都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

2019年4月 記事一覧

2019-04-30 | 記事一覧 

04/02 常盤座(トキワ座)
04/04 東京クラブ(東京倶楽部)
04/06 上野百貨店(西郷会館)
04/08 上野松竹デパート・上野セントラル
04/10 ウグイス荘
04/12 下谷病院
04/14 根岸の看板建築
04/16 永寿総合病院
04/18 スレート張りの家
04/20 同潤会大塚女子アパートメント
04/22 文京区立窪町小学校
04/24 佐藤探偵事務局
04/26 旧亀井伯爵邸
04/28 日本女子大学泉山館
04/30 東大病院分院

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東大病院分院

2019-04-30 | 文京区  
東大病院分院
所在地:文京区目白台3-28
構造・階数:RC・3F
解体年:2010〜11(平成22〜23)
備考 :2001.6 閉鎖
Photo 1997.6.1

 東大病院分院は、文部省の医術開業試験場として1908(明治41)年に目白台に移転して来たそうだ。1917(大正6)年に東京帝国大学へ移管され、医科大学附属医院分院となったそうだが、建物の建設年など沿革の詳細はネットでは分からなかった。

 日本近代建築総覧にも載っていないので、建物の建設年代は不明。ただ、スクラッチタイルを使った外観などから考えると戦前の建物だったのではないだろうか。

 2002年に訪れたら、門が閉まっていて中には誰も居なかった。門の脇の守衛室も閉じられ、傍らには分院の閉鎖を告げる貼り紙があった。


正門わきの守衛室  Photo 2002.6.10

 病院としては閉鎖されたが、その後、2009年1月末頃までは、まだ建物等は残存していた。
 しかし、2010年3月に再訪したところ、写真の本館や正門、守衛室などを残して、他の建物群は全て解体されていた。この時点頃までは跡地の利用法が決まっていなかったようだ。

 その後、跡地に東京大学目白台国際宿舎(仮称)が造られることが決まり、2017年頃から建設工事が始まった。現状は把握していないが、ネット上の情報では、2019年2月時点ではまだ建設工事が続いているようだ。

 また、現在も正門わきの守衛室や塀は残されているようだ。この感じだと新しい建物が完成した後もこれらは残されるのかもしれない。


2022.8.25追記
 跡地には2019(平成31)に目白台インターナショナルビレッジが完成。正門わきの守衛室や塀は保存された。

東京大学医学部附属病院
東京大学医学部附属病院分院跡地(目白台国際宿舎)を見てきたよ! | 護国寺ナビ

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #近代建築  #病院  ブログ内タグ一覧

2022.10.20追記
 国土地理院の空中写真で確認したところ、およそ以下のことが判明した。撮影年に幅があるので正確には分からないが、中央部分と東側は、戦時中か戦後すぐの頃に完成したようだ。また、1枚目写真の左側部分は、昭和30年代までに完成したようだ。

 1936〜42年頃 本館の建物なし。
 1945〜50年  中央部と東側部分が完成済み
 1961〜69年  西側部分も完成済み

コメント (2)
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日本女子大学泉山館

2019-04-28 | 文京区  
日本女子大学泉山館
所在地:文京区目白台2-8
建設年:戦後
構造・階数:RC・4+R
備考 :2005年に解体
Photo 1998.5.9

 戦後の建物だったそうだが、正門の正面に堂々と建つ姿が印象的だった。

 4階部分は増築だったのだろうか。よく見ると屋階には瓦屋根が掛けられている。

 この建物の右側に新しく高層の校舎が完成し、2005年にこの泉山館は解体された。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #大学 
2007.2.26
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旧亀井伯爵邸

2019-04-26 | 文京区  
旧亀井伯爵邸
所在地:文京区千石3-37
構造・階数:木・2F
建設年:1884(明治17)
解体年:2003(平成15)
Photo 1994.12.4

 千石の住宅地にあった洋館。撮影時には葉山商店として利用されていた。屋根中央のギャンブレル状の窓や、2Fのアーチ型の窓が印象的。小路の突き当たりにあったのだが、建物の正面に建つ電柱が邪魔。

 大切に使われていたようだったので、安心かと思っていたが、持ち主が替わったのか、その後、あっさり無くなってしまった。残念。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #近代建築  #住宅系  #洋館・洋風住宅 
2007.2.26
コメント (2)
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佐藤探偵事務局

2019-04-24 | 文京区  
佐藤探偵事務局
所在地:文京区大塚5-2-10
建設年:1936(昭和11)
構造・階数:木・2F
備考 :解体・マンション化
Photo 1994.12.18

 洋館で探偵事務所というのは珍しかった。春日通りに面して瀟洒な外観を見せていたが、春日通りの拡幅に伴い通り沿いの建物が建て替えになる中で、この建物も失われた。

廃景録佐藤探偵事務局
佐藤探偵事務局、君塚接骨院/大塚5丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #近代建築  #商業系 
2007.2.26
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文京区立窪町小学校

