’08/01/28の朝刊記事から
外国語学習 流暢さより心に響く会話を タレント イーデス・ハンソン
日本人が外国語を習う必要性を感じたのは、昨日や今日の話ではない。
飛鳥から平安にかけて、十数回にわたり毎回数百人の公式使節が唐へ派遣された。大陸の情勢や先進的な文物を学ぶため、遣唐使は唐の言葉を猛勉強したはずだ。また鎖国下の江戸時代に長崎の出島では、オランダ語が必要となった。さらに幕末から明治にかけても、西欧諸国の知識や技術獲得を目的に日本人は次々と出かけたが、そのときにも相手国の言葉の習得が前提条件だった。しかし、どの時代であれ、外国語の勉強ができたのは、ごく限られた人たちだけ。
第二次大戦前から高等教育の過程に英語があったとはいえ、義務教育と関係なく、いつでもどこでも、猫も杓子も学べる便利さは、終戦後の高度成長に合わせて広まったことだと記憶している。生活が少しずつ楽になり、旅行や留学の機会、企業の海外進出も増え、外国語、殊に話し言葉を習いたい人が急増した。
私が来日した1960年には、そういった強烈な願望があるのに、商売として全国に展開した外国語学校は身近になかった。だから、語学教育者の訓練や素養がなくても、外国人でさえあれば簡単に英会話の教師になれた。かなり疑問を感じながらも、私だってそれで生計を立てられた時期があった。
何を伝えるか
教えたのは、大学生や大学教授、大阪市役所の有志たち、とある良家の若奥さま、いくつかの企業では社員の自発的なグループなど、高学歴で実に多彩な顔ぶれだった。しかし目的や動機はさまざまなのに、「学校で何年も勉強したのに、会話ができない」というのが、共通の切実な悩みでした。その解消に長年役立ったきたのは、昨年経営が左前になったNOVAのような外国語学校だった。
NOVAの行き詰まりで起きた受講料の返還不能、給与不払いや突然の解雇の諸問題以外にも、とても気になるのは、将来、外国人講師たちがこの苦い思い出を本国に持ち帰ること。例えば外国人にとって日本の労働環境が悪く、不当な扱いを受けても適切な補償も救済も期待できないと言われるかも。身内や経験者の話には説得力があるから、ダメージは深くて大きい。首相が外遊先でキャッチボールをやったくらいで(中国の次はどこ?)そうした草の根の不評を修復できるかしら。
まァ、飛鳥でも平成でも、雄弁家になるには教室で行う外国語の授業はホンの出発点にしかすぎない。もちろん言語の基本である文字、発音、単語、単語のつなぎ方や文脈の構成などを覚えなければ、会話を交わすところまで進めない。ただ、基礎作りが終わり、言葉を見事に操れるようになったとしても、どんな姿勢で何を伝えるかという技術以前の問題がある。
言葉は完璧でも、気づかずに偏見に満ちた発言で相手を傷つけてしまえば元も子もなく、何のための語学力か分からない。友だちづくり、異文化とのふれあい、昇給、目的はなんであれ、形式的な完成度よりも学校では習えない内容の方が肝心だ。
考える力養う
言葉は考えや気持、情報などを伝達する道具。その道具を正確に使う技術が語学力で、その役割の大切さは否定できない。だが、伝えるべきモノがなければ、いくら流暢に話されても、松風や潮騒の味わいすらない雑音だ。
日本語もロクに話せないのに、英語を勉強してドウスル?とよく言われるが、まず、なぜ日本語がダメなのかを考えてみたい。言葉を知らないわけではない。それより、むしろ普段からモノゴトをきちんと考え、考えた内容を整理して丁寧に伝える意識や習慣の乏しさが最も大きな原因だろう。どの言語でも同じで日本語に罪はありません。
せっかく身につけた語学力を精いっぱい生かそうと思えば、まず、考える力と豊かな感受性を養うことだ。要は、基本的な生活態度がものを言う。
今、英語を話せる人は世界中にいる。競うならば、流暢度で勝負するよりも、話の中身にこそ力を入れることを勧めます。
日本が資源小国と嘆くばかりでは、芸がない。高い教育水準も立派な資源です。加えて、普段からお互いの心に響き合う話ができる人間こそが、今世界的に足りない貴重な資源だと思いますね。