都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ミヤザワ装飾

2023-09-24 | 長野県  
(株)ミヤザワ装飾
所在地:長野市 松代町松代163(殿町)
構造・階数:木・2
解体年代 :2003〜06
Photo 1994.8.28

 店舗部分は普通の店構えだったので建物の全景は撮らず、上部の装飾だけを撮ってしまった。このため、店の名はたまたま写り込んだが周辺の様子が写っておらず、町のどのあたりにあったのか分からなくなってしまった。Google Mapには既になく、Googleストリートビューにも写っていないため、これも国会図書館で古い住宅地図を見て場所を確認。

 県道388号線沿い、長屋門のある家のそばの角地付近にあったお店で、2003〜06頃に解体されたらしい。長屋門を見た時に近くにあったのでついでに撮ったようだ。

 瓦屋根が見えているので看板建築的な建物だったのだろう。モルタルで作られた洋風装飾は一部が剥落していたが、前面の新しい壁を取り去ればそこそこ立派な店構えの建物だったのではないかと思うが、新しい店にした際などに古くさいと思って隠してしまったのだろうか。

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松代駅

2023-09-21 | 長野県  
長野電鉄 松代駅
所在地:長野市 松代町松代70(殿町)
構造・階数:木・1
建設年:1922(大正11)?
廃止年:2012(平成24)
備考 :屋代線の廃止に伴い駅も廃止されたが駅舎は現存
Photo 1994.8.28

 松代駅は大正時代に河東鉄道という鉄道の駅として開業、後にそれが長野電鉄の駅になり2012年まで営業していた。

 私はこの日、信越本線(後のしなの鉄道)で軽井沢方面から田中駅へ行き、海野宿を見て大屋駅まで歩き、また信越本線に乗り戸倉駅で下車。駅周辺を見て、また信越本線で屋代へ。
 ここから長野電鉄河東線(1994年当時:後には屋代線)で松代へ行くつもりだった。だが、この年の夏は屋代−松代間が工事のため運休になっており、代行バスで松代へ向かったのだった。
 松代を見て回った後は、長野電鉄須坂経由で長野へ向かった。


 改札口にて


 駅西側の踏切から駅方面


 駅夕景


 出札口と改札


 ホーム夜景。
 停車中の電車はかつて地下鉄日比谷線で使われていた車輌

 2012年に屋代線が廃止された後、レールや架線は撤去されたそうだ。ただ駅舎と一部のホームは残されているという。


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柳沢邸・沽柳堂

2023-08-15 | 長野県  
柳沢邸・沽柳堂
所在地:東御市 田中211
構造、階数:木、2・3
解体年代:1999〜2001(平成11〜13)
Photo 1994.8.28

 信越本線(1997年10月以降はしなの鉄道)田中駅の駅前にあった木造家屋。手前は2階、奥は3階建ての大型建物だった。

 手前側の建物は2階にベランダが巡らされていて、モルタルで洋風の装飾が施されていた。結構華やかなデザインなのだが、逆にどういう用途の建物だったのかよく分からない代物。

 一方、奥の3階建て家屋の戸袋には、漆喰で「沽柳堂」と書かれていた。かつてはなにかの店だったのだろう。駅前の3階建ては旅館のようにも見えるが、「沽柳堂」は旅館名としてはちょっと違う気もする。

 両方とも撮影時には既に仕舞屋で人の気配もなかった。古い住宅地図にも店名などの記載はなく、昔の用途は結局分からずじまい。田中駅前では2000年頃に駅前広場の整備が行われたため、この建物も写真の後しばらくして解体されてしまった。

古い建物と街並みをもとめて: 三階建ての旅館

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中屋旅館、日本通運上田支店田中営業所

2023-08-12 | 長野県  
日本通運上田支店田中営業所(左奥)/中屋旅館(手前)
所在地:東御市 田中280/281
構造・階数:木・2
解体年代:1999(平成11)頃
Photo 1994.8.28

 JR信越本線田中駅(1997年10月からは、しなの鉄道の駅)の駅前にあった旅館と、日本通運の田中営業所。これらの建物は駅前広場の整備に伴い1999年頃に消失した。

 ところで、私が田中駅で下車したのは8月下旬のある日の午後。駅から出た人はわずかで、駅前にはタクシーが1、2台いただけで、バスも普通の自動車もいなかった。当時の駅前がバスが転回できないほど狭かったような記憶もない。地方都市には本当に必要なんだろうかと思ってしまうような道路整備がときどきある。建物が無くなったのが惜しくて言うわけではなく、結局、間延びした駅前広場ができてしまっただけで、整備効果があまりなかったような気がするのだ。
 狭い旧街道を少し拡げて車の往来を便利にして、歩行者の安全を確保するのには意味があるが、人も車も少ない駅前広場をやたらに大きくするのは、街の密度を下げてしまい余計に過疎な雰囲気を生んでしまう。もっと賑やかになる将来予想の下で整備したのかもしれないが、もう少し冷静に時代を考えた方が良かったのではないかと気になることがしばしばだ。