2019-04-22 | 文京区  
文京区立窪町小学校
所在地:文京区大塚3-2
建設年:1926(大正15)
構造・階数:RC・3F
設計 :中村與資平
2006(平成18)に解体・建て替え
Photo 2000.6.3

 大塚のこの小学校も、いわゆる震災復興小学校のひとつ。屋上の装飾が目立つが、基本的にモダニズムに近い感じ。春日通りに面して建つコの字型をした平面型の建物だった。数年前から敷地北側のスペースに新校舎が建設され、2007年春に工事完了した模様。


 Photo 2006.3.24

 2006年春の時点では旧校舎がまだ残っていたが、その後取り壊されたらしい。写真の時点で既に後方に新校舎が建設されていたようだが、全然気が付かなかった。


 Photo 2006.3.24

 中央上部の学校名レリーフ。戦前のものらしく、右から書いてある。壁面が少し桃色がかった建物だった。

関連・参考サイト記事:ぼくの近代建築コレクション窪町小学校

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区 #近代建築 #学校 #中村與資平
2007.2.26
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同潤会大塚女子アパートメント

2019-04-20 | 文京区  
同潤会大塚女子アパートメント
所在地:文京区大塚3-1
建設年:1929(昭和4)
構造・階数:RC・5F
備考 :2003(平成15)解体
Photo 1995.1.25

 同潤会唯一の女子専用アパート。女子専用だったので、残念ながら内部を見る機会は無かった。女子教育の発展を知る上でも貴重な文化遺産と言われていたが、老朽化のため、東京都の方針で解体されることに。保存運動もぎりぎりまで続けられたが、解体方針は変わらなかった。


玄関付近。地下にウォーキングクラブなるものがあったが、どんなものかは知らず。
Photo 2000.6.3


最期の頃は、タイルの剥落が多かったのか、ネットが懸けられていた。
包帯を巻かれてしまったみたいで無惨。
Photo 2000.6.3

 現在、跡地には図書館流通センターのTRCビル(12F・B1F、2013竣工)が建っている。

Wikipedia > 大塚女子アパート

大塚女子アパート/文京区大塚3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 文京区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅  #同潤会 
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スレート張りの家

2019-04-18 | 台東区  
スレート張りの家
所在地:台東区谷中5-7
構造・階数:木・2F
Photo 1995.5.14

 日暮里富士見坂下の住宅地内にあった建物。壁、戸袋が全てスレート貼りになっていた。壁の方は魚の鱗のような柄、手前の戸袋は亀甲模様、左側は中央が菱模様と、それぞれデザインされている。壁全体がスレート貼りという建物自体、非常に珍しいものだったのだが、数年後に訪れたら建て替えられて、跡形もなくなっていた。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #住宅系 
2007.2.26
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永寿総合病院

2019-04-16 | 台東区  
永寿総合病院
所在地:台東区元浅草2-11
構造 :RC
階数 :6F+B1F(当初は5Fで、6Fは後年の増築)
建設年:1928(昭和3)
解体年:2002(平成14)
備考 :1956、1960に増改築されている。
Photo 1992.8.13

 浅草通りと清洲橋通りの角に建っていた建物。もともとアパートとして建てられたものが転用されたそうだ。角地に建っていたので存在感があったが、外観上は華やかな意匠は見受けられない。病院としてみた時、確かに古い感じではあったが、70年も前の建物には見えなかった。


2022.10.10追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図で確認したところ、この時点では日本水産KKで5F建てだった。この建物、アパート→オフィス→病院と用途が替わったようだ。また『日本近代建築総覧』には増改築の時期だけが記されているが、当初は5階建てで昭和30年代の増築で6階建てにされたらしい。

永寿総合病院/元浅草2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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#失われた建物 台東区  #病院  ブログ内タグ一覧
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根岸の看板建築

2019-04-14 | 台東区  
根岸の看板建築・石川商店
所在地:台東区根岸 3-14
構造・階数:木・2F
解体年:2003〜04(平成15〜16)
Photo 1995.6.17

 金杉通りから根岸3丁目交差点で西側に入ると五差路がある。その少し手前にこの銅板張りの横に長い看板建築は建っていた。長屋状建物の前面全体を銅板で覆ったもので、中央部を少し三角形に立ち上げた横長の姿が印象的だった。街路樹や引きの関係で、全体をうまく撮らなかったのが悔やまれる。

 この後、部分的に塗装されてツートンカラーになり、全体のまとまり感が失われたりしていた。解体されたのがいつか正確には知らないが、跡地に建っているルネス根岸弐番館は2005年4月竣工なので、2004年頃までの間に解体されたようだ。

石川商店/根岸3丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 台東区  #商業系  #看板建築 
#銅板張り看板建築  ブログ内タグ一覧

2007.2.26


2022.10.11追記
 1995(平成7)年の住宅地図によれば、中央の店は雑貨・石川商店。また、1952(昭和27)年発行の『火災保険特殊地図』によれば、右端は大和田うなぎ店。

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