都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2021年2月 記事一覧

2021-02-28 | 記事一覧 

02/01 東京人 2021年3月号 特集「階段で歩く 東京の凸凹」
02/02 TABICA 階段まちあるき 2月は根津・千駄木
02/03 新潮講座「東京・階段と坂のある街探訪」、2月、3月のご案内
02/05 巴川ビル
02/09 名古屋商工会館
02/13 鳥羽洋行ビル
02/17 銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)
02/21 海洋ビルヂング
02/23 TABICA 階段まちあるき 3月は上野公園・谷中
02/25 たてべ

タグ一覧   Tokyo Lost Architecture

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たてべ

2021-02-25 | 中央区  
日用品雑貨 たてべ
所在地:中央区 銀座7-6
構造・階数:木・2F
建設年:戦前?
解体年:2005〜06
Photo 2002.4.29

 銀座の花椿通りに面して建っていた看板建築。写真を撮った頃には上部に大きな広告看板があり、その看板を支える支柱が2階の壁面に張り付けられていたため、全体の様子はよく見えなかった。縦線の入った壁面、窓上にわずかに装飾がある程度で、看板建築としてもそれほど特徴があるものではなかった。そのためもあってか「たてべ」についてはネットで検索しても他に記事がなく、詳細は分からないまま。日用品雑貨と書かれた庇が付いていたが、当時まだ営業していたかどうかも分からない。

 「ぼくの近代建築コレクション」には、1986年2月と2004年2月の写真が掲載されており、同サイトによれば2005〜06年まで残っていたという。跡地には2007年にアソルティ銀座花椿通りビルが竣工している。

ビガロ、たてべ雑貨店/中央区銀座7丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 中央区  #商業系  #看板建築 
#モルタル看板建築   タグ一覧
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TABICA 階段まちあるき 3月は上野公園・谷中

2021-02-23 | Weblog 

 TABICAでの階段まちあるき、3月は上野公園・谷中界隈を訪れる予定です。

 上野駅を出発し、公園入口の階段、清水堂と清水坂、不忍池への階段、五條天神社、花園稲荷、稲荷坂、摺鉢山古墳、上野大仏、東照宮参道の石段など、上野公園内の階段や史跡を巡ります。その後、清水坂、三段坂を経て、玉林寺、境内東側の井戸付き階段、ヒマラヤ杉の交差点、蛍坂、夕やけだんだんを経て、日暮里富士見坂、地蔵坂を下って西日暮里駅へ向かいます。上野公園内の意外に知られていない場所と谷中の寺町を巡り、階段と街並み、眺望を楽しむコースです。

 有料のツアーですが、御関心のある方、御都合がよろしければ是非。
 詳細とお申し込みは下記リンク先を御覧下さいませ。

 よろしくお願いします。


TABICA 階段まちあるき 台東区 上野・谷中 編
開催日 2021年3月20日(土)(春分の日)
時間  13:00〜15:30(最大16:00)
【上野・谷中】階段研究家と行く上野・谷中界隈の魅力的な階段と坂



 玉林寺わきの井戸付き階段 台東区谷中 1−5と7の間

#階段・坂  #地形 
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海洋ビルヂング

2021-02-21 | 中央区  
海洋ビルヂング
所在地:中央区 銀座6-4
構造・階数:RC/4F
建設年:1930(昭和5)
解体年:2014(平成26)
備考 :2020年時点でコインパーキング
Photo 2005.6.12

 外堀通りと交詢社通りの交差点北側に建っていたやや細長い建物、外壁はスクラッチタイル張りで、窓は縦長の観音開き。交詢社通り側に上階への玄関と階段があった。2階と3階の間と、4階と屋上の間には庇が巡らされている。階段室の最上部にはテラコッタ製の幾何学的なパネルが貼られていた。また屋上のパラペットの縁にはスペイン瓦が載せられていた。

 2階までは飲食店などとして利用されていたが、3、4階が最後の頃まで利用されていたかどうかは知らず。2003年頃までは4階に灯りが点いていたので、その頃まではオフィスなどとして使われていたようだ。3、4階には剥落タイルの落下防止のためのネットが2000年頃に既に掛けられていた。


 入口付近の様子  Photo 2005.6.12

 入口にはシャッターが付けられ、上部にはトタン板が張られていた。電力メーターがいくつもあり、後付けの配線もたくさんある状態。古いビルで、後から使い方がいろいろ変わったのでこのようなことになっていたのだろう。入口上のデザインはちょっと幾何学的でアールデコ系のようにも見えるが、なんだったのだろう。「海洋ビルヂング」というホーロープレートも印象的だった。


 Photo 2012.8.1

 2005〜07年頃にタイルの上から外壁が塗装され、前より明るい色にされた。しかしこの写真の2年後には解体となった。2020年時点ではコインパーキングとなっている。


 Photo 2012.8.1

海洋ビル/銀座6丁目 - ぼくの近代建築コレクション
環境デザインマニアック・Environmental Design Maniac海洋ビルジング
東京銀座の海洋ビルヂング : レトロな建物を訪ねて
外堀通りの海洋ビルヂング - ゆる〜り、ゆるゆると〜

