都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年5月 記事一覧

2019-05-31 | 記事一覧 

05/02 スカラ座
05/04 山楽ホテル
05/06 帆足邸
05/08 新宿東映
05/10 東京メトロ東西線・高田馬場駅
05/12 国立栄養研究所
05/14 朋来居
05/16 運輸省早稲田寮
05/18 防衛庁20号館(旧歩兵第一連隊本部)
05/20 外務省狸穴通信分館
05/22 芝浦の検番(芝浦協働会館)
05/24 沖電気芝浦事務所
05/26 北里研究所本館・医学館
05/28 三越湯

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三越湯

2019-05-28 | 港区   
三越湯
所在地:港区白金5−12
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:木造・2F
備考 :解体
Photo 1995.2.23

 白金の街を東西に走る道沿いの商店街の一角に建っていた洋風の銭湯。屋根の様子は、和風の銭湯建物のように見えるのだが、玄関上の欄間はアーチ状になっていて、ステンドグラスが嵌っている。道路際にそびえる目隠し用ブロック塀が全景を見えなくさせていて、無粋で邪魔くさく、建物の印象を損なっていた気もする。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #銭湯 
2007.2.26
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北里研究所本館・医学館

2019-05-26 | 港区   
北里研究所本館・医学館
所在地:港区白金5-9
建設年:1915(大正4)
構造・階数:木・2F
備考 :1979(昭和54)に明治村へ移築
Photo 1990.3.20 写真は移築後、明治村での様子
博物館 明治村北里研究所本館・医学館

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区 #古い建物 愛知県 #近代建築 
#大学 #研究所 #移築保存 
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沖電気芝浦事務所

2019-05-24 | 港区   
沖電気芝浦事務所
所在地:港区芝浦 4-10
建設年:1934(昭和9)
構造・階数:RC・5F
備考 :解体(2004年?)
Photo 2003.5.8

 JR田町駅から海の方へ行った先の、芝浦の埋め立て地に沖電気の建物はあった。電気・情報・通信系の会社は、移り変わりが極めて速く、古い建物や工場がどんどん建て替えられても不思議ではないのだが、この建物は70年近く使われていた。比較的モダンな箱形の建物だったから、あまり古びることがなかったのだろうか。南側の端にある、時計台は、簡素なデザインだが、印象深いものだった。肝心の時計だかシンボルマークが、多分取り外されてしまっていて、ちょっと間抜けな感じになってしまっていたが。

 その後、このビルは取り壊され、工場敷地も売却され、超高層マンションが建てられた。

 2005年秋に現地を再訪した時点では、建物は解体され、暫定利用されている状態だった。

廃景録沖電気
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #オフィス  #近代建築 
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芝浦の検番(芝浦協働会館)

2019-05-22 | 港区   
芝浦の検番(芝浦協働会館)
所在地:港区芝浦 1-11
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:木・2F
Photo 1994.11.11

 旧芝浦三業地の中に位置する。検番は芸者の管理組合の建物のことだそうだ。近隣の芸者置屋に所属している芸妓さんを登録して、料理屋・待合からお呼びが掛かると派遣する、といった仲介業務をしていたという。詳しいことは「体験していない」ので残念ながらよく判らない。

 この近辺一帯は芝浦三業地だったと言われるが、今では当時の面影はほとんどない。芝浦協働会館として近年まで使用されていた検番の一棟のみが残り、隣接地に並ぶ料理屋等は解体された。検番の建物については保存運動が行われ、保存・活用されるという。


 Photo 1994.11.11

 中央の大きめの建物が検番(芝浦協働会館)、両脇は芸者置屋だったという。昔の住宅地図によれば、東隣(写真左)は協働会館宿舎第四寮、西隣は第三寮、その西隣(写真右端)が第二寮だった。また、手前の駐車場の場所には1970年代までは芝浦園という料亭があったそうだが、1980年代初めまでには無くなって駐車場になったようだ。


 Photo 2003.5.8

 1994年の時点では、検番を含めて5棟が残っていたが、現在残るのは検番の建物のみ。見番と他の建物が一緒になって、群となって街並み景観を創っていた場所は、この頃の東京には既になかっただけに貴重な景色で、それが無くなったのは残念。

旧協働会館保存・利活用のための整備計画

Tokyo Lost Architecture
#古い建物 港区  #失われた建物 港区  #商業系  #遊興施設 
ブログ内タグ一覧
2022.8.25 
コメント (1)
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外務省狸穴通信分館

2019-05-20 | 港区   
外務省狸穴通信分館
所在地:港区麻布台1−8
建設年:昭和初期
構造・階数:木・2F
備考 :解体・建て替え
Photo 1989.4.2

 麻布台の某宗教施設のそばに建っていた洋館。大学生の頃にたまたま見かけて撮影した建物。後で調べて外務省狸穴通信分館という施設だったことを知った。だがこの写真を見ても、そのような建物にはどうしても見えない。

 その後、住宅地図等で調べたところ、建物は建て替えられたが、現在も外務省別館としてこの場所は使われていることが分かった。どうやら何らかの接客施設らしいが、目立つ看板もなく、相変わらず謎の建物。新しい建物は、外壁の色が以前の建物と似ていて、ディテールの雰囲気も似ている。旧来の建物のイメージを残しながら建て替えたようだ。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #近代建築  #住宅系 
2007.4.4
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防衛庁20号館(旧歩兵第一連隊本部)

2019-05-18 | 港区   
防衛庁20号館(旧歩兵第一連隊本部)
所在地:港区赤坂 9-7
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・2F
備考 :六本木防衛庁跡地再開発に伴い解体
Photo 1989.4.2

 防衛庁跡地の再開発(東京ミッドタウンプロジェクト)のために解体された。
 写真を撮った頃は、防衛庁の敷地内だったため、塀の外から無理矢理撮影。手前の塀が日陰になって黒く落ちていてかなり邪魔。全貌は見えず。かといって塀に上って撮影、なんていう無茶は当然できず。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 港区  #近代建築  #官公庁  #オフィス 
2007.2.25
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運輸省早稲田寮

2019-05-16 | 新宿区  

運輸省早稲田寮
所在地:新宿区西早稲田 2-19
建設年:?
構造・階数:木・2F
Photo 1995.6.24

 木造モルタル2階建ての官舎。1995年時点で既に閉鎖されていた。

 早稲田界隈にはこのような職員寮の他に、多くの学生下宿があったが、現在残るのはわずか。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #集合住宅 
2007.2.26
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朋来居

2019-05-14 | 新宿区  
朋来居
所在地:新宿区西早稲田2-6
建設年:?
構造・階数:木・2F ?
備考 :学生寮。解体
Photo 1997.4.26
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #住宅系  #集合住宅 
2007.2.26
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国立栄養研究所(旧陸軍軍医学校化学兵器研究室)

2019-05-12 | 新宿区  
国立栄養研究所(旧陸軍軍医学校化学兵器研究室)
所在地:新宿区戸山 1-23
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・3F
備考 :解体・建て替え
Photo 1989.4.5

 早稲田大学戸山キャンパス(文学部)の裏手の丘の上に建っていた建物。昔ながらの研究所らしい雰囲気のある建物だったが。建て替えられて消失した。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 新宿区  #近代建築  #官公庁  #研究所 
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