区  
H邸
所在地:文京区根津1-22
建設年:?
構造・階数:木造・3F
備考 :2012年頃に解体
Photo 2011.2.9

 不忍通りから根津神社へ向かう新坂(S坂)の一つ南側の路地、根津の木造モルタル看板建築長屋の奥に建っていた住宅。もともと2階建てだったものに3階を増築したらしいもの。ただ、なんだか妙な建物だった。

 路地に面していたが、建物は若干後退して建てられており、前面に塀が巡らされ、門があり、入母屋の玄関があった。もう一つ妙なのは、2階屋根の軒先が洋風に仕上げられていたこと。

Photo 2010.1.10

 正面から見上げると、軒裏が斜めに、わずかにカーブを描いてモルタル塗りで仕上げられている。他の部分はなんてことはない普通のモルタル塗りの和風家屋なのだが、そこだけちょっとおしゃれ系。しかも表通りではなく裏通りに佇んでいる。

 実はこのあたりは明治初期においては根津遊廓があった場所。でもまさか元遊廓建築ということはあるまい。根津遊廓は明治中期にはもうなくなっている。確かにこのあたりは戦災には遭っていないが、モルタル塗りのこのようなちょっとした洋風家屋で明治初期ということはまず無いだろう。

 しかしそれでもやはりこの家の構えは妙だ。明治の頃の遊廓ということはなくても、昭和初期か戦後早い時期に建てられたお座敷、という可能性はあるかもしれない。

 通るたびに住人がいないか気になっていて、もし見掛けたらちょっと尋ねたかったのだが、最後まで住人に会うことはなく、そうこうする内に周辺も含めてマンションに建て替えられてしまい、そのあたりの事情は分からずじまいになったのだった。

路地の民家/根津1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #住宅系  ブログ内タグ一覧
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村山邸

2017-01-22 | 文京区  
村山邸
所在地:文京区根津1-21
建設年:?
構造・階数:木造2F
Photo 2007.11.4

 根津神社の表門前、根津の新坂とかS坂と呼ばれている急坂の途中に建っていた住宅。全体としては単なる瓦葺きの木造2F家屋だが、玄関部分だけ洋風で、印象に残る姿になっていた。

Photo 2007.11.4

 坂の途中に直接面した玄関。パステルカラーの明るい緑に塗られたドア扉が印象的。屋根は普通の日本の桟瓦だが、玄関部分の庇は少し洋風の緑色の瓦を用いている。

Photo 2011.2.9

 坂下からの様子。坂上からと異なり、石垣の上に聳えるように建つ姿だった。また、東側の壁面はトタン板で壁面が押さえられていた。もともと隣の建物と繋がっていたのを切り離してトタン張りの壁面を立て掛けたのか、もともとの壁面を修繕してこうなっていたのか、今となっては分からない。

Google S.V.で確認したところ、2013年7月には存在していたが、2014年4月時点では無くなっていた。従って、2013年夏~14年春の間に解体されたようだ。

#失われた建物 文京区  #住宅系  #和洋折衷住宅 
Tokyo Lost Architecture

村山邸/根津1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
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根津の木造モルタル看板建築長屋

2017-01-19 | 文京区  
看板建築長屋
所在地:文京区根津1-22
建設年:?
構造・階数:木造2F
Photo 2003.12.7

 不忍通りに面して建っていた木造モルタル2階建ての看板建築長屋。内部の構造はわからないが、1Fは3軒の店舗だった。

 Google S.V.で確認したところ、2009年11月時点ではまだ存在していたが、2013年6月時点では既に無く、マンション建設が行われていた。2010〜12年頃に解体されたのではないかと思う。

#商業系  #看板建築  #モルタル看板建築  #失われた建物 文京区 

Tokyo Lost Architecture
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Canon Powershot S10

2017-01-17 | 写真・カメラ

 初めて買ったデジタルカメラ。今、考えてみると、いろいろな面で旧式だったのだなと思う。
 大学で助手をやっていた時だったので、都市景観調査用に研究費を使って購入した。でなければ、当時9万円程度したコンパクトカメラなどは買う気になれなかった。だが、研究調査報告書の作成には、デジカメはパソコンとの親和性が高く非常に便利で、この頃から急速に利用が拡大していたものだった

Canon Powershot S10(1999発売 2000.2購入)
キヤノンカメラミュージアムPowershot S10

 景観調査的には例えば、写真の中に緑が占める率を調べる緑視率調査をする時に、街路樹や公園の緑を画面上で選択してピクセル数をカウントすれば、総ピクセル数に占める率を簡単に計算できるわけで、それまでよりも正確にかつ大量に調査することが可能になった。そういうことが高額な研究機械を使わなくても、市販のデジカメでできるようになったというのが素晴らしいなぁとつくづく思ったものだ。

 ただ昔のコンパクトデジカメには、今のものに較べると、かなり劣る点もやはり少なからず存在していた。

・コンパクトカメラにしては重い。バッテリーを除くと270gだが、バッテリーが大きく重い。
・電池の持ちが悪い。専用バッテリーの予備を必ず持ち歩くのでよけい重い。
・画素数が少ない。約200万画素(Largeで1,600×1,200pixels)
・画質、色合いが今ほど良くない。解像感が低い。
・ISO感度100、200、400で撮れるが、きれいに撮れるのはISO100だけで、感度を上げるとノイズが激しくなる。
・液晶画面が小さく(1.8inch)、表示画質も今ほどよくない。

 その後、どんどんこれらの点が改良されていったことは御存知の通り。だが、新機種が出てもすぐに買えるわけではないので、このカメラも2年ほどは使った。たった2年であっという間に古びた感じになってしまったのには驚いたし、少々もったいなく残念な心持ちだったが、発展期の製品というものはそういうものなのかもしれない。

 フィルムカメラとデジタルカメラの違いは、フィルムカメラは味わいなどと言って、古いものでも使う楽しみがあるのだが、デジタルカメラは古いものはただ画質や機能が劣るだけで、誰も見向きもしないこと。中古カメラ店をのぞくと、古いフィルムカメラにはそれなりの値段が付いているのだが、古いデジカメにはほとんど値が付いていない。これはパソコン他のデジタル家電系も似たような感じだ。Macの初期モデルなんてのは歴史的価値を持って高値になってるみたいだが、もちろんこれは例外的なケースだろう。

 技術革新のペースが速く、画素数も感度もどんどん良くなり、重量も軽くなった。最初の頃は、3,000万画素相当だと言われるフィルムカメラには遠く及ばず、フィルムに取って代わるのは何年も先だろうと言われていた。しかしあっという間にデジカメ時代。プロもかなりデジタルカメラを使うようになっている。

 デジカメ時代になってから、ばんばんシャッターを切るようになった。うまく撮れなかったら、即、消去して撮り直すことも増えた。ネガフィルムに較べてダイナミックレンジが狭くて、白とび、黒潰れが多いので、露出補正をしながら何回も撮るのが癖になった。また、パソコンに取り込んで眺めることが増えて、プリントすることが減ってしまった。写真の周辺環境が大きく変わりつつあることが実感された時期だった気がする。

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明治印刷株式会社

2017-01-15 | 千代田区 
明治印刷株式会社・同和製本
所在地:千代田区飯田橋3-4
構造・階数:木造・2F
建設年:1964(昭和39)以前(昭和30年頃?)
解体年:2015(平成27)
Photo 2008.3.29

 2015年5月までは存在していたようだが、2016年春に訪ねたところ、既に解体され、隣の同和製本も同時期に解体されて、一体的に新しいビル建設の最中だった。そこでGoogle ストリートビューで確認したところ、2015年7月時点で解体中だった。

 鋭角の角地に面した台形の土地に建っていた建物。鋭角になった角部分に入口があるのが印象的だった。上方の3つの四角い部分は昔は明かり取りとかの窓だったのを閉じたもののように見える。

 大した装飾はないのだが、玄関部分だけ2方向にアーチが架けられ、3本の柱の間と、そのわきに入口がある。 今になって改めて見ると、二つの扉がどのように使い分けられていたのか分からない。片方は2階への入口だったのだろうか? 古い建物の場合、扉や窓は新しいものに取り換えられていることも多いが、この建物は昔のままだった

 一方通行の北東側の道に面した2階には窓が連なっていた。作業場に間接光を取り込むようにしていたのだろうか。

白光堂、明治印刷/飯田橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

#失われた建物 千代田区  #商業系 
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静岡駅 駅ビル・パルシェ屋上から

2017-01-12 | 静岡県  

 静岡駅北口駅ビル・パルシェの屋上から市内中心部(1981/2016)

パルシェ屋上から呉服町・御幸通り
Photo 1981.11.1

 約35年前の1981(昭和56)年時点では、市内中心部でも高いビルはまだ少なく、安倍川右岸の山の方まで見えていた。中央の街区の駅前のビルは現在も基本的に当時のまま。

パルシェ屋上から呉服町・御幸通り
Photo 2016.8.18

 上記写真の35年後、およそ同じポイントからの写真。市内中心部に高いビルが建って、山々は部分的にしか見えなくなってきた。 駅前にはバス停などが入るガラス屋根ができている。
 日興證券ビル跡地にできた葵タワーは画面左外。西武はパルコになり、長崎屋はなくなった。左奥には呉服町タワー、中央奥には静岡市役所新館。旧館のドームは見えなくなった。電電ビルはNTTになり、アンテナ群の形状も変わった。 手前に他のビルが建って県庁東館は上の方しか見えなくなった。右には県庁北館が、右端には市街地再開発で出来たペガサートが。

パルシェ屋上から呉服町通り
Photo 1981.11.1

 静岡駅前地下街の爆発事故(1980.8)の翌年で、呉服町通りの地下街への出入口の改修はまだ終わっていない模様。左端の日興證券ビルは解体されて、葵タワーに建て替えられた。その奥には長崎屋と西武百貨店。塔状の遊戯施設は西武の屋上のものか?。

パルシェ屋上から御幸町
Photo 1981.11.1

 左奥には市役所旧本館のドームが見えている。新館はまだない。電電ビルにはまだNTTではなく電電公社のマークが付いている。

パルシェ屋上から御幸通り
Photo 1981.11.1

 御幸通り右側にはまだ「○に井の字」の看板を掲げた丸井が見えている。

Site Y.M. 建築・都市徘徊静岡の街並み
#新旧比較写真・静岡県  #街並み 静岡県  #商業系  #眺望 
#デパート・百貨店 
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加藤硝子店

2017-01-10 | 文京区  
加藤硝子店
所在地:文京区音羽1−21
構造・階数:木造・2F(増築3F)
解体年:2003〜05(平成15〜17)の間
Photo 1998.5.9

 音羽通り沿いに建っていた木造モルタル看板建築。

 古い住宅地図で確認したところ、2003年版には掲載されていたが、2006年版では駐車場になっていた。解体後は現在までコインパーキングになっている。

 写真では後方の首都高速の向こうに、丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂が見えているが、奥の木造家屋も解体されてマンションになっており、現在は大聖堂も見えなくなっている。

Tokyo Lost Architecture  
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