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス  タグ一覧
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銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)

2021-02-17 | 中央区  
銀座TSビル(旧マツダビルディング、銀座東芝ビル)
所在地:中央区 銀座5-2
構造・階数:SRC/8+B1+塔屋(当初)
設計者:佐藤功一、構造設計:内藤多仲
増改築設計:清水建設(内藤多仲指導)
施工 :清水組(増改築は清水建設)
建設年:1934(昭和9)
解体年:2012(平成24)
備考 :1966(昭和41)に増築。8+B4+塔屋となった。
Photo 2011.12.26

 建築当初はマツダビルディングという名だった建物。1階にはマツダランプのショールームがあり、また8階には横浜のホテルニューグランドが出店したレストランがあったという。そして2〜7階はオフィスだったそうだ。また当初は外堀通りと晴海通りのコーナー部に塔屋があった。

 以下のリンク先に竣工当時・戦前期の様子が掲載されている。当初はアールデコで垂直線を強調し、8階がセットバックした建物だった。

東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃

 1956年に数寄屋橋阪急が開店。そして1966(昭和41)年に大幅に増築・改装され、外観は全く異なるものになった。上写真の外堀通り沿いの壁面位置が途中から異なるが、この手前側が戦前期の部分で、後方が増築部分。コーナー部にあった塔屋も増築の際に撤去され、別位置の塔屋となったようだ。


 晴海通り、有楽町側から  Photo 2011.9.7

 私が知っているのはこの数寄屋橋阪急以降。様式建築的な装飾がないモダンな建物だったので、まさか古い建物を増改築して使っているとは思わず、写真も撮らずにいた。

 2004年にモザイク銀座阪急へ衣替え。その頃になってから、晴海通り側部分の躯体は建築当初のものも使っている建物だと知ったが、外観が新しい感じのデザインだったこともあり、にわかには信じられなかったものだ。


 Photo 2009.6.2

 2012年にモザイク銀座阪急が閉店し、その後、解体。跡地には東急プラザ銀座(11F+B5F)が2016年に開業している。

銀座TSビル - Wikipedia
第9回BCS賞受賞作品
銀座エリア・昭和なショッピングセンターめぐり(3)銀座TSビル・モザイク銀座阪急(旧数寄屋橋阪急、銀座東芝ビル)
東芝、銀座東芝ビルの売却発表 : 月刊旧建築
東宝映画「社長外遊記」丸急百貨店ロケ地が「マツダビルディング」だった頃|東宝映画「社長外遊記」|東京「あの場所は?」秘宝館

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#失われた建物 中央区  #近代建築  #オフィス  
#デパート・百貨店  #佐藤功一  #内藤多仲  タグ一覧
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鳥羽洋行ビル

2021-02-13 | 中央区  
鳥羽洋行ビル
所在地:中央区 銀座 4-12-23
構造/階数:RC/4F
建設年:1932(昭和7)
解体年:2013(平成25)
備考 :鳥羽洋行は1949〜98年に本社を置いていた。
Photo 1995.6.20

 鳥羽洋行は1906(明治39)年に中国の大連で創業、第二次大戦時まで中国を中心に機械工具、ゴム製品、鉄鋼等の生産・販売をしていたという。敗戦により事業を停止、1949(昭和24)年に改めてここで会社を設立。1998年に文京区水道町に移転するまで、50年近くここに本社を置いて活動していた。

 ビルの方は1932(昭和7)年竣工だそうで、戦前・戦中は別の事務所として使われていたようだ。


 Photo 2002.7.27

 鳥羽洋行の移転後、外壁の洗浄か補修が行われたようだ。2001年にペッパーランチ東銀座店が1階に入居したが、その翌年の写真を見ると、以前より全体がきれいになっている。アーチ内の装飾や、3階と4階の間の装飾も無くなっている。窓まわり以外の外壁前面はスクラッチタイル張り。アーチや窓まわりの壁面はモルタルコンクリートだろうか。また、この頃、2〜4階が利用されていたかどうかも不明。

 2、3階の右端上の窓が潰されているが、ここには昔はエアコンの室外機が置かれていたようだ。


 Photo 2010.6.13

 ペッパーランチは数年で退去したようで、2006年に通りかかった時にはビルは既に使われておらず、前面にはタイルの剥落対策でネットが掛けられていた。


 Photo 2013.7.2

 解体直前の様子。解体を前にしていたためか前面のネットも中途半端な状態になっていた。


 Photo 2013.7.2

 左隣のミズホビルも2015年に解体。ただ一体的な建物にはならずそれぞれ建て替えられ、鳥羽洋行ビルの跡地にはGINZA12という12階建てビルが2017年に完成している。

鳥羽洋行ビル/銀座4丁目 - ぼくの近代建築コレクション
東京の古いビル 銀座鳥羽洋行ビル - 御光堂世界~Pulinの日記
沿革 | TOBA Inc. | 株式会社鳥羽洋行

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名古屋商工会館

2021-02-09 | 中央区  
名古屋商工会館
所在地:中央区 銀座4-3
構造・階数:RC/6+B1
建設年:1930(昭和5)
解体年:2015(平成27)
Photo 2011.12.26