古い建物と街並みをもとめて: 駅前日通

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旧 喜久屋

2023-08-09 | 長野県  
旧 喜久屋
所在地:須坂市 須坂常盤町 723
構造・階数:木・2
解体年:2004〜08(平成16〜20)
Photo 1994.7.31

 須坂市内、旧上高井郡役所の近くにあった建物。撮影当時の住宅地図では個人宅として記されていたが、大型の2階建てだったので、もともとは旅館か料亭だったようだ。1971年の住宅地図には個人宅としての名の他に「喜久屋」と記されている。

 須坂市では大光楼があった浮世小路、豊よ松周辺が花街(三業地)だったそうだ。この建物はそのエリアからは少し離れた場所にあったので、どちらかというと旅館だった可能性の方が高い気がするが、本当のことは昔を知る地元の方に尋ねてみないと分からない。

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大光楼

2022-03-21 | 長野県  
大光楼
所在地:須坂市 須坂上中町192
構造・階数:木・2
解体年:1996〜2000(平成8〜12)頃
Photo 1994.7.31

 旧料亭、旅館。明治期の建物だったらしい。界隈は明治末期から大正期にかけて形成された花街。大光楼わきの浮世小路は入口に大光楼があるので、大光楼小路とも呼ばれたという。

 現在は建て替えられて一般の住宅になっているが、玄関部分のむくり屋根と「大光楼」の看板が移設されており、往時の雰囲気をわずかに残している。

町並み漫歩館須坂
須坂の裏道散歩2 - 食・彩園s倶楽部

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いちやま旅館

2022-03-18 | 長野県  
いちやま旅館
所在地:松本市 中央2-1
構造・階数:木・3
建設年:1935(昭和10)
解体年:1996(平成8)
備考 :建て替え後のいちやま旅館は2007(平成19)閉館
Photo 1992.11.22

 松本市の中心部、公園通りに面していた旅館。木造3階モルタル塗り、切妻屋根の瓦葺き。下記「工芸の五月 -2012」によれば、本館は1907(明治40)年築。東館は大正時代、西館は昭和戦前期のものだったという。ただ、写真の3階建てが、本館、東館、西館のいずれなのかは把握できなかった。

 松本市の中心部は城下町であまり道幅が広くなく、古くからの空間構造が残っていた。しかし中央西土地区画整理事業(1985〜2002年度に実施)によって、一部の建物は曳家されたりしたが、大半は取り壊されて近代的な空間構造の街となった。いちやま旅館も同事業に伴い1996年に解体されたという。

 たしかに以前は自動車の渋滞もかなりあった。1970〜80年代、夏場に家族で自動車で訪れたりしたが、当時はまだコインパーキングなどというものがなかったこともあり、デパートの駐車場や市営駐車場への入庫のために1時間以上待つなんてこともあった。たぶん今はもうそんな事はないだろう。道も広がり自動車などにとっては快適な空間になったに違いない。
 ただ、Googleストリートビューなどで見ると、現在の街並みはどうも殺風景に見える。いちやま旅館が面していた公園通りは、かつてはあまり広くない一方通行の道だった。現在も一方通行だが、両側にはゆったりした歩道が造られた。道が広がり明るくなり、安全になったのは良いことだが、どうも間延びした印象に見える。ごちゃごちゃ感がなくなって、賑わいがなくなり却って静かな町になってしまったように見える。城下町の街並み風景や往時の空間構造が消えていくのはやはり残念だ。

中央西土地区画整理事業 松本市ホームページ
1995年から1999年の写真  松本市ホームページ
工芸の五月 -2012
いちやま旅館 : 旅と建築と日常

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鮨「蔵」

2021-04-06 | 長野県  
鮨「蔵」
所在地:松本市中央1-10
構造・階数:木・3F
Photo 1992.11.22

 松本パルコのすぐ東側にあった狭い路地に面した寿司屋。
 市内中心部はこの時期、中央西土地区画整理事業が行われていて、この路地も現在は消失してしまっている。
 区画整理によって周辺は激変したが、この寿司店は通り沿いに残っている模様。区画整理事業実績を紹介した市のサイトには、曳き家をした建物もあると記されており、この建物もそうして残されたもののようだ。

 現状のストリートビューは以下リンクから御覧下さい。

Google Street View
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