 晴海通りから北へ入ったところにあったビル。装飾がほとんどない地味なビルで、戦後のものかと思ったら意外にも戦前の建物だった。斜線規制の関係で上階がセットバックしており、路上からは5Fから上がほとんど見えない。

 外壁はもともとスクラッチタイル張りだったそうで、下記サイトの記事によれば、タイルの上から白く塗装されていたという。夕方に撮ったので拙サイトの写真では灰色に見えるが、実際はクリーム色がかった明るい白だったようだ。同サイトには1階の玄関付近などに残っていたディテールの様子なども掲載されている。

環境デザインマニアック・Environmental Design Maniac名古屋商工会館

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巴川ビル

2021-02-05 | 中央区  
巴川ビル
所在地:中央区 銀座3-7
構造・階数:RC?/5
建設年:1920年頃(大正期)
解体年:2011(平成23).1〜5
備考 :2000(平成12)改修
Photo 2006.4.7

 大正時代に銀行として建てられた建物。かつては隣に巴川ビル別館があった。下記、TAISEI DESIGN掲載の記事では、「大正年間に銀行として建てられたこの建物は、関東大震災と先の戦争をくぐり抜け、その後も事務所として使われ続けていました・・・」とあり、震災前に建てられた建物だったようだ。

 ネットでは1924(大正13)年竣工としているページも散見される。隣の別館も古かったため、それと混同されているのかもしれない。ただ、大成建設は改修にあたって調べたりしたはずなので、TAISEI DESIGNに記載された1920年頃竣工というのが恐らく本当なのだろう。

 TAISEI DESIGN掲載の記事には「1998年に使用者が立ち退き、建物の老朽化が一段と進み、解体を待つばかりの廃屋と化していました。」とも記されていて、その後、耐震補強と事務所から飲食店への改修が行われ、2000年にKIHACHI CHINAとなった。2009〜11のGoogle Street Viewや住宅地図では、Villa Oriental miso bankとなっていたが、2011年に解体。耐震補強をしたり、用途も含めてインテリアも改修したが、その後約10年で解体されてしまった。

 私自身は改修後の様子しか知らないのだが、下記「ぼくの近代建築コレクション」内の写真によると、外観はあまり変わっていないようだ。大正時代の建物にしては珍しく、装飾がほとんどないモダンなオフィス建築だったようだ。玄関まわりはKIHACHI CHINA時代は赤く塗られていたが、かつてはそこも大人しい色。KIHACHI CHINAでなくなってからも比較的地味な色だったようだ。

 2013年には新しい建物が完成し、伊東屋が本店の建て替えのためここに仮店舗をオープン。2015年9月以降は、松屋銀座マロニエ通り館となっている。

巴川ビル、巴川ビル別館/銀座3丁目 - ぼくの近代建築コレクション
2005.02 「第14回BELCA賞」2部門で受賞│de'-TAISEI DESIGN

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#失われた建物 中央区  #オフィス  #銀行・保険  #近代建築 
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新潮講座「東京・階段と坂のある街探訪」、2月、3月のご案内

2021-02-03 | Weblog 

 以前から月一回、土曜日午後に実施しております新潮講座「東京・階段と坂のある街探訪」。
 2月は大森・山王、3月は用賀〜祖師ヶ谷大蔵をそれぞれ訪れる予定です。
 ソーシャル・ディスタンスに気をつけながら、今春も、階段・坂と街を巡っていきたいと思います。

 御関心がありましたら、是非、ご参加頂ければと思います。よろしくお願い致します。

ヨム・カク・ミル・シル 新潮講座 SHINCHO CHAIR|新潮社

東京・階段と坂のある街探訪  


大森・山王篇
2月27日(土)
 13:30〜16:00


用賀〜祖師ヶ谷大蔵篇
3月27日(土)
 13:30〜16:00

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TABICA 階段まちあるき 2月は根津・千駄木

2021-02-02 | Weblog 

 TABICAでの階段まちあるき、年明け2月は文京区の根津・千駄木界隈を訪れる予定です。
 (同じコースを2月中に2回実施します)

 根津駅を出発し、異人坂、おばけ階段、根津神社、S坂、解剖坂、へび階段、だんだん坂、しろへび坂、団子坂、須藤公園、大給坂など、本郷台地の東側の階段と坂を上り下りし、その後、上野台地の日暮里富士見坂、地蔵坂を経て西日暮里駅へ向かいます。さまざまな形や大きさの階段と坂を巡り、街並みや眺望を楽しむコースです。

 有料のツアーですが、御関心のある方、御都合がよろしければ是非。
 詳細とお申し込みは下記リンク先を御覧下さいませ。

 よろしくお願いします。


TABICA 階段まちあるき 文京区 根津・千駄木 編
開催日 2021年2月 16日(火) 23日(火)
時間  13:00〜15:30(最大16:00)
【根津・千駄木】階段研究家と行く根津・千駄木界隈の魅力的な階段と坂



 へび階段 文京区千駄木 1−8・11

#階段・坂  #地形 